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「セラ、あまり食べられていないようだが……平気か?」


ダイニングのテーブルをぼんやりと眺めていると、不意にお父様から声を掛けられた。
いつも多忙な筈のお父様は、総司がこの城からいなくなって以来、こうして頻繁に私と一緒にお食事を摂ってくれる。
きっと私のためにお仕事の予定を調整して下さっているのだと分かっていたから、お父様の前でもせめて笑顔は崩したくなかった。


『はい、全然元気ですよ。今日は少し間食をしてしまって、それでお腹が膨れてしまっただけです』

「ならば良いが、あまり顔色が良くないぞ。今夜は早く休みなさい」


今夜は伊庭君も任務で戻りが少し夜遅くなるらしい。
久しぶりに思い切り泣いても大丈夫だと思うと、喉の通らない食事は早めに終えて、自分の部屋に戻りたかった。


『ご馳走様でした。お父様、今日はお部屋に戻りますね』

「最近部屋にいることが増えたようだが、学業の方が大変なのか?」

『いえ、大変ではないですし色々学べて楽しいですよ。今夜は終わらせたい課題があるので頑張ってきますね』


人と過ごす時間が好きだった私も、今ではすっかり引きこもりがち。
その理由は、皆の前で涙を堪えることが辛く感じられたからだった。
それでなくても私の周りは優しい人達ばかりで、私の気持ちを察して、とても優しい言葉をかけてくれる。
それがまた弱い心をむき出しにさせるようで、少し辛くも感じられた。


自室に戻り、先に寝支度を整えた私は、日課のように手紙を書こうと、机の上にレターセットを広げる。
これはつい先日新しく用意した、私のお気に入りのものだった。
でも何度新しいレターセットを用意しても、いまだに総司からの返事はない。
千鶴様と薫様の様子からは、総司の意思で返事を書いていないことが窺えたから、文字を書く前に私の手は止まってしまった。


『……う……、ど……して……』


信じたくはないのに、あの時の薫様は嘘を吐いているようには見えなかった。
それと同時に今まで目を背けていたこと全てが、一気に頭に蘇ってきた。
総司が私の手紙を無愛想に受け取っていることや、室内での仕事が一番気楽だと言っていたこと。
そして今日の薫様の話や、声楽の練習の時のこと。
その全てを考えると、もしかしたら総司はとっくに千鶴様を選んでいて、それを私に悟られないよう離れたかったのかもしれないとも思えてしまう。
だから出立の日の前日、私を千鶴様のところに行かせなかったし、彼女の近衛騎士になることを選んだのかもしれない。


『……っ……』


違う、絶対違う。
私の見てきた総司は、絶対にそんな人じゃない。
気持ちが変わることがあったとしても、それを誤魔化すように嘘を付く人ではないと信じられた。
正直今の総司の状況は分からないから、結局不安は消えないし涙も止まらないけど、私の総司を想う気持ちは変わらないし信じたい気持ちも変わらない。
それならまた手紙を書こうと、震えた手で羽根ペンを持った。

もう何通も何通も書いて、総司と離れてから三ヶ月以上。
私は総司に会いたくて堪らない。
総司の優しい声を聞きたいし、あの温かい笑顔を私に向けて欲しかった。
でももし薫様の言っていたことが本当で、総司が私にしていたように千鶴さんに触れていたとしたら、それはとても辛過ぎる。
たとえ事情があったとしても、私の心は張り裂けそうに痛かった。

それでも今の私に出来ることは、届けて貰うことの出来るこの手紙を書くことだけ。
そのたった一つのことすら出来なくなるのは嫌だったから、懸命に手紙を書き進めた。
少し震えてしまった文字もあるけど、最後に書いた私の落書きが私を励ましてくれるよう。
泣き過ぎて痛くなってしまった目尻を拭い、手紙を大切にしまった夜だった。



