7
翌朝、馬車に乗り込むとセラの顔を見た平助と伊庭君が神妙そうな顔付きで僕を見つめる。
セラは昨晩、ベッドの中でも暫く泣いていたから、今朝は目の下が桃色に色付いていた。
「セラ、大丈夫か……?」
「まさかお二人で喧嘩したわけではないですよね?」
二人の問いかけに頼りない笑顔を見せたセラは、朝を迎えてから昨晩の涙が嘘のように終始笑顔だった。
「沢山泣いてごめんね」なんて言っていたし、きっと無理して笑っているのだろう。
その様子も痛々しくて、僕がセラの代わりに口を開いた。
「喧嘩ぐらいだったら良かったんだけどね」
「何かあったのですか?」
「王命が出たんだよ。僕を王女殿下の近衛騎士にするようにってね」
敢えて明るくそう言ってみれば、一度黙り込んだ二人は目を見張るように僕を見つめた。
「いや……その冗談は笑えねーって。やめてくれよ」
「そうですよ。さすがにそれは信じられません」
「そうだよね。僕も昨日近藤さんから言われて、最初は信じられなかったよ。まさかそんな王命がくだるなんて思ってもみなかったからさ」
「……本当の話なのか?」
黙り込む僕とセラの様子で冗談ではないことを悟った二人は、信じられないと言わんばかりの顔で言葉を失っていた。
「というわけで、この子の目が腫れちゃってるってわけ」
「総司、お前まさか本当に近衛兵になるのか?」
「断るつもりですよね?」
「そうしたいよ、僕だって。でも近藤さんに聞いてみたけど、どうやら少し厳しそうなんだ。王命に刃向かうと、公爵家にも迷惑が掛かっちゃうからね」
「ですが……」
「この王命はあの王女が僕を近衛騎士に所望してるから出されたものなんだ。だから今日、直接王女と話してどうにか取り下げて貰おうと思ってる」
「……あの王女殿下が素直に納得して下さるでしょうか?」
「そこは頑張るしかないよね。それにあの人は僕にそこまで興味がないと思うんだ、だからなんでわざわざそんな王命を出したのかその真意も気になる。僕を公爵家から出すことで何か家紋に不利益になることがあるならそれは承諾できないし、その辺も含めて話してくるよ。だからその間、君達はセラと一緒にいてくれる?」
「勿論それは任せてくれって。でも総司一人で大丈夫なのか?」
「あの人は多分、大勢でぞろぞろ来られるのは好きじゃないと思う。だから僕一人て行ってくるよ」
前回話した様子だと、あの王女は他人のことをよく見ている。
観察した上で自分の玩具にする相手を選んでいるようにも感じられた。
『総司、一人で行かせてごめんね。あと平助君と伊庭君にも心配かけてごめんなさい』
「セラが謝ることはないですよ。心配だとは思いますが、きっと沖田君なら大丈夫です」
「そうそう。総司が城から出て行っちまうなんて想像出来ないしさ、なんだかんだずっとセラの専属騎士の座に居座り続けそうじゃん」
『うん、そうだね。私もそう思う』
セラが本当に大丈夫なのか気掛かりだった。
まだ思い切り泣いていてくれていた方が安心するくらい、彼女の笑顔は酷く儚いものだった。
だから意を決した僕は怯むことをやめて、昼休みに隣のクラスへ訪れる。
すると僕に気付いた王女は、僕が会いに来ることなんて想定済みだったのだろう。
驚く様子もなく、「場所を移動しましょう」と僕に告げた。
「近衛騎士の任命をお喜び頂けましたか?」
王女は僕を学院内の王族専用の応接間に案内すると、人払いをする。
そして開口一番、笑顔でそう尋ねてきた。
けれど僕は今日、感情的にならず冷静に話を進めなければならない。
セラとの未来がかかっていると思えば、どんな侮辱や屈辱も笑顔で乗り切ってみせると一礼をした。
「王女殿下、貴重なお時間を頂きありがとうございます。近衛騎士の任命の件、大変名誉あることだと思っております。ですがそのことでお話させて頂きたいことがあるんですよ」
「ええ、どうぞ。セラさんの大切にされている騎士の方ですもの。あなたのような優秀な方のお話なら、喜んで聞かせて頂きます」
にこやかな笑顔を見せつつ、僕をじっと見つめるその瞳は決して温かい色を宿していない。
その様子から、僕が何を言おうとしていのかも大方予想がついていると思えた。
