6
学院祭が終わってからは、それまでの騒がしさが落ち着き穏やかな日々が戻ってきた。
僕には相変わらず任務や学業があり、セラも同じように忙しくはしていたものの、当たり前に流れる日々が幸せだ。
あとは近藤さんにセラとのことを話す機会を作れたらいいと考えていた。
そんなある日、僕達は近藤さんの部屋へと呼ばれる。
セラとは、今度時間を作って貰うようにお願いしようと話しながら、近藤さんの元へ向かった。
『お父様、お待たせ致しました』
セラと並んで笑顔で近藤さんを見つめたものの、何故か近藤さんは珍しく微笑みすら浮かべていない。
その顔は思い詰めているようにも見えて、ふと彼の机に置かれたものが目に入った。
重々しい表情で座る近藤さんの手の下には、何かの命令書のようなものがある。
横にある封筒には王家の紋章が刻まれていたから、不安な心情のまま近藤さんを見つめた。
「二人とも、急に呼び出してすまないな。だがお前達にとって重要な話なんだ」
『……何かあったのですか?』
近藤さんはいつになく歯切れ悪く黙り込むと、命令書に視線を落とす。
少し間を置いて深いため息をつくと、意を決したように僕達を見た。
「実は今朝、国王陛下から命令が届いた。総司、お前を王女殿下の近衛兵として任命するという話だ」
「……僕を近衛兵に?」
最初は何を言われているのか分からなかった。
それなのに手は震えて心臓は煩く鳴り、呼吸が僅かに乱れるのを感じた。
『お父様……、それは……本当なのですか?』
その言葉に理性では理解しようとしても、心は納得できなかった。
王女は僕とセラがどれほど親しいか知っているはずだ。
僕はずっとセラの専属騎士として仕えるために努力を重ねてきたのに、やっと手に入れたものが今、こんな形で脅かされるなんて。
『……っう……』
隣にいたセラの肩が震え、耐えきれなくなったように泣き出してしまう。
悲しみに歪む顔を前に、僕はこのまま素直に従えるわけがないと確信した。
セラを護るため、そして僕の誇りを護るため、覚悟を胸に近藤さんを真っ直ぐに見つめた。
「……これは、僕がセラの専属騎士であることを踏まえた上での命令なのでしょうか?」
「勿論、俺もそれについては王に進言したよ。だが王女殿下がどうしてもお前を望むと仰せになっていてな……。王命に逆らえば、我が家そのものに影響が出る可能性がある」
「ですがそれではあまりにセラを蔑ろにしていませんか?僕はここでセラのために剣を振るうことを誓いました。それを無理やり変えるのは、いくら王命であってもあまりに勝手じゃないでしょうか」
「……総司、その気持ちはよく分かっている。俺だって同じ想いだ。だが知ってはいると思うが、王命に従うことを前提にして我が公国には特権が与えられている。ルヴァン王国からの命が下れば、アストリアの騎士団員は王宮へ出向しなければならないきまりがあるんだ。これが王命である以上、俺にもどうにもならないのだよ」
目を伏せ、苦しげに眉を寄せる近藤さんを責めるつもりはない。
権力という見えない力に押し潰されているこの社会では、こんなことは日常茶飯事なのだろう。
それでもここを出てセラと離れて生活するなんて僕には考えられないし、考えたくもない。
何のために二度も死んでこの世界に来たんだと、拳をきつく握りしめた。
「僕はどうしてもこの命令を受け入れられません。近藤さん、この状況を何とか打開する手段はないのでしょうか?」
「……俺にも打つ手は限られている。王女殿下の意思がここまで強い以上、下手に逆らえば我々の立場が危うくなる。ただ俺もセラを悲しませたくはない。この件についてもう一度、王に掛け合ってみるつもりだ。だが……あまり期待はしないでくれ。それまでの間、お前達にも心の準備をしておいてほしい」
心の準備なんて出来る筈がない。
隣で静かに涙を流していたセラは、消えそうな涙声で言葉を紡いだ。
『お父様……ありがとうございます。ですが、どうか……総司を私から取り上げないで下さい……。私に出来ることならなんだってしますから……』
嗚咽混じりのその言葉を聞いて、近藤さんも辛そうに顔を歪めてしまう。
けれどその表情が不可能に近いことを物語っているのだろう。
近藤さんはいつもの落ち着いた口調で言った。
「……どうか、この家のためにも、そしてお互いの為にも強くあってくれ」
愕然とした様子で言葉を失ったセラは、その後何も話さなくなってしまった。
僕も心が抜け落ちてしまったような感覚で、正直現実味すら感じられなかった。
近藤さんはそんな僕達に優しい言葉を掛けてくれたけど、慰めや気休めでどうにかなる問題では到底ない。
