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選択科目の時間。
私は総司とはじめ、伊庭君と音楽室に向かった。
今日は来たる音楽祭に向けて、当日の担当楽器や楽曲が発表されるらしい。
ピアノかヴァイオリンの担当になることを願いながら、先生を真っ直ぐ見つめていた。


「声楽の担当を発表します。女子は千鶴さん、お願いできるかしら」


これはもう決定事項だから、皆で当たり前のように拍手を送る。
あまり学院に通えていないのか殆どいらっしゃらない王女殿下も、今日の授業には参加出来ているようだった。


「先生、申し訳ありません。声楽ですが辞退させて頂けませんか?最近体調が不安定なので」


彼女の言葉に音楽室の中は少し騒つき、先生も少し驚いた顔をして見せた。


「あら……でも、いいの?身体のことが最優先だから勿論無理強いはしないけれど、折角の晴れ舞台よ?」

「当日まで体調がどうなるか分からないので。申し訳ありません」

「それは構わないわ。身体のこともあると思うし、無理は良くないもの。分かったわ」

「またの機会に宜しくお願い致します」


綺麗な所作で頭を下げた王女殿下を見て、少し胸が痛む。
きっと彼女も引き受けたかったのだろうと思えば複雑な心境になった。
それなのにこの前、総司が彼女を抱き抱えているのを見てやきもちを焼いてしまった自分が情けない。
王女殿下の身体が無事回復されますようにと願いながら、再び先生の言葉に耳を傾けた。


「では声楽の担当を変更しますね。セラさん、引き受けて頂けるかしら?」


思いもよらず名前を呼ばれて、思わず目を見開いてしまう。
え、嘘……、私が音楽祭で声楽を担当するの?


『……はい、ご指名頂きありがとうございます。私で良ければ引き受けさせて頂きます』


はっきりと受け答えはしたものの、自分の中では消化出来ないまま眉を顰める。
なぜなら予想もしていなかったし、私には荷が重すぎる。
しかも王女殿下の代役ということは、責任重大だ。


「おめでとう。僕の言った通りになったね」


隣に座る総司は小声でにこやかにそんなことを言うけど、私は心配。
でも今から本番まではあと三週間はあるし、練習を頑張ればきっと大丈夫な筈と言い聞かせた時だった。


「声楽の男性パートは沖田君、引き受けて頂けるかしら?」

「え?」


不意に呼ばれた名前を聞いて驚いたのは私だけではなかったみたい。
総司も隣で思わず少し素っ頓狂な声を出していた。


「えっと、僕ですか?」

「そうよ。担当して貰える?」

「はい。僕で良ければ引き受けさせて頂きます」

「良かったわ。二人は放課後別室で練習して貰うことになるから宜しくね、日程表は後で渡すわ」


先生の言葉に返事を返し、思わず総司を見る。
すると彼も私と目が合うなり微笑んでくれたから、総司と同じ声楽パートが担当出来ることを嬉しく思った。
さっきまではあんなに心配だったのに、今は嘘みたいに心が弾んでるなんて私も単純みたい。
良い舞台に出来たらいいと思いながら再び総司と見つめ合った。


「先生、すみません」


不意に高い声が聞こえて、手を上げた王女殿下の方に視線を向ける。
すると彼女は先生に向かって微笑みを向けながら、口を開いた。


「色々考えたのですが、私声楽を担当させて頂きます。折角の音楽会ですから」


王女殿下の言葉を聞いて、私は思わず唇をきつく結ぶ。
この前、総司の手を嬉しそうに握っていた彼女の姿を思い出せば、考えたくもない可能性が心を不安にさせた。


「え?あら……そうなの?」

「はい。ソロかとばかり思っておりましたのでお断りさせて頂いたのですが、お相手の方がいらっしゃるなら是非ご一緒させて頂きたいと思ったんです」

「そうなのね。私は構わないけれど……」


先生の視線が私に向けられたから、私が言う言葉は勿論一つ。


『私も構わないです。元々は王女殿下が担当されるご予定だったのですから』

「ありがとう。では声楽は当初の予定通り、千鶴さんにお願いするわね」


気持ちがついていかないのは、声楽のパートを担当出来ないからじゃない。
王女殿下が引き受けることにした理由が、総司がパートナーだからだと直感で分かったからだった。
その証拠に、彼女は最後に総司の方を見て微笑んでいた。
きっとこの前のことで総司をお気に召されたのだという事実が、私の心中を暗くさせた。


「先生」

「あら?今度は沖田君?どうしたのかしら」


一人悶々と考えていると、不意に左隣の総司が珍しく手を上げて先生に声をかけている。
ぼんやりその様子を見ていると、総司の口から出た言葉に私は目を見開くことになった。


