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総司のいない生活が始まった。

出立の日の朝、前日に急いで作った刺繍入りのハンカチを渡して私達は笑顔で別れた。
去って行く馬車を見えなくなるまで見送り、ただ懸命に涙を耐える。
それでも自分の部屋に戻れば総司との思い出が蘇るから、再び涙は湧き上がってくるばかりだった。

けれどどんなに悲しくても辛くても、時間は平等に流れていく。
総司が生活していた場所では新しく専属騎士になった伊庭君が生活するようになり、見慣れない私物で並ぶ彼の部屋を見ると無性に寂しさが込み上げてしまった。
あの日以来、千鶴様も総司も一度も学院には顔を出さずにもう十日程。
出していいのかも分からない総司宛の手紙が、私の部屋の引き出しに何枚も溜まっていった。


「セラ、今お時間宜しいですか?」


隣接したドアがノックされ、私は慌てて涙を拭う。
返事をすると直ぐにドアが開けられたけれど、このドアが開く度、無意識にも総司が顔を出すことを期待してしまう私がいた。


「夜分遅くにすみません」

『ううん、大丈夫だよ。どうしたの?』

「いえ……。その、泣く声が聞こえてしまったので」


声を押し殺していたつもりだったのに、静かな夜は筒抜けみたい。
恥ずかしい気持ちのまま「ごめんね」と言って微笑んでみても、伊庭君は悲しそうな顔をするだけだった。


「どうぞ」


総司の代わりに伊庭君が私の専属騎士に選ばれたのは、私達が幼少時代からの付き合いがあったからだった。
総司の近衛騎士就任があまりにも急だったこともあり、お父様と山南さんは少しでも気の許せる相手にした方が良いと判断されたらしい。
実際こうして気遣って、私の話を聞いてくれる彼の存在には救われていた。


『ありがとう……』


目の前に出される温かい飲み物は、ココアだったり紅茶だったりと様々。
けれど今日目の前に置かれたのは、総司がよく私に作ってくれた柚子はちみつ。
香りと共に蘇る思い出が涙を再び誘発させるから、私はぐっとそれを堪え、誤魔化すようにカップへ口をつけた。


『おいしい……』


私はこの城の公女であり、あと一年もすればデビュタントを迎え公務にも携わるようになる。
だから泣いてばかりいては駄目だと日々言い聞かせ、決して人前でだけは泣かないルールを自分の中で作っていた。
それは私の中の意地でもあり、大切な想いでもある。
私を心配してくれている総司の心を少しでも軽くできるように、私も強くありたいと思っていた。

勿論一人でいる時は泣いてしまうし、ふとした時に思い出して涙を堪えることが大変な時もある。
でもそれは総司をそれだけ大切に想う証でもあるから、一人の時だけはその気持ちを温めて、心のまま涙を流したいと思っていた。


「体調は大丈夫ですか?昨日鈴鹿さんが心配してましたよ、君が痩せてしまったと騒いで大変だったんですから」

『ふふ、千ちゃんはいつも私を気にしてくれるからね。でも大丈夫だよ、私は元気だから』

「本当にそうでしょうか?さすがにまだ辛いとは思いますよ、だから無理だけはされないで下さい」

『ありがとう。無理はしてないから大丈夫だよ。もうすぐテスト期間だし、勉強に専念できると思うと少し気が楽かな』

「そうですね。また皆で勉強でもしましょうか、前回は捗りましたよね」

『そうだね。お城の図書室はいつも人がいないし、直ぐ調べ物もできるしね』

「明日平助君にも声を掛けてみましょう。休みの日であれば鈴鹿さんや斎藤君をお誘いするのもいいですね」


前回のテストの時、皆と一緒に総司も頑張って勉強してたよね。
勉強なんてほぼしたことがない、なんて言っていたのに暗記が得意な総司は驚くくらい吸収力が良くて圧巻してしまったことを覚えている。
理系科目なんて授業を受けるだけでほぼ頭に入っていたから、彼の天才気質を少し狡いと言って私が膨れたことも思い出した。


「セラ?」

『あ、うん。楽しみだね』


思わず総司のことを思い出してしまえば、伊庭君の話を途中から聞けていなかったみたい。
彼はそれが分かっていても、決して何も聞いてくることはしない優しい人だった。


「テストが終わったら狩猟大会がありますよね。実は平助君や斎藤君と勝負してるんです」

『勝負?』

「誰よりも一番大きい獲物を取ってきます。それで君に捧げますね、応援してて下さい」


狩猟大会は男子生徒が近隣の森で狩猟を行い、女子生徒はその間お茶会をしながら待つ。
そして取ってきた獲物を親しい女子に渡すという大会だ。
目の前で意気込む伊庭君の様子にくすくす笑うと、彼もホッとしたように微笑んでくれる。
その顔を見て、伊庭君にもあまり心配はかけたくないと思った。


