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総司の手紙を受け取った夜、私はまた泣いてしまった。
気持ちは冬眠させている筈なのに、結局総司の優しさに触れると駄目みたい。
泣きながら何度も何度も読んで、また総司に会いたくて堪らなくなってしまった。

けれどいくら想い焦がれていても、あれから千鶴様から総司に会う許可は頂いていない。
私の立場からはお願い出来る筈もなく、ただこの前総司に言われた言葉を思い出すばかりだった。

千鶴様のお身体が不安定なうちは公爵邸に戻るつもりはないと言った、今の総司の本当の気持ちが知りたい。
私が以前と変わらない気持ちのままこの城で待ち続けることが、総司の重荷になっていないか心配で堪らなかった。


そんな心情のまま迎えたヴァルクレスト風祭当日。
私は侍女の方が用意してくれた乗馬服に着替えて、見慣れない自分の姿を鏡の前でまじまじと見つめていた。
ピーチベージュのライティングジャケットに白いパンツ、膝丈のブーツ。
胸元には柔らかいレースがあしらわれていて、乗馬用の帽子には小さな白い羽飾りがついている。
実用的ながらも控えめな華やかさを兼ね備えているデザインだけど、普段とは雰囲気が違うせいか暫く眉を顰めて自分自身を見つめていた。

出発予定の時刻が近づいてくると、伊庭君が私の部屋をノックしてくれる。
ドアを開けて「おはよう」と告げると、伊庭君は私を見下ろしたまま何故か何も言わなかった。


『伊庭君?』

「……とても可愛いです」

『本当?ありがとう……』

「あ、いえ……すみません。とてもよく似合っていたので、すっかり見惚れてしまいました。乗馬スタイルもいいものですね」

『そう言って貰えて良かった。自分で見ると少し変な感じで心配だったから』

「心配する必要なんてありませんよ。君は何を着ても似合います」

『ふふ、伊庭君って褒め上手』

「本心ですよ。今日ご一緒出来なくて残念です。なぜ王女殿下は、いつも僕達の同行を嫌がるのでしょうか。そのお陰で昼食も一緒に食べられなくなってしまいましたからね……」


伊庭君の言う通り、千鶴様は何故か私以外の方を受け入れてくださらない。
そしていつも必ず王家の護衛を私につけるよう手配されていた。


『そうだね。私も皆とお昼食べたいんだけどな……』


伊庭君や平助君、千ちゃんにはじめ。
優しい皆が大好きだし、気心知れていることもあって皆と過ごす時間は大切。
勿論千鶴様や薫様とも楽しくお話は出来るけど、やっぱり私には皆といる方が合うみたい。
ここ最近、特に強くそう思うようになっていた。


「僕が王女殿下に掛け合ってみましょうか?」

『ううん、大丈夫。頼むとしたら私が言うよ』

「ですがセラが言ったところで、ねじ伏せらてしまうのではないですか?」

『でも……今はまだ様子をみようかなって思ってるの。もう少し千鶴様のことが分かったら、その時どうしようか決めようと思う』


敢えて総司との話ばかりをする最近の千鶴様が何を考えているのか、今の私にはよく分からない。
クッキーを一緒に作った時は仲良くなれたと思っていたけど、あの日を境に千鶴様は少し変わられた気がした。
そしてそれとは逆に、あの日以降、何故か薫様の私に対しての刺々しさは減った気がする。
ここ最近は、薫様との方が気楽に話せるような気すらしていた。



その後伊庭君に見送って貰った私は、王家から派遣されたお迎えの馬車に乗った。
二時間程揺られた先で馬車を降りると、目の間には広々とした乗馬大会の会場が広がっていた。
観客席には美しい布で飾られたテントが並び、どこか優雅な雰囲気が漂っている。
木立を背景に白や黒、茶色の馬がそれぞれの騎手と共に準備を進めていた。


『すごい……』


馬の囁きや観客のざわめきが耳に響き、その活気に飲み込まれそうになる。
胸の奥で不安が膨らむのを感じながら、持っていた手袋を無意識にぎゅっと握りしめた。
馬場の向こうには華やかな騎手たちが凛々しく馬に跨っていて、見れば見るほど自分が場違いに思えてくる。
私が出る予定のコースは初心者用の簡単なものだと言っていたけど、本当に大丈夫なのかな。


「緊張してるの?」


不意に声をかけられ顔を上げると、薫様が馬具を持ちながらこちらに歩いてくる。
少し冷たいような口調からもどこか気遣うような表情をしてくれていて、私はようやく見知った顔に出会えたことで小さくホッと息を吐いた。


