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ここ最近、総司は疲れているように見えた。
ふとした時の顔つきが険しいし、たまにぼんやりため息を吐いていることもある。
恐らく学院生活や任務に加えて放課後には声楽の練習があるから、十分に休息が取れていないのかもしれない。
日に日に元気がなくなっているように感じる総司を、心の中で心配していた。
『総司、今日の任務は何時から?』
部屋に戻って来ると、総司は鞄だけ自分の部屋に置き、制服のまま直ぐに私の部屋にくる。
私は着替えようとしていた手を止めて、総司を気遣うように見つめていた。
「あと三十分したら騎士団エリアに行かないといけないかな、あと十五分したら着替えて行くよ」
そんなに早く行かないといけないんだ……。
きっと帰ったらもう夜も遅いだろうから、総司が身体を休められるのか心配に思う私がいる。
でもマイナスな言葉を言えば総司の気分も下がってしまうだろうから、余計なことは言わずに微笑みを向けた。
『分かった。じゃあ直ぐにお茶淹れるね、ソファーに座って待ってて』
「お茶はいいよ」
『でも喉渇いてるでしょ?』
「大丈夫だよ。それよりその分セラといたいんだ」
柔らかく指が絡められて、総司に手を引かれるまま私もソファに腰掛ける。
最近はあまりゆっくり二人でいられる時間がないから、こういう合間時間が大切だった。
『総司が凄い頑張ってるっていう話をお父様にも話してるんだ。お父様も声楽の発表を凄く楽しみにしててね、総司が当日着るスーツをこの前……、あ……』
「ん?」
総司を喜ばせたくて明るい話をしようと考えていたら、うっかりサプライズのことを口にしてしまった。
「聞こえちゃったかな?」と、総司を見上げてみると、やっぱり聞こえていたみたい。
「もしかして近藤さんが僕のためにスーツを用意してくれてるの?」
『うう、ごめん……。お父様が総司を驚かせたいから前日まで内緒にしようって言ってたのに。聞かなかったことにしてくれるかな?』
「ははっ、分かったよ。知らないふりするから心配しないで」
『ごめんね……。でもね、お父様と一緒に私も選んだんだよ』
「そうなの?それなら余計に楽しみだし嬉しいかな」
『絶対総司に似合うと思うよ。今練習とか色々大変だと思うけど、その分本番は絶対素敵な舞台になると思うから、あと少し無理だけはしないでね。総司のこと、応援してるよ』
総司が努力している分だけ、本番は大成功して欲しい。
それまでどうか体調を崩さず、素敵な一日を迎えられますようにと願っていた。
でも目の前の総司は何故か瞳を揺らして私を見つめながらも、暫く何も言わないまま。
思わず小首を傾げたけど、その直後に総司に優しく抱きしめられていた。
「ありがとう。セラがそう言ってくれると頑張れそうな気がするよ」
『ふふ、良かった。でも頑張り過ぎて身体壊すことはしないようにしてね』
「大丈夫だよ。君といるとさ、本当に癒されるんだ」
総司の言葉を嬉しく思いながらも、今日はいつもに増して総司とは違う甘い香りがする。
声楽の練習が始まった頃くらいから、総司から時折香ってくるこの香りが、王女殿下の香水の香りだということはもうだいぶ前から気付いていた。
でも私は総司を信じているから、別にこのくらい気にしない。
今日も気にしないでやり過ごすつもりだった。
けれどいつもに増して強いその香りは、総司の首筋に特に強くついていて、その理由を考えてしまう私がいる。
ただ邪念を振り解こうとしていたけど、総司の襟元についた桃色の口紅に気付いてしまった時。
何かを考えるより早く、瞳には涙が湧き上がってきてしまった。
「最近中々一緒にいられないよね。学院祭終わったら、二人でゆっくり過ごそう。山南さんに許可を貰って、また二人で街に出掛けるのもいいよね」
込み上げる涙を堪えるのに精一杯で、直ぐに言葉は出てこなかった。
ただ、疲れているだろう総司の前で、絶対に泣くことだけはしたくない。
だから泣いたら駄目だと言い聞かせ、私は痛い程下唇を噛み締めていた。
「セラ?」
『私、総司と一緒に街におでかけしたい。それでね、何かお揃いの物、買いたいな』
