2
学院祭当日がやってきた。
前回のことを思い出すたび、胸の奥がざわついて、手放しで楽しみにする気には到底なれなかった。
だからこそ、この日のために出来る限りの準備をしてきたつもりだ。
まずひとつは、学院祭に良からぬ組織が乗り込んで来るらしい、という嘘の噂を流したこと。
最初はただの牽制になればいい、くらいの軽い気持ちで広めた作り話だったけど、面白がった生徒達の間で瞬く間に広がり、今では先生方まで警戒するほどになった。
僕はその状況を利用して、近藤さんや山南さんに相談した。
結果、学院と協力して公爵家の騎士団を要所に配置することが決まった。
これで外部の脅威からセラを護る布陣は、前回よりはるかに整ったはずだ。
そしてもう一つは、僕自身が音楽祭に出演できること。
声楽の代表に選ばれたのは完全に想定外だったけど、これで舞台裏に堂々と待機できる。
平助は常にセラの傍で護衛し、舞台近くには左之さんや新八さんを含む腕の立つ騎士が控える。
これだけ準備を整えてもなお、不安は消えない。
だけど前回ほど無力な状況ではないから、絶対に護ってみせると気を引き締めていた。
あと一つ問題があるとすれば……
「きゃあ、セラちゃん!可愛い!」
『千ちゃんこそとっても可愛い!似合ってる!』
午前中は学院祭を自由に回った僕達も、午後はカフェで給仕する係。
交代時間に顔を合わせた千ちゃんとセラは抱き合ってはしゃいでいるけど、サキュバスの格好で他の人の前に立たせたくないと思う僕がいる。
「お二人とも、とってもよく似合っています。可愛いですよ」
「なんかお揃い着てると双子みたいじゃん」
『ふふ、千ちゃんと双子なんて最高』
「ね。でも一緒の時間に担当したかったわよね」
「俺の衣装だけ些か微妙だと思うのだが……気のせいだろうか」
伊庭君はヴァンパイアだから当たり障りなく格好良い。
平助のフランケンも、特写メイク係の腕が良いのか可愛らしく仕上がっていた。
でもはじめ君は……
「ぶはっ……、ちょっ……、はじめ君!その口についてるの何?」
「狼の口元らしいのだが、これをつけると声が篭って注文が取りにくいだろうな」
「だははっ、なんだよそれ!それいらなくね?」
「ふふ、斎藤君の狼男は良い意味でも悪い意味でもリアルですね。牙が見えてます」
セラと千ちゃんまでくすくす笑っているから、はじめ君は不服そうだ。
でもやっぱり真面目だから、こんなに笑われても謎の狼の口元を取ることはしないまま接客をする気らしい。
狼の耳や尻尾、黒い服装は良いとして、顔に付いているやたらリアルな狼の口元はいらないと思うんだけどね。
「じゃあ午後の当番頑張ってね、これがメニュー表とそれぞれの台詞よ」
『わあ、可愛いメニュー。誘惑コーヒーに魔女の薬草ティーだって』
「あ、俺のはフランケンの電撃レモネードってやつじゃん」
「死神のブラックスムージーって何なの?」
「狼男のムーンライトラテや吸血鬼の血のゼリーもありますね」
皆でわいわいメニューを見ていたけど、その下に書かれたちょっと恥ずかしい台詞に一同で無言になる。
「ああ、台詞?かなり恥ずかしいけど頑張って!」
千ちゃんはそんな言葉を言ってにこやかに去っていくけど、台詞なんて言いたくないと思うのは僕だけじゃない筈だ。
「午後の開店の時間だ、行くぞ」
はじめ君の声を筆頭に僕達の給仕の時間が始まった。
適当に人を捌きながらも一生懸命働くセラを見守っていると、伊庭君から飲み物の乗ったトレイを渡された。
「はい、沖田君担当の飲み物ですよ。台詞、忘れないでください」
物凄くやりたくない役が回ってきて、仕方なくそれを運ぶ。
誰かのご両親なのか何なのか、若くはないご夫婦の前で僕はにっこり微笑んだ。
「お待たせ致しました。ご注文頂いた、死神のブラックスムージーです。飲み終わる頃には、あなたの魂まで僕に奪われているかもしれませんね」
