5
昨晩、約束の時間に庭園に行った僕は、セラが来るのを待っていた。
でも二十分、三十分と時間が過ぎてもセラは現れないままで、何かあったのかもしれないと気掛かりになる。
来る可能性を考えれば中々立ち去ることも出来ないし、あの子に会いたいと思う気持ちが勝ってしまうから二時間近くは待っていたと思う。
城の明かりが一つ、また一つと消えていく中、静寂が僕を嘲笑うかのように孤独を仰ぐ。
最終的に痺れを切らして城へと出向いたものの、セラは十時以降に城から出ることは禁止されているらしい。
警護の騎士団員に追い払われ、結局会えないまま自室へと戻ることになった。
そして次の日、やや鬱々としながら午前中の任務を終えた僕は、色々な意味で疲労感のある身体を動かしあの子の姿を探していた。
でも僕にぶつかってきたセラは、僕を見るなり明らかに浮かない顔になり、一回も笑顔を見せてはくれない。
昨晩の約束のことを聞いても僕の方を見ないまま特に用はないと言うし、正直意味が分からなかった。
自分で言うのもなんだけど、僕は気が長い方じゃない。
いくら優しくしてあげたいと思っても、面白くない時にはそれが言葉や顔に出てしまう。
そしてそれは素直なセラにも言えることで、僕に見せる顔は膨れていたり喜んでいたりと様々で。
そんな感情のまま表情を変えてくれるところがセラの魅力の一つだと思っていたし、その変化を見るのが好きだった。
でも僕の言葉を聞いて何も言わなくなったセラは、俯いたままきつく唇を結んでいる。
僕を見てもくれなくなった瞳は見て分かるほど涙で揺らいでいたから、そこでようやく言い過ぎたことに気付いた。
今にも泣き出してしまいそうな愛らしい顔を見てしまえば、先程までの苛立ちや自分の中のくだらない意地は驚くほど簡単になくなって、今度は罪悪感や節操感が込み上げてくる。
ここ最近、自分でも信じられないくらい揺れ動いてしまう自分の感情を持て余し気味だけど、今も正にその状態だった。
「……ごめん、言い過ぎたよ」
僕らしくもなく、謝罪の言葉がいとも簡単に口を割って出てくるのは、目の前のこの子に悲しい顔をさせたくなくて必死だからだ。
それでもそんな僕の想いは届いていないのか、セラは首を横に振るとそのまま僕に背を向け城の中へ戻ろうとした。
「セラ、待って」
『……ごめん……今は総司と話したくない……』
セラが怒ってそう言ったのなら、まだ強引にでも引き止められたかもしれない。
けれど彼女の声や僅かに見えた横顔はあまりに頼りなくて、無理強いして嫌われることを恐れてしまったら最後、掴んだ腕から手を離すことしか出来なかった。
セラが見えなくなってからもその場から動けずにいた僕は、こうなってしまった理由や今の状況をもう一度考える。
でもそこに現れたのは顔を見たくもない人物だったから、僕の眉は自然と顰められた。
「本当に彼女を怒らせるんですね」
「……まさか見てたの?」
「立ち聞きするつもりはありませんでしたけど、これを返しに行こうと思って歩いていたら丁度通り道に君達がいたので」
本当か嘘かは分からないけど、伊庭君の手には確かに城の図書室で借りただろう一冊の本があった。
「それにしても年下の女の子相手によくあんなきつい言葉が言えますよ。あまり僕の幼馴染を虐めないで貰えませか?」
「別に虐めてるつもりはないよ。それにちゃんと仲直りするからほっといてくれる?」
「仲直りできるでしょうか。彼女の方はもう沖田君と話もしたくないみたいでしたけど」
いちいち癪に障る言い方をしてくる伊庭君に、今は言い返す気力もない。
無言のまま背を向けて訓練場に戻った僕は、雑念を振り払うように剣術の稽古に専念することにした。
それからどのくらい時間が経ったのか、室内の訓練場の窓を見れば、外はすっかり暗くなっていた。
長い時間ここで鍛錬をしていたものの、今日は然程調子が良くないらしい。
その原因は分かっていたけど、その手を止める気にはなれなかった僕がひたすら素振りを繰り返していると、背後から声がかけられた。
「沖田さん、まだ稽古なさっていたんですか?」
「……ああ、山崎君か。お疲れ様」
「お疲れ様です。頑張るのは良いことですが、あまり無理をなさらないで下さい。お身体に障ります」
