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私は昨日、学院内で気を失ってしまったらしい。
倒れた場所が階段の踊り場だったため、そのまま運悪く階段の下まで落下したと聞いた。
途中の段差に打ち付けたのか所々に擦り傷やあざがあり、足の脛なんて骨折してしまっている。
昨晩お風呂に入れなかったため、今日は侍女の方々に沐浴を手伝って貰ったけど、結局頭や腕、脚も包帯ぐるぐる巻きにされてしまった。


『松葉杖はなかなか慣れないですね』


学院をおやすみした私は、邸内の図書室で本を選んでいた。
私に同行してくれた山南さんと山崎さんに笑顔で話しかけると、お二人にとても悲しそうな顔を向けられてしまった。


「痛々しいお姿になってしまいましたね。無理に歩かず寝ていた方が良いですよ」

「俺もそう思います。お嬢様が心配でなりません」

『ご心配おかけしてごめんなさい。でも私は全然元気ですよ。骨もあざもすぐに治ります』

「そうだといいのですが、安静になさってください。こんな姿を沖田君が見たら驚かれてしまいますよ」


山南さんが口に出した何気ない一言に、思わず瞳が潤んでしまった。
涙を堪えようと何も話せなくなった私に、お二人は優しく声を掛けてくれた。


「我慢せずに悲しい時は泣いてもいいんですよ。無理は身体に良くないですからね」

「お嬢様は無理をし過ぎです。この前のテストでも首席だったそうですが、何もそこまで頑張らなくてもいいと近藤さんもおっしゃっていましたよ」

『全然無理はしてないんです、本当に。そういうことではなくて……』


そう、無理をしているわけではない。
勉強は余計なことを考えなくて済むから頑張れたし、人前で泣きたくないのも私の意思だ。
唯一無理していることがあるとすれば、この寂しい気持ちを抑え込まなければならないことだけど、これはもう仕方のないこと。
総司を想う限り続く悲しみだ。


「呼び鈴がなりましたね。こんな時間に来客の予定はなかった筈ですが」

「お嬢様は俺と部屋に戻りましょう」


来客を知らせる鐘がなり、山南さんは私に笑みを向けてその場から去って行く。
私も山崎さんと並んで、お部屋と戻ってきた。


「後ほどまた様子を伺いにまいります」

『ありがとうございます』

「と思ったのですが、久しぶりお嬢様の髪を結いたくなりました」

『ええ?随分突然ですね』

「はい。少し自分に任せて頂けますでしょうか」


私が笑うと山崎さんも安堵したような柔らかい笑みを浮かべてくれる。
優しいお城の方々に癒されて、こうしていると私はまだ頑張りたいと思うことができた。


『山崎さんは器用ですね。こんなに可愛い髪型作れるなんて』

「お嬢様がお美しいから髪型も映えるんですよ」

『ふふ、ありがとうございます』


上半分のサイドの髪が編み込みされていて、とても可愛い。
包帯がなければ完璧だけど、髪型が変わると少し気分も上向きになれた。
ベッドサイドに腰を下ろした私は、山崎さんに挨拶をして松葉杖を置く。
すると、ものの数秒で山崎さんが血相を変えて戻ってきた。


「お嬢様……!」

『はい?』

「お嬢様にご来客です」

『私に?』


時計を見ればまだお昼過ぎ。
千ちゃんかもしれないと考えたけど、本来であれば今はまだ学院にいる時間だ。
首を傾げて「どなたですか」と尋ねた私に、山崎さんは少し苦い顔をして言った。


「ルヴァン王国の王太子殿下と王女殿下がお嬢様のお見舞いで今こちららにお越しになったおります」

『……はい?』

「しかもお嬢様のお部屋でお話したいそうなのですが……こちらにお通ししてしまって宜しいでしょうか?」


……このお部屋に千鶴様と薫様が?
慌てて周りを見回してみたけど、気になるのは少しぬいぐるみが多いことくらい。
王族の方がいらっしゃってくださったのに指定された場所を変えるのも気が引けて、私は頷くことしかできなかった。


