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セラが倒れたと聞いた次の日。
僕は王太子と王女に連れられ、懐かしい場所へ足を踏み入れた。
見慣れた街並みや道を馬車で通ると、言いようのない心情になる。
そして居心地の良かった城を見上げれば、無性に寂しくなってしまった。


「本日はお嬢様のためにご足労頂き大変ありがとうございます。当主不在の為、本日は私が王太子殿下並びに王女殿下のお相手を務めさせて頂きます、山南敬助と申します」


基本、王家の人間が連絡もなしに他の城を訪れるのはマナー違反だ。
けれど友人としてお見舞いにきただけだと話す王女は、然程気にする様子もなく微笑んでいた。
そんな彼女と王太子を前に、山南さんは丁重な挨拶でもてなしてくれる。
僕を見ると余計なことは何一つ言わず、優しい笑みを浮かべてくれていた。


「セラさんも移動が大変だと思いますので、彼女のお部屋でお会いしたいです。それに総司さんが訪問されていることは内密にして頂けますか?セラさんを驚かせたいの」

「かしこまりました。全て仰せの通りに致します。沖田様にいらっしゃって頂けるなんて、お嬢様もさぞお喜びになることと存じます」


王家側の人間となった僕を呼ぶ敬称が変わり複雑な気分になりながらも、山南さんに連れられるまま公爵邸の中を進む。
セラの部屋が近付いてくると、言葉に出来ない緊張で鼓動が早くなるのを感じていた。
途中からは山崎君が僕達の訪問に気付き、全ての報告を受けると急いでセラに確認を取りに行く。
そして僕を部屋の前で待機させた王女は、僕に笑みを見せて告げてきた。


「では私達は先に入るので、総司さんは呼ばれるまでこちらで待機して下さい。セラさんのためにもお約束通り良い子にしていて下さいね」


僕は元よりこの城やセラを護るために今王女の元にいる。
余計な行動を取れるわけもなく、静かに頷くことしかできなかった。
二人が部屋に入って行き、僕はただ時を待つ。
隣接した中の扉とは違い重厚感のある二枚のこの扉は、殆ど音を漏らさないため、中の様子が気になっていても会話などは何も聞こえてこなかった。
早く会いたい想いはあるものの、あの話を知っているだろうセラにどんな顔をして会えばいいのかも分からない。
それでも僕は、今も変わらずセラだけを想っていることを伝えたいと思っていた。


「どうぞ」


次期に扉が開けられ、王女に呼ばれた僕は早まる鼓動を胸に中へと入った。
数ヶ月ぶりに入ったセラの部屋はあの頃と何も変わらず、二人で過ごした幸せな日々が蘇ってくる。
その大切だった空間の中心に、目を隠してお見舞い品を待つセラがいた。
久しぶりに見る愛らしいその姿には痛々しく包帯が巻かれ、護ってあげられなかったことにまた胸が辛くなる。
今すぐ抱きしめたい衝動に駆られながらも、ベッド脇に腰掛けるセラの前に腰を下ろした。


「セラさん、目を開けていいですよ」


王女のその言葉を聞いてセラは微笑みながら目を開ける。
そしてゆっくりと持ち上げられた彼女の瞳が僕を映した時、それは大きな揺らぎをみせた。


『総司……?』


最後に見た、あの日のままのセラだった。
綺麗な瞳は一気に涙を湧き上がらせ、その顔を見るだけでまだ僕を変わらず想ってくれていることが直ぐに分かった。
でも酷く不安そうなその顔を見て、セラがこの数ヶ月、どんな気持ちで耐えてくれていたのか考えれば心が酷く苦しくなる。
それを少しでも和らげたいと重ねた手は、少し冷たくて頼りないものだった。


「怪我大丈夫?心配したよ」

『ありがとう、大丈夫……』

「駄目だよ、無理したら。ちゃんと食べられてるの?」

『うん……』


本当に心配したんだよ。
傷付いてしまったその姿を見てしまえば、その傷全てを僕が肩代わりしてあげたい気分だ。
少し痩せてしまったその姿は、以前に増してセラを儚く見せるから、この子が壊れてしまいそうで不安で堪らない。
そして何より僕を見ずに瞳を伏せるその姿はすっかり萎縮して、自信をなくしてしまっているように見えた。


