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僕が宮廷内での生活を少しずつ理解した頃、気付けばセラと離れてから十日以上が経過していた。
僕が騎士として公に任務に就くのは、正式な認可を受けてならになるらしい。
公爵家から王宮に入る場合、ある程度の研修期間が必要らしく、わからないことばかりの中、僕の毎日は目まぐるしく過ぎていった。
けれど忙しい方が余計なことを考えずに済むから丁度いい。
様々なことを学びながらも、ひたすら仕事に打ち込む毎日だった。

そんな僕にまず与えられたのは、宮廷内の監視と安全確保の任務。
王女の護衛や随行も行うものの、病弱なあの人が公務で出掛けることはいまだなく、専ら宮廷内で過ごしていた。

そして今日から新たに加えられた任務は、王女の日常を補佐する役目。
日課の管理を行いながら予定を円滑に進めるための手助けをしたり、彼女が個人的に必要とする書類や書簡の管理や運搬を担当した。
まだ研修期間中である僕は、基本監視役の指導の元、それらの任務を行っていたけど。
今夜は初めて僕だけが王女の部屋へと呼ばれることになった。


「ここでの生活には慣れましたか?」 


今日から学院に通い始めた王女は、今朝制服姿で僕の前に現れた。
同行出来ることを期待した僕に、彼女は「同行は必要ありません、宮廷内の職務に専念して下さい」と告げると、僕を置いて出掛けてしまった。
この程度のことは想定していたことではあるものの、セラとの唯一の繋がりすら絶たれて心中で歯噛みしてしまうのは無理もない。
それでなくてもセラに手紙を出すことすら、ここに来た初日に却下されていたから、あの子を全く感じられない毎日は拷問のように感じられた。


「ええ、お陰様で慣れてまいりましたよ」

「それなら良かったです。優秀な総司さんには、宮廷内のお仕事ばかりでは物足りないのではないかと心配していたの」

「いえ、こういう日々が一番気楽で良いですよ。お気遣いありがとうございます」


申し訳ないけど、この人に対しては忠誠心の欠片もない。
この人の隣で護衛に明け暮れるより、宮廷内での仕事に専念していた方がまだマシに思えた。
だから感情など入るはずもなく、ただ機械的に淡々と述べるも、彼女はいつになくご機嫌らしい。
隣に座る王太子と視線を合わせると何故かくすくすと笑っていた。


「今日ね、セラさんとお話ししましたよ。一緒に昼食も食べてくださったの」


セラの名前が出て、思わず僕は視線を上げる。
目の前には見たくもない顔が並んでいるけど、あの子のことを聞けるならそんなことはどうでも良かった。


「……セラは変わらず元気にしていましたか?」

「ええ。ずっとにこにこして下さっていたわ」

「まあ、あれはだいぶ無理して笑っていたけどね」

「そこが可愛らしいでしょう?」

「可愛いっていうより、あれはただの馬鹿だろ。引き離したお前に嫌な顔一つ見せないし、今回ははずれじゃない?正直つまらないね」

「薫だって笑って楽しそうにしてたじゃない。それに私、セラさんにはちゃんと優しくして差し上げたわ。あの方には、まだ嫌われたくないの」

「千鶴がそんなこと言うなんて珍しいね。まあ、せいぜい本性がばれないようにすればいいよ」


王太子の言葉に頬を膨らませた王女は、プライベートだと少し幼い面もあるらしい。
咳払いをして気を取り直したように、再び僕に視線を向けた。


「セラさんの話、聞きたいですか?」

「はい、教えて頂けるのであれば」

「素直で宜しいことですね。今日は、セラさんから話し掛けてきて下さったの。とても一生懸命、あなたのことを話していたわ」

「セラはなんて言ってたんです?」

「総司さんのことどうぞ宜しくって。あとあなたが真面目で優しい人だからたまに無理してしまうって心配されていたわ。あなたが無理なくお勤めが果たせるよう心配りをして貰いたいって。あなたのお嬢様は、とても健気で可愛い方ですね」


僕を心配してくれているセラの様子が目に浮かぶ。
そしてこの二人の前、一生懸命笑顔を作ってくれただろう様子も想像出来た。
僕がセラやあの家の人達を気にかけるように、セラも何か失礼があれば僕の立場が危うくなると考えてくれているのだろう。
結局この二人と関わらなければならない環境を作ってしまった自分に辟易としながら、王女の言葉を聞いていた。


