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王女を部屋に送り届けた時には、日はすっかり落ちていた。
カーテンを閉め、指示された通り紅茶を用意すると、彼女は僕に自分の隣に座るように声をかけた。
「今日の分のお手紙を拝見します」
初めて直接受け取ることが出来た手紙。
この五十通目は僕にとって、今まで以上に特別な一通だった。
そしてこの手紙を貰えたことは、奇跡にも近いと思っている。
セラの想いが何よりも伝わってくる、彼女の愛情そのものだと思っていた。
「あのお話を聞いた後でもこんなに愛情深いお手紙を書いて下さるなんて、セラさんはとても心が広いんですね」
「心が広いこともそうかもしれないですけど、僕はセラのことをとても芯のある強い子だと思っていますよ」
「セラさんが?私にはそこまで強い方には見えないですけど」
「確かに見た目は頼りなさそうですけど、自分で考えて前向きに行動出来る子なんです。それに優しくて思いやりもありますしね」
半分は王女への当てつけのように言った言葉だった。
それに事実、雨上がりの空のような晴れやかなセラの笑顔は、周りにいる人達を明るくしてくれると思う。
「そうですか。総司さんは随分あの方のことを評価していらっしゃるようですけど、誰にでも人には見せない醜い部分はあると思いますよ。勿論セラさんにも」
「僕は感じたことないですけど」
「それはまだ総司さんがセラさんのことをよく知らない証拠ではないの?」
「僕は誰よりもあの子のことを分かっているつもりですよ」
「随分と自信がおありなんですね。その自信はいつもどこからくるのかしら」
小馬鹿にしたように笑うと、王女はようやく確認し終えた手紙を僕に差し出す。
それをジャケットの内ポケットへとしまい立ちあがろうとするも、そんな僕の手は掴まれ阻止されることになった。
「総司さん、今日もお願いします」
一番辛い命令だった。
ましてやセラに会い、あの愛らしい笑顔を見たばかりのこのタイミングで、この人に触れるのは拷問だった。
でも恐らく、だからこそなのだろう。
王女は意地悪く微笑むと、その命令を覆す気はないと言うように僕を見つめていた。
「いつまでこのようなこと続けるおつもりですか?僕は近衛騎士としてこちらの宮廷にお仕えするつもりでまいりましたが、王女様のご命令は騎士としての職務とは全く関係のないものですよね。でしたら僕に従う義務はない筈です」
くだらない。
そしてそのくだらないことに振り回された結果としてセラを傷付けてしまうのであれば、僕がここに来た意味がない。
この人が王家の人間でなければ、とっくに斬って捨てているという話だ。
「あなたが断るのは勝手だけど、その行動が誰に災いをもたらすことになるのか考えてから発言しているのですか?」
つまりセラを痛めつけられたくなければ指示に従えということだろう。
そのために王女はセラとの仲を僕に見せつけ、いつでも危害を加えさせられる距離にいると示したかったのかもしれない。
「言う通りにしたところで、王女殿下は結局セラを傷付けることをなさっていらっしゃるではないですか。こちらとしても、それでは納得できません。指示に従う限り、セラに一切の手出しはしないというのであればまだ分かりますけど」
「セラさんには十分優しくしてさしあげているつもりです。今日もお見舞いに伺いましたし、総司さんの同行も許可致しましたよ」
「ですが僕と王女殿下のことでセラが傷ついたことは事実ですよね。それに……」
王女の持っていたティーカップの紅茶を頭からかけられたと気付いた時には、僕の髪や顔、上半身には紅茶が滴り落ちていく。
いつになく冷酷な彼女の視線を目の前に、僕は言葉を失わざるを得なかった。
「総司さんは、ご自分のお立場が分かっていらっしゃらないみたいですね。あなたには口答えする権利すら本来はないのですよ?あなたのような生意気な方は初めてです」
確かに僕は貴族の出ではあるものの、両親の罪により爵位を奪われた身。
とっくに貴族らしさを失っていたところをセラや近藤さんに拾って貰ったことで、こうして騎士になれたような人間だ。
不本意な上下関係に縛られることを嫌うが故、態度に出てしまうのかもしれないけど、この人に従えないのはそんなくだらない理由ではない。
筋が通ってないことは許せないからこその反発だった。
「もういいわ。命令に従えないのでしたらあなたはもう用済みです。これからは全て、セラさんにお相手して頂くことにしますから。私があの方に何をしても、文句はおっしゃらないでくださいね」
「待ってください……!申し訳ありませんでした、今後は素直に指示に従いますから」
「あなたの言葉は当てになりません」
「お願い致します、王女殿下。もう一度、僕にお慈悲を頂けませんでしょうか」
「それなら態度で示して下さい。今日はセラさんに会ったばかりですから、あの方のことを想像してし易い筈でしょう?」
「……承知致しました」
心を殺して自分に暗示をかけながら、伸ばした手で王女の頬に触れる。
目を閉じながら唇を重ね舌を絡めると、僕の中の大事なセラの温もりが消えていってしまいそうで怖かった。
セラのことだけ思い浮かべて触れるこの時間は、僕の心をまた一つ壊していく。
