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学院祭を前日に控えた夜。
私と総司はお父様に呼ばれ、ドレスホールへと向かった。
ようやく明日は本番で、総司にスーツをお披露目できる。
楽しみにしながらその時を待っていたけど、お父様は少し寂しそうに微笑みながら、私が見たこともないスーツを総司に手渡した。
「総司、このスーツを明日は着なさい」
「わあ、凄い素敵なスーツですね。近藤さん、ありがとうございます」
嬉しそうにスーツを受け取る総司を横目に、今の状況をよく理解出来ないでいると、お父様は私に優しい笑みを向けて再び総司に話しかけた。
「これは今朝、ルヴァン王国から届いたものだ。王女殿下とお揃いになるように誂えてくださったらしい。明日俺からも国王には挨拶する予定だが、その時は総司も同行しなさい」
お父様の言葉を聞いて、なぜ私達の選んだスーツが手元にないのか理由が明白になった。
お揃いの装いで同じ舞台に上がる二人を想像をしたら胸がちくりと痛んだけど、黙ったままスーツを見つめる総司に微笑みかけた私がいた。
『素敵なスーツ、良かったね。折角だから着てみたら?私、総司が着たところ見たいな』
私に向かってぎこちなく微笑んだ総司は、次はお父様に視線を移しその口を開いた。
「挨拶の件、承知いたしました。音楽会の後でもよろしいでしょうか?」
「ああ、大丈夫だ。王女殿下にもよろしく伝えてくれると助かるよ」
「はい。明日、彼女にもお礼を申し上げます」
「宜しく頼むぞ。それでだな、セラにはこのドレスを用意した。気に入ると良いのだがな」
『わあ、お父様……いつもありがとうございます。早速開けてもいいですか?』
「勿論だとも」
楽しみにしながら受け取った紙の箱を開けてみると、中には薄い桃色のクラッシックなオフショルダードレスが入っていた。
肩を少し露出させて着るこのドレスは華やかだけれど生地はとても柔らかくて、演奏がし易そうに配慮されているものだった。
『素敵なドレス、とっても嬉しいです!お父様、ありがとう。大切に着させて頂きますね』
大好きなお父様に抱き着きお礼を述べる。
お父様も嬉しそうに微笑み、私達の演奏を楽しみにしていると言って下さったから、明日は素敵な舞台にしたいと思っていた。
その後、私はドレスルームで試着したものの、総司は私達を気遣ってか何度か声を掛けてもスーツの試着はしなかった。
部屋までの帰り道もどことなく元気がないように見えて、少し心配に思いながら彼に話し掛けることにした。
『総司……?スーツのことは気にしないでね?』
部屋に着き、ソファーに座った総司に温かいハーブティーを出す。
ぼんやりしていた総司は、私の声を聞きようやく私の方を見てくれた。
「ごめんね。折角君と近藤さんが僕の為に選んでくれてたのにね」
『ううん。それはまた次回、何かの時に着て貰えるし、全然気にしてないよ』
「でも僕はスーツを見るのが楽しみだったし、明日はそれを着て歌いたかったんだけどね」
『でも確かに考えてみたら、合わせた方が舞台栄えもすると思うよ。千鶴様からのスーツ、とっても素敵だったから総司に似合うと思う。総司の歌、楽しみにしてるね』
薄いグレーに薄紫の刺繍が組み合わされたスーツは、スカーフやネクタイも淡い紫色で総司に似合いそうだった。
王女殿下は薄いパープルのドレスを着られるのかもしれないと予想していると、総司はそっと私の髪を撫でる。
「セラってさ、怒ったりしないの?」
『え?怒るって?』
「全然文句とか言わないなって」
『何に文句を言うの?』
首を傾げてそう聞いてみると、総司は何故か苦笑いをしている。
「たとえば僕だったら、君の為にドレスを用意してたのに、前日に他の男が送り付けてきたドレスを君が着なければいけないことになったら、苛立つからさ。セラってそういう感情にならないのかなって思ったんだけど」
『残念な気持ちは勿論あるよ。でも千鶴様は舞台のことや総司のことを考えてわざわざ送ってきて下さったわけだから、その気持ちに悪意はないし……どちらかと言えば私がサプライズのことを総司にうっかり喋っちゃったから、かえって総司を気にさせることになっちゃって……。なんか、ごめんね……』
「いや……なんで君が謝るのさ。僕は嬉しかったよ」
『総司は優しいね。嬉しいって言って貰えたら十分かな、ありがとう』
私の返しにまた苦笑いをしている総司だけど、一つ小さなため息を吐き出すと穏やかな口調で話し始めた。
「セラの方こそ凄く優しい子だと思うよ。それに近藤さんや山崎君、山南さんや騎士団の皆もさ。ここの城の人達は、本当に皆良い人達ばかりだから、僕はここで生活出来ていることを凄く恵まれたことだと思ってるんだ」
総司が何を言いたいのか考えながら黙って聞いていたけど、総司がここでの生活を気に入ってくれているのならとても嬉しい。
出会ったばかりの頃、総司にはアストリアで幸せになって欲しいと願っていたことをふと思い出し胸が温かくなるようだった。
「セラは学院に通うまで、外部の人間との接触をあまりしてこなかったから分からないのかもしれないけどさ、城の外に出ると皆が良い人ばかりではないんだよ」
『どういうこと?』
「君は王女殿下が僕にスーツを送ってきたことを悪意はないって思ってるみたいだけど、僕はそうは思わない。あの人が僕の為や舞台の為に何かするような人にはとても思えないんだよ」
王女殿下とは一度ご挨拶をしただけの関係だから、私は彼女のことをよく知らない。
総司と王女殿下はそれなりに良い関係を築いていると思っていただけに総司の言葉は予想外で、思わずかける言葉を探してしまう私がいた。
