8

昼休み、昼食に手もつけられないままただ総司が戻ってくるのを待つ。
時計との睨めっこを幾度となく繰り返しているこの時間は、やたら長く感じられた。
千ちゃんとはじめも総司の状況を知り、五人でほぼ何も話さないまま、ただ時間だけが流れていく。
でもその沈黙の口火を切ったのは、いつも明るく私を笑わせてくれる千ちゃんだった。


「ああ、もう!辛気臭い!」


いきなりの大きな声に少しびっくりしてしまったけど、彼女は少し眉を吊り上げ言葉を続けた。


「大丈夫よ、沖田君なら。トイレまで護衛する沖田君が、セラちゃんから離れられるわけないじゃない」


きっと千ちゃんなりに私を気遣ってくれているのか、敢えてそんなことを言って励ましてくれる。
その優しさが今の私には本当に嬉しくて、お礼の言葉と一緒に微笑みを向けた。


「ですが遅いですね、話が難航しているのでしょうか」

「あの王女相手だからな、いくら総司と言えども説得は難しいかもしれん」

「はじめ君、そんなこと言わないでくれって。セラが不安になっちまうじゃん」

「そうだな、すまない……」

『ううん、そんな謝らないで。ごめんね、皆にまで心配かけちゃって……』

「今まで一緒に過ごして仲間のことですから、心配するのは当たり前ですよ」

「そうそう。まあ総司のことだからさ、案外けろっとした顔で帰ってくるって」


そうであることを願ってる。
きっと私達はこれからも一緒にいられるって信じてる。
でも取り留めもない不安が心を侵食して、今にも泣きたくなるのはどうして?
私はまだ、総司の隣にいられる未来をこんなにも信じているのに。


「あ、帰ってきたわ。沖田くん、おかえりなさい」


千ちゃんの声を聞いて、弾かれたように顔を上げる。
すると私と目が合うなり、総司はいつものように柔らかく微笑んでくれた。


「ただいま。何?皆食べてなかったの?」

「だって、それどころじゃねーじゃん」

「そうですよ、心配で喉も通りませんよ」

「はは、皆してそんな顔しないでよ。余計言い難くなっちゃうじゃない」

「王女と話はついたのか?」

「うん、駄目だった。もう全然話が通じなかったかな」


眉尻を下げてそう話す総司は、私の隣に腰かけそっと私の頭に手を置く。
そして寂しそうな顔で微笑むと、「ごめんね」と眉尻を下げた。


『……っ……』


今にも泣き出しそうになったけど、今泣いても何にもならないことは私が一番分かっている。
ただ、このまま総司を黙って行かせるわけにはいかないと、彼の手を掴んだ私がいた。


『総司、今からもう一度一緒に話しに行こう?』

「いや……、何度話しても変わらないよ」

『どうして?分からないよ、それに総司が行って駄目だったら二人で話しに行くって約束したよね?』

「状況が変わったんだよ。兎に角行かない方がいい、だからセラは何もしないで」

『総司は……諦めちゃうの……?』


思わず出てしまった言葉を聞いて、総司の瞳は見て分かる程に揺れる。
それでも辛そうに眉を寄せるだけで、立ち上がろうとはしてくれなかった。


『……私、お手洗いに行ってくるね。皆はお昼食べてて』

「あ、セラちゃん……私も一緒に……」

『ごめんね、千ちゃん。今は、一人で行かせて』


時間がない、昼休みはあと少しで終わる。
その前に話さないとならないと教室を出た私は、走り出した。
でも階段の踊り場で腕は引かれ、振り返れば総司がいる。
その少し切羽詰まった顔が、余計に私を不安にさせた。


「どこに行くの?」

『私は諦めたくないの、ちゃんと千鶴様に話を……』

「行くなって言ってるでしょ?行ったって何も変わらないよ。事態が悪化するだけだ」

『勿論、ただ取り下げて貰おうなんて思ってないよ。代わりに出来ることを私がすれば』

「セラ……!」


総司に両肩を掴まれ、一喝するように言われた名前。
こんな風に総司に声を荒げられたことは初めてだったから、思わず身体は揺れて視界がみるみるうちに歪んでいった。


『……ど……して……』

「セラ……、ごめん。でも聞いて?止めるのには理由があるんだ」


理由があったとしても、何も話さないまま要求を受け入れることなんて私には出来ない。
だって私は千鶴様が何故総司を近衛騎士に任命したのか、何故総司でなければならないのか……何一つ分からないからだ。
理由すら知らないまま、誰よりも大切な人を手放さなければならないなんて辛すぎる。
だからせめて話がしたいのに、総司は決して私を行かせてはくれなかった。


『お願い、離して……』


拘束を振り解こうとした時、下からは生徒達が騒がしい声と共に階段を登ってくる音がする。
慌てて目元の涙を拭っていると、総司は私の手を引き人が来る方向とは逆の階段を登っていった。

