3

カフェでの業務を終え、僕達は着替える為に更衣室を目指すことにした。
すると大きな講堂からはワルツの音が聞こえ、僕はセラの手を掴みその場所へと向かった。


『総司、どこに行くの?』

「ん?音楽が流れてる方」


前回は演劇部が使っているだろう小道具置き場で二人の時間を過ごしたけど、講堂に行けばもしかしたら前の世界で交わしたセラとの約束が果たせるかもしれない。
そんな考えから講堂の扉を開ければ、予想通りその場所ではミニ舞踏会が開催されていた。


『わあ、ここ何?』


皆制服で踊ったり、それこそ僕達のようなコスチュームで踊ったり。
中には客なのか学生ではない人達も向かい合って楽しそうな時間を過ごしている。
曲が切り替わったと同時にセラの前に跪くと、セラは目を見開いて僕を見つめた。


「僕の可愛いお嬢様。僕と一曲、踊って頂けますか?」


僕の言葉を聞いて破顔して見せたセラはそれはもう可愛くて、僕の周りの世界が一瞬止まった気さえした。

それに僕はずっと君に、今の言葉を言いたかった。
君と踊りたくて堪らなかったよ。


『はい、喜んで』


セラの手を取りゆっくり会場の中央へと進み、僕達は手と手を取り合いワルツを踊る。
いつもとは違ってドレスを着ていないセラもまた愛らしくて、嬉しそうに微笑む顔をずっと見つめていた。


『嬉しいな。まさかこんなに早く総司と踊れるなんて思ってなかった』

「僕もだよ。本当の舞踏会とは違うけど、これってファーストダンスになるのかな」

『うん、なるよ。ファーストダンスの相手が総司で幸せ』


前回の世界で、君はファーストダンスを踊り切ることなく死を迎えた。
それも見ず知らずの他人の愛憎に巻き込まれてだ。
あの時は、まさかデビュタントという幸せの場であんな事件が起こるとは思ってもみなかったけど。
あの件があって、僕は周囲への警戒心をより強く持つようになった。
こうして踊っていてもセラから半径二メートルは守備できるよう、人がいる場所では警戒を怠らない。
どんな時もセラを護る体勢を整える癖もついたように思える。


『死神の総司と踊れて夢みたい』

「はは、何それ。いつもの僕より死神の僕の方が好きなの?」

『どっちも?』

「そんなにお気に召して頂けたのなら良かったですよ。まあ君はもう死神と契約してるから、その魂も僕のものだしね」

『私だってサキュバスだから総司の魂を取れるんだよ?』

「それはどうかな。もっとちゃんと誘惑しないと、死神はそう簡単には堕とせないんじゃない?」

『総司は私に堕ちてくれないの?』


甘えるように僕を見上げる様子はもう立派な誘惑のようにも見えるから、それはそれで狡いと思ってしまう。
この子の顔だけ見つめてこの子のことだけを考えて音楽に身を委ねるこの時間は、とてつもなく幸せだった。

でも幸福な時間はあっという間に終わりを迎える。
ワルツが終わると、セラは少し寂しそうに微笑んだ。


『とっても楽しかった。ありがとう、総司』


僕達が踊った曲で最後だったらしい。
曲が終わるなりミニ舞踏会は閉じられて、集まっていた人達も次第に会場から出て行った。
堂々と繋げていた手も、今はもう離さなくてはいけない。
セラも同じことを考えているのだろう、少し名残惜しげに僕の手を離した。


「僕も楽しかったよ。次踊れるのは学院の星祷祭かな」

『星祷祭?』

「二年生以降が出られる学院主催の特別な舞踏会だよ。デビュタント前の生徒も社交界デビューの練習として参加出来るんだ」

『そんな会が開かれるんだね、総司詳しい』


まあ僕は一度体験しているからね。
とは言え前回の僕は誘拐されたセラをを探したり、その後休暇を貰ったりと一年近く学院に通っていなかった。
今日を無事乗り越えれば、明日からの生活は前回とは大幅に違うから、不安はありつつ楽しみでもあった。


「ごきげんよう」


僕達を纏う穏やかな空気を壊すかのように、背後から声をかけられる。
この声を聞くだけで無意識に構える癖のついた僕は、背後にセラを隠すように後ろを振り返った。


「こんにちは、王女殿下。そしてお初にお目にかかります、王太子殿下」


気持ちのこもらないボウ・アンド・スクレープをしながら、心の中で最悪な二人だと吐き捨てた。
隣のセラも状況を察して美しいカーテシーを見せると、ほとんど初対面に近い王太子に静かに名乗った。