何も話さないまま自室へと戻り、いまだ涙を流すセラの頬を優しく拭った。
「セラ、僕はまだ諦めないよ。何か方法があるかもしれないからそれを見つけたい。少しでも状況を変えるために僕なりに動いてみるから」
『……ぅ、……ううっ……』
「セラ……」
顔を手で覆って泣き始めてしまうセラの姿は僕の心を苦しくさせる。
今まで幾度もこの子の涙は見てきたけど、これほど辛そうな姿は初めてだった。
セラの手首を掴み引き寄せて、きつく腕の中に抱きしめる。
もし本当にあの王女の元に行くことになれば、こうしてセラが涙を流しても涙を拭うことすら出来なくなるのだから、このやるせない感情をどこにぶつければいいかすら分からなかった。
『総司……、行かないで……』
「うん……」
『総司と会えなくなるなんて嫌だよ……』
「僕もだよ……」
全身で僕と離れたくないと言ってくれるこの子を、これ以上悲しませることはしたくない。
どうにかして打開策はないかと考えていた。
そしてその為にはあの王女の本当の目的を知る必要がある。
彼女が本心で僕を所望しているとは思えなかったからこそ、逆に回避する方法もあるかもしれないと踏んでいた。
「セラ、大丈夫だよ。僕がなんとかするからね」
『総司……』
「僕は君を護る為に騎士になったんだ。そんな僕が君から離れると思う?」
少し落ち着いたと思っても再び泣き出してしまうセラは、とめどなく涙を流すだけでとても話が出来る余裕はなさそうだった。
苦しそうに小さく息を吸いながら涙を拭う姿を目の前に、何もしてあげられない自分が酷く情けなく思えた。
でもそっとセラの手を引きソファーに座らせると、ようやく涙で濡れた瞳と視線が合う。
そうすれば再び涙は湧き上がるけど、セラは小さな唇から消えそうな声で言った。
『私、千鶴様にお願いしてみる……』
「え……?」
『総司は私の大切な人だからって……きちんと話せば分かってくれるかもしれない……』
純真なセラはそう言うけど、あの王女はそんなことはとっくに分かった上で父親を使い僕を近衛兵に任命した。
それなのにセラがそんな希望を口にすれば余計に王命は強まるだけだろうと予想できたからこそ、僕は首を横に振った
「駄目だよ。セラは何もしないで」
『……どうして駄目なの?総司のことなのに、どうして私は何かしたらいけないの……?』
「危険なんだよ。前にも言ったと思うけど、あの王女は普通じゃない。セラがそんなことを言ったら、余計に君から僕を引き離そうとする筈だ」
『どうして?私、千鶴様に何かしちゃったの……?私のせいで……総司は近衛兵に任命されたの?』
「違うよ、セラは何もしてないよ。ただ相手が……」
『……ひっ……う……』
「セラ……」
セラがこんなにも感情的に泣く姿は初めてで、いつも落ち着いているからこそ、今の姿を見て僕の目頭まで熱くなった。
今はきっと何を話しても会話もままならないし、落ち着くまでは待った方がいいかもしれない。
僕は再び腕の中にそっと小さな身体を閉じ込めて、一緒に過ごせる時間を大切に思いながら滑らかな髪をずっと撫でていた。
それからどれくらい時間が経っただろう。
いまだ呼吸は苦しそうだけど、セラがそっと僕から身体を離す。
目は真っ赤で頬も染まり、その瞳にはもう何の光も宿されていなかった。
「今日は一緒に寝ようか」
この子を一人にしたら、それこそ一晩中泣き続けてしまうかもしれない。
僕を見上げたセラは頷いて僕の手を握った。
『いつまで一緒にいられるんだろう……』
「まだ絶対に行くって決まったわけじゃないよ。僕があの人にかけあってみるから」
『でもそうすることで総司が何か辛い思いをしないか心配なの……』
「僕は声楽の練習でも話したりしてるし、大丈夫だよ。上手くやるから」
『ごめんね……』
「どうしてセラが謝るの?」
『王族の騎士になれるなんて、本当は名誉な話だよね。総司が王家に認められる騎士になったって本当は私も喜ばなければいけないのに……それなのに……』
あんなに泣いていたのに、セラは僕ですら考えてもいなかった僕の立場のことまで考えていてくれたらしい。
その言葉にも胸が熱くなり、それと同時に余計に辛くて堪らなくなった。
僕達は決して誰にも迷惑は掛けていないし、他の誰よりも互いを想い合えている筈なのに、どうしてこうも毎回引き離されなければならないのだろう。
その悔しさから、血が滲むほど下唇を噛み締めていた。
「僕は王家の騎士になりたいなんて思ったこともないし、今だってそうだよ。僕はただ君を護りたい、誰よりも君の近くでさ」
