7
次の日。
その日は雨で静かな宮廷内には雨の音だけが聞こえていた。
再び同じ命令を出された僕は、王女にされるがまま、屈辱の行為に眉を顰めることしか出来ないでいた。
「総司さん、こういうこと初めてじゃないでしょう?」
「お答えする義務はありません」
「セラさんともこういうことしてらしたの?」
顔を背け腰掛けたベッドの上から立ちあがろうとすると、再び彼女が僕の襟元を掴む。
そして僕を試すように笑って瞳を細めた。
「もう一度お水が飲みたいです。けれどちゃんと最後まで私を満足させてくれないと、何度もやり直しになるだけですよ」
「……どういう意味です?」
「お人形のようになってないでご自分でも舌を動かしてと言っているの。好きな人とするように気持ちを込めてして下さいね」
「それは無理ですよ」
「そう。出来ないならいいわ、二度とセラさんに会えないようにするだけだから」
人間というものは、一度過ちを犯してしまうとその過ちに対しての罪悪感は多少なりとも減るという。
けれど僕の場合、この人に触れられれば触れられるだセラだけに愛情を注いできたこの身が汚れ、心が濁っていく感覚だった。
再び触れた唇と舌先の感覚はどうしても悍ましく感じ、今度は耐えられず自ら離す。
すると王女は冷たい視線を僕に向け、そのまま鋭く睨みつけた。
「今のはやり直しですね」
「何の意味があってこんなことするんです?」
「セラさんがあなたのどこに惹かれたのか知りたいの。だからセラさんが感じていたものと同じものを私にも感じさせて?あなたの愛が感じられたら今日はそれで終わりにしてさしあげますね」
「僕はセラとは何もしていませんよ」
「そう。あなたが正直に話して下さらないならセラさんに確認するしかないですけど、それでも認めないのですか?」
思わず黙り込んだ僕の態度から、肯定を意味していると悟ったのだろう。
王女は満足気に微笑むと、再び僕に告げた。
「いいですか?私をセラさんだと思ってしてください。きちんと出来なければ今夜はずっと眠れませんよ」
過度なストレスで身体や心が限界に近かったんだと思う。
何度も繰り返される地獄より、一度言われた通りにやり切る方がずっとマシに思えた。
余計な感情は捨て、愛らしいセラがここにいると想像すれば、僕の心はセラを求めるように動き出す。
頬を寄せ唇を近づけ、敢えて何も感じず済むように瞳を閉じた。
香りも触れた感覚も何一つ違うから、今までのセラとのキスを思い出す。
愛らしい頬を染めた顔を思い出すだけで自然と舌は動き、セラを求めて深いキスは繰り返された。
「……はぁ……総司さん、すごい……全然違うんですね……」
目を開けて我に返り、咄嗟に身体を離す。
沸き立つ罪悪感は、昨晩感じたものよりも更に酷いものだった。
「そう……、これがセラさんがずっと感じていた温もりなんですね……」
うっとりと嬉しそうにしている王女のただならぬ様子に眉を顰めるも、今はただ吐き気がする。
僕達を引き離した奴をセラに見立てるという最低な行為に、自分自身にすら怒りを覚えた僕がいた。
「ありがとうございます、満足しました。またお願いしますね」
「なんでです?この一回で終わりの筈ですよね」
「何をおっしゃるの?それは今夜の話でしょう?」
「……王女殿下、本当にもうご容赦下さい。僕はこんなことをするためにここに来たわけではないですよ」
「あなたは私を楽しませるためにここにいるんですよ。あなたがここにいる限り、セラさんの愛らしい顔を沢山見ることが出来るから置いてさしあげているだけです。総司さんに他の役目があるとでも思っていらっしゃるのですか?」
つまり日中に与えられた任務や稽古はただの建前で、僕の存在価値なんてこの人からしたらその場限りの玩具と同様なのだろう。
その腐った性根に殺意を覚えるものの、僕はまた全てを飲み込むことしか出来なかった。
「そんな反抗的な目をしては駄目ですよ。明日は学院に行く予定です。セラさんからの手紙をきちんと受け取ってきますので、楽しみされていて下さいね」
にこやかに話すこの人は一体何がしたいのかと苦い気分でいると、不意に部屋のドアが開き、制服姿の王太子が部屋へと入ってくる。
朝から姿が見えないと思っていたけど、珍しく一人で学院に出向いたらしい。
機嫌が良さそうに、王女の前のソファーに腰掛けた。