近藤さんの専属騎士である山崎君は、剣の腕も立つし、真面目で勤勉。
流石は専属騎士に選ばれるだけのことはある。
今も護衛の任務を終えてからここに来たのだろう、ここから自主的に稽古に取り組もうとしている彼の姿勢には好感が持てた。
「山崎君こそ毎日働き詰めで疲れてるんじゃない?無理しないでね」
「自分は時間を持て余すより忙しい方が向いてる性分なので問題ありません」
「真面目だね、山崎君は」
「沖田さんこそ、見習いを卒業した後も、人一倍努力されていると聞きましたよ。思いの外、真面目で驚きました」
「それって褒めてるの?貶してるのかな」
「褒めているつもりです。近藤さんも沖田さんの成長を期待して楽しみにされていますよ」
人柄の良い近藤さんを慕っている僕としては、あの人に期待してもらえるのは嬉しいし光栄だ。
でもそれと同時にセラの顔も浮かんでしまったから、稽古の甲斐もなくまた雑念塗れになってしまった。
「そう言えば、昨日はなぜ庭園に行かれなかったんですか?」
「え?何のこと?」
「昨晩、お嬢様が長いこと庭園で待たれていたので声を掛けてみたのですが、沖田さんを待っているとおっしゃっていましたよ」
思いがけない人物から思いがけない話を聞いて、素振りをする手の動きが止まる。
「それって何時頃?」
「八時半を過ぎた辺りだったかと。その少し前に俺は沖田さんが原田さんや藤堂さんといるところを見ていたので、そのことをお伝えしたのですが」
「ねえ、セラはいつから待ってたの?」
「自分が最初にお嬢様見たのは七時頃だったので、一時間以上は待たれていたと思います」
約束を忘れてしまったんですか?という山崎君の問いに返事もしないまま昼間のやり取りを考える。
その話が本当だとすれば、会った時に元気がなかったあの子の様子にも納得がいった。
「沖田さん?」
「ああ……ごめん。昨日は時間を間違えちゃったみたいでさ。セラはそんなに待ってくれてたんだね。僕が来なくて怒ってた?」
「いえ、怒ってはいませんでしたよ。お嬢様も自分が時間を間違えたとおっしゃっていました。ただ薄着だったので、とても寒そうに見えて心配していたのですが、山南さんの話では先程熱で倒れてしまったようで」
「え、倒れたって……セラは大丈夫なの?」
「残念ながら自分はまだ会えていないので詳しくは分かりません。ただ、すでにお休みになられたと伺いましたので、おそらくご容体は落ち着かれているかと思います。元気になったら沖田さんも気にかけて差し上げて下さい」
山崎君の話で大体の事情は分かったものの、自分のかけてしまった言葉を思い出せば体調は勿論のこと、あの子を傷付けてしまったことが気に掛かる。
セラからしたら僕が何かに機嫌を損ねて昨日の約束をすっぽかした挙句、酷いことを言ってきた身勝手な奴だと思ってるだろうし、昼間の自分の言動には後悔しか残らなかった。
でも何故お互い時間を間違えて解釈してしまったのかと考えた時、一つの可能性が浮かび上がる。
はっきりさせないと気が済まない性分もあり、僕は迷うことなく伊庭君の部屋へと訪れた。
「また沖田君ですか。僕と仲良くなりたいと思ってくれているみたいで嬉しいですね」
「思ってもないこと言ってないで、本当のこと話したら?」
「何のことです?」
「昨日の伝言、僕に嘘の時間教えたよね」
僕の質問に顔色一つ変えない伊庭君は、いつもの如く優しそうにも見える微笑みを浮かべている。
「身に覚えがありませんけど」
「僕に九時に庭園って言ってたけど、本当は違う時間だったんじゃないの?」
「いえ、僕は庭園に七時とお伝えした筈ですよ。もしかして時間を聞き間違えてしまったんですか?」
「ふざけないでくれるかな。君は僕に九時って言ったよ」
「言ってませんよ。仮にそうだったとして、僕が九時だと言った証拠はあるんですか?」
昨日は元々左之さん達と七時から夕飯を食べる約束をしていたから、時間を聞いて被らなくて良かったと考えていたんだ、勘違いする筈がない。
勿論被ったら被ったで皆に断りを入れればいいだけなのに、柔らかい笑みを浮かべた伊庭君は認める気はないのか開き直ったようにそう言った。
「僕に攻撃するのは好きにしていいけどさ、あの子を巻き込むのはやめてもらえるかな」