『ありがとう。応援してるし、楽しみにしてる』


誰と話していても何をしていても、総司がいない寂しさは埋めることができない。
それなら私は、この悲しみと一緒に生きていくしかないのかもしれないと思った。
それは私にとってとても辛いことだけど、この空の下、総司もきっと同じ想いで毎日を頑張って過ごしている。
だから私もまだ頑張りたいと思うことができた。



次の日になり、私達は三人で馬車に揺られ、いつものように向かった学院。
そして午前の授業を終えた私は、あまり期待をしないまま隣のクラスをそっと覗いた。
するとそこには一週間以上ぶりの千鶴様の姿がある。
思わず声を掛けてしまえば、彼女は目を見開き、直ぐにふわりと柔らかく微笑んだ。


「セラさん、ごきげんよう」

『千鶴様、ごきげんよう。不躾に声をおかけしてしまって申し訳ありません』

「いいえ、セラさんとお話できることは嬉しいもの。いつでも声を掛けて下さいね」


千鶴様に聞きたいことは沢山ある。
思わず彼女の周りを見回してしまったけど、総司の姿は見えずに落胆してしまった。
そんな私の心情を知ってか知らずか、私をじっと見つめた彼女はずっとにこにこ嬉しそう。
そんな私達のところには王太子殿下もいらっしゃったから、私はカーテシーを作りご挨拶をした。


「良かったね、千鶴。念願のご令嬢に会えて」

「もう、薫はいつになったら覚えるの?セラさんっていう素敵な名前があると言っているでしょ?」

「じゃあ俺もセラって呼んであげるよ」

『ありがとうございます、王太子殿下』

「その呼び方は堅苦しいからやめてくれる?薫って、そう呼んで」

『かしこまりました。ではお言葉に甘えて薫様と呼ばせて頂きますね』

「もしよかったら、これから私達と昼食をご一緒してくださらない?」


王族のお二人と一緒に昼食を摂るなんて、今までの私からしたら恐れ多いこと。
でも千鶴様とお話したかった私にとっては願ってもいない申し出だったから、思わず少し大きい声で言ってしまった。


『是非っ……、ご一緒させてください……!』


私の言葉を聞いて目を瞬かせたお二人は、何故かくすくす笑っている。


「ふふ、ごめんなさい。セラさんの反応がとても可愛らしかったから」

「まるで尻尾振ってる馬鹿犬みたいで、見ていて笑えたよ」

「薫……?品のない物言いはやめて」

「はいはい」


お二人のやり取りはあまり見たことがなかったけど、仲が良い普通の双子に見えたから少しだけ安堵してしまう私がいる。
この様子なら色々お話させて頂けるかもしれないと前向きに考えることにした。


「セラ、僕達もご一緒しますよ」


直ぐ近くで私を見守っていてくれた伊庭君と平助君が、微笑みもないまま私達のところへ来てくれる。
お二人に同行の許可を得ようとしたけど、私が尋ねる前にそれは却下されてしまった。


「安心なさって、近くの王族専用のお部屋で昼食を摂るだけです。行きと帰りは必ずセラさんを無事あなた方のところまでお送りしますから」


王宮騎士が二人、側で私達を護衛して下さるそうだ。
王女殿下の提案に首を横に振ることは出来ず、伊庭君と平助君には微笑みを向けて、彼らと一緒にそのお部屋へと向かった。


「さあ、ではいただきましょう?」


広いお部屋に着き、私達はふかふかのソファーに座り昼食を摂る。
護衛の方々は部屋の外で待機しているらしい、彼らが部屋の中に入ってくることはなかった。


『本日はこうしてご一緒させて頂きありがとうございます』

「こちらこそ。それに私もセラさんとお話がしたかったの。総司さんのこと、あなたも気にされているかと思って」


総司の名前が出て、私の心臓は早くなり咄嗟に唇をきつく結ぶ。
そして意識的に笑顔を作り、千鶴様を真っ直ぐ見つめた。


『お心遣い、感謝致します』

「総司さんは本当に優秀な方ですね。お城での仕事ぶりも素晴らしいですよ」

『総司がそのようにお役に立てているのなら、私も嬉しいです。総司のこと、どうか宜しくお願い致します』


総司が新しい場所でも努力している姿が目に浮かび、少し瞳が潤んでしまう。
それを隠すように深く頭を下げて、再び笑顔を浮かべた。


『総司はとても真面目で本当に優しい人です。どんな状況でも全力で周りを護ろうとしてくれる人なんです。ですが、それが時々彼自身に無理をさせてしまうことがあるので、それだけが心配で。なので千鶴様のお力のもと、どうか総司が無理なくお勤め出来るようにお心をお配り頂けますと幸いです』