本当は敬語を使わない設定だったけど、流石に貴族のご夫婦相手にそれは出来ない。
しかも恥を忍んで言ってみたのに、完全にスルー。
ちらりと顔を見られただけで、何の反応もなかった。
「だははっ……」
『ふふ……』
カフェ会場の厨房の入り口では、そんな僕の様子を見ていたセラと平助がおかしそうに僕を見て笑っている。
「笑うとか酷くない?」
『総司、可愛いくて可哀想。頑張ったね』
「可愛いくて可哀想ってなにさ。もう二度とやりたくないんだけど」
「あー笑った。めっちゃスルーされてたじゃん、ドンマイ」
「君達もやってみればこの屈辱が分かるよ」
そんな話をしていると、ついにセラの出番がやってくる。
苦笑いしながらも「頑張ってきます」と言ったセラはよりにもよって男四人の座る席へとそれを持っていった。
『お待たせ致しました、誘惑のコーヒー四名様分です。少しでも召し上がったら、きっと私の虜になっちゃいますよ?』
仕事だと割り切っているのか、こういうことだと赤くはならないらしい。
首を傾けて愛らしく台詞を言うから、案の定男達の顔には一気に花が咲いてしまった。
「え、お姉さんめっちゃ可愛いね」
「サキュバスなの?もう一回台詞言って欲しいな」
「俺、飲む前から虜になっちゃったんだけど」
「ねえねえ、ここのケーキバージョンもやってよ」
男達はコーヒーと一緒に、何やらケーキも注文している。
にこやかにケーキとコーヒーをテーブルに置き終わったセラは、再び愛らしく台詞を言った。
『こちらは禁断のチェリーパイです。甘くとろけるパイは、一口食べるごとに身体がどんどん熱く反応しちゃうかもしれませんよ?』
「おおー!」
よく分からない感性が上がり、僕の苛立ちも当たり前のように上がっていった。
「駄目だ、行ってくる」
「へ?あ、おい!どこ行くんだよ、邪魔したら駄目だって」
「だってあんなこと言わせてたら危険でしょ?からまれるだけじゃない」
「だからって客に失礼な態度取ったらダメだって先生からもきつく言われてるじゃん」
「そうだけどさ」
僕達がそんな話をしていれば、セラはようやく僕達の元へと戻ってくる。
苛立ちから頬をつねれば、大きな瞳は潤んで戸惑った顔で僕を見上げた。
『痛いよ、離して……』
「悪い子だね、あんなこと言うなんて」
『だってあれは台詞だよ?』
「コーヒーの方はまだしも、チェリーパイの方は駄目だから」
『どうして?』
どうしてって。
僕にあんなことされててまだ分からないのかと呆れるけど、そんなセラの元には再びチェリーパイの乗ったトレイが運ばれてきた。
「総司、離してやれって。セラが可哀想じゃん」
「そうは言っても平助は心配じゃないの?」
「客だって、誰も本気で言ってるなんて思わないだろ」
「そうだとしてもチェリーパイは……って、セラは?」
「セラならまた運びに行ったぜ、ほら」
平助の指差した方を見れば、性懲りもなくまたあの台詞を言っているから、今度は二人組の男達にからまれている。
苛立ちながら眺めていたけど、結局のところ僕は我慢出来ないらしい。
前回同様、僕の足はセラのいる方へ向かってしまっていた。
「お兄さん達、あんまり僕の大事なサキュバスを困らせないで貰えません?この子は僕専用なんだけど」
『え?総司……?』
「君はこの前死神と契約した筈だよね?僕以外を誘惑しちゃ駄目だよ」
僕を見上げていたセラは、先程までの様子が嘘のようにいきなり顔を赤くする。
客はぽかんと僕達の様子を眺めていたけど、僕はとどめに笑顔で告げた。
「ほら、この子は僕にだけ反応して赤くなるんです。可愛いでしょ?てことで、もう連れて行きますね」
セラの手を引き少し強引に調理場の入り口に連れて行くと、流石に少し怒っているらしい。
まだ顔を赤らめたまま、僕を不服そうに見つめていた。