「薫、この方たちよ。私がいつもお話ししていたでしょう?」

「ふーん」


王太子は組んだ腕を崩さないまま、僕たちを頭の先からつま先まで冷ややかに眺めた。
口元には皮肉げな笑みが浮かんでいて、見るからに嫌な感じだ。


「お前達のクラス、ゴーストカフェだったよね?その衣装もずいぶん幼稚だけど、よくそれで人前に立てるね」

「薫、そういう言い方はよくないわ。とても可愛らしい衣装だと思うもの。よくお似合いですよ」

『ありがとうございます、王女殿下』

「あら、この前は名前で呼んでくださるってお約束したのに……」

『あ、そうですよね。申し訳ありません。では……千鶴様?』

「ふふ、本当に可愛らしい方。総司さんがあなたを大切にされている理由が、わかる気がします」

『いえ、とんでもございません。千鶴様こそ、本当にお美しくて……私は、いつもそのお姿に見惚れてしまいます』

「セラさんにそう言っていただけると本当に嬉しいです。それにあなたの笑顔、とても素敵。ずっと見ていたくなるくらい」


王女の瞳はセラを真っ直ぐ見つめていて、飾り気のない優しい声音が返ってくる。
どこか芝居がかった印象を覚えるかと思いきや、その微笑みは妙に自然で、むしろ引っかかった。
仲良くなりたいという言葉は本心だったのかはわからないけど。
今は僕に一切目もくれず、王女はセラの手をそっと取り、まるで宝物のように見つめていた。


『あの、千鶴様。昨日は総司に素敵なスーツをいただきありがとうございました。とても上品で……あの薄紫の刺繍が特に印象的で、目を惹かれました』


セラの言葉で思い出し、僕も感謝の言葉を告げて頭を下げる。
まさかこんな形でスーツのお礼をすることになるとは思ってもみなかったけど、この二人から早く解放されることを願うのみだ。


「そう仰っていただけて嬉しいわ。セラさんのお好みが分からなかったから、実はとても迷ったの」

『わたしの好み……ですか?』

「ええ。だって総司さんはあなたの専属騎士でしょう?だからこそ、セラさんが好んでくださるようなお洋服を着ていただきたかったの」


だったら余計な贈り物なんてしてこなければいいのに。
思わずそんな言葉が頭を過る。
でも僕の隣でセラはほんの少し目を輝かせて、王女の言葉に喜んでいる様子だった。
誰かの好意を素直に信じて、疑いもせず真っすぐに受け取る。
その純粋さが危うく感じてしまうからこそ、セラには王女と関わらせたくなかったのに。


『千鶴様から贈り物を頂けるだけでも身に余る光栄ですのに、わたしの好みまで気にかけてくださったのですね。お心遣いに心から感謝いたします。千鶴様が丁寧に選んでくださったと知って、今日の舞台がより一層楽しみになりました』


柔らかな声に微笑を添えて、セラは言った。
その姿があまりにも愛らしくて、けれど同時にどこか危うくて、僕は自然と隣で背筋を伸ばしてしまう。
そのときずっとつまらなそうに黙っていた王太子がふっと吹き出し、皮肉気な笑みを浮かべて言葉を漏らした


「お前、脳内花畑だね」

「薫?あなたは黙っていて」

「良かったね、千鶴。この令嬢からしたら、お前は優しい王女殿下らしいよ」

「彼女の名前はセラさんよ。薫も覚えてって、何度も言ってるでしょう?」

「言われなくてもこいつのことは知ってるよ。入学当初、凄い噂になっていたからね」


そう言って二歩歩みを進めた王子は、セラの目の前で止まると嫌な笑みを浮かべて見下ろした。


「噂ってどこまで本当なんだろうね。たとえば誘拐された時に男たちに弄ばれたとか、護衛の連中と夜な夜な身体を使って遊んでるとか、そんな話も聞くけど」

「セラさんがそんな下品なことをするはずがないわ」

「どうだろうね。こういう清純そうに見える奴に限って……ってよくある話だろ?」


入学式の日以来、セラが面と向かってこの手の侮辱を受けることはなかった。
だけど今、またしても口にされたその噂に僕は内心で強く歯を食いしばった。

でも相手は王太子。
感情を露わにして拳を振るうこともできず、ただ唇を結ぶしかない自分に無力感が押し寄せる。
そんな中、セラは静かに顔を上げ、凛とした声で真っ直ぐに王太子を見つめた。


『誘拐されたことがあるのは事実です。ですがその時、誰かに乱暴されたことは一度もありません。護衛の方々とも、そのような関係は一切ございません』


凛とした声に揺るがない姿勢。
それを聞いて、僕は黙ってその横顔を見ていた。
あの時、セラどれほど恐ろしい目にあったかを思い出すだけで胸の奥が軋んでいくようだった。