「やっぱり僕、声楽は自信がないので辞退させてください」

「何言ってるの、あなたとても良い声していたし上手だったわよ。練習すれば更に良くなると思うわ」

「でも、折角の舞台を僕のせいで台無しにしたくないんですよね」

「その為に練習を頑張るのが本来の姿よ。それにあなた、他の楽器は一切弾けないでしょ?」

「いや、まあ……確かにそうなんですけどね」

「自信がないという理由だけでは辞退は認められませんよ」


結局学院で問題を起こすわけにはいかないと思っているだろう総司は、先生に逆らうことはせずに声楽パートを引き受けることになった。
きっと辞退を申し出てくれたのは私を気遣ってだと分かったからこそ、また胸が痛くなった。

音楽室の一番後ろの右端で、ただぼんやり先生の話を聞く。
自分のパートはピアノのソロだったからひとまず安心はしたものの、心は晴れてくれなかった。
でもそんな時、膝に置かれていた私の左手にはそっと温かい温もりが重ねられる。
指も絡められたから驚いて左を見れば、総司が眉尻を下げて微笑んでくれていた。


「セラのピアノ、楽しみにしてるからね」


小さい声で紡がれた言葉や手の温もりから、総司が私を気にかけてくれていることが分かる。
もしかしたら暗い顔をしてしまったのかもしれないと気付いて、私は総司に微笑みを向けた。


『ありがとう。私も総司の声楽、楽しみにしてるね』


折角の初めての学院祭。
総司と沢山楽しむって決めているのに、小さなことで落ち込みたくはない。
だって総司は私を想ってくれているし、それはきっと変わらないと信じることが出来る。
それなら私に出来ることは、総司が声楽に集中できるように心配を掛けないことだと思った。


『ねえ、見て?』


授業中、本当はこんなことをしては駄目なんだけど、今は違うパートの説明をしているから大丈夫。
そう都合よく考えながら、音楽のノートに落書きをしてみせた。
これは私が最近よく書いている総司の絵。
まん丸い顔に簡易的な身体。
それに目と髪の毛を書いて、最後に少し意地悪そうに斜めに口を書けば可愛い総司の完成だ。


「ははっ」


繋いでいた総司の右手が離されて、今度は私の絵の隣に、見様見真似で同じような絵が描かれていく。
それはきっと私で、可愛いらしくかかれたその子は嬉しそうに微笑みながらハートマークを周りにいっぱい出していた。


『あはは、何これ』

「だってセラって僕に対してこんな感じでしょ?」

『ふふ、そうかな?』

「そうだよ。僕もっ……と」


再びシャーペンを持った総司は、私が書いた総司の絵の周りに同じようなハートマークをいっぱい書いてくれた。


「はい、完成」


総司が書き足してくれたから、とっても幸せそうな絵になった。
この子達のように私達がいつまで愛情で包まれていますように、いつまでも笑い合っていられますようにと願いながら、この絵は宝物にしようと決めた私がいる。


『ふふ、可愛い』 

「セラ」

『うん?』

「好きだよ」


名前を呼ばれて少し総司の方を向きかけた時。
総司が耳元に顔を寄せて私にだけ聞こえる声でそう囁くから、私の顔には熱が込み上げてきた。


「あれー?この絵、もっと頬を赤くしないといけないかな」

『今授業中だよ?真面目に受けて』

「授業中に落書きしている子に言われても説得力に欠けるよね」


この絵みたいに意地悪な笑みを浮かべる総司の様子に笑ってしまったけど、総司のおかげで元気が出た。
今度は私から指先を絡めると、総司の笑顔は柔らかいものに変わった。



音楽の授業が終わって帰ろうとすると、私達の元に王女殿下がやってくる。
私達はそれぞれにご挨拶をして、それが終わると彼女は総司を見上げて微笑んでいた。


「総司さん、声楽のパートナー宜しくお願いしますね」

「こちらこそ宜しくお願いします。足を引っ張らないといいんですけどね」

「大丈夫ですよ。私は総司さんとご一緒出来るだけで嬉しいですから」


綺麗な王女殿下に見惚れてドキドキしてしまうけど、それと同時にまた心配になってしまう私がいる。
総司が私ではなく王女殿下を好きになったらどうしようなんて後ろ向きな考えが浮かんでしまったから、頭の中で思考を停止して先程の可愛い落書きを一生懸命頭に浮かべていた。


「頑張ります」


総司は一言そう告げると感情のよく読めない笑みを浮かべていた。


「セラさん、今日は本当にごめんなさい。声楽を引き受けてくださるご予定だったのに」

『とんでもありません。王女殿下がご担当なさるのであれば、皆さまもとても喜ばれます。当日、楽しみにしていますね』

「ありがとう。もしよければ、これからは名前で呼んでいただけると嬉しいのだけれど」

『それでは……千鶴様とお呼びしても、よろしいでしょうか?』

「ええ、もちろん。嬉しいわ。よろしくお願いしますね」


にっこり微笑む顔は可愛いらしくて、優しい王女殿下の様子に安堵した私がいる。
学院祭まではあと一ヶ月もない。
その間だけのことをそんなに気にしては駄目だと自分を励ましていた。


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