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セラからの手紙が四十八通貯まり、あと二通を祈る気持ちで待っていた時。
王女が持病で倒れ、暫く療養することになった。
彼女は生まれつき心臓が弱いらしく、二日間は身内と医者以外は彼女の部屋に入ることは禁止された。
僕は変わらず淡々と任務をこなしながらも、手紙を受け取れない状況に辟易していた。
そして病に臥せってから四日が経った頃、だいぶ王女は回復したらしい。
僕は度々彼女の部屋へと呼ばれ、静寂が包む部屋の中、気乗りしないまま足を進めた。
とは言えほぼ寝たきりの王女は特にわがままを言うことなく、ただ静かに窓の外を見ているだけ。
食事も然程食べないから、僕は料理の乗ったトレーを横目に思わずため息を吐き出した。
「またこんなに残して……。食べないと元気になれませんよ」
「あなたは私が死んだ方が嬉しいでしょう?放っておいてください」
「別にそこまでは思ってませんけど」
「思っていないとしたら、早く元気になって学院に行って欲しいのですね。セラさんの手紙が受け取れなくて残念そうですもの」
まあ言われてしまえばどちらも否定は出来ないものの、口では「そんなこと思っていませんよ」と返すことしか出来ない。
いくら体調が悪くても面倒な性格は健在のようだ。
「今何通貯まったの?」
「四十八通ですよ」
「そう。まさかここまで続くと思わなかったですけど」
「約束覚えていらっしゃいますよね」
「覚えていますよ」
あと二通。
きっとセラは書いてくれる筈だと信じることが出来た。
一生懸命手紙を書くセラの姿を思い浮かべて思わず口元を緩めたけど、いつのまにか王女は窓の外ではなく僕を見ていたらしい。
嫌なものを見る目つきで僕を睨みつけていた。
「随分と嬉しそうですね。まだあと二通必要なのに」
「ですがこのままなら貰えると思いますよ」
「どうでしょう。人の気持ちはいきなり変わることもありますから」
相変わらずの卑屈な物言いにうんざりしてしまうけど、相手は病人だと言い聞かせ、半ば無理矢理苛立ちを抑え込む。
そして寝台に座る王女に、水の入ったコップを差し出した。
「この水には療養効果を高める成分が入ってるそうですよ。お飲み下さい」
「気が進まないです。どうせ飲んでも元気になんてなれないから」
「でも飲まないよりかは飲んだ方がいいと思いますよ」
もう夜も遅い。
この人がこれを飲んでくれない限り僕の仕事は終わらないから、さっさと飲んで欲しかった。
最近は唯一の心の拠り所であるセラからの手紙を受け取れず、正直気持ちも荒んできている。
少しでも癒されるために、今までの手紙を読み返す日々が続いていた。
「五十通貯まって総司さんがお返事を書くとして、その後はどうなさるおつもりですか?」
その後のことは正直まだ分からなかった。
とにかく僕の気持ちが変わっていないことや、返事を頻繁に出せない理由を伝えたいという気持ちが一番だった。
それに次、僕はいつ返事を書くことを許されるのだろう。
それを聞いてみるのもいいかもしれないと、窓の外を眺めたままの王女に言葉を返した。
「その後は、また五十通貯まったらお返事を書かせて頂けるんですか?」
「さあ、それはまだ分からないです」
「それでしたら僕も何とも言えませんよ。ただあの子が許してくれるなら、手紙は毎日貰いたいですけどね」
僕が逆の立場なら、返事が貰えなくとも僕のことを知って貰いたいから書き続けたいと思う。
きっとセラも同じ気持ちでいてくれる筈だと思えるからこその言葉だった。
「総司さんって傲慢で図々しい方ですね。セラさんの負担になるとは思わないのですか?」
「勿論負担になってるなら無理には頼みません。でもそんなことを想う子ではないんで」
「随分と信頼されているのですね」
「信頼関係がなければ専属騎士の仕事は務まりませんよ」
僕達は合間時間を使って今まで沢山の会話をしてきた。
互いが辛い時も支え合って乗り越えてきたからこそ、今の絆が生まれたと思っている。
だから脆く壊れてしまうことなんて絶対にないと信じたいけど、こうして会えないと不安にはなる。
けれど僕の不安は、セラの気持ちに対してではなく、僕の愛情があの子に届いているかどうかだった。
「あんなに愛情深いお手紙を毎日のように受け取ってるんですもの、総司さんはそう思えますよね。でもセラさんはどうかしら?」
「僕を信じてくれているからこそ、セラも手紙を書いてくれているんだと思いますけど」
「でも手紙を渡す時のセラさんは、いつもとても不安そうですよ?この前は、私が聞くまでご自分からは出さなかったですし」
控えめなセラの性格を考えれば、返事がないのに書き続けたら僕に迷惑がかかるかもしれないと考えてしまいそうで、不安が広がる。
あと二通……その二通を貰える確証がないことは僕自身もよく分かっていた。
「それでも僕は信じてますよ。あの子は絶対に書いてくれます」
僕のその言葉に王女は何も返答しなかったものの、その微笑みには僅かな苛立ちの陰が差して見えた。