『私も……総司がいてくれれば何もいらない……本当に何もいらないから総司だけはいなくならないで欲しい……』
「うん……。僕が学院で話してみるよ。だからその間は伊庭君と平助と一緒に待ってて。絶対一人で王女に会いに行ったら駄目だよ、約束してくれるよね」
『……それは、約束できないよ……』
「いや……駄目だよ。感情的になって君が動けば相手の思う壺だよ?」
『でも私にとって、とっても大事なことなの。後悔したくないの。それなのに自分で何もしないで全て総司に任せるなんて、そんなことしたくないよ』
涙ながらにそう言った素直な想いを聞いて、僕がセラに言った言葉はこの子の気持ちを無視するものだったのかもしれないと悔いる。
それでもやっぱりセラを巻き込みたくはないし危険なことには関わって欲しくないと思うから、判断に迷うことではあった。
「じゃあ一緒に話しに行こうか」
『総司と……?』
「そうだよ。でもまずは僕が一人で行く。それでもし王女が納得してくれなかったら、その時はセラも一緒に来てくれる?」
『うん……』
「良かった。それまでは勝手に一人で行かないで、僕を信じて待ってて」
セラは少し希望を持ってくれたのか、僕を真っ直ぐ見上げて頷いてくれる。
涙に濡れた頬を撫で唇をそっと合わせれば、その場所も涙の味がした。
『大丈夫だよね、きっとこれからも総司といられるよね……?』
「うん、大丈夫だよ。僕はセラの傍から離れないし、君の専属騎士は僕にしか務まらないって前にも言ったでしょ?」
『うん……』
「確かに国王陛下を説得するのは難しいかもしれない。でもこれは王女の要望であって、あの人がこの命令を取り下げてくれれば王命もなくなるわけだから、一番動けるのは近藤さんではなく僕だと思うんだ。だからどうにかして話をつけてくる。君を悲しませることはしないよ」
『……ありがとう、総司……』
なんて悲しいありがとうなんだろうと思った。
それでもセラは最後の希望を信じるように、愛らしい泣き顔で僕を見上げた。
『ごめんね、総司が一番大変な筈なのに……』
「謝る必要なんてないよ。僕は自分の意思でここに残りたいって思ってるんだから。その為に王女に話しに行くんだよ」
『絶対に総司一人で無理はしないでね』
「分かってるよ。僕が問題を起こせば公爵家にも迷惑がかかるから、慎重に行動するつもりでいるよ」
『ありがとう……。私、怖いよ。総司と離れるかもしれないなんて……。出会ってからずっと一緒にいたのに……』
本当にそうだった。
会えない日が続いた時も、この同じ敷地に君がいると思えば辛い任務も稽古も頑張れた。
会いたくて堪らない夜だって、この城の灯りの中でセラが眠っていると思えば安らかに眠ることが出来たんだ。
同じ世界に生きているのに、別々の場所で暮らさなければならないなんて考えてもみなかったけど。
それを想像すると、この夜が終わってしまうことがとても怖く感じられた。
「僕も同じだよ。怖くて堪らない」
涙を零していたセラは、僕の言葉を聞き顔を上げる。
そして潤んでしまった僕の瞳を見ると、傷付いたような様相でその瞳を見開いていた。
「男なのに怖いなんて言ったら情けないけどね。でも君と離れることは僕にとって生きる理由を失うのと同じことなんだよ」
『総司……』
「セラを護りたくて、君の傍にいたくて僕は専属騎士になった。それなのにいきなり君と離れて王宮の近衛兵になれなんてさ……納得出来るわけがない。僕は都合良くいいなりになる駒じゃないのに」
例えばあの日、僕があの王女を偶然助けなければ今とは違う未来があったのだろうか。
それとも何が何でも声楽の代表を降りれば良かったのか。
そんな後悔がいくつも頭の中に浮かんでくる。
今更悔いても遅いことは分かっていても、こうしてまたセラを悲しませる運命を辿っていることが嫌になる。
僕はただ、どの世界でも特別なことは望んでいない。
ただセラの一番近くで、この子の愛らしい笑顔を護りたい。
それだけなんだ。
『総司がそう思ってくれることが嬉しいし、総司が私を好きでいてくれることが私にとって一番大切で嬉しいことだから……ありがとう』
セラは涙を零しながらも、懸命に微笑んでそう言ってくれる。
だから僕も精一杯に微笑みを向けて、いつものようにセラの頬に触れた。
「少しだけ待っててね。僕がどうにかして話をつけてくるから」
まだ僕に出来ることは残されている筈だ。
僕を信じてくれているだろうセラにまた微笑んで貰えるよう、この最悪な展開を変えようと心に強く誓った僕がいた。
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