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ヴァルクレスト風祭当日。
僕が王女から命令されたのは、王女の近衛騎士として正しい行動を取ることだった。
つまり僕は今日一日、当たり前に王女の側から離れてはいけないし、王女を一番に考え行動しなければならない。
そして幾度となく言われたことは、王女の指示には絶対服従、逆らわない。
そして王女に対して微笑みを絶やすなという命令まで追加された。
恐らく彼女は、僕達の関係が良好だとセラに見せつけたいのだろう。
だからこそ今日という日は憂鬱で、セラに会えることを手放して喜べない僕がいる。
でもセラの身に何か起きることだけはあってはならない。
なるべく王女を刺激しないようにしながら、セラのことを護りたいと考えていた。
「随分と広い場所ですね」
馬車に揺られ着いた先には、広い草原が広がっていた。
高貴な乗馬服を身に纏った貴族たちが談笑していて、初めての場所に視線をせわしなく動かしていた。
「今日のお約束、決して忘れないで下さいね」
にっこり微笑むその顔は威圧的だ。
無表情のまま返事をすれば「ちゃんと笑ってください」と言われ、仕方なく彼女に微笑みを向けた。
そしてその時、僕の視界には目を引く一人の女の子の姿が視界に入る。
予想通りそこには会いたくて堪らなかったセラがいて、乗馬服を着た愛らしいその姿に目を逸らすことも出来なかった。
『総司、ごきげんよう』
僕が来ることを知らなかったらしいセラは、僕を見るなり驚いていたけど丁寧な挨拶をしてくれる。
でもその微笑みはぎこちなくて、少し緊張しているようにも見受けられた。
それから僕は王女に連れられるまま、自分に与えられた馬の前まで歩いていく。
そっとたてがみを撫で馬のコンディションを見ていると、少し離れたところでセラは馬に跨り背筋を伸ばしているところだった。
どこか頼りなさそうな仕草には緊張が感じられるけど、それがまた愛らしい。
唇をきゅっと結び、集中しているセラの瞳はどこまでも澄んでいて純粋で。
その真剣な眼差しに、思わず笑みがこぼれた。
「どちらを見ていらっしゃるのですか?」
「いえ、王女殿下を見ていますよ」
「いいですか?お約束は守ってください、そうでなければゲームは不合格。あなたは永遠に私の奴隷となりますよ」
「奴隷……ですか」
「薫も随分楽しそうにしているけれど……、まさかセラさんみたいか方が好きだとは思わなかったです」
「王太子殿下が気になるのでしたら、向こう行かれます?」
「行きません。私達はこちらで練習しますよ」
どちらかというと僕とセラのことより、王太子とセラのことを気にしているだろうの王女は、仏頂面で馬に跨り、慣れた様子で馬を走らせている。
誘われるようにセラの方を見てしまえば、風に綺麗な髪をたなびかせ、とても嬉しそうな表情で馬を走らせていた。
「……可愛いな」
久しぶりにセラの嬉しそうな顔を見た気がする。
近衛騎士になることが決まってからは、懸命に微笑んでいてもセラの笑顔はいつもどこか悲しそうだった。
でも今は嫌なことを全て忘れて、ただ乗馬を楽しめている様子だ。
その愛らしい笑顔を見てしまえば、せめて今日一日だけはセラに幸せな時間を過ごして欲しいと思ってしまった。
練習の後、セラ以外の僕達三人はクロスカントリー競技へと出場した。
広大な自然の中で設置されたコースを走り、さまざまな障害物や地形を乗り越える種目で、騎手の持久力や馬のスタミナが試される競技だ。
午後にはドレッサージュという馬と騎手の優雅な動きを評価する競技もあり、ステップや旋回など正確かつ美しい動きを見せる必要があるため、これも僕達三人だけが出場することになっていた。
『皆様、とてもお上手でした。感動しました』
午前の部が終わり、昼食の時間。
テーブルの上に用意された食事の前、セラは笑顔でそう話す。
セラは午後にあるタイムトライアルと障害飛越競技に出るため、少し緊張しているらしい。
僕達の競技の様子を振り返りながら、「私も頑張ります」と話していた。
「セラさんの出場される競技は初心者の方も多く出場されますよ」
『そうなんですね。初心者の方が私以外にもいらっしゃるみたいで良かったです』
「心配しなくとも、だいぶ上手く走れてるから大丈夫さ。練習通りにやれば問題ない」
『はい、頑張ります』
いつになく穏やかな顔つきの王太子は、ナプキンで口を拭くと再びセラに言葉をかけた。
「まあ、ヘマしたらあとで笑ってあげるよ」
『ふふ、怒られないだけ良かったです』
「あとはリュネットさえ寝なければ問題ないね」
『ですから、どうして私が乗ると寝る前提になってるんですか……』
「お前といると眠くなるって言ってるだろ?」
『もう……、それは薫様だけですよ』
王太子は以前話していた言葉通り、セラのことを気に入っているらしい。
二人の間には以前のような壁はなく、それなりに親しく話せているようだった。
正直面白くはないけど、セラがこの二人に揃って攻撃されるよりかはまだいい。