それから暫くして、部屋の扉がノックされる。
緊張しながら立ち上がり、松葉杖を使って少し歩くと、あのお二人が部屋へと入ってこられた。


『千鶴様、薫様……本日はわざわざご足労頂きありがとうございます。まさかお二人に来て頂けるなんて思っていなくて、このような格好のままでごめんなさい』

「格好は気になさらないで、今日もとても可愛いですよ。こちらこそ急なご無礼、お許しくださいね。セラさんが心配で……。お身体は大丈夫ですか?」

『お心遣い感謝致します。身体はこの通り元気ですよ』

「ははっ、この通りって。ぼろぼろじゃないか」


確かに今は包帯ぐるぐるだからそう見えるかもしれないと、薫様に苦笑いをこぼす。
そんな私の手を引きベッドサイドへと座らせてくれた千鶴様は、山崎さんが看病用に用意してくれた椅子に座り、薫様は近くのソファーへと腰掛けた。


「昨日は驚きました、いきなりセラさんが倒れてそのまま階段を落ちてしまったんですもの。とても心配していたんです」

『ご心配頂きありがとうございます。階段から落ちるなんてお恥ずかしいです』

「本当にね。その脚はどうしたの?」

『少し骨折を……。でも二ヶ月もあれば完治するみたいですし、松葉杖も一ヶ月程度で済むみたいなので軽傷です』

「そうは言っても不便ですよね。ご無理はされないで下さいね?」

『はい、早く回復出来るように頑張りますね』


この二人を見ると、また総司のことを思い出してしまう。
そして多分私は、総司と仲の良いだろう千鶴さんが羨ましくて堪らないんだということに気が付いた。
こんなに綺麗で聡明な人が近くにいたら、総司だってきっとドキドキするだろうし、気持ちが惹かれてしまう筈。
綺麗に着飾った千鶴様を目の前に、自信をなくした私が思わず視線を逸らしてしまえば、私を見つめていた彼女は私の手に彼女の手をそっと重ねた。


「昨日はお会いした時からセラさんの顔色が優れなかったから気になってはいたの。その時にお休みになるようお声を掛けておけば良かったと反省していたんです」

『そんな……私がいけなかったんです。体調管理がうまく出来ておりませんでした。情けないですね』

「お前が情けないのはいつものことだろ?」

「薫はどうしていつもセラさんに意地悪ばかり言うの?」

「俺は本当のことを言っただけだけどね」

「余計なことを言うなら、薫は少し黙ってて」

「はいはい」


薫様の毒舌はいつものことだけど、なんだかんだ言いながらもお見舞いに来てくれるところは優しいのかな。
きっと優しいんだよね……と思うことにして、二人のやり取りに少し笑ってしまった。


『お二人は本当に仲が宜しいですね。見ていて癒されます』

「はははっ、俺達を見て癒されるなんて言う奴がこの世にいるとはね」

「ふふ、本当。セラさんって、この前薫も言っていたけど、少しずれていらっしゃるのかしら」

『ええ?千鶴様までなんてことを仰るんですか?』

「ふふ、ごめんなさい」


色々と考えることはある。
それは千鶴様は私と総司の関係をどこまで知っていて、どういうつもりで私に優しくしてくださるのかということだった。
千鶴様だって病み上がりだからここまで来るのは大変な筈。
それなのにこうしてわざわざ私を案じてくれるのは、この人の真心だと信じたかった。
でもそんな私の心には、薫様がこの前言った言葉によって影が落ちる。
何が真実か分からなくて、胸が温かくもあり痛くもあった。


「セラさんのお部屋、想像していた通りでとても可愛いらしいですね。女の子らしくて良い香りがします」

「この馬鹿でかいぬいぐるみはなんなの?邪魔なんだけど」

『そのテディベアは学院に入ったばかり頃に頂いたものですよ』

「へえ、沖田から?」

『あ、いえ……これは違います』


総司は私が怪我をしたこと知ってるのかな……。
知っていても、もうどうでもいいのかもしれないと考えてしまったら、また情けなく瞳が潤んでしまった。
いつまで私はこんなに一人でぐちぐち悩んでしくしく泣いて、情けない日々を送り続けなければならないのだろうと不安になる。
ここ最近は、萎みきった自分の心の膨らまし方がすっかり分からなくなっていた。