『薫様、ごきげんよう。本日は宜しくお願いいたします。勿論とても緊張していますよ』

「そうだろうね、顔を見れば分かるよ。お前は顔に出やすいから」

『そうですか?』


それはあまり褒められたことではないから、緊張を解こうと両手を頬に添えてむにむにと上下に動かしていた。


「セラさん、ごきげんよう」

『千鶴様、ごきげんよう』


千鶴様の声が後ろから聞こえて、私は誘われるまま笑顔で振り返った。
けれど千鶴様の横には総司がいて、私は驚きから目を見開いた。


「セラ、久しぶり」


総司が来るなんて知らなかった。
心の準備が出来ていなかったこともあり、私は一度言葉を失ってしまった。


「ふふ、セラさん驚いてますね」

「僕が来ること、伝えてなかったんですか?」

「ええ」

『申し訳ありません、驚いてしまいました……。総司、ごきげんよう。久しぶりだね』


ぎこちない挨拶になってしまったけど、取り敢えず笑顔で挨拶をする。
柔らかく微笑む総司を見たら、封印させていた気持ちがまた溢れてしまいそうだった。


「大会まで時間があります。皆で練習しに行きましょう?この先の練習場を貸し切っているの」


王家の護衛の方が前もってテントを押さえてくれていたらしく、私達は使わない私物をそこに置く。
テントの入り口が敢えて開けたまま上で固定されているは、トラブル防止の為らしい。
私達のテントは少し他とは離れた場所に設置され、落ち着いて待機することが出来そうだった。


「こちらが練習場です。少し狭いですけど、私達四人で使う分には十分だと思いますよ」

『ありがとうございます、千鶴様』

「ふふ、セラさんの乗馬姿楽しみにしています」

『ご期待に添えるか分かりませんが、頑張ります』

「はい、お互い頑張りましょうね。総司さん、私達の馬はあちらですよ」


千鶴様が笑顔で総司の手を掴むと、総司も同じように微笑んでいる。
仲睦まじそうな二人を目の前に胸を痛めた私は、思わず二人から視線を逸らした。
今は乗馬に集中したいし、悲しい気持ちを感じている場合ではない。
今日はなるべく二人を見ないようにしようと心に決めて、総司への想いに蓋をした私がいた。


「俺達の馬は、千鶴達の隣に繋がれているあの二頭だ。行くよ」


薫様に声をかけられて、私達も前の二人に続くようにその二頭のところまで歩いて行く。
薫様が私の前に手綱を引いて連れてきたのは、美しい栗毛の馬だった。


『この子が、私が乗る馬ですか?』

「そうだよ。名前はリュネット。気性が穏やかで、女性が扱いやすいように特別に調教された大人しくて従順な馬だ」

『リュネット……、素敵な名前ですね』


光沢のある栗毛の毛並みは太陽の光を受けて絹のように柔らかく輝き、大きな瞳がこちらをじっと見つめていた。
その優しげな瞳と高貴な立ち姿はどこか人を惹きつける魅力があって、まるで童話の中に出てくる王子様の馬みたい。


『今日は宜しくね、リュネット』


名前を呼びながらそっと手を伸ばし、この子の鼻先に触れる。
温かくて柔らかくて、少し湿った感触が愛らしい。
リュネットは鼻を軽く鳴らしながら、私の手のひらの匂いをくんくんと嗅いだ。


『ふふ、可愛い……』

「リュネットはセラが気に入ったみたいだね。次は軽くたてがみを撫でてみるといい。馬はそれが心地良いんだ」

『こうですか?』

「その調子だ。この大会を楽しむためには、まず馬との信頼関係を築くことが大事だからね」


薫様の言葉で思い出した、今日という日を楽しむという大切な気持ち。
リュネットとの距離が近づいていくのを感じるたび胸の中に温かさが広がって、この子と一緒に走る姿を想像して少しだけ頬が熱くなる。
私は嗜むくらいの乗馬経験しかない未熟者だけど、今日は出来る限り頑張りたい。
余計なことは考えないで、ただこの子と同じ風を感じたいと思えた。


『私、この子と一緒に走れることが今から凄く楽しみです。素敵な馬を用意してくださって本当にありがとうございます』

「お前が気に入ったのなら良かったよ」

『この前はやる気がない馬を連れてくるって仰っていたので、どんな子なのかドキドキしてました』

「はは、お前を乗せたらどんな馬でも寝そうだけどね」

『もう、それはどういう意味なんですか?』

「お前といたら眠くなるねって、そういうこと」

『ですから、それはどういう意味なんですか』


あまり嬉しくはない言われようだけど、リュネットから薫様に顔を向けると、その微笑みはいつになく優しそうに見えなくもない。
彼の手が伸ばされて思わず目を瞬くと、私の帽子をそっと直してくれていた。