総司の抱き締める腕が少し緩められた時、今離れたら涙を知られてしまいそうだから私の方からぎゅっと再び抱き締める。
そして涙をごまかすように総司の肩に擦り寄るふりをして、ようやく少し落ち着くことができた。
「いいね。二人で選びに行こうか」
『うん。今から楽しみだな』
「僕もだよ。待ち遠しいよ、その日が」
私も待ち遠しいよ。
早くまた余計なことを考えずに総司と一緒に過ごしたい。
でも総司は変わらず私に優しい言葉をかけてくれるから、きっと大丈夫だよね。
心配することなんか何もないと、自分に何度も言い聞かせた。
「ごめん、僕はそろそろ行くね。夜遅くなるかもしれないから、眠かったら寝てて」
『うん、頑張ってきてね。あとご飯、ちゃんと食べてね』
「ありがとう、セラもね」
総司の温もりが離れて、少し寂しい気持ちで総司を見上げる。
総司はいつものように私の頬を撫でるけど、何故かまた私の顔をじっとみつめたまま何も言わない。
『総司?どうかした?』
「……ううん、なんでもないよ。行ってくるね」
『うん。今日、総司を待っててもいい……?』
「待っててくれるの?僕は嬉しいけど、明日辛くない?」
『全然大丈夫』
私が微笑むと、ようやく総司も嬉しそうに笑ってくれる。
そして私にそっと触れるだけのキスを落とすと、私の髪を撫でてソファから立ち上がった。
「じゃあ帰ってきて寝る支度が終わったら声掛けるね。眠かったら寝ててよ」
『うん。任務頑張ってきてね、待ってる』
にこやかに総司を見送った後、私は暫くソファの上で膝を抱えてじっと座っていた。
そして隣の部屋のドアの開いた音がして総司が任務に出掛けたことが分かると、たかが外れたように瞳からは涙が溢れ出てきてしまった。
『……うっ……』
総司のことは、信じてるつもりだった。
本当に心から。
だけど……どうして練習のたびにあんなに王女殿下の香りがするんだろう。
すれ違った一瞬だけでさえ、ふんわりとその香りが残っていて、知らないうちに胸がぎゅっと締めつけられてしまう自分が嫌だった。
今日なんてシャツの襟元の後ろの方にうっすらと口紅がついていて、何かの拍子に偶然ついたものだって思おうとした。
けれどあの位置は以前みたいに体調を崩して抱きかかえてもらった時でさえつかないような場所。
それに気付いてしまえば、見なければ良かったと思わずにはいられなかった。
それに総司は、練習のことをまるで何もなかったかのように話してくれない。
不自然なくらい何も……本当に、一言も。
何かを隠してるようにさえ思えて、気づかないふりをしている自分が、だんだん辛くなってくる。
聞くのも悪い気がして聞けなくて……結局今日も何一つその話を聞くことは出来なかった。
今日は偶然、声楽の先生が図書室にいらしたから、練習が終わったことは分かったけど、それでも総司はすぐには戻ってこなかった。
私たちのもとへ来たのは、随分と時間が経ってからだった。
王女殿下と、二人きりでどんな話をして、何をしていたんだろう。
そんなことを考えるたび、不安が膨らんで、自分でもどうしたらいいかわからなくなってしまう。
……信じたい。
総司は私の気持ちを大事にしてくれているって、信じていたい。
でももしほんの少しでも、私の知らないところで、違う誰かに気持ちが向いていたとしたら……
『っ……う……』
そんなこと、考えたくないのに。
信じたいのに。
それでも不安が胸の奥で静かに疼いて、どうしようもなくなる。
私はきっと、わがままだ。
信じてるって言いながら、心のどこかで総司のことを信じきれなくなってしまっている。
だけど、疑いたくなんてない。
総司が優しくしてくれたすべてが嘘じゃないって、ちゃんと信じたい。
信じたいのに、どうして涙が止まってくれないんだろう。
『テディ……、慰めて……』
以前平助君がくれたテディがソファに座っているのをいいことに、ぎゅっと抱きしめて再びしくしく涙を流す。
でもテディは総司のように抱き締め返してくれないから、結局涙は中々止まってくれなかった。
でも今沢山泣いてすっきりすれば、きっと総司の前では笑えると思うから。
今だけは泣いていいよと自分に言って、素直な気持ちのまま涙を流す私がいた。
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