「セラ……」


僕をよく見て欲しい。
怖がらないで真っ直ぐ見つめて欲しいと、震える小さな手をきつく握った。
今にも泣きだしそうなその瞳は、吸い込まれそうな程綺麗なのに、以前までとはまるで違う。
きっととても悲しい想いをさせてしまったのだろうということを一目で感じさせるものだった。

だから僕は君に伝えたい。
僕は変わらず君が大好きで、君に会いたくて堪らなかったことを伝えたいと思った。


「あの日から僕は何も変わってないよ。セラに言ったことも、何一つ変わってないからね」


君は僕がいない間、何度涙を流したのだろう。
どんな想いを抱いてきたのだろう。
きっとその全てを知ることは出来ないけど、セラの感じている不安や悲しみは全部僕が拭い去ってあげたいと思う。
そしてまた僕の大好きなあの笑顔を見せてもらいたいと思った。


『う……』


僕は悲しい時、感情のまま涙をこぼす君が好きだ。
でもきっとそれすら出来ずに今日まで過ごしてきたのだろう、セラは酷く悲しそうに涙を溢れさせた。
そのことに動揺して顔を背ける姿を見てしまえば、このまま一人で悲しみと戦わせたくない。
手を伸ばせるこの時間は、この腕の中で君を思い切り泣かせてあげたいと思った。


「何も心配しなくていいよ、大丈夫だからね」


抱きしめた小さな身体は震えているから、僕の胸も苦しくなる。
でもこうして愛しい身体を腕の中に閉じ込めれば、想いが溢れて胸が熱くなった。
今は何も考えずに、ただセラだけを見つめていたい。
頼りなく背中に回された腕が、僕を求めるように添えられていた。


「手紙たくさんありがとう、全部読んでるからね」

『……本当?』

「本当だよ。セラからの手紙があったから頑張れたんだ」

『うん……』

「返事、書けなくてごめんね……」

『……うっ……』


僕の言葉を聞いて、より泣き出してしまうセラは、僕からの返事をずっと待っていてくれたんだと思う。
待つことに疲れても、僕を信じて書き続けてくれたんだろう。
その途中きっと何度も不安に思っただろうし、やめることも考えたかもしれない。
それでも諦めずに信じ続けてくれたセラの気持ちの強さが、本当に嬉しかったんだ。


「嬉しかったよ、君が手紙を書いてくれて」


そっと身体を離してその顔を見れば、辛そうに細められた瞳が僕を見つめる。
その顔を見てしまえば僕の視界まで歪んでしまったけど、手を伸ばして濡れた頬をそっと拭った。


「僕にはまだ監視役がついてるし、部屋も集団部屋だから手紙を書ける場所がないんだ。宮廷の外に出たのも今日が初めてだったしね。だから返事は書きたいけど、規律の面でそれが厳しい状況なんだよ」

『うん……』

「でもこれからもセラの手紙は欲しいと思ってるよ。君の近況を知りたいし、教えて貰えると安心できる。何より君と繋がっていられることが嬉しいからさ」

『私も総司に手紙を書けることが嬉しかった。総司が読んでくれてるって思うだけで嬉しかったよ』


返事を貰えなくて不安でも、きっとそう思うことで書き続けてくれたのかもしれない。
そんなセラの純真な心がいつか壊されてしまうのだけは嫌だと思った。
だから僕を想いながら一生懸命になってくれるセラを護るために、僕はまだ諦めたくないと思う。
どんな状況下であっても、この子の想いごと護りたいと強く思った。


「ありがとう、そう言ってくれて。僕は多分本当に稀にしか返事を書けないと思うんだ。でも君からの手紙は欲しいんだけど、これからも書いてくれる?」

『書いてもいいの……?』

「当たり前じゃない。いつも言ってるでしょ?僕はセラがいるから頑張れるんだよ」

『……うん……』


涙をを懸命に拭う姿があまりに愛らしくて、この子を置いてまたあの王宮に帰らなければならないことが辛く感じる。
あと何度この想いを経験すれば、僕は解放されるのだろうと思わずにはいられなかった。