「曲がってる」

『あ……、ありがとうございます』


少し優しい薫様にはまだ慣れないけど、今日は一日薫様にお世話になる。
薫様の指示通り再びリュネットの横へと立った私は、改めて彼に「ご指導宜しくお願いします」と頭を下げた。


「ああ。じゃあまずは馬に乗ってみようか」


聞いていた通り、馬の鞍を見ると跨るスタイルが推奨されているらしい。
女性貴族にとっては横座りが伝統的ではあるものの、この大会では実用性が重視されているようだった。


「まずは左の鎧をしっかり掴んで。そして体を軽く引き上げて鞍の中心に座ること」

『はい』

「それから鞍に座る時は姿勢を意識するんだ。腰を曲げずに背筋を伸ばして乗るのが基本だ。風祭では見た目の美しさも評価に入る。それは馬も乗り手もね」


彼は冷静な口調で、手綱の持ち方や馬への合図の仕方を説明してくれる。
分かりやすく的確な指導に、私も次第に夢中で耳を傾けるようになっていた。


「手綱は軽く持てばいい。引っ張り過ぎると馬が嫌がる。優しく指先で触れるくらいで十分だ」

『はい、こうでしょうか?』

「ああ、いいんじゃない?思ったよりセンスがあるね」


褒められたことに驚いてしまったけど、それを態度に出すとまた撤回されそうだからお礼だけ告げる。
薫様も直ぐに私から視線を逸らし、いつもの気まぐれな態度を崩さなかった。


「馬は乗り手の緊張を繊細に感じ取るんだ。だから余計な心配はしないで、リュネットを信じてあげるといい」

『はい。今日は一緒に頑張ろうね、リュネット』

「はは、お前は本当に動物に話しかけてる姿が似合うね」

『そうですか?』

「ああ、そうか。動物と仲良くして白雪姫にでもなりたいの?」

『ふふ、違いますよ。毒林檎は食べたくないです』

「でも俺は王子だからね。お前のことを目覚めさせてあげられるよ」


私を見上げてまた意地悪な笑みを浮かべている薫様は私のことをからかっているらしい。
「自力で目覚めてみせます」と返せば、また彼は笑っていた。


それから薫様に横について貰い、練習場を一周する。
手綱を握り更に馬を前進させると、少しずつ速さが増していった。


「じゃあ次は軽く走ってみよう。俺が横についてるから大丈夫だよ」

『はい』


馬の速さに合わせて私の身体が揺れる感覚を感じながら、速く走ることを試みる。
その時風が顔に当たって髪が舞い上がり、少しだけ不安がよぎるけど、薫様が見守っていることを感じて安心することが出来た。


「その調子だ」


励ましの声が耳に入り、私はより背筋を伸ばしてリュネットにもっと速く走るように指示を出す。
その指示に反応してリュネットは一気に加速し始めて、風が心地良く肌を撫でた時、胸がとても高鳴るのを感じた。


「いいね、完璧だ」

『ありがとうございます……!とっても楽しいです』

「良かったね。リュネットも楽しそうだ。そのまま向こうにある障害物を越えてみようか」

『分かりました』


私に障害物を越えることなんて出来るのだろうかとドキドキする。
けれど怖気付いていては始まらないから、スピードを緩めることなくリュネットを信じて障害物へ向かって行った。


「飛び越える時は、身体を前に倒してリズムを合わせるんだ」


薫様の指示通りに体勢を整えると、リュネットは軽々と障害物を越えて上手に乗り越えてくれる。
全てを終えてゆっくりリュネットのスピードを緩めると、私は薫様の方へ振り返った。


『障害物、初めて越えられました……!』

「初めてにしては上出来なんじゃない?」

『ふふ、良かった。ありがとうございます』

「お前の筋が良いのかもしれないね、まさか一回でここまで出来るようになるとは思わなかったよ」

『薫様のご指導がとてもわかりやすかったんです。感謝しかありません』

「ああ、俺に感謝をするんだね。本番、指導係の俺に恥をかかせないためにも頑張るんだよ」

『はい、頑張ります』


やっぱり薫様は優しくなった。
以前のような警戒心が解いて貰えたのなら素直に嬉しいと思えるし、何よりこうして上手くリュネットと走ることが出来たから感謝の気持ちで溢れていた。
楽しみ半分、不安半分で今日という日を迎えたけど、今はただ大会が楽しみに思える。
今日はきっと良い一日になると信じて、綺麗なリュネットのたてがみをそっと撫でた私がいた。


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