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総司と離れてからもうすぐ一年。
冬が過ぎ、春を迎えようとしている今も私は総司に手紙を書き続けていた。
最後に宮廷内で会って以来、私は総司に会えていない。
手紙の返事も二通目までで止まったまま、総司のことは何一つ分からないのに時間だけが流れていった。
そんなある日、千鶴様に総司への手紙を差し出すと、久しぶりに総司からの返事が用意されている。
三通目の手紙を、現実味がない気持ちのまま受け取った私がいた。
「あれ?今回はあまり嬉しそうじゃないね」
実感が湧かなかったからなのか、薫様にそんな言葉をかけられてしまう。
私は思わず首を振り、咄嗟に笑顔を作ってみせた。
『いいえ、とても嬉しいですよ』
「本当かな、そろそろ沖田にも飽きたんじゃない?」
『飽きてませんよ、私は』
「その言い方だと、沖田には飽きられたみたいな言い方だね」
『あまり意地悪は言わないで下さい……』
このお二人とももう直ぐ一年のお付き合いになる。
思わず少し生意気なことを口に出してしまったけど、薫様はくすくす笑うだけで以前のように睨んでくることはなくなった。
千鶴様は相変わらずおしとやかで上品で、そんな私達のやり取りを眺めて微笑んでいて、私もまたそんな彼女に笑みを返した。
「そういえば、セラさんは乗馬はされたりします?」
千鶴様の問いかけに私は目を瞬き、直ぐに肯定の返事をしてしまったけれど。
思えば乗馬をしたのは、もう何年も前だった。
『お城の中の狭い乗馬場で少し乗るくらいですが、幼い頃は好きでよく乗っておりました』
「それってどうせ、横座りで乗るくらいだろ?」
『はい、そうです』
「そんなのは乗馬とは言えないね。やっぱりちゃんと跨がないと」
『もしかして千鶴様はしっかり跨がって乗られるんですか?』
「その時にもよりますけど、一応どちらも嗜んでおりますよ」
『そうなんですね、素敵です』
馬に跨ることはしたことがなかったから憧れる。
幼い時もお父様や他の騎士の方々がそうして乗馬されているのを見て、羨ましく思っていたことを思い出した。
「ふふ、興味がおありですか?」
『はい、そうですね。一度は経験してみたいなとは思います』
「でしたらヴァルクレスト風祭に私達と一緒に参加されてみませんか?」
ヴァルクレスト風祭。
それは王家主催で開催される貴族の乗馬イベントで、風の神ヴァルクレストに感謝を捧げる祭典として歴史的に続いている催しだということは知っていた。
千鶴様から聞いた話によると、大会では広大な森や草原を舞台にしたルートを走破するもので、参加者の騎乗技術と馬の能力を試す場とされているらしい。
優勝者には「風のリボン」と呼ばれる特別な勲章が贈られるという。
『とても興味はありますけど……私程度の技術で参加しても大丈夫なのでしょうか?皆様の足を引っ張ってしまいそうで心配です』
「初心者の方用のコースも用意されていますし、個人戦なので問題ないですよ。大会前には練習する時間も設けられていますので、その時に試して難しそうであれば、たた見学することも可能です」
『そうなんですね。それでしたら……』
元々興味があったため参加したいと思ったけど、そうすると休日も総司の話を聞くことになってしまうかもしれない。
思わず迷って言葉を詰まらせていると、薫様が私に話しかけてきた。
「乗馬は得意だからね、大会前は俺が教えてあげるよ」
『薫様が?』
「ああ。俺が折角誘ってやってるのに、まさか断ることはしないよね」
話の流れて断れない雰囲気になってしまったから「宜しくお願いします」と告げて微笑む。
参加をすることに決めたら、急に自分の乗馬の力量が心配になってきてしまった。
『今回の大会は、護衛を同行させて頂いても宜しいでしょうか?』
前回宮廷に出向いた時は、王家の方で護衛を用意すると言われてしまった。
伊庭君は残念そうにしていたから今回の大会には一緒に行きたいと思っていたけど、千鶴様は笑顔で言った。
「護衛はこちらで用意致しますよ。今度招待状をお送りしますが、当日はまたセラさんのお城に馬車をお迎えにあがらせますので、安心なさって下さい」