「セラに良くない影響を及ぼしているのはむしろ君の方だと思いますけどね。まあ、今回のことで彼女も目を覚ましてくれるといいのですが」
「君って本当に性格悪いね。こんなのが幼馴染なんてあの子が可哀想だよ」
「僕からしたら、君みたいな野蛮な人に好かれて彼女が気の毒でなりませんよ」
多分、今この手に木剣があったら伊庭君に向かって振り上げていただろう。
そのくらい怒りの感情が湧いていたけど、セラとの約束を守るためにも私闘は厳禁という規則は守らなければならない。
次に手合せした時はぼこぼこにしてやろうと思いながら、半ば無理矢理苛立ちを抑え込んだ。
「まあいいよ、今回のことはなかったことにしてあげる。その代わり、次に何かしたら容赦しないから覚えておいてね」
「望むところです。僕も君が彼女に何か悪影響を及ぼすようなら、その時は黙っていません」
一方通行の話に見切りをつけた僕は、伊庭君の部屋を出て稽古をしている山崎君の元へと戻る。
専属騎士に伊庭君が抜擢されることだけはあってはならないと思うのと同時に、自分の腕を一日も早く上達させたいという意欲も強まった。
「沖田さん、おかえりなさい」
「ただいま。山崎君はもう城に戻るの?」
「はい。一つ庶務が残っていたことを思い出したので帰って片付けます。沖田さんはまだ続けますか?」
「いや、僕も今日はこれで終わりにするよ。それで山崎君に頼みがあるんだけど」
帰り支度をしている山崎君と並んで、僕も木剣を片付ける。
そして城の三階へ入れる山崎君に、今からセラのお見舞いに行きたいから同行を許可して貰おうとしたけど、山崎君は少し呆れた顔で僕に言った。
「お嬢様のお部屋にお通しするなんて出来るわけがないでしょう。そもそも三階は立ち入り禁止だとご存知ないんですか?」
「それは分かってるんだけどさ、山崎君が同行してくれるなら問題ないかなって思うんだけど」
「問題大有りです。専属騎士でもないのに、お嬢様の部屋に男が入るなんて言語道断ですよ。山南さんですら近藤さんの同行なしでは入れないのに、沖田さんが入れるわけないじゃないですか。しかもこんな夜遅くに」
「へえ、そうなんだ」
じゃあこの前三階に入れたのはセラが許可してくれたからで、かなり特別なことだったってこと?
貴族の家の厳しい規則にはどうにもいまだに馴染めない。
「へえ、そうなんだ、ではありませんよ。全く……問題を起こさないで下さいよ。何かあれば、俺が近藤さんや山南さんからお叱りを受けてしまうんですから」
「わかってるよ。城の三階には入れないってことはよく理解したから安心して。そもそも城の入り口や二階の階段前にも警備兵が立ってるんだから、勝手に入ることも出来ないじゃない」
「理解して頂けたのならいいのですが」
山崎君にあまり信用されていないのか、彼は怪訝そうに僕を見ていた。
そんな山崎君と稽古場を出て、僕は一度自室へと戻る。
そして汗を流すためシャワーを浴びると、再び身支度を整えて外へ出た。
城の敷地内はとにかく広い。
城の周りはそれなりに明るく、城の入り口の前には常に二人の警備兵が立っている。
そしてその警備はたとえ夜が深くなっても変わることはなかった。
「まあ、そうなるよね」
最初から正面突破出来るとは思っていない。
だからこそ前回彼女の部屋に入った時、周りの様子を色々と確認しておいたんだ。
これでも観察力だけは長けている方で、例えば城の向かって右端が死角になっていることや、そこに背丈の高い木々があることも確認済み。
いざという時、行動出来るように準備しておく臨機応変さが必要だよね。
「よいしょっと」
背の高い木の幹を伝い、枝を巧みに掴みながら迷いなく上を目指す。
やがて二階に面した石造りの縁に軽やかに降り立つと、そのまま壁の窪みに足を引っ掛かけ、三階のバルコニーへと跳び移った。
そこにはセラの部屋と専属騎士用の部屋へと続くガラス扉があり、カーテン越しに淡い明かりが揺れているのが見えた。
ここまで来て、勝手に部屋に入り込んだ時のあの子の反応を考えると、怖くないと言えば嘘になる。
それでもこのガラス越しに体調を崩してしまったセラが寝ていると思えば、会いたいと思うこの衝動は収まってはくれなかった。
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