「僕はこれまでセラお嬢様の専属騎士として仕えてまいりました。王女殿下の近衛騎士として任命頂いたことは光栄ですが、この任命はセラお嬢様に影響が出るものだと考えられます。申し訳ないですが、ご再考して頂けないでしょうか?」
「それはどういう意味かしら?総司さんはセラさんのために王命に逆らおうというの?」
「決してそのような意図はないですよ。ただ僕にとって最も大切なのはセラお嬢様を護ることです。お嬢様に救って頂いた時から、僕は生涯をお嬢様に捧げるつもりで生きてまいりました。なので、それを果たせない場所であれば、僕は騎士としての使命を全う出来ないと思います」
「総司さんの忠誠心はご立派だと思います。あなたの心情も理解致しましたが、私は私であなたを必要としているの。だからどうかこの命令を受け入れて下さらない?」
「大変心苦しいですが、僕の想いは変わりません。どうかご再考をお願い致します」
本来であれば、他者に忠誠を尽くす騎士なんて誰も欲しがらない筈だ。
それでなくても王家には優秀な騎士が多くいる。
これで頷いてくれないのであれば、王女には何か別の目的があるように思えてならなかった。
「私の想いも変わりません。いくら頭を下げられても、取り下げることはしませんよ?」
「でしたら、何故僕なんでしょうか?王女殿下には既に優秀な護衛が何人とついていらっしゃいますよね」
「総司さんは私が一番欲しいと思っているもの、何か分かるかしら?」
そんなもの分かる筈がないと無言になると、彼女は笑顔のまま僕に告げた。
「健康な身体です。どこに行っても倒れず、夜はゆっくり眠れて、好きな物を沢山食べられる、そんな身体になりたかったの。でも私には残念ながら、それは無理……」
それが今回の話と何の関係があるのかと黙って聞いていると、彼女はさも当たり前のように言葉を続けた。
「一番欲しいものが手に入らない私に、お父様は言って下さったの。一番欲しいもの以外ならなんでも与えてくださるって。だから私は少しでも欲しいと思ったら我慢をするつもりはないわ。私は今、総司さんが欲しいの」
無茶苦茶な理由を聞けば、やはり関わってはいけない相手だったと額に嫌な汗が流れる。
彼女の興味が何故僕に向いたのかも分からないまま、ただ必死に考えることしか出来なかった。
「お言葉ですが、僕はきっと王女殿下に忠誠は誓えませんよ。信念のない騎士を側におくことは、王女殿下の為にもならないと思いますけどね」
「それは大変残念です。つまりあなたはセラさんや彼女の家の未来がどうなっても構わないということでしょう?」
「……どういう意味です?」
「おわかりのはずでしょう?王命に背くということが、どれほどの重みを持つか。一つ命じれば人も国も動かせるのが王族なの。あなたがそれを忘れかけているのなら、私が思い出させてあげましょうか?」
にっこり微笑んだ王女は、冷たい瞳で僕を見つめて、淡々と言葉を続けた。
「たとえば、あなたがこの命を拒めばアストリア公国への予算配分も見直されるかもしれないですね。今のように騎士団が王国全体を補佐できるほどの資金は、きっと下りないでしょう」
僕は言葉を失った。
王国に広く尽くしてきたアストリア騎士団、その維持には莫大な予算が必要だ。
それが突然削減されれば公国は弱体化し、他の貴族たちに付け入られる隙を生むことになる。
「それだけではなく、あなたの所属する騎士団が王室侮辱の疑いで調査対象になることもあり得るわ。騎士団の団長や幹部、あなたのお友達も巻き込まれるでしょう。もちろんセラさんのご家族も例外ではありません」
「……それは脅しですか?」
「いいえ、事実を述べているだけです。あなたが私の命に従えば、すべて丸く収まる話。従わなければ、制度と秩序の名のもとに裁かれるだけ。アストリア公国と公爵家、そしてセラさん自身に忠誠を欠いた騎士を野放しにした責任で、相応の処遇が下されることになるわ」
「そんな……セラお嬢様には何の非もないじゃないですか……!」
「でもセラさんの専属騎士であるあなたが、罪を背負うことを選ぶのでしょう?私に従わないという罪を」
わざとらしく肩をすくめた彼女は、まるで玩具に飽きた子供のような声音で続けた。