そんな心情で二人を見ていると、王女が苛立たし気に言葉を放った。
「この程度の競技で失敗なんてしたら恥ずかしいですよ。乗馬会で有名なご婦人方もいらっしゃっていると聞きました。王家の馬を使用するのですから、あまりふざけていないで気を引き締めて取り組んでくださらないと困ります」
和やかな雰囲気は一気に冷ややかなものに変わり、セラの顔つきも変わる。
その威圧的な態度でセラが萎縮してしまわないか心配していると、その矛先は僕にも向けられた。
「総司さんもそう思いますよね?」
今日のゲームの趣旨はそれとなく理解していたものの、いざこうして話を振られると辛いものがある。
セラの前で僕を従わせることで、僕の忠誠心を見るのと同時に、セラを傷付けたいのだろう。
僕を見る微笑みには、強い圧力が感じられた。
そして僕が同調しなければ、おそらくこのゲームはクリアしたことにならない。
そして王女は余計にセラを攻撃するだろうと踏んで、僕は仕方なく笑顔で言った。
「ええ、そう思いますよ」
心なんてこもっていない同調だ、セラも気にしないでいてくれることを願った。
でもセラは瞳を揺らして見るからに悲しそうな顔をしたから、僕は思わず否定の言葉を吐きそうになった。
「いや……」
「総司さん?」
「……はい」
「こちら、取り分けてくださいますか?」
「承知いたしました」
セラは純粋な分、僕の言葉を鵜呑みにしてしまうことがある。
心が騒つきながらも指示された通りにサラダを取り分けていると、愛らしいセラの声が聞こえてきた。
『ご指摘いただきありがとうございます。折角お声をかけて頂けた風祭です、精一杯取り組ませていただきます』
「そうですね。これはただのお遊びではないんですよ?」
『はい、申し訳ありません』
愛らしい顔は悲しそうに陰り、僕はただ苦い思いで拳を握る。
こんな時、以前までだったら真っ先に庇っていたのに今は言葉一つすらかけてあげられない。
そんな自分が心底嫌になるばかりだった。
「この程度、別に謝る必要はない。それにこの風祭は元々楽しむためのものだ。そんながちがちに緊張して挑む競技でもないだろ」
「薫、何を言っているの?薫も前に言っていたじゃない。何の知識もないご令嬢がこの風祭で醜態を晒した時、無様でみっともない、風祭の格が下がるって文句を言っていたわよね」
「あの女の場合はそもそもやる気すらなかっただろ?でもセラは違う。真面目に取り組んで失敗したって、それは仕方のないことだと思うけど」
「真面目に取り組んでいたら、そもそもこの程度の競技で失敗することはないわ」
「それはお前が幼い頃から乗馬を嗜んでいるからだろ?セラは今日初めて跨って乗ったんだ。同等に見ることがそもそもおかしいって気づかないの?」
「どうして薫はっ……」
『あ、あの……』
二人の口論が激しさを増してきた時、セラが控えめに声をあげる。
『空気を悪くしてしまいました、本当にごめんなさい。私、競技で失敗しないよう努力致しますので……どうかお二人は喧嘩なさらないで下さい』
一度場が静まり返り、取り敢えず二人とも黙ってくれる。
完全に険悪な雰囲気だけど、せめてこの場はセラのためにも明るくしようと僕が口を開くことにした。
「それにしても、今日が良い天気で良かったですよね」
「総司さんは黙っていて下さい」
「………」
折角この気まずい空気を変えようと思ったのに、結局それすら突っぱねる王女の態度に心底辟易する。
けれど気を取り直したように微笑むと、王女はまたセラに良からぬ話題を提供した。
「そういえばセラさんはまだ縁談は決まってないのですか?」
『はい。まだデビュタントも迎えておりませんので』
「ですが公爵家安泰のためにも、早めに良い方とご縁を結ばれた方がいいと思いますよ」
『ですが……父もまだ焦って決める必要はないと言ってくれております』
「随分とのんびりされているのですね。あ……、そうだ。私がセラさんのために良い方を何人か見繕って紹介して差し上げます。王家からの紹介なんて名誉なことでしょう?」
完全にセラを虐めることにしたのだろう、以前までの建前上の優しさはまるで見られなかった。
そしてそれはセラや王太子も感じ取ったからこそ、再び場の空気が冷たいものに変わった。
『千鶴様のご厚意、心より感謝申し上げます。ですが、今はまだ学業に専念したいと考えております。将来のことは今は考える余裕がなく……』
「セラさん、わがままなことは仰らないで。私の厚意を無碍にするおつもりですか?」
『申し訳ございません、そういうわけではないのですが……』
「あなたもご自身の家の未来をもう少し真剣に考えないと駄目ですよ。総司さんも、セラさんにはいち早く将来のお相手を探して貰いたいですよね?」
俯いたまま悲しみに耐えるセラの唇や握った手は僅かに震えてしまっていた。
その様子を目の前に相槌なんて打てる筈もなく、同じ思いだったのか王太子も苛立たし気に口を開こうとした。
けれどその刹那、セラが顔を上げ王女の名前を呼ぶ。
その瞳は潤んでいたけど、その奥にはしっかりとした意思が宿って見えた。