結局、その日の夜はベッドの中で朝まで眠りにつくことが出来なかった。
悲しい気持ちとは別に、心に穴が空いてしまったような……言葉では言い表せないような損失感。
まるでもう総司を失ってしまったかのような心情で、私は朦朧としたまま身支度を整えた。
流れる景色を眺めながら学院に向かい、いつものように授業を受ける。
そして移動教室のため伊庭君と並んで歩いていると、階段の手前でよく知った声に話しかけられた。


「セラさん、ごきげんよう」


綺麗な笑顔で声を掛けてきて下さったのは千鶴様だった。
隣には薫様がいて、昨日の話を思い出してしまえば、またうまく息が吸えなくなった。


『ごきげんよう、千鶴様、薫様。お身体は大丈夫ですか?とても心配していました』

「おかげさまで元気になりました。昨日は温かいお手紙、どうもありがとう。とても嬉しくて何度何度も読んでしまいましたよ」


笑顔で話す私と千鶴様を横目に、薫様は意味深な笑みを浮かべている。
その眼差しは、まるであのことを知った私がどのように千鶴さんに接するのか観察している様子だった。


『それは良かったです、無理はなさらないで下さい。私に出来ることがあったらいつでも声を掛けて下さいね』

「ありがとうございます。お昼にまたゆっくりお話しましょう?」

『是非、楽しみにしています』


私がそう言った時、横にいた伊庭君が先生に声を掛けられ窓際で話し始める。
その姿をぼんやり見ていると、不意に薫様が私を見つめ話し掛けてきた。


「ねえ、今日は手紙は持ってきたの?」

『はい、持ってきました』

「へえ……、驚いたよ。お前、諦めが悪いんだね」

「薫、あまりセラさんを虐めないで」

「虐めてないよ。まあ、千鶴もようやく学院に通えるようになったし、今日から俺達がまたお前の相手をしてあげるからありがたく思うんだね」

『はい……』

「本当に回復出来て良かったです。昨日まで総司さんにも看病して頂いてたんですけどね」


会話の途中から頭がくらくらして、ただ諦めが悪いと言った薫様の言葉を皮切りに息が余計にうまく吸えなくなる。
千鶴様の言葉で更に胸が苦しくなった時、上手く酸素が取り込めなくなって自分の息が荒くなってしまっていることに気付いた。


「セラさん……?」


気持ち悪くなり視界が歪んだ刹那、冷や汗が全身を纏い、意識が遠のく気がした。
私の名前を叫ぶ伊庭君の声や千鶴さんの悲鳴が聞こえたのを最後に、私の意識は途絶えていた。




それからどのくらい経った頃だろう。
気が付くと私は自分の部屋のベッドで寝ていた。
横を見れば涙目で私を見つめる伊庭君が、その目を大きく見開いた。


「大丈夫ですか……?」

『伊庭君……、私どうしてここに?』

「君は学院で倒れたんですよ……。倒れた時にそのまま階段から落ちてしまったんです」


全然覚えていなかったけど、確かに身体中の色々なところが痛い。
そして現実に戻れば、また胸の奥が痛くなった。


「君を助けられず……本当に……申し訳ないことをしました……」


絞り出すように告げられた伊庭君の言葉を聞いて私の頭は一気に目覚める。
私がしっかり体調管理を出来なかったせいで、伊庭君に負担を掛けてしまったことが申し訳なくて堪らなくなった。


『違うよ、私がいけなかったの。最近あんまり食欲なくて……それで貧血みたいになっちゃっただけなの。伊庭君は謝らないで』

「ですが……きっと沖田君でしたら君を護れてましたよね」


辛そうに吐き出された言葉を聞いて、私がずっと落ち込んでいたから伊庭君の自信すら奪ってしまっていたのかもしれないと気が付いた。
伊庭君だってとても立派な騎士で私のことを大切にしてくれていたのに、私は総司のことばかり考えて近くにいる彼のことをきっと大切に出来ていなかった。
それに気付いてしまえば、思わず視界は歪んでしまったけど、これだけは伝えたいと口を開いた。