「私ね、最近騎士団の秩序についてお父様と話していたの。個人の感情で忠誠を左右する騎士は危険だって。あなたが格好の例になりそうだと思っていたところなの。そう思いませんか?」
僕が何を選んでも、セラや公爵家が巻き込まれるように仕組まれている。
王女は僕が考えていたよりもずっと狡猾に動き、もうとっくにこの布石を打っていたことが今わかった現実だった。
「どうしますか?総司さん。あなたが私の近衛騎士になってくだされば、何も起こらないですよ。セラさんの生活も、公爵家も、あなたの騎士団も、何一つ傷つかずに済みます。ですがセラさんに今の生活を失わせてまで彼女の傍にいることを選ばれるのであれば、是非そうなさって?」
セラの顔が浮かんだ。
あの優しい笑顔、少し照れたような視線、そして何より僕を信じてくれるあたたかい眼差し。
そのすべてが脳裏に浮かんで、心が張り裂けそうだった。
「……僕に断る選択肢は、最初から無かったんですね」
権力の前で無力になる人間は嫌いだったのに、今の僕は正にその状態だった。
セラのあの城での生活や彼女を囲む温かい人達、あの愛らしい笑顔をどうして奪うことが出来るだろうと拳を握りしめることしか出来なかった。
「その通りです。ようやく理解して下さいましたか?」
「ただ一つ教えて下さい。何故僕なんです?先程、その理由はお答え頂けていませんよね」
「セラさんが大切にしていらっしゃるあなたが、どれほど素晴らしい騎士なのか知りたくなったの。きっと私を満足させてくれると思って指名させて頂きました」
「……まさか、たったそれだけのために?」
「あなたは玩具なのよ。私の機嫌ひとつで選ばれた、セラさんのお気に入りの騎士。私も試してみたいと思っただけです。だから深い意味なんてないの。どう?納得できました?」
そんなくだらない理由で僕達の生活を壊すのかと、怒りを通り越して殺意が芽生える。
血が滲む想いでそれに耐えていると、僕の様子に気付いた彼女が嬉しそうに微笑み言った。
「それで、どうされますか?素直に私の近衛騎士になってくださるのか、セラさんを犠牲にしてそのご立派な忠誠心を貫くのか。私はどちらでも構いませんよ?」
僕の目の前には、噂で聞いていた以上の悪魔がいると思った。
セラの笑顔や縋るように僕を見上げた泣き顔が浮かべば、離れたくないと切に思った。
でもセラの幸せな日々を、僕のたった一言で壊してしまうくらいなら。
僕が言える言葉は一つしか残されていなかった。
「……分かりました。王女殿下の近衛騎士として、お仕えいたします」
その言葉が喉を裂くように痛かった。
「ただしセラお嬢様とそのご家族にいかなる不利益も及ばぬよう……どうか、それだけはお約束下さい」
僕が行くことでセラやあの家を護れるのなら構わない。
セラが安全ならそれで。
だからどうかこれ以上酷い仕打ちはしないでくれと願いながら頭を下げた僕に、王女は言った。
「ええ、勿論。あなたが王家に仕えて下さるのなら、セラさんやそのご家族の方々に一切の不利益を与えないとお約束します」
「ありがとうございます」
「嬉しいわ、あなたのことがようやく知ることが出来るんですもの。私を楽しませてくださいね」
「尽力致します」
「明朝そちらのお城にお迎えの馬車を向かわせます。荷造りは今夜のうちに済ませておいてくださいね」
「明朝……ですか?流石にそれは……」
「あなたはもう私の配下ですよ?口答えはなさらないで」
いつも笑顔だったその顔からは一切の笑みが消える。
僕が謝罪の言葉を口にすれば再び口元に笑みを作り、言葉を続けた。
「とは言っても少し急だとは思いますので、この部屋を出てから今日一日はセラさんの専属騎士として生活して頂いて構いません。では明日、楽しみにしていますね」
今の出来事をどこか現実に思えないまま、気付けば僕は一人部屋の中に取り残されていた。
僕に与えられた時間は、もう一日も残されていない。
そのことを受け入れられないまま、抗えない今の状況に心を酷く傷ませることしか出来なかった。
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