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夕方になり、体調が悪いままヴァイオリンのレッスンを受けていた私は、レッスンの途中に倒れてしまったらしい。
部屋に運ばれてお医者様に診て頂くと、診断は風邪。
暫く安静にするよう言われ、治るまでは部屋で休むことになった。
一度は眠ることが出来たけど、寝苦しさから目を覚ますと熱のせいか身体がやたら熱い。
一度さっぱりしたくて湯船に入り、新しいナイトウェアに袖を通して再びベッドに身体を沈めた。
「セラ、起きているか?」
ドア越しに優しいお父様の声がして、「どうぞ」と声をかける。
外でのお仕事を終えて帰宅されたお父様は、私の体調を心配して様子を見に来てくれたようだった。
「山南君から倒れたと聞いたが大丈夫か?無理をしてはならんぞ」
『ありがとうございます。少し良くなってきたからもう大丈夫です』
「しかし心配なのだ。何かあった時に備えて、やはり早く護衛役を選ばないとならんな」
『でもまだ……そんな直ぐには決められないと思います……』
専属騎士を選ぶ前に、三人に絞ると言われた護衛役。
勿論総司にお願いしたいから、思わず唇を噛み締めた。
だって今日の様子だと、総司は私のことを良く思っていないみたい。
体調の悪さのせいで気持ちに余裕がないのか思わず涙ぐんでしまうと、お父様が慌てた様子で私の肩に優しく触れた。
「どうした?どこか痛むのか?」
『いいえ……』
「すまなかったな、護衛の話は今する話ではなかった。今はゆっくり休んで身体のことだけを考えなさい」
『はい……。ありがとうございます、お父様』
「何か果物でも用意するよう言っておこう。栄養のあるものを食べて早く元気になるんだぞ」
大好きなお父様が頭を撫でて部屋から出て行くと、部屋にはまた静寂が戻る。
真っ暗な部屋は苦手だから薄明かりのまま横にあるクッションに抱きついて、今日あったことを思い返していた。
あれから何度考えても、総司が怒っている理由が分からなかった。
どうして昨日は来てくれなかったのか、何に腹を立てているのか、もう私のことはどうでも良くなってしまったのか……。
話すことが怖くなって逃げ出した結果、何も聞けないままになってしまった。
それなのに私の身体はこんなになって、きっと数日は外に出ることはできないだろう。
あと数日は不安な状態のまま過ごさなければいけないと思うと、目尻から涙が溢れ落ちた。
『う……ぐすっ……』
こんな時、お母様が生きていてくれたら相談出来たかもしれないのに、今の私には悩みを打ち明けられる人がいない。
優しくて心配性なお父様には成長する毎に全てを話せるわけではなくなってしまったし、山南さんや山崎さんも同じ。
侍女の方々も優しい人ばかりだけど、年齢が離れていることもあって気軽に話せる間柄ではなかった。
でも総司は今まで出会ってきた人とは違う。
主従関係を然程気にしないでいてくれる彼は、私に飾らず接してくれる人だった。
年が近い友達のような、それでいて頼れるお兄様のような、特別な存在。
総司といると自分でも驚くくらい感情が揺れ動いてしまうけど、同じような毎日を繰り返していた私にとって、それが新鮮で大切な時間だった。
だから総司との関係は大切にしたかったけど、総司の本音は私とは全く違うのかもしれない。
なかなか会えないうえ、会えたと思えば総司は怒っていて、今日は話すことさえ怖くなってしまった。
明日の朝は目が腫れて大変なことになっていそうだけど、総司や騎士団の方々には会わないからどうでもいい。
そんな思いから目を瞑ったまましくしく泣いていると、すぐ近くで何か音が鳴った気がした。
思わず目を開けて上体を起こし、自分の背後を振り返る。
するとベッドの右側は当たり前にカーテンがあるだけだったから、少し安堵しながら再びベッドへと寝転がった。
でも私のものとは違う石鹸の香りがした気がして、静止したままその理由を考えていたけど。
いきなりフードを被った怪しい人影が目の前に現れたから、思わず悲鳴を漏らした。
『……いやっ……誰っ……』
「しーっ、僕だから」
手で口を塞がれて怖くて堪らなかったけど、耳に入ってきたのは何度も聞いたことのある声。
フードを取ったその人は、私を見て少し困ったように微笑んでいた。
「何もしないから叫ばないでくれる?」
思わず頷いた私に安堵した顔をすると、そっと離れていく温かい手。