『もう、何やってるの?あんなことしたら恥ずかしくて、私フロアに行けないよ』
「別にいいんじゃない?行かなくて」
『そういうわけにはいかないよ……』
「行ってもいいけど、チェリーパイの方の台詞はやめなよ。コーヒーの方で統一すればいいんじゃない?」
『勝手に台詞変えていいのかな』
「素直に言うこと聞けないのは良くないよ。今夜、そんなに僕にお仕置きされたいの?」
小声で、でも威圧的にセラの耳元で告げた言葉を聞いて、セラは再び顔を赤くした。
「あれ?なんで赤くなってるの?」
『赤くなってなんか……』
「もしかして風邪かなあ?熱があるなら、お客様の前には出せないね」
『風邪じゃないもん……』
「じゃあ何を想像して赤くなってるんだろうね」
セラに近付いて、余裕のなさそうな赤ら顔を見つめる。
あまりに可愛いその顔にぞくぞくとしたものが湧き上がるけど、そんな僕の目の前にはクリームのついたフルーツナイフ。
これもこれで一瞬だけゾッとした。
「あんたは先程から何をしている?」
「なんだ、はじめ君か。別に僕は何もしてないよ?それより、そんな間抜けな顔でナイフ向けられても緊迫感がまるでないんだけどね」
相変わらず狼の口元をつけたはじめ君はどう見ても間抜けなわけだけど、セラを護る気持ちは変わらないらしい。
相変わらず僕を睨み、フルーツナイフを向けていた。
「セラが困っている、離れろ」
「はいはい、分かりましたよ。でもはじめ君も聞いてよ、このセラの台詞どう思う?」
そう言ってセラを見ると、「ここで言うの?」と少し嫌そうな顔をしていた。
「言ってみなよ。お客様に出来るんだから僕達の前でも出来るでしょ?ちなみにチェリーパイの方ね」
はじめ君は漸くナイフを下ろして、僕ではなくセラを見つめている。
僕も僕で腕組みしながらじっと言葉を待っていると、セラは恥ずかしそうにその台詞を口にした。
『こちらは禁断のチェリーパイです。甘くとろけるパイは、一口食べるごとに身体がどんどん熱く反応しちゃうかもしれませんよ?』
目の前で見ると、これは可愛い過ぎるし客にサービスし過ぎている。
しかも何故かまだ顔が赤いから、そんな顔で見上げられたら変な気分になる。
「……とても良かった」
「いや……良いのは当たり前だから。そんな感想聞いてるんじゃなくて、こんな台詞を客の前で言うのはどう思うって聞いてるの」
「そういう観点で言うとしたら、品位に欠ける台詞だな。これを考えた者が何をしたかったのか理解に苦しむ」
「ほら、はじめ君もこう言ってるよ。はしたないからやめたら?」
品がないことやはしたないことを好まないセラは、眉を下げて素直に頷く。
『総司とはじめの言う通りだね、はしたないからやめておく……』
なんだか少ししゅんとしてしまったけど、変な輩に絡まれたらそれこそ大変だし、これで良かった筈だ。
はじめ君と別れ、待機場所で待つ間、綺麗なセラの髪をそっと撫でた。
「服、似合ってて可愛いよ」
僕の言葉を聞いてきらきらした瞳を向けるセラは、おそらく本物のサキュバスより魅力的だ。
でもふと視界に入った背中のリボンが解けていたため、僕は彼女の後ろに立った。
『どうしたの?』
「リボンが解けてるよ。直してあげるからじっとしてて」
『ありがとう……』
リボンを結びながらも、シースルーのパフスリーブから透けて見える細い腕がセラの女の子らしい曲線を曝け出していて、思わず視線がいく。
こうして見ても身長も肩幅も腰幅も、僕よりずっと細くて小さくて。
護ってあげないと直ぐに壊れてしまいそうな目の前の身体が、また愛おしく感じられた。
「直ったよ。また元通り可愛くなったね」
『ありがとう、総司』
もうすぐ前回のセラが連れ去られる時間がやってくる。
今度こそこの子を護ろうと心に誓いながら、時計ばかり気にしてしまう僕がいた。
ページ:
トップページへ