「返事が書けなかったから心配してたんだ。セラを不安にさせてるんじゃないかって」

『ううん……』

「信じてくれてありがとう。ずっと君に会いたかったよ」

『私も会いたかった、今日総司に会えるなんて思ってなかったから……』

「頻繁には無理でも、こうしてたまにでも会えたらいいよね」

『うん……』


セラは何も知らない。
手紙の件も今日会えたことも、弄ばれているだけだとは気付いてもいないだろう。
でもこんなことに君を巻き込みたくないから、何も知らないまま全てが終わってくれればいい。
今後ろから感じるあの二人の視線が、僕の心中を暗くした。


「セラさんの誤解を一つ、解いておきたいんです」


折角のセラとの時間も、王女の声で妨害される。
彼女は僕の隣に腰掛けると、敢えて眉尻を下げてセラに言った。


「薫がセラさんに変なことを言ったでしょう?あれ、全て違いますから勘違いなさらないで下さい。ね、総司さん?」


王女の意図が僕にはわからなかった。
否定してもらえるこのは有り難いけど、王太子がセラに告げたことは真実だ。
それを敢えて誤解だと告げることで、セラに嘘を吐かなければならないことが心苦しく感じられた。


「ええ、そうですね」

「薫がセラさんをからかいたくて意地悪を言ってしまったの。酷いことを言ってしまってごめんなさい。薫も早く謝って?」

「はいはい、すみませんでした」


王太子まで素直に謝る今の状況にやはり違和感を覚えるけど、目の前のセラは再び瞳を潤めると、ホッとした様子で唇を噛み締めていた。


『そうだったのですね、わざわざ教えてくださってありがとうございます。私は大丈夫ですので、謝らないで下さい』

「セラさんが気にされているかもしれないって、とても気掛かりだったんです」

『もしかして今日、それでお見舞いを……?』

「勿論セラさんのお身体が心配だったことがこちらに訪問させて頂いた一番の理由です。でも正直なところ、そのことも一日でも早くお伝えしたくて」


いつになく謙虚な物言いの王女をセラは揺らいだ瞳で見つめている。
そして眉尻下げ辛そうな顔をすると、何故かセラの方が頭を下げた。


『千鶴様、私……その話を聞いてから千鶴様のことを正直少し疑ってしまっていたんです。いつも優しくしていて頂いていたのに、千鶴様のことを信じていいのか分からなくなってしまって……そのような気持ちを持ってしまい、私の方こそ申し訳ありません』

「そんな、セラさんは謝らないで?」

『私はきっと、いつもお綺麗な千鶴様に嫉妬していたのだと思います。冗談ということにも気付かず鵜呑みにして……一人で落ち込んで……お恥ずかしいです』


ありのままの想いを素直に口にしたセラは叱られた子供のように肩を竦めているから、こうして真実を捻じ曲げたことでまた一つセラの心を蝕んでしまったような気持ちにさせられた。
それに王女はそんなセラを見て、とてつもなく満足そうな笑顔を浮かべている。
その横顔に不快感を覚え視線を逸らした時、セラは僕を申し訳なさそうに見上げていた。


『総司もごめんね……』

「……いや、いいよ」

『でも、お二人に申し訳なくて……。これからはきちんとお二人のことを信じます』


……ああ、これは僕により大きな罪悪感を抱かせるための策略なのかもしれないと思った。
セラを一度信用させることで、何か新たな企みがあるのだろうとも思わずにはいられなかった。
だからわざわざ今日、僕とセラを会わせて、この子を完全に懐柔した。
その汚いやり方に怒りを覚えいると、王女は優しい音色でセラに言った。


「セラさんが不安に思ってしまうのは当然のことですよ。好きな人が他の女性と、なんて誰でも嫌ですよね」

『え?あ……、あの……好きな人って……』

「お二人の仲は大体……というかもう見ていれば分かります。それなのに全然そのことに気付いていなくて……総司さんを近衛騎士に任命してしまったこと、セラさんに大変申し訳ないことをしてしまったと最近になって悩んでいたのです」