「ただの従者一人にあんなに一生懸命になれるなんて、私には到底考えられないけれど……。総司さんはやっぱり、セラさんにとって特別な方なの?」


確信に迫るような言葉に、勿論否定の言葉を返した。
けれど含みのある視線は、おそらく僕達の関係を勘繰っているか、最悪大方気付いている。
心中に渦巻く不快感を悟られないよう、僕はただ毅然とした態度でそこに立っていた。


「それでね、これ。何か分かりますか?」


王女が取り出したのは、紐で束ねられた封筒のようなもの。
まさかと思って目を見開いた僕を見て、王太子はまたくすくすと笑った。


「凄い食いつきようだね。まあ、直感の良さだけは褒めてあげるよ」

「総司さんの思っている通り、これは全部セラさんが総司さん宛てに書いた手紙です」

「はははっ、あの時は本当に笑えたよね。一通かと思ったら鞄から沢山落ちてきてさ」

「ふふ、本当にあの時はおかしかった」

「渡すのは一通だけのつもりだったらしいよ。でも毎日書いて溜まった手紙を、馬鹿なあいつは全部俺達の前に落としてさ」

「頑張って書いたセラさんの手紙が総司さんに渡らないのは少しお可哀想でしょう?なので私が内密に全てお渡しする約束をして差し上げたんです」


二人の言葉で大方の状況が把握出来たものの、まさか手紙を許してくれるなんて思ってもみなかったから逆に裏がありそうで無言になる。
けれど封筒に書かれた文字は間違いなくセラの字だったから、冷静を装いつつ僕はゆっくり口を開いた。


「そちらをお預かりしても宜しいですか?」


王女は微笑みを浮かべたまま、口元の笑みを深める。
そして少しだけ顔を上げると、柔らかく言葉を挟んだ。


「勿論渡すわ。けれど一つだけ忠告があります」

「なんでしょうか?」

「セラさんからの手紙は総司さんにとって、とても嬉しいものですよね。なので読むことは許可しますが、総司さんからセラさんに返事を書くことは禁止します」

「……それは何故です?」


以前は王女の近衛騎士という立場でありながら他の女性、ましてや以前の主人に手紙を頻繁に出すことは宮廷内の規律を乱すことになりかねないという理由で、手紙を出すことは禁止された。
けれど今回は内密で彼女が引き受けてくれたこと。
何故僕の手紙は渡して貰えないのかと眉を顰めてしまうのは当たり前のことだと思う。


「そのような怖い顔をなされないで。私があなたの返事を許可してしまえば、セラさんはそれに甘えてしまうかもしれないでしょう?あの方にはそんな依存心を持たせたくないの」

「セラは誰かに依存して生きるような子ではないですけど」

「そうかもしれないですね。でも、すぐに返事を書いたらセラさんはあなたとの手紙のやり取りに夢中になってしまうかもしれないわ。それではあなた方を離した意味がなくなってしまうから、私にとって面白くないんです」

「つまり……僕の騎士としての能力を買って任命して下さったわけではないということですね」

「ふふ、そんな当たり前のことを今更聞かないで頂けますか?」


あまりに身勝手な理由に苛立ちを感じつつ、逆らって手紙を貰うことすら出来なくなれば一番最悪だ。
怒りを抑えながら、深く息を吸い込み毅然とした態度で王女を見つめた。


「でしたらせめて、王女殿下の命で僕が返事を書けないことを伝えて頂けますか?」

「どうして私があなたの為に悪者にならなければならないの?」

「いや……、それが本当の理由なんですから仕方ないじゃないですか」

「私はね、セラさんが手紙を期待して待つ顔や、返事を貰えない時に切なそうにする顔が見たいの。だってその為に受け取ったんですもの」


少しでもセラには優しくしてくれたのかもしれないと期待してしまった自分が愚かだったことに気付く。
そんなことの為にセラの純粋な想いを利用するこいつらが許せなかった。
けれどどんな理由であったとしても、セラからの手紙は喉から手が出る程欲しくて堪らない。
今直ぐ手に取り、あの子の温かい気持ちに触れたくて堪らなかった。