今夜ばかりは、あの子の顔を浮かべるだけで自分が醜く汚れた存在であると言われているようだった。
「ふふ、セラさんがあなたを手放せなくなるのは分かります。あなたに触れられるのはとても心地良いもの」
「……そうでしょうか」
「それに今日は初めてセラさんの泣き顔を拝見出来たのでとても満足しています。本当にどんな表情も可愛らしいから、もっと色々な顔が見てみたいの。そのためにあなたが必要だから、もうしばらくお付き合いくださいね」
王女のセラに対する執着は異常だ。
それなのにセラを大切にしているようにも感じられず、この人の思考は僕が理解出来る域を超えているとすら感じた。
「それにしても大部屋で生活しているなんで、総司さんも嘘がお上手ですね」
「それは王女殿下も同じですよね。僕をあの子の元に帰してくださるという話は本心なんですか?」
「さあ、それはあなたとセラさん次第なのではないですか?」
「では、どうしたら僕をあの子のところに戻してくれるんです?」
じっと僕を見つめた彼女は、直ぐ側から何やら紙を取り出す。
それは王家の紋章が入った契約書で、破棄できないよう破れない素材で出来ているものだった。
「あなたに毎回反発されるのは面倒ですし、ただ遊ぶだけでは面白くもないでしょう?なのでこういうのはいかがですか?」
王女は飾り彫りの机の上に、その契約書を広げた。
豪華な筆跡で書かれた文書には、試練を通過した時の条件と、失敗した時の罰則が書かれてあった。
「私がこれからあなた方にいくつかのゲームを用意してさしあげます。その全てをクリアできたら、総司さんを近衛騎士の立場から解放して差し上げてもいいですよ」
「それはどんなゲームなんですか?」
「まだ決めてはいないけれど、どれも簡単なものですよ。例えば今回のお手紙、あれは一つ目のゲームです。五十通途切れることなくセラさんが手紙を出して下さったので、合格です。彼女は私達に返事を貰えない理由を聞くこともなく達成されました。そのような方は初めてだったので素晴らしいですね」
王女の声は穏やかだったけど、その言葉の裏に隠された意図は測りきれない。
甘い香りが微かに漂い、その中に混じる毒の匂いが僕の心をざわつかせた。
「見えますか?ここに五つのマスがあります。この一つ目のお手紙はクリアしたので、ここに私の印を押します」
そう言って一つ目のマスに印鑑が押されたものの、そのマスはあと四つ。
どんなゲームをするのかは、僕には予測すら出来なかった。
「残り四つもクリア出来たら解放してくださるってことですね。ただ一つ確認させて下さい、その契約は本当に果たして頂けるんですよね?」
「勿論です、お約束は守りますよ。その代わりゲームに失敗した時はそれなりの代償は支払って貰いますけど」
「……どんな代償ですか?」
「まずはあなたに一切の自由はなくなります。そしてそのゲームに基づき追加の代償が出てきてしまうかもしれないですね。例えばセラさんの気持ちが、あなたから離れてしまうこともあるかもしれません」
「この契約を拒否したらどうなるんです?」
「あなたがこの宮廷内から出られなくなるだけですよ。そしてセラさんとの関係も終わりです。今後は彼女に遊んで頂きますから」
王女の思惑が分からない状況下で契約はしたくないものの、僕には他に選択肢がない。
この契約を受け入れる以外に僕とセラが自由になる道はないと、覚悟を決めた。
「分かりました、契約を結びます」
「ふふ、良かったです。ではこちらにご署名を」
王女の指が示す場所を見ると、そこには既に王女の署名がある。
その隣に僕の署名欄が空白のまま残されていた。
僕はペンを手に取り、インクが紙に染み込む音を聞きながら、自分の名前を書き込んだ。
「次のゲームは、またセラさんからの手紙が五十通貯まったころにしましょうか。あなた方が直ぐに根を上げないことを願っています」
「僕達の他にもこの契約を結んだ人はいるんでしょうか?」
「勿論何人もいらっしゃいますよ。けれど残念ながら、いまだにどなたもクリアして下さらないんです」
「……それは王女殿下がそうさせないように仕組んでいるからではないですよね」
「いいえ、そのようなことはないですよ。総司さんとセラさんならきっとクリアできると思うので頑張ってくださいね」
にこやかに話す王女に頭を下げ、紅茶で汚れてしまった場所を拭く。
そして一人部屋に戻った僕は、僅かに濡れて紅茶を吸ってしまった手紙を見て、辛さから眉を顰めた。
「………っ」
惨めで堪らない。
この境遇も歯向かうことすら出来ずにいる自分自身も全部。
こんな屈辱的な気持ちになるのは生まれて初めてだった。
唯一の救いはセラが僕をまだ想ってくれていることだけど、それすらいつ壊れされるか分からない。
あの子の不安そうな顔を目の当たりにした今、これから先に待ち受けるゲームとやらに恐怖を感じずにはいられなかった。
再び唇を洗い流し口内を濯ぐ僕の身体は、以前以上に王女に拒絶反応を示してきている。
それは今日、久しぶりにセラに会えたことでさらに増進されているようにも思えた。
この不快感を早く拭い去りたくて、僕は初めてあの子に出せる手紙を書く。
出せない手紙の分まで愛情を込めて、その一枚に気持ちをしたためる僕がいた。
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