「今日はね、セラさんにお見舞い品を持ってまいりましたよ」

『そうなのですか?ありがとうございます。千鶴様も病み上がりなのに、わざわざ申し訳ありません』

「いいえ、私と薫からのほんの気持ちです。でもとても大きいものだから、セラさんは少し驚かれてしまうかも」

『大きいもの?もしかして、ぬいぐるみですか?』

「こんなにあるのに、まだぬいぐるみが欲しいの?」


くすくす笑う薫様を見つめながらも、全然見当もつかない。
首を傾げていると、千鶴様が私の手をぎゅっと握って言った。


「今からお部屋の中にお運びいたしますね。セラさんにはまだお楽しみにしたいので、目を瞑って頂いても宜しいですか?」

『ふふ、なんでしょう。とても楽しみです。目を瞑って手で隠しておきますね』


どうしよう、凄い大きなお人形とかだったら。
色々と想像しながら瞳を閉じ、両手でそっと目元を隠す。
私の耳には部屋のドアが開く音がして、一生懸命私を喜ばそうとしてくださる千鶴様の気遣いに感謝をしていた。


「セラさん、目を開けていいですよ」

『はい……』


何があるんだろう。
そう思いながら少しドキドキして目を開ける。
一気に見てしまうのは勿体ない気がしたから、私はゆっくり顔を上げた。

でも目の前にいたのは、ベッドの横で腰掛けたあの日以来の総司だった。
会いたくて堪らなかった大好きな人が、私を見つめ悲しそうに瞳を揺らしていた。


『総司……?』


信じられなかった。
都合の良い夢を見てしまっているのかと思った。
けれど総司だと確信してしまえば、何かを考えるように前に涙が一気に溢れてくる。
千鶴様と薫様がいるから慌てて口元を隠して堪えようとしたけれど、そんな私にソファーに腰掛けていた千鶴様が言って下さった。


「セラさんを一番元気に出来るのは総司さんだと思ったんです。少しの間ですけど、顔を見れば安心出来るのではないかと思い来て頂きました」

『……ありがとう……ございます……』

「私達は席を外すことは出来ないけれど、もうそんなに我慢されなくても大丈夫ですよ。今日は心を楽に過ごしてください」


総司を見るのが怖くて恐る恐る顔を上げると、総司は今までのように優しく微笑んでくれたから、また涙が瞳に溜まってしまった。
何も話せない私がただ唇を結んでいると、総司の手がそっと私の手に重ねられた。


「怪我大丈夫?心配したよ」

『ありがとう、大丈夫……』

「駄目だよ、無理したら。ちゃんと食べられてるの?」

『うん……』


再び総司の顔が見れなくなってしまったのは、決定的な言葉を言われるのが怖かったからかもしれない。
これで本当にこの人に会えるのは最後かもしれないと思えば、指先が震えてきてしまった。
けれどそんな私の手はきつく握られ、優しい声で呼ばれた名前。
その大好きな声に誘われて顔を上げれば、総司は少し泣きそうな顔で微笑んでくれていた。


「あの日から僕は何も変わってないよ。セラに言ったことも、何一つ変わってないからね」


総司のその一言は、不安で堪らなかった私の気持ちを包み込んでくれるものだった。

私が一番聞きたくて、でも手紙にも書けなくて。
今の総司はもう私の知っている総司ではないのかもしれないと思えば、現実を受け止めることすら怖いと思っていた。
けれど総司に会って今の言葉が聞けたから、思わず唇は震えてしまう。
歯をきつく食いしばっても、これまでの気持ちが溢れるように涙がこぼれ落ちてしまった。


『……うっ……』


どうしよう、止まらない……。
慌てて顔を背けた時、私の身体は引き寄せられ総司に抱き締められていた。
お二人がいる前だったから狼狽えてしまったけど、直ぐ近くには総司の首筋が見えて懐かしい香りと温もりが私を包んでくれている。
それだけで余計に涙は溢れて、私はきつく瞳を瞑った。


「何も心配しなくていいよ、大丈夫だからね」


私にはまだ分からないことが沢山ある。
知りたいことも沢山あるよ。
きっと今全てを理解することは出来ないのかもしれないけど、総司は私の知ってる総司のままだった。
それだけで十分だと思えたから、ずっと待ち焦がれていた温もりに手を伸ばした私がいた。

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