寝ている私を見下ろしているのは、他の誰でもない総司だった。
『……総司……?』
「うん、驚かせてごめんね」
驚き過ぎていまだに激しく鼓動している心臓は、少し経ってもなかなか落ち着いてくれない。
代わりに涙は止まったけど、総司を見つめたまま言葉一つ出てこなかった。
ベッドサイドに腰掛けた総司は、そんな私を見下ろしながら再び私に手を伸ばす。
総司は泣き過ぎて少しヒリヒリした目元を撫でると、静かな声で話し掛けてきた。
「体調は?大丈夫?」
『うん……大丈夫、平気だよ』
「でも顔が熱いね、まだ熱がありそうだな」
おでこに触れた手がそのまま梳くように前髪を撫でる。
そのどこか懐かしい心地良さは私をあやすように優しくて、そこに言葉はなくても気にかけてくれていることは伝わってきた。
『どうして総司がここにいるの?』
「どうしてだと思う?」
質問に質問で返す総司をただ見つめていると、廊下を走る音が聞こえてくる。
隣の部屋の山崎さんが私の悲鳴を聞いたのかもしれない。
直ぐに部屋のドアは慌ただしくノックされた。
「お嬢様!大丈夫ですか!?入りますよ!」
「うわ、やば」
総司は何を思ったのか、いきなりベッドの中へと入り私の背後に回り込む。
驚いて思わず上体を起こしてしまったけど、そんな私の身体は後ろから伸びてきた腕に引き込まれて、またベッドの中へと沈められた。
「今悲鳴が聞こえましたが、何かありましたか?」
少し息を切らした山崎さんは心配そうに眉根を寄せて、私の傍まで来てくれた。
でもベッドの中には総司がいて、腹部に回された腕が私に余計なことを言うなと伝えているかのようにきつく私を引き寄せてくる。
そのことを意識したら心臓がまた早鐘のように鳴り出すから、頭の中が真っ白になりそうだった。
「お嬢様?大丈夫ですか?」
『あ……ごめんなさい。大丈夫です』
「それなら良いのですが、あの悲鳴は何だったんですか?」
『それは……えっと、部屋に虫がいたので驚いてしまって』
「虫……ですか?」
『もう出て行ったみたいなので大丈夫です』
咄嗟に答えた嘘に山崎さんは小首を傾げて、大きい四枚の窓に近寄る。
そして何かに気付くと、少し怒り口調で話し始めた。
「鍵どころか窓まで開いたままですよ。このままの状態でお嬢様を寝かせるなんて、侍女は一体何をしているんだ」
『あの、それは私がさっき開けたんです』
「お嬢様が?」
『はい、熱のせいでちょっと暑くて……』
今は別の意味で身体が熱くて、早くどうにかしないと余計に熱が上がりそう。
そのために会話を早く切り上げようと、作り話をしてにっこり微笑みを作ってみせた。
「そうですか。しかし夜は冷えますし、開けたままでは危険ですから閉めますよ」
『はい、ごめんなさい』
「それと侍女が用意した果物を持ってきましたので、良かったら召し上がって下さい」
『ありがとうございます、いただきます』
ベッドサイドの丸テーブルに綺麗にカットされたりんごや苺の入ったお皿を乗せて、山崎さんは出て行こうとする。
でも一度後ろを振り返ると、まだ何かあるのか私の方をじっと見つめていた。
「お嬢様、随分大きくなられましたね」
『え……そうですか?』
「はい、寝姿が思いの外大きく感じたもので。身長が伸びたのではないですか」
『あはは、そうだったら……嬉しいな……』
残念ながら私の身長はここ最近殆ど伸びていない。
大きく見えるとしたら、今ここに私以外の人が寝ているからだ。
「そう言えば沖田さんがお嬢様のことを心配されていましたよ」
『総司が?』
「はい。先程お嬢様が熱で倒れたことをお話ししたら、お見舞いに行きたいと言っておられました。勿論ここは立ち入り禁止なのでお断りしましたが」
『そうですか……』
これまでの山崎さんとの会話から、総司がここに無断で侵入したことや、その目的が私のお見舞いであることが分かった。
そして侵入の経緯は、ベッドサイドの窓からだということも。
「では、お大事になさって下さい」
『山崎さん、ありがとうございます。おやすみなさい』
「おやすみなさい」
優しい笑顔を浮かべた山崎さんに笑顔を返して、ドアが閉まるまで見送る。
暫くしても誰も入ってこないことを確認してホッと息を吐き出したけど、総司はずっと動かずに私を腕の中に閉じ込めたままだった。
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