『かしこまりました。宜しくお願い致します』
結局また私一人で行かなければいかないことに残念な気持ちになりながらも、折角の伊庭君の休日を私の予定に付き合わせてしまうのも申し訳ない。
これで良かったんだと思うことにして、私は再び疑問を投げかけた。
『馬はどのようにすれば宜しいですか?』
「馬は俺が用意するよ。どれがいいかな。気性が荒い馬、意味なく暴走する馬、常にやる気のない馬」
『どちらも嫌です……』
「折角用意してあげるって言ってるのに贅沢だね。まあ、やる気のない馬あたりがお前には丁度いいかな」
『ふふ、コースの途中で寝てしまうのではないですか?』
「そうしたらお前もその馬の上で昼寝でもすればいいよ。お似合いだね」
『薫様の目には、私がいつもやる気のないように映ってるのでしょうか?心外ですね』
私達がくだらない話をして笑っていると、千鶴様は急に立ち上がり扉へと歩いて行ってしまう。
『千鶴様?』
「すみません、少しお手洗いに行ってまいりますね。護衛がおりますので、セラさんはそのままそちらでお昼を摂られてください」
『かしこまりました、いってらっしゃいませ』
私が後ろを向いて千鶴様の姿を見送っていると、扉が閉まると同時に薫様が大きなため息を吐き出した。
「……ああ、疲れる」
『何かにお疲れですか?』
「千鶴にね。最近前にも増して機嫌悪いから、相手をするのも面倒になってきたよ」
『そうなんですか?あまりそうは見えませんけど……』
「それはお前の前ではまだマシだからね。城では最悪だよ。物は投げるわ泣き出すわ、こっちは公務で疲れて帰ってきてるっていうのに部屋に行く時間が少し遅れるだけで凄い文句を言われるわ」
『……そうだったのですか。千鶴様、何かに悩んでらっしゃるのではないですか?』
「いいや、小さい頃からずっとそうだ。病気の件で両親にやたら甘やかされて育ってきたから、ただ我儘なだけだよ。最近は手がつけられないからって、両親も全て俺に押し付けて……本当に勝手なものさ」
聞いてはいけない話を聞いてしまった気がして、私は思わず押し黙る。
どう返事をするべきか言葉を選んでいると、そんな私を見つめ薫様は意地悪な笑みを浮かべていた。
「今、どう返事をしようか考えてるだろ?」
『いえ……、お話を聞いて薫様も色々とご苦労があるのだなと思っておりました。千鶴様もきっとお身体のことで不安がおありなのですよね』
「一応身体の方も以前よりかは発作も減ったし、安定はしてきてるんだけどね。ただ千鶴は気分が乗らないと食事も摂らないし薬も飲まない。そういうのが原因で回復が遅れてるって話しても、全く聞く耳を持たないんだ」
『もしかしたら千鶴様は寂しくてかまって欲しいのではないですか?誰かに気にかけてもらえることで不安が減ることってあるじゃないですか。少し我儘を言ったとしても、それを受け止めてくれる相手がいると思うと、人って安心できますから』
「ああ、確かに。そういうこと?」
『私は千鶴様ではないので分からないですが、話を聞いているとそういう可能性が浮かびました。千鶴様は別に敢えて相手を困らせようとしているわけではないと思うので、そう考えると……そうかもしれないなと』
出会ったばかりの頃から、千鶴様は少し寂しそうな印象を抱かせる方だった。
儚くて綺麗で……、いつもどこか寂しそうに笑う人。
でも千鶴様が心から微笑んだら本当にもっと可愛らしいと思う。
そしてふと、総司の前ではそういう笑顔を見せているのかなと考えてしまった。
「お前ってどうしようもない馬鹿だけど、馬鹿なりに色々と考えられるんだね」
『それ……褒めて頂けているのでしょうか?』
「まあ、そのつもりだけど」
『それでしたら……ありがとうございます』
「はは、今のに礼を言うとか本当に馬鹿だね」
『あまり馬鹿馬鹿言わないで下さい。本当にそうなってしまいそうです』
「最近はどう?まだ沖田のことで泣いてるの?」
いきなり話題が変わって、しかもそれが総司のことだったから思わず一度言葉に詰まった。
ここ最近では毎晩のように泣くことはなくなったけど、総司を想って涙をこぼすことは度々あった。
『泣いてませんよ、元々』
「よく言うよ。最初の頃はいつもここで必死に涙を耐えてた思うけど。あれはなんだったんだろうね」