『そんなこと言わないで……。私はいつも伊庭君に護ってもらえることに、本当に感謝してるよ。優しい言葉も沢山かけてくれるし、私の体調もいつも気にしてくれる。本当にいつも助けて貰ってるんだよ』

「ですが、君に怪我をさせてしまいました。脚なんて……骨折です。頭も打ってしまいましたし」

『それは私が体調管理出来ていなかったからいけないんだよ。私はね、自分の力ではどうにもできない危険から護ってもらえることは嬉しいけど、自分で管理すればいいことまで専属騎士の人に任せようなんて思ってないよ。だから今回のことは全部私のせい。伊庭君は何も悪くないからね』


眉尻を下げながら微笑んでくれた伊庭君は、私のベッドの横の椅子に腰掛けたまま、そっと私の手を取る。
総司とはまた違う伊庭君の手も、温かくて安心出来る温もりだった。


「次はこのようなことがないように君を護ります。これは役目だからではなく、僕がそうしたいからです。なので沖田君には負けません」

『ふふ、ありがとう』

「大丈夫ですか?朝……少し辛そうに見えたんです。今日は学院をお休みすれば良かったですね」

『ううん、学院には行きたいの。それに今たくさん寝たからなのかな、すっかり元気になっちゃった』

「それから良かったです。今日は久しぶりにゆっくり休まれて下さいね」

『うん、そうする。ありがとう』


今日は手紙を渡せなかった。
でも総司が私からの手紙を待っていてくれているかも分からない今、これで良かったのかもしれないと思ってしまう私もいる。
変に期待をするからこの胸が苦しくなるのだとしたら、全て諦めてしまった方が楽なような気もした。

でも結局私は、今日も明日も総司に手紙を書くのだろう。
そしてまたあの微笑みを向けてもらえることを待ち望んでしまうのだろう。
だってそれは私の気持ちであって、自分自身でも変えられない。
自分の気持ちに嘘をついたら、私が私でなくなってしまうから、それだけは嫌だと思った。


『私ね……、多分また伊庭君に迷惑かけることがあると思う……』


私の言葉に耳を傾けてくれた伊庭君の視線が私の視線と重なる。
揺れた瞳はただ真っ直ぐに、次の言葉を待ってくれていた。


『前を向かないと駄目だって分かってはいるんだけど、たまにどうしようもなく不安になる時があってね、もしかしたら暗い顔をしちゃう時もあるかもしれないしお昼ご飯……あまり食べられない時もあるかもしれない。そんな私を支えくれる伊庭君はとても大変だと思うから、申し訳ない気持ちが沢山あるんだけど……でも、伊庭君がいることで沢山救われてるし、助けて貰ってるから……頼りない主人だけど、これからも仲良くして貰えたら嬉しいよ』


伊庭君に「宜しくお願いします」と言って頭を下げたら、彼は嬉しそうに微笑んでくれた。


「勿論です。君のことを頼りないと思ったことはありませんが、辛い時は僕が支えますし、暗い顔している時は隣にいます。食欲がない時はあっさりしたものを用意して差し上げるのもいいですね」

『ふふ、それだと至れり尽くせり過ぎちゃうよ』

「念願の専属騎士になれたんです。僕も後悔しないように色々手を尽くしたいんですよ。自分の成長にも繋がりますからね」

『ありがとう。その気持ちだけでお腹いっぱいかな』

「駄目ですよ、ちゃんと食べないと。今君が目を覚ましたことを話してきます、料理長にもおいしいご飯を作って貰ってきますね」


笑顔で部屋を出て行く伊庭君にお礼を告げて、これから先のことを考える私がいる。
そして無意識に触れた首元のペンダントに想いを乗せて。
この悲しみに一日も早く向き合っていくことができますようにと願っていた。


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