「薫、まさか一人で学院に行ったの?」
「ああ、行ってきたよ。お前はもう起きて平気なの?」
「ええ、明日からは私も学院にも行ける予定なの」
「回復したなら良かったね。これも沖田の献身的な看病のお陰かな」
皮肉な笑みを浮かべそう言った王太子から視線を逸らしたものの、鞄から何かを取り出そうとしている。
そしてそれは見覚えのある封筒だったから、僕の目は見開かれた。
「今日は千鶴の代わりに俺が手紙を預かってきてあげたよ。感謝するんだね」
今日も受け取れないと思い込んでいたから、その手紙はいつもより更に特別なものに感じられる。
今直ぐにでも中を見たい衝動に駆られたけど、その気持ちを抑えて僕は深く頭を下げた。
「王太子殿下、ありがとうございます」
「良かったね。これで四十九通目、残りあと一通だ」
王女とはまた違う意味で捻じ曲がっている王太子は、何故こんなにも楽しそうにしているのか。
その表情の裏に隠された真意を探ろうとしても、僕には何も分かることはなかった。
「珍しいわね、薫が一人で学院に行くなんて」
「いつまでも俺達が休めばセラが寂しがるかもしれないだろ?」
「つまりセラさんのためなのね。彼女、元気にしてらした?」
「どうだろうね。でもお前のこと心配してたよ。ほら、これは千鶴宛の手紙だ」
「セラさんが私に?」
「お前に渡せるようにずっと持ち歩いていたらしいよ」
王女はその手紙を見つめると、頬を少し染め嬉しそうに口元を緩める。
その姿だけ見ればとても先程までの悪魔のような姿は想像出来ないけど、この二人とセラがどのような関係を築いているのか考えると不安でしかなかった。
「これは後でゆっくり読まないと。ふふ、セラさんは私のこと心配して下さっていたのね」
「お前のこと、色々考えてたみたいだよ。聞かせてあげたかったよ」
「セラさんは何て言ってたの?教えて?」
「さあね、明日にでも自分で聞けば?」
「もう……、薫ってばいつもそうなんだから」
僕を蚊帳の外で盛り上がっている二人を目の前に、早く手紙が手渡されることを待つことしか出来ない僕がいる。
その視線に気付いた王太子が、また嫌な笑みを浮かべて僕を小馬鹿にしたように話し出した。
「ほら、千鶴。お前のペットが早くご褒美が欲しいってこっち見てるよ。これ、渡していいの?」
「駄目よ、まずは中身を確認しないと」
手紙を受け取った王女は丁寧に封を開けると、早速それに目を通し始める。
すると直ぐに口元には笑みがこぼれ、満足そうに小さく笑った。
「今日のお手紙もとっても愛らしかったわ。特に最後の方がもう……」
「ふーん、見せてよ」
セラが書いてくれた僕宛の手紙を、こうして僕より先にこいつらに読まれることに屈辱を感じる。
そのくせ文句すら言えずに言いなりになるしかない僕は、王太子が言っていた通り王族のペットに過ぎなかった。
「私は総司に手紙を書くと、総司とお話が出来てるみたいで幸せです。でも毎日のように送り続けることで、総司の負担になっていないか、それだけが心配です。私のことは大丈夫なので、もし何かあれば千鶴様を通して教えてもらえると嬉しいです……だってさ。健気だね」
今まで毎日の出来事や細やかな想いが書かれていただけの手紙に、初めてセラの不安が感じられる言葉が書かれていた。
あの子のことだ、これを書くまでもきっと何度も迷って、何通も見送ったのかもしれない。
今までの四十九通は、僕が思うよりずっとセラにとって長くて不安なものだったのだろうということに気付いた瞬間だった。
「お前はよく平気だね。こんなことまで書かせて、あいつが可哀想だと思わないの?」
「僕だって今直ぐにでも返事を書きたいですよ。でもそれを許してくださらないのは王女殿下ですよね」
「人聞きの悪いこと言わないで下さいませんか?お返事を出せないことを知っていて、それでも手紙を受け取ることを決めたのは総司さんでしょう?」
「僕は少しでもセラの近況が知りたいんですよ。あの子からの手紙がなければ何も分からないじゃないですか」
「でもセラさんは今、その状況ですよ?それでもあの方は笑顔を絶やさず私達にも文句を言わず堪えていらっしゃいます。それなのに総司さんは何かあればすぐ態度に出して、手紙を受け取る時すら仏頂面。情けないと思わないのですか?」
「本当にその通りだね。お前も少しはあいつを見習ったら?」