一番伝えたかったことをようやく言葉にできたから、そっと安堵の息を吐く。
何故か笑い出した薫様を少し膨れた様相で見つめた千鶴様は、再び私を見つめ言ってくださった。


「安心して。総司さんは私の側で立派に役目を果たしてくださっているの。これからも私が責任をもって見守ります」

『ありがとうございます。千鶴様の優しいお言葉に感謝致します』

「ですが急に総司さんを近衛に任命してしまったこと、セラさんにとっては辛かったですよね?ごめんなさい」

『そんな……千鶴様は謝らないで下さい。千鶴様にも色々とご事情があってのことだと思います。それに総司が王宮でお役に立てることは、私にとっても誇らしいことですから』

「本当にそう思って下さる?セラさんの笑顔、少し無理をさせてしまっているようにも見えるのだけど……」

『総司が私の騎士として傍にいてくれたことには感謝の気持ちしかありません。勿論、総司がいないことを寂しくないと言えば嘘になります。けれど総司が新しい環境で力を発揮できるのであれば、それは素晴らしいことだとも思えるのです。なのでそのような機会を与えてくださって、こうして私のことまで気遣って下さる千鶴様に感謝しています』


まだ複雑な気持ちはある。
悲しみも消えてはくれないけど、総司にとってプラスになることも絶対にあると思うから、総司の置かれた今の状況を悲観的に考えることだけはしたくない。
何より総司は今、この先にある輝かしい未来の為に頑張っていると思いたいから、千鶴様にはっきりそう伝えた。


「はははっ……」

「薫、笑わないで」

「いやだって、千鶴の顔がさ」

「私の顔が何……?」

「なんでもないよ」


やたら楽しそうにしている薫様を横目に、苦笑いをした千鶴様は「ごめんなさい」と一言。


「セラさんにそう言って頂けて良かった。私セラさんに嫌われてしまうことも覚悟していたの。でもそれは悲しかったからこうして話せて本当に嬉しいです。これからもこうして一緒にお昼を食べたりしてくださいますか?」

『はい、私で良ければ喜んでご一緒させて下さい』

「もし何か困ったことがあればなんでも相談して下さいね。セラさんのお力になりたいの」


千鶴様の言葉の真意はまだよく分からない。
総司も警戒していたようだから、私も手放しで信用出来る相手ではなかった。
けれどこの人は今、私と総司を繋いでくれる唯一の人。
胸元の手をぎゅっと握りしめて、思い切って千鶴さんに聞いてみることにした。


『実は千鶴様にお願いしたいことがございます。総司に……手紙を書くことは許可して頂けますでしょうか?』


手紙でのやり取りが出来れば、総司の近況を知ることが出来るし私のことも知って貰える。
だから期待を込めてお願いしたけど、千鶴様は寂しそうに眉を寄せると首を横に振った。


「それは少し難しいかもしれないわ……」

『……そうなのですか?』

「総司さんは私の近衛騎士、つまり誰よりも私の命令や規律を守らなければならない立場にあるの。それなのに他の女性と手紙のやり取りをしていたら、他の者たちにも規律を乱す例を示すことになってしまうから……」

『そう……ですよね……。千鶴様のお立場を考えるとその通りです。考えが及ばす申し訳ありません……』

「ごめんなさい……」

『いいえ、こちらこそ。無理を言ってしまいお恥ずかしいです』


直ぐにでも出せるように今まで書き留めたものを全て持ってきたけど、呆気なく却下になり胸が苦しくなる。
それでも笑顔でお弁当に口をつけ、少しでも萎んだ心を元に戻そうとした。


『皆で食べると美味しいですね』


食べ物の味は、あの日からあまりしなくなった。
けれど食べなければ倒れてしまうし、私が体調を崩せば皆に迷惑が掛かる。
何より総司と一緒に頑張ると決めたから、無理をしてでも食べようと半ば無理矢理口に運んでいた。
すると目の前に座る千鶴様が、優しい音色で私の名前を呼ぶ。
その声に反応して顔を上げると、とても優しい瞳で見つめて下さっていた。


「今少し別の方法を考えていました。手紙を私が受け取り、総司さんに直接渡してさしあげるのはいかがしら?直接王宮に届けられるものでなければ、周りに知られることもないですし」

『……ですが、宜しいのですか?そのようなこと、本当にお願いしてしまっても……』

「ええ、勿論。セラさんが直接届けられないのは残念だけど、私が橋渡しすることで少しでも気持ちが伝わるのならそれは素敵なことですから」

『ありがとうございます……、千鶴様。心より感謝申し上げます』


その場に立ち上がり誠心誠意でお礼の言葉を述べれば、また薫様は笑っているけれどそんなことは全く気にならない。
ただ総司に手紙を出せることが嬉しくて、そんな申し出を自らして下さった千鶴さんに感謝の気持ちを示さずにはいられなかった。