「そもそもお揃いでコーディネートを考えていたり、僕の分も用意するつもりなら練習の時に一言あったっていいと思うんだ。それが何もない上、届いたのが前日なんてさ……こっちがスーツを用意してないわけないじゃない。僕が用意していることを分かってて、敢えて今日届くように送ってくるなんて性格悪いよね」
『でも……どうなのかな。王女殿下自らドレスやスーツを選んでるわけじゃなくて、そういうことは使用人の方々にお任せしてる可能性もあるかもしれないよ?』
「はじめ君から前に聞いた話だと、あの人はドレスに凄く煩いらしいよ。自分の好みと合わないドレスを用意されると、その使用人をやめさせたりするらしいんだ」
『え……?どうして?』
「君からしたら理解不能でしょ。でも、そういう人間も城の外にはわんさかいるってこと」
あの愛らしい微笑みを思い出すととてもそうは見えなくて複雑な心境になったけど、総司の苛立った横顔を見ると胸が騒めく。
声楽の練習が始まってから総司がやたらピリついて見えたり疲れて見えたりしたのは、王女殿下が関係しているのかもしれないと考えてしまった。
『もしかして声楽の練習、大変だった……?』
総司は私の方に顔を向けると、今度は珍しく伏し目がちになる。
そしてあまり気乗りはしない様子で、今まで練習中にあったことを私に話してくれた。
ずっと心配していたあの香りや口紅の跡、戻ってくる時間が遅かった理由もようやくわかり、胸が苦しくなる想いだった。
『ごめんね……。総司がそんなに大変だったのに、私何も気付いてあげられてなかった……』
「そんなことないよ、セラは僕が疲れてるの分かって優しい言葉掛けてくれたり気遣ってくれたりしてたじゃない。それに僕が話してなかったんだから、分からなくて当然だしね」
『でも、どうして言ってくれなかったの?』
「だってまだ練習が続くのにそんなことをセラに言ったら、君は多分物凄く心配してくれちゃうでしょ?だから練習が全部終わってから話そうと思ってたんだ」
私が総司のことで悩んでいた時、総司は総司で悩みながら私の心を護る為に一人で我慢していたことが分かり、込み上げた涙が視界を歪ませる。
そんな私をそっと抱きしめてくれた総司は、優しく耳元で言ってくれた。
「でもセラはきっと僕についた香水の香りのこととか気付いてたよね。それでも何も言わずに僕を信じてくれて、優しい言葉までかけてくれてさ、本当に嬉しかったんだ。でも不安にさせてごめん、あと……ありがとう」
全てを理解した今、沢山泣いたあの日、最終的に自分が出した結論が間違ってなかったと分かって目頭が熱くなる。
私達は別々の人間だから、常に同じ景色を見て常に同じ想いを抱けるわけではないけど、こうして言葉を交わせばに心を通わせることが出来る。
それが出来る今が凄く嬉しい。
『私が総司を信じられるのは、総司がいつも私を大切にしてくれるからだよ。だからありがとうって言いたいのは私の方だし、私はいつも総司が困ってる時、助けてあげられなくてごめんね』
「今まで挫けそうになった時や辛い時、僕はセラの存在や君から貰う言葉に助けられてここまで来たんだ。だから謝らないで。君は何よりも僕の助けになってるよ」
優しい総司の言葉が胸に届いて、花を咲かせたかのように温かくなる。
頼りない私だけど、総司の心にはずっと寄り添っていられる人間でありたいと思った。
『そう言ってくれてありがとう……。あと声楽の練習も本当におつかれさま。明日の音楽祭、きっと素敵な会になると思う。一緒に良い一日にしようね』
「そうだね。声楽も頑張るし、明日であの王女からも解放されるから嬉しくて堪らないよ」
『うん、あと少しだね』
「セラにお願いがあるんだけど、あの王女に声を掛けられたりお茶会に誘われたりしてもそれに乗ったら絶対に駄目だよ。良くない噂しか聞かないから」
『噂……本当にその通りなのかな?』
「詳しくは僕もわからないけど、相手が王族ともなると僕達は逆らえないし、下手に逆らえば反逆罪と見做されるでしょ。良識ある相手ならいいけど、とてもそうとは思えないから注意するにこしたことはないと思うんだ。だから極力関わらないでくれる?」
真剣に話す総司の言葉に頷くと、総司は尚もまだ私をじっと見つめている。
やっぱりまた両肩は掴まれていて、その気迫には私もただ黙って総司を見上げることしか出来なかった。
「あとこの前も話したけど、明日は大勢の人が学院内に集まるから絶対一人にはならないって約束、覚えてるよね?」
『うん、覚えてるよ』
「なるべく僕が一緒にいるけど、例えば僕が出番で舞台に上がらなければいけない時は」
『平助君といればいいんだよね、あとは騎士団の人達とか』
「そうだよ。例え舞台裏だとしても絶対に一人にならないで。トイレだって一人で行ったら駄目だよ」
『うん……』
私のことを真剣に考えて貰えるのはありがたいけど、ここまで気を張っていたら総司が気疲れしてしまわないか心配だった。
でも総司の私を護ろうとしてくれる想いは嬉しいから、私こそ気を張って気をつけたいと思う。
『明日はずっと総司の隣にいたいな』
「うん、勿論だよ。カフェの担当時間も同じだし一緒に回ろうね」
『うん、たくさん楽しもうね』
ようやく笑顔になってくれた総司の腕に抱きついて、明日が来ることを心待ちにする私がいる。
初めての学院祭で、総司や皆と良い思い出が作れたらいい。
そう願いながら、総司の隣で微笑みを浮かべた私がいた。
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