そして総司に連れて行かれた場所は、この棟の屋上にあるバルコニー。
ドアを開け私を外に出すと、総司は誰も来られないようにする為なのかそのまま鍵をかけてしまった。


「セラ、ごめんね」


総司は優しい声でそう呟くと、私の頬の涙を労わるように拭ってくれる。
でも私が今欲しいのは、謝罪の言葉なんかじゃないのに。


『総司……、お願い。私にも出来ることがあるかもしれないから……』

「駄目だよ。僕と引き換えに君が犠牲になることは絶対に嫌なんだ」

『私だって、何も出来ないまま総司と離れ離れになるのは絶対に嫌なの。どうして私の気持ち分かってくれないの?』

「セラの気持ちは分かってるよ。僕のことを真剣に考えてくれてることもちゃんと理解してるよ」

『分かってないよ……。いつも護られてばかりは嫌なの、私だって総司のことを護りたいのに』


総司は僕が男だからとか、専属騎士だからとか……そう言っていつも当たり前のように護ってくれるけど、今回のことは性別も立場も関係ない。
人を想う気持ちに、護る側も護られる側もないのに。


「あの人との話はもう終わったんだ」

『どうして勝手に終わらせちゃうの……?』

「セラ、僕が決めたんだよ。僕が王女殿下の近衛騎士になるって決めたんだ」


耐えていた涙が止まることなく流れてきて、もう総司の顔も殆ど見えない。
言葉も何も出てこなくなって、今まで経験したことのない悲しみが私の心を覆っていった。


『……っ……どうして、総司が一人で勝手に決めちゃうの……?』

「セラ……、ごめんね……」

『約束した……のに……一緒に話しに行くって……、まだっ……』

「うん……、でもね。これしか方法はないんだ。だから分かって……」


初めてこんなにも悲しいことがこの世界にはあるんだと知った。
泣いても泣いても溢れて止まらなくて、こんな気持ちを抱えて生きていたくないと思ってしまうほど、私の心は悲しみだけで染まっていった。
いつもは綺麗に見える青空も、心地良い風も、大好きな総司の顔だって今は何も感じられない。
ただここに立っていることが酷く辛く感じられた。


「王命に背けばセラや近藤さん、城の皆が今まで通りの生活を送れなくなる。でも僕一人が行けば、君達に不利益はないようにするって約束して貰えたんだ」


私を抱き締めながら、総司は私にそう話す。
目の前には確かに総司の温もりがあるのに、これがもうなくなってしまうと思えば怖くて堪らなくなった。


「だから僕は行くことにした。別に今世の別れじゃないし、同じ学院に通うわけだしさ……向こうでも王女殿下を説得出来るように頑張るから」

『出来なかったら……?』

「え……?」

『もし学院に通えなくなったら……?もし説得が出来なかったらどうなるの……?』

「そんな悲しいことばっかり言わないでよ。大丈夫だよ、僕頑張るからさ。向こうでも結果残して、王女殿下に物申せるくらいまで出世するよ。今よりもっと偉くなって、君をお嫁さんにしたいって言ったら、その時は近藤さんも了承してくれるかもしれないしね」


総司が語る夢物語は、聞いていて余計に私の心を苦しくさせるものだった。
だって向こうで結果を残せば、きっとそれこそ総司を手放して貰えなくなる。
それに学院だってお父様の承認があって通えているわけだから、配下が変わればそれ相応の手続きが必要。
仮に王女様の護衛で通えることになったとしても、クラスの変更を余儀なくされることは目に見えていた。
そして何より、総司が近衛騎士になれば、会うことも話すことも、その顔を見ることさえ出来なくなる。
そんな日々がもう目先まで迫っていると思えば、叶うかも分からない何年も先の話なんて意味がなかった。


『……っ、……ぅ……』

「セラ……」

『一度でいいの、私も千鶴様に……』

「それは駄目だよ、僕の為にもそこは我慢して」

『お願い、私はまだ諦めたくないの……』

「セラが余計な動きをすればもっと悪い状況になるかもしれないんだよ、それをわかってて言ってるの?」

『でも……』

「僕だってまだ諦めてない、絶対にまた君のところに戻ってくるつもりでいるから。だから僕を信じて。今は辛いけど、ずっと君を泣かせたままにはしないって約束するから」


真剣な音色で伝えられた言葉に、私は頷くことしか出来なかった。
だって私は総司が直ぐに諦めて投げ出してしまう人ではないことを知ってる。
どんな時も逆境にすら立ち向かい、前向きに努力出来る人だと知ってるよ。
だから総司が無理だと言うなら、本当にこの決定を覆すことは難しいのだろう。
そしてそれは私やお城の人達を護るためだということも理解していた。

それでも私は認めたくなくて、ほんの少しでも希望があるならそれに縋りたくて必死になってしまったけど、私が今総司にしてあげられることはただ泣いて総司を困らせることではない。
総司の言葉を信じてあげることだと、本当は私も分かってるよ。
でもそんな理屈ではどうにもならない想いが私の中にはあって、それは私にとって一番大切にしてきたもの。
総司とずっと一緒にいたいと願う私の夢は、もう……叶わなくなってしまったんだ。


『私信じて待ってる。絶対に私も諦めないから……だから絶対に戻ってきてね』


総司を見つめてそう言えば、総司は泣きそうな顔で微笑んでくれる。
無力な私は結局何も出来ないまま、この気持ちに無理矢理蓋をすることしか出来なかった。
でもいくら押し殺しても、胸が苦しくて苦しくて堪らない。
全て夢であればいいと願いながら、総司の肩に頬を寄せ愛しい温もりを感じていた。

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