散々な言われようだけど、確かに僕は気が長い方ではないしセラのように優しい性格の持ち主ではない。
だからこそ僕にない魅力を沢山持つあの子に惹かれ、恋をした。
今は恋と呼ぶには重過ぎるまでにこの気持ちは大きくなってセラを求めて止まないけど、僕が責められる分にはまだいい。
どうかこの二人の矛先が、これ以上セラに向かないことを願うばかりだった。
「そうですね、今後は心得てまいります」
「口先だけでは困りますよ。では、これを。大切に読んで下さいね」
「ありがとうございます」
この一通の手紙の重さや大切さを噛み締めながら、僕はその手紙を受け取った。
その様子を見ていた王太子は、再び含みのある笑みを浮かべて僕を見つめた。
「今日はさ、セラと千鶴の話もしたけどお前の話もしたよ」
「……僕の?」
「可哀想に、ずっと我慢してたんだろうね。今日は今にも泣きそうになっていたよ」
「セラさんが?薫、何か余計なことはしてないわよね」
「してないよ。ただ俺は嘘偽りなく沖田のことを教えただけさ。そうしたら悲しそうに目にいっぱい涙を溜めて、でも絶対泣くまいと唇が切れるまで噛んでたよ。あんな顔をさせるなんて、お前は本当に酷い奴だね」
心臓が嫌な音を立てたのは、僕には絶対に知られてはならないことがあるからだ。
こいつがそれを知っているのか分からなかったけど、昨晩からの不適な笑みを思い出せば、嫌な予感は拭い去ることが出来なかった。
「……何の話をしたんです?」
「さあ、なんだったかな。ああ、でも……お前の話はもう聞きたくないって辛そうに言ってたよ。明日からは手紙も貰えないかもしれないね」
「セラに何を言ったんですか……!」
「はは、一人でなに熱くなってるの?」
「どうしてあの子を傷付けるんです?セラは何もしてないはずだ……!」
「そうだよ、悪いのは全部お前だろ?その態度の悪さ、どうにかしたら?」
再び王太子に食ってかかろうとした僕は、王女に名前を呼ばれたことによって静止させられる。
悔しさから歯を食い縛るも、そんな僕を横目に王女は大きなため息を吐いた。
「薫が何を言ったのかはわからないけど、残念です。私もセラさんの愛らしい顔が見たかったのに」
「あいつはどうしようもない馬鹿だけど、確かに可愛いね。沖田が護りたくなるのも分かるよ」
「ふふ、ようやく薫もセラさんの魅力に気づいてくれたのね」
「まあ、こいつなんかよりずっと虐めがいはあるかもね」
「セラには何もしないで下さい。近衛騎士になるかわりに、あの子に不利益を与えないよう約束してくださったはずですけど」
「ええ、そうですよ。ですが私達、別にセラさんに不利益なんて与えていないです。むしろ今の私達は彼女にとってあなたと繋ぐ唯一の架け橋なんですから、いつもとても感謝されていますよ」
「それは王女殿下がそうなるよう仕向けただけの話ですよね」
「全然分かっていらっしゃらないみたいなので言わせて頂きますけど、セラさんにとって一番不利益なのはあなたの存在です。立場をわきまえなさい」
虫けらを見るような瞳を向けられ、言葉を返す気力すらなくなった。
この人達の前、僕が何を言っても通じない、伝わらない。
それなら従順を装い、せめて憎まれないように動くべきだったと後悔もした。
でも僕はセラが傷付けられているのを知って黙っていられるわけがない。
苛立ちのまま頭だけ下げ一人自室へと戻った僕は、少し震えてしまった手でセラからの手紙の文字をなぞった。
「セラ……」
ここに来て初めて、自分の気持ちが不安で染まるのを感じた。
明日手紙が貰えないことを考えると、怖くて堪らなかった。
そしてセラがこの三ヶ月以上、毎日こんな想いで過ごしていたのかと知れば、僕が求めてしまったこの五十通はあまりにも残酷なものだったと気付く。
今泣いているかもしれないセラを思えば、あいつらを切り捨てて今すぐ会いに行きたい衝動に駆られた。
「会いたいよ、君に……」
会って全てを話したい。
その悲しみに触れて、涙を拭ってあげたかった。
でもここでの暮らしはいつまで続くかも、終わりが来るのかも分からない。
打開策すら見えないままただ彼女を想い続けることしか出来ない自分の無力さに、ただ涙を堪えることしか出来なかった。
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