『確かに家の未来は大切です。ですがアストリアの家を守るためには、早急に縁談を決めることが最優先事項だとは考えておりません。私の立場をしっかり築き、家の方針に沿って歩んでいくことこそが公爵家にとって最も有益だと信じております。それに結婚は家のためだけではなく、私自身が納得し、相手と共に歩む大事な選択です。ですから千鶴様のお考えには、従うことは出来ません。申し訳ありません』
はっきり告げられた言葉には、セラの揺るぎない気持ちが現れていた。
けれど最もなことを言われて反論出来なかったのだろう、王女はいきなり側にあるカトラリーケースを中身ごとセラに当てつけた。
『………っ』
「おい、千鶴……!」
中に入っていたカトラリーか、ケースそのものがぶつかったのだろう。
セラの左側の額は切れて、血が少し滲んでいた。
痛みより王女の同行に驚いた様子のセラの元、僕は直ぐに駆け寄ろうと席を立つ。
でもそんな僕の手は掴まれて、見れば王女が冷たい眼差しで僕を睨み上げていた。
「総司さん、行きますよ」
『千鶴様……申し訳ありませんっ……』
「今はあなたの顔を見たくないの。ついてこないで」
王太子に引き留められたセラをおいて、僕は王女と共にテントに戻る。
これから競技があるというのにあんなことになって、セラの精神面や額に負った傷が心配だった。
それに僕の心には常に靄がかかり、このゲームに従った先に本当に僕達にとっての明るい未来があるのか考えると不安で堪らなくなる。
傷付けられたセラをおいて行くという行為は、自分の中でとても許せる行為ではなかった。
「なんであんなことしたんです……!?」
「あれは生意気な口をきいたセラさんが悪いんです」
「だからってあんなものを投げつけて、何かあったらどうしてくれるんですか……!」
「別にどうもしませんけど。あの程度で薫もあんなに慌てて馬鹿みたい」
結局王女の苛立ちの一番の原因は、ここ最近王太子がセラ側についていることだろう。
今もくやしそうに顔を一度歪ませると、再び僕を睨み上げた。
「総司さんも、どうしてセラさんのところに行こうとしたの?」
「そんなことしてませんよ」
「総司さんは私の近衛騎士でしょう?」
瞳に涙がこぼれそうなくらいたまり、僕を見上げた時にそれはぽろぽろこぼれ落ちる。
思わず顔を顰めたけど、彼女はそんな僕に言った。
「前にセラさんにしていたみたいに、涙を拭って慰めて……」
「……え?ここでですか?」
「テントで見えないのだから出来る筈です」
確かにここはどこよりも囲まれている空間ではある。
それでも入り口だけは開いているから、念の為顔を出しテントの周りに人がいないか確認をした。
万が一にも誰かに見られれば、僕が王女に手を出したと思われ兼ねない。
何よりセラに見られればそれ以上に最悪だから、慎重になるのは当たり前だった。
「分かりました。涙を拭えばいいんですね」
「それといつもみたいにキスをして。セラさんが泣いていたらあなたはそうするでしょう?」
「いや……、それは……」
「私をセラさんだと思って愛情込めてして頂けたら、今日のゲームはクリアにします」
「……それは本当なんですよね。これ以上、セラに何もしないって約束してくれるんですか?」
「ええ。もう今日はセラさんとは話したくはないし、そうなるとゲームもできません。だからここでいつもみたいにして下さい」
これでこの人に触れるのは何度目になるんだろう。
この一年、セラに触れるよりこの人に触れることの方が当たり前に多かった。
それが現実だと思い知らされるたび胸の奥がひどく痛むけど、僕の頭の中にはいつだってセラの顔が浮かんでいた。
公爵邸で見せてくれた、あどけなくて愛らしいあの笑顔。
そして僕の前で涙をこぼしたセラの泣き顔も何度となく思い出す。
君が泣いた時、僕はそっとその頬を包んで、何度も涙を拭ったよね。
誰にも見せない弱さを僕にだけ見せてくれた君が愛おしくて、あの泣き顔さえも可愛くてたまらなくて、本当は泣き止ませたいと思いながらもずっと見ていたいとさえ思った。
そんな想いが蘇ったまま、今僕は別の誰かの涙を拭っている。
たとえ何度この人に触れても、僕の心はたった一人、セラにしか向いていない。
だから僕は最近、こんなふうに考えるようになった。
目の前のこの人が、もし姿を変えたセラだったらって。
そう思えばほんの少しだけ気持ちを切り替えることができるようになった。
自分でも情けないと思いながらも、そうでもしないと壊れてしまいそうで、立っていることさえ辛くなる。
そして何より、この事実を知った君がいつか僕から離れてしまうことが怖くて堪らなかった。
でも僕は、ただセラの元に帰りたい。
君の傍に立ち君を護る毎日に、もう一度戻りたい。
そのためならどんな理不尽もどんな屈辱も耐えてみせると決めたから、触れたくないこの人にそっと唇を重ねる。
そして柔らかく舌を絡めながら、僕は心の中でただ一つの願いだけを繰り返していた。
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