「王女殿下、お言葉ですがそれではセラを傷つけるだけですよね。何故あの子の想いを弄ぶようなことをするんです?」

「弄ぶわけじゃないわ。ただ純粋にセラさんがどんな顔を見せて下さるのか知りたいだけなの。それにセラさんが期待を抱きながら手紙を送り続ける姿、想像しただけでとても愛らしいと思いませんか?平日は毎日お手紙を受け取れますと告げたら、嬉しそうにしていましたよ」

「ですが何通貰ったとしても、僕が返事を書けないままではやり取りが出来ないので手紙の意味がなくなってしまうと思いますけど」

「でも、セラさんのあなたを想う気持ちの大きさが分かる良い機会かもしれませんよ。それとも返事が書けないことをお伝えして、今後一切手紙を書かないようにお伝えしても私は構わないですけど、そうしましょうか?勿論その場合は二度とセラさんから手紙は受け取りませんし、こちらの手紙も全て破棄します。総司さんとセラさんを繋ぐ唯一のものがなくなってしまうことになりますけど」


敢えて明るく首を傾げて聞いてくる王女の言葉に、僕の心は大きく揺さぶられた。
たとえ返事が書けないとしてもセラからの手紙をどうしたって欲してしまう僕は、情けない想いのまま拳を握り、絞り出すように告げた。


「……それはどうかお許し下さい」

「ではセラさんには何もお伝えしないまま、お手紙だけ受け取るということで宜しいですか?」

「……はい……」

「はははっ、お前最低だね。傷付けるの分かってて、返事が書けないのに手紙だけは欲しいとかさ」

「ですが懸命なご判断だと思いますよ。セラさんの手紙は本当に純粋で健気で愛らしいですもの。この手紙を受け取らないのは勿体ないわ」


とてつもない屈辱を感じた上、微笑むセラの顔を思い浮かべれば罪悪感で胸が押し潰されそうになる。
でも僕は君の近況を知りたいし、どんな小さなことでも繋がっていたい。
だからどうか許して欲しいと心の中で呟くことしか出来なかった。


「ではこちら、お渡ししますね。また受け取り次第、その都度お渡しします」

「……ありがとうございます」


セラからのものだと思えば、受け取る際に僅かに指が震えてしまう。
愛おしい重さを確かに感じながら、僕は手紙の束を大切に胸元の内ポケットへとしまった。


「セラさんとね、明日から毎日お昼をご一緒する約束をしたの」

「……え?何故ですか?」

「何故って、そうすればセラさんから毎日手紙を受け取れるでしょう?それに返事を書けないあなたの代わりに、少しだけあなたのことを教えて差し上げられるわ」

「セラに何かするつもりではないですよね?もしあの子に何かあれば、いくらあなたでも僕は見逃せませんけど」

「おい、お前」


金属音が鳴ると同時に僕の喉元には素早く真剣が向けられる。
王太子が僕を睨みつけたまま、大きな鋭い瞳を細めてみせた。


「さっきから主人に対する態度がなってないね。お前が今、忠誠を誓わなければならないのは千鶴だ」

「僕は王女殿下に忠誠を誓っていますよ」

「は、どの口が言うんだろうね。そんな生意気な態度を続けてると、お前の大事なあいつが苦しむことになるよ。それでもいいの?」

「薫、剣をしまって。心配はいらないわ、総司さんはセラさんのことをとても大切にされているんですもの。彼女の不利益になるような愚かな真似はなさらない筈です」


「そうですよね」と皮肉めいた笑顔が向けられ、悔しく思いながらも肯定の返事をする。
そんな僕の様子を見て、王女はずっと楽しそうに微笑みを浮かべていた。


「心配なさらなくても、セラさんに何かするつもりはありませんよ。ただ楽しくお話をするだけです」

「……そのお言葉を信じています」

「総司さんには然程興味はないのだけど、あなたのお陰であの方と毎日お昼をご一緒出来ることになりました。本当にありがとう」


再び嫌味にも聞こえる言葉を吐かれて、ただ無言で頭を下げる。
そんな僕をじっと見つめた王女は、手のひらを合わせるとまた嬉しそうに口を開いた。


「そうだわ、こうしましょう」

「……はい?」

「セラさんからのお手紙が途切れることなく五十通続いたら、特別に一通だけ総司さんにお返事を書くことを許可します。ちなみに今日の分はお約束前なので入れません、次回からの分で数えて下さいね」