『そうだったのですか……?』

「総司さんにはまだお願いしたいお仕事がありますし、叙任して間もない時にお役目を終えられたら周りからも色々思われてしまうでしょう?なので今直ぐには無理ですけど、あと一年程したら、総司さんにはセラさんのところに戻って頂こうと思っているんです。だからセラさんはあまり悲しまないで?そして私を信じて下さいね」


セラの顔に一気に花が咲き、瞳には涙が溜まる。
その顔を見て一緒に喜ぶことが出来なかったのは、僕は王女から今の話を一切聞いていないからだった。


『ありがとうございます、千鶴様。私、嬉しくて……どう言葉にしたら良いのか……』

「今は寂しい思いをさせてしまいますが、またこうして今日のようにお二人が会える時間を作るつもりでいます。なのであと少し、総司さんをお借りしますね」

『はい、総司のことを宜しくお願いいたします。千鶴様の優しいお心遣い、心から感謝しています』

「セラ、僕がここに戻って来れるかは……」

「総司さん、総司さんも嬉しいですよね?あなたもずっとこのお城で生活されていたのですもの。戻るまでは、私の近衛騎士としてお力添えをお願い致します」


僕の言わんとしていることを悟ったのだろう、言葉を被せた王女は威圧的にも見える微笑みを僕に向ける。
余計なことを言えばセラを傷付けてしまうかもしれない今、自分の言いたいことを安易に口にすることはできなかった。


「一応このことは他言無用でお願い致しますね?私の失態をあまり知られたくないので……」

『失態だなんてとんでもないです。私達の想いを汲み取って頂き、ありがとうございます』

「ふふ、セラさんは総司さんのこと、本当に好きですものね」

『……はい、大好きです』


素直過ぎるその言葉にまた心が持っていかれるのと同時に、とてつもない危うさを感じた。
巧みに張り巡らされた王女の罠に、この子が完全に捕えられてしまっているようにすら思えてしまった。
でも王女の思惑すら分からないまま無鉄砲に動くことは出来ない。
取り敢えず今は、ようやく会えたセラを大切にすることが最優先だ。


「まあ、僕の方が君のこと好きだけどね」

『……総司……』

「あーあ、俺たちは何を見せられてるんだろうね」

「ふふ、こういうのもいいじゃない。私達はどなたにも言いませんので、どうぞ続けて下さい?」


素直に喜べないこの状況の中、セラはようやくとびきりの笑顔を見せてくれる。
後ろめたさのある僕からしたらその純真過ぎる瞳で見つめられれことが辛くも感じて、ただ胸が痛むばかりだった。

でもこうしていても時は流れ、僕達が離れなければならない時間がやってくる。
わざわざ馬車の前まで松葉杖を片手に来てくれたセラは、王女と王太子に丁寧な挨拶をすると、最後に僕を見上げて少し頬を染めた。


『今日は来てくれてどうもありがとう。あのね、これ……総司に』


最後に手渡されたのは、いつも届けてくれていた手紙だった。
こうして直接貰えることは想像していなかったけど、これでついに五十通。
ようやくセラに、初めての手紙が出せる。


「手紙、ありがとう。帰ったら大事に読むよ、僕も返事出来る時にするからね」

『うん。でも忙しいと思うから無理しないでね』

「無理はしないし、今日会えて嬉しかったよ。身体お大事にね、無理しないで。それと手紙、待ってるからね」

『うん、これからも平日は毎日書くね。総司も身体気をつけて、夜はゆっくり休んでね。私も会えて嬉しかった』


名残惜しい気持ちに蓋をして馬車に乗り込む。
遠くなっていく公爵邸を見つめ、ただ拳をきつく握りしめていた。
セラがいなくなると一気に冷たい顔付きになる王女は、馬車の中で何一つ話さない。
その様子にすら僕の心中は騒めきだつから、それに抗うようただ景色だけを眺めていた。


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