けれど何食わぬ顔で「水を飲みます」と言った彼女に再びコップを差し出すと、僕に驚くべきことを告げてきた。
「総司さんが口移しで飲ませて下さいませんか?」
最初は何を言われたのかあまりよく理解出来なかった。
そして理解出来てからもまた僕を小馬鹿にするための冗談か何かだろうと思っていたけど、その瞳はいつになく鋭く、僕の身体には嫌な汗が伝った。
「冗談はやめて下さい、僕には従えません」
「これは命令です、あなたに拒む権利はありませんよ」
「では国王陛下の許可を頂いてまいります。そのようなことを王女殿下にしたと知れたら、僕の立場は危うくなりますから」
「いいですよ。ではお父様に許可を頂いてきて下さい。けれど私があなたに無理矢理何かされたと言えば、もっと面白いことになりそうだと思いませんか?」
「それは脅迫ですよね……。僕は王女殿下に忠誠を誓った騎士であり命令に従うことが僕の務めであることは分かっていますけど、それが人としての尊厳を失うものであれば僕は従えません」
「尊厳?ではあなたがその尊厳にしがみつくことでセラさんを守れると言うの?彼女を守るためにあなたはここにいるのかと思っていたのだけど、違ったのですね」
冷たくも挑戦的な言葉に、まるで命綱を握られたような感覚だった。
屈辱と苦悩に苛まれながらも、まるでセラの安全とセラの心を天秤にかけられているようで、奥歯を噛み締めることしか出来なかった。
「王女殿下の目的は何です?僕を陥れたいんですか?」
「いいえ。総司さんがセラさんとの絆に随分と自信がおありのようだったので、それがどれ程のものか見せて頂きたくなっただけです。それに今更あなたを嵌めようだなんて思っていないわ。大罪にして追い出してしまったら、また退屈になってしまうもの」
「ただの遊びで僕やセラを弄ぶのはやめてください」
「どうしてここでセラさんの名前が出てくるの?あなた方は恋仲ではなかったのでしょう?それなのに何をそんなに気にされているのか分からないです」
確信的にとぼけてそう告げる王女は、いまだに微笑みながら小首を傾げている。
「それに事実があってもなくても、私はいくらでもセラさんに作り話をすることが出来ますよ。あなたが命令に従えないと言うのならそれでも構わないけど、私は待たされるのも駄々を捏ねられるのも嫌いです。これ以上私の機嫌を損ねるのでしたら、私の命令に従うよりずっと辛い思いをすることになると思いますけど、それでも宜しいんですね」
「辛い思い……ですか?」
「例えばセラさんがあなたに愛想を尽かすように仕組むことも容易いということです。たったの二通のお手紙すら、もう受け取れなくなってしまうかもしれませんね」
今までの行いを見れば、この王女に慈悲があるようには到底思えない。
恐らく従わなければ、僕はおろかセラを巻き込んで良くない事態になることを目に見えていた。
悔しさから震えた手で僕がグラスを持つと、「懸命な判断ですよ」と王女は笑う。
少し苦みのある水を口に含み、心を殺して王女の口へとそれを流し込んだ。
けれど僕の首筋に腕を回した彼女は、そのまま僕を力強く引き寄せ舌を絡ませてくる。
その悍ましい感覚に目を瞑って耐え、唇が離れた時には彼女を思い切り睨みつけていた。
「ふふ、よく出来ました」
「……僕はこれで失礼します」
「このこと、セラさんには言わないから安心して?でも総司さんが生意気だったり私の命令に歯向かったりしたら、このことを話してしまうかもしれないわ。なので従順な騎士でいて下さいね」
王女の言葉に頭を下げて、息苦しい部屋から出る。
一刻も早く洗い流したいと思っていたけど、そんな僕の視界の先には部屋の前で壁に寄りかかりながら僕を見つめる王太子の姿があった。
「千鶴の看病?」
「そうですよ。もう終わりましたけどね」
「そう。お疲れ様」
初めてかけられた労いの言葉と意味深な笑みに眉を顰めたものの、王太子はそのまま僕に背を向け自室へ入る。
僕も足早に自室へと戻り、今の感覚を消し去ろうと洗い流した。
けれどいくら濯ごうが、今の事実も胸を裂く罪悪感も消えてはくれない。
手のひらの上で踊らされているこの状態を悔しく思うのと同時に、セラへの申し訳なさで胸が押し潰されそうだった。
「くそっ……」
いつまでこんな生活をしなければならないのかと、苛立ちから洗面台を拳で叩く。
そして今の行為をいつかセラに告げられやしないかという節操感が、僕の胸を再び苦しめた。
きっと全ての事情を話せばセラは理解はしてくれるだろうと信じながらも、あの子を悲しませることには変わりない。
最後の日の悲しみを堪える泣き顔を思い出す度、僕の心は締め付けられたように苦しくなった。
それでも僕は会うことは愚か、手紙を出すことさえ出来ない身だ。
あまりにも不自由なこの状況に一人やるせない想いを抱えて、セラの笑顔を思い浮かべることしか出来ない僕がいた。
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