『あれは……仕方のないことでした』
「はははっ、仕方のないことでしたってなんなの?」
『とにかく今は泣いておりません』
「へえ、じゃあもう沖田のことは好きじゃないんだ?」
総司のことは今でも変わらず大好きだ。
この気持ちは全く減っていないし、会いたい気持ちも恋しい気持ちも何も変わらない。
けれどその気持ちだけに目を向けていたら、私はきっと成長できないし、皆に悲しい顔をさせてしまう。
だから私は今出来ることを頑張るために、今はこの気持ちを封印することに決めたの。
『好きですけど……、今は気持ちを冬眠させています』
「冬眠って。気持ちを冬眠させたり出来るものなの?」
『一応出来ているつもりです』
「千鶴が沖田の話をするたび、悲しそうに笑ってるのに?」
『……私、そんな顔してますか?』
「してるよ。見ててこっちが痛くなるから、ああいう顔はやめて貰いたいね」
『ごめんなさい、自覚ありませんでした……』
「やめればいいのに、沖田なんて」
やめようと思ってやめられるなら、きっととっくにやめている。
そう思ってしまうくらい今までの日々は辛かったし、こうして普通に総司の話が出来るまでは時間もかかった。
それでも封印していた気持ちを少しでも解放すると、総司と過ごした幸せな日々がまた私の心を染めてしまうから。
私は結局、あの頃の日々に縋ったまま前に進めていなかった。
『総司の話はやめましょう?』
「はいはい、分かったよ」
『千鶴様、遅いですね。体調……悪くないと良いのですが』
「今日はこのまま戻ってこないよ」
『え?何故ですか?』
「あれは多分、面白くなくて部屋を出て行っただけだから」
『私……何か失礼なことをしてしまったのでしょうか……』
「いや、ただ俺がセラと話してると気に食わないんだよ。こうなることが分かってたから、俺は最初の頃、殆どお前とは話さなかったんだ」
確かに少し前までは、薫様は一緒にいても必ずそっぽを向いて然程会話に入ってこなかった。
その理由を今になって知り、薫様がいかに千鶴様を大事に思い、気遣ってきたのかがわかった。
『そうだったのですね。何も気付かなくて、ごめんなさい。薫様に話し掛けてしまって』
「謝る必要はないよ、お前の質問に自ら返したのは俺だからね。それにもう嫌なんだよ、千鶴の顔色を窺って過ごすのは。もう十分あいつの我儘に付き合ってきたし、俺もそろそろ自由になりたい」
『薫様はいつも千鶴様のことをとても大切にされていましたものね。でもご自分のことも大切にされて下さい。千鶴様には別の形で寄り添うことも出来ると思います』
「そうだといいけどね」
『たまには本音で話すことも良いことだと思いますよ。いくら毎日一緒に過ごしていても、言葉を交わさないと相手の考えていることまでは分からないですから』
これは総司と出会ってから学んだことだった。
私達人間はつい口先の言葉やその表情に惑わされてしまうけど、腹を割って話すことで見えなかった相手の本音が分かる。
だからこそ話す時間が持てない今、総司の考えていることは全く分からなくなってしまったのだけど……。
「あーあ、馬鹿に励まされちゃったよ」
『ふふ、馬鹿もたまにはお役に立ちたいですからね』
「ありがとう」
薫様から出た言葉に、私は思わず目を見開いてしまった。
そうするとそんな私を見て僅かに目の下を赤くした薫様は、物凄く苛立たしげに私を睨み付けた。
「なに、その顔。俺が礼を言うと、変だとでも言いたいの?」
『い、いいえ。違います……ただ少し驚いてしまって』
「そんな顔をされるくらいなら、撤回する」
『別に撤回しなくても……。嬉しかったですよ』
「もうお前には二度と言わない」
『そんなこと言わないでください』
膨れたような様子が可愛らしくて少し笑ってしまった。
それに初めて薫様と心を通わせられた気がして嬉しかった。
千鶴様の病気のことは心配だけど、薫様のような妹想いのお兄様がいつも傍にいるのはとても心強いことだと思う。
当たり前だと思っている存在は、とても大切でかけがえのないものだと思うから、千鶴様にも大切にして欲しいと思った。
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