王女の言葉を聞いて、僕は思わず言葉を失う。
登校日である平日のみで五十通という手紙を書くには、単純に計算しても三ヶ月近くかかるのに、返事すら出せない中、セラにそれを強いるのはあまりにも酷に感じられた。


「そのことは勿論、セラには伝えてくださるんですよね」

「総司さん、もう少し頭を使ってくださらない?セラさんにお伝えしたら何の意味もなくなってしまいます」

「つまり何も知らない、返事すら貰えないセラにただ手紙を書き続けさせるということですよね。そんなことさせられません」

「勿論セラさんには手紙を書くことは強要しません。あの方の総司さんへの気持ち次第ということです。これはあなた達二人の絆を試す良い機会ですよ。それとも総司さんはセラさんの気持ちを信じて差し上げてないの?」

「まさか。セラのことは誰よりも信じていますよ」

「でしたら良いではないですか。セラさんの心が折れる方が早いか、五十通貯まる方が早いか。今から結果が楽しみだわ」


人を人とも思っていないような王女の態度は、反論する気力すら奪っていく。
まるでゲーム感覚のように無邪気に話す彼女の様子に息を深くついたあと、視線を強く王女に向けた。


「その約束、絶対に守って下さいますよね?五十通続いたら、僕の手紙をセラに必ず渡して下さい」

「ええ、お約束は守りますよ。セラさんからの手紙が途切れず五十通続けばいいですね」


王女の言葉に短い返答をして、僕は彼女の部屋を出る。
そして与えられた殺風景な狭い自室へと戻り、胸元のポケットから今しがた受け取った手紙の束を取り出した。


「はは、凄い沢山」


まさか毎日僕に手紙を書いてくれていたなんて考えてもみなかった。
封筒にはセラらしく几帳面に日付が記されていたから、僕は順番に読んで行くことにした。

手紙の内容は、まずその日一日のセラの出来事。
勉強のことや、学院のこと。
慣れ親しんだ仲間や公爵邸でのこと。
綺麗な字で書かれたそれは、セラの生活を事細かに教えてくれて、まるで僕も一緒にその場にいたかのように思える時もある。
きっとセラのことが心配で堪らない僕の心情を理解して、こうして丁寧に記してくれているのだろうことが分かった。


「……そっか、伊庭君が専属騎士になったんだね」


伊庭君にしても平助にしても、僕が誰より信用している仲間だ。
あの二人ならきっとセラを護ってくれると信じ、彼女のことを託してきた。
でも僕が焦がれたあの場所に今は自分以外が生活していると思うと、この胸はどうしたって辛くなる。
そんな僕の心情を知ってか、その手紙の最後にはハートで囲まれたあの可愛らしいイラストが描かれていた。
きっと他の人に読まれる可能性を考えたのだろう、余計なことは一切書かれていない手紙だけど、その絵が僕に何を伝えたいのか直ぐに気付く。
あの日のやり取りや今までくれていたあの子の愛情を思い出せば視界が歪み、この手紙に返事すら書けないことがとても悲しくて堪らなかった。

それに僕は返事を貰えないことに傷付いた君から、手紙を貰えなくなることが一番怖い。
それでもこの手紙を受け取り続けたいと思ってしまう僕を、君は許してくれるのかな。


「会いたいよ」


会いたくて堪らない。
まだ十日しか経っていないというのに、こんな日があと何年……もしかしたら永遠に続いていくかもしれないという先の見えない恐怖に心が折れそうになるのを必死で耐えていた。
けれどこの手紙を読めばセラが頑張っていることも僕の帰りを待っていてくれていることも分かるから、僕も未来を信じて頑張りたいと思えた。

そして僕も君に手紙を書こう。
これは僕から君に書く、初めての手紙になる。
たとえ今は返事を出せなくとも、いつかまとめて渡したいと思うから。
今の気持ちを正直にしたためて、君を想いながら愛情を込めて手紙を書いた夜だった。


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