「へえ、本当かな」


王太子が薄く笑って肩をすくめると、僕はつい無意識に拳を握り締めていた。
あの時、涙も見せずに懸命に耐えていたセラを知っているからこそ、今こうしてセラの名誉を踏みにじる言葉を投げかけられることがどうしようもなく腹立たしかった。


「事実ですよ。僕がセラを助け出しましたので、当時の状況は誰よりも存じております。彼女は決して傷つけられてなどいませんし、その品位も一切損なわれておりません」

「そうなんだ。……ま、どうでもいいけどね」


そう言いながら言葉を収めた王太子は、そのまま何事もなかったかのように微笑みを浮かべた。
でも怒りは抑えたつもりだったのに、僕の視線だけはどうしても冷えたまま王太子を見据えてしまっていたんだろう。
王太子がふっと笑いを消して、僕の顔を覗き込んだ。


「お前、なに?その目」


その言葉に周囲の空気がぴたりと止まった。
そして言い返したい衝動が喉までせり上がってきた瞬間、僕の名前を呼ぶセラの小さな声がそっと耳に届いた。


『総司、ありがとう。でも大丈夫』


ゆるやかな笑顔は柔らかく僕の苛立ちを溶かしてくれる。
そしてセラは落ち着いた声音で王太子に向き直ると、ひと呼吸おいてから口を開いた。


『王太子殿下、ご心配いただいたことに感謝いたします。けれど私は今とても幸せです。周りの方々に支えて頂いたおかげで、誘拐という不幸な出来事を経てもこうして穏やかに過ごせています。ですから、どうか……私達の言葉を信じていただけませんか?このような噂がこれ以上広まらないことを願っております』


セラの返しを聞いて王太子がつまらなそうに短い返事をすると、今度は王女は眉尻を下げてセラに言葉をかけた。


「ごめんなさい、お二人の気分を害すことを言ってしまいましたね」

『いえ、噂のことは私自身も知っておりましたから、お気になさらないでください。むしろこうして直接お尋ねいただけたことに感謝しております。裏で囁かれるよりも、誤解を解く機会を頂けた方が、私としても有難いのです』


角のない毅然とした返し。
その場を和らげる柔らかな言葉遣いに、王女がそっと微笑んだ。


「セラさんはとても可愛らしくて繊細に見えるのに、芯の通った方なのですね。私が想像していた通りの方で嬉しいです。入学式の日、あなたの挨拶を聞いてから、ずっとお友達になりたいと思っていました。よろしければ、今度ぜひお城に遊びにいらしてくださらない?」


王女はいつになく穏やかな口調でそう告げると、セラに向かって優しく手を差し出す。
セラもその手を丁寧に取ると、深く礼をして笑顔で答えた。


『とても光栄なご招待です。こちらこそ、今後とも仲良くしていただけると嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします』


王女は今まで見たことのないくらいの笑顔を残して、王太子と共に去って行く。
その後ろ姿が見えなくなってようやく、僕達は大きな息を吐き出した。


「はあ、何事もなくて良かったよ」

『そうだね。でも千鶴様……優しい方だったね?』

「いや……、決して優しくはないと思うよ。ただ君には別に何もしてこなかったから良かったよ」


今までのあの人の様子から考えると、例えば敢えて僕との声楽の練習でのことを話したり、嫌味を言ったりしてもおかしくはないと考えていた。
でも予想外にもセラには本当に嬉しそうに話しかけていたから、いまだあの王女が何を考えているのかよく分からない。


「嫌なこと言われたのに、顔にも出さず偉かったね」


王太子の言葉には少なからず心を痛めた筈だから、目の前の頭をぽんぽんと撫でる。
セラは気にした様子もなくふわりと微笑むから、そんな姿を見て改めてこの子の成長を感じた。


『あの程度なら私一人でも立派に返せるでしょう?もう頼りなくないよね』

「はいはい、そうだね。立派なお嬢様だと思うよ」

『もう、本当にそう思ってくれてるの?』

「思ってるよ。僕は出会った頃からずっと君を見てるから、成長したなって感じたしね」

『ちょっと上から目線のような気もするけど……、成長してるって思って貰えたのなら良かったのかな』


釈然としないというようなセラの物言いに笑ってしまったけど、僕は本当に君以上の主人はいないと思ってる。
君を護れること以上に名誉なことはないと、本気で思ってるよ。


『ありがとう、私をまた庇ってくれて』


当たり前のことをしているだけの僕に、こうして忘れず温かい言葉をかけてくれるセラが好きだ。
この子の優しさに触れて、あの王女の心も穏やかになれば良いのにと苦笑いをこぼしてしまう僕がいた。


- 250 -

*前次#


ページ:

トップページへ