『本当に嬉しいです。でもお手間をお掛けしてしまうと思うので、代わりに私が何か千鶴様のために出来ることはありますか?』

「ふふ、セラさんって可愛らしい上に優しいのですね」

『いえ、千鶴様こそ』

「でしたらお言葉に甘えて一つだけ。良かったら毎日こちらで一緒にお昼を食べてくださらない?」


心の半分では私に出来ないお願いごとをされたらどうしようと心配していたけど、千鶴様から言われた言葉はとても可愛いらしいものだった。


『そのようなことで宜しいのですか?』

「ええ、あなたの顔を見ながらこうしてお食事を出来ることが本当に嬉しいの」

『私は勿論ご一緒させて頂けるのであれば喜んでこちらで食事を摂らせて頂きます。ですが、薫様は私がご一緒してしまって宜しいのですか?』


笑うことはあっても殆ど話さない薫様の意向を無視出来ない。
だから彼に視線を送ってみたけど、彼は意図の読めない笑みを浮かべて言った。


「俺は別に構わないよ。千鶴がそれで喜ぶならね」

「ふふ、じゃあ決定ですね。明日からも宜しくお願いします」

『こちらこそ、宜しくお願いします』

「平日は毎日お会い出来るのですから、手紙も毎日受け取りますよ」

『……宜しいのですか?』

「勿論。セラさんの笑顔が見られれば私も嬉しいです。それと、もし今日お持ちになっているのなら、早速お預かりしますよ?」


千鶴様の優しい申し出に、また心が少し空気を含み元気になる。
まさかこんなに早く総司に手紙が届けられると思ってはなかったから、少し震えてしまった手で、鞄を開いた。


『ありがとうございます、とても嬉しいです。実は恥ずかしながら、今日持ってきておりました……』

「ふふ、そうだと思いました」

『ではこちらを……』


一番最新の手紙一通を取り出し、千鶴様に渡そうした。
それなのに立て掛けていた鞄が倒れてその他の手紙までばらばらと落ちてしまったから、目の前のお二人は目を瞬かせていた。


『あ、あの……これは違うんです。その……毎日書いていたら気付いた時にはこんなに溜まってしまいまして……』

「…………」

『ですがお届け頂くのはこの一枚で大丈夫です、同じことばかり書いてしまってると思いますので……』


恥ずかしい、穴があったら入りたい……。
急いでそれらを拾い上げ、慌ただしく鞄にしまった。
少し赤くなっていそうな顔をごまかすように微笑んでみたけど、そんな私を見つめると今度は薫様だけではなく千鶴様までおかしそうに笑い始めてしまった。


「ふふ」

「はははっ、すっごい量だね」

「セラさんって……、本当に憎めなくて可愛らしい方」


千鶴様は目元の涙を拭いながら慰めの言葉をかけてくださった後、私の前に手を差し出した。


「一通でなくても構いませんよ。全て総司さんにお届けします」

『ですが恐らく十通以上はあるかと思うので……』

「でも全て一生懸命書いたセラさんの気持ちなのでしょう?それを捨ててしまうのはあまりにも悲しくはないですか?」


一枚一枚一生懸命、たまに涙をこぼしてしまいながら書いた私の手紙には大切な気持ちが込められいる。
そのことを分かって下さる千鶴様がどうしても冷たい人には見えなくて、様々な葛藤の中、私は唇をぎゅっと結んだ。


『千鶴様、ありがとうございます。お言葉に甘えてお願いしても宜しいのですか?』

「たくさんのお手紙を見た時からそのつもりでしたよ。ただ規律上、手紙は一度私も目を通させて頂いてからお渡しすることにはなりますけど宜しいですか?」

『はい、勿論です。本当に感謝しかありません』


これを全て千鶴様がお読みになると思うと恥ずかしいけど、王宮に出す予定で書いたものだから、余計なことは何一つ書いていない。
ただ総司を気遣う言葉と私の近況を報告している内容であれば、問題ないと思えた。
鞄の中の手紙と手の中の一通を合わせると、それなりの厚みになってしまうから。
私は鞄から細紐を出しそれで手早く纏めると、千鶴様へと差し出した。


『千鶴様、ではお手数おかけしてしまいますが宜しくお願いいたします』

「はい、必ず総司さんに届けます」

『ありがとうございます』


どうしてだろう、総司と繋がっている人だと思うと千鶴様と一緒にいる時間がとても貴重なものに思えてしまう。
ここで毎日昼食を摂りながら、たまにでもいい、総司の話が聞きたいと願ってしまう私がいた。

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