7
セラと別れた後、気分を害した王女が競技に出ることを拒み、僕達は宮廷へと戻ることになった。
僕の目の前には、王太子がセラ側についていることを不快に思っているだろう王女が、その感情を隠さないまま座っている。
僕は最後のセラの様子に言いようのない不安を感じながら、あの泣き顔を思い出していた。
今まではどんなに泣いていても、いつもその瞳は一生懸命だった。
でも今日は何かを諦めてしまったような、光を失ってしまったような……そんな瞳に見えて、その涙の理由を直ぐに聞くことすら出来なかった。
競技でのことは相当怖かっただろうし、王女のせいで精神的に疲れてしまっただけかもしれないけど。
いつだって前向きなあの子が初めて見せた表情だったから、どうしても忘れることが出来ないでいた。
「セラさん、総司さんを取られた腹いせに私から薫を奪う気だと思いませんか?」
セラはそんなことを考える人間ではない。
でも反論したところで聞く耳を持たないだろうし、また何かを投げつけられても嫌だから、僕はだんまりを決め込んでいた。
「総司さん?聞いてますか?」
「……聞いてますよ。そんなに王太子殿下のことが心配なら、僕を解放してセラのところに返して頂けません?そうすれば全て元通りになると思いますけど」
「どうしてそんなことをしなければならないの?それこそセラさんの思う壺です」
「でしたらこの状況も仕方ないんじゃないですか?」
「仕方ないって……。総司さんは私の近衛騎士でしょう?もう少し真剣に考えてください」
「お言葉ですけど、僕は好き好んであなたの下に仕えているわけではありませんので真剣に考えてと言われても難しいですよ。それを承知の上で、僕を無理矢理従わせてるのだとばかり思っていましたけどね」
想いのままに言葉を吐き出せば、王女が目を見開き怪訝そうな顔になる。
そしていつものごとく、眉を顰め攻撃的な言葉を吐いてきた。
「そういう態度を取るのでしたら、私もセラさんに遠慮をしなくていいということですね」
「そもそも遠慮なんてしてないじゃないですか。今日もあんなものを投げつけて、挙句馬にまで細工して。セラを殺す気ですか?」
「なんのことかしら?そもそも落馬したくらいで死なないと思いますよ」
「何を根拠にそんなこと言えるんです?セラに危害を加えるならあなたのことを見過ごせないって、僕は言いましたよね」
静かに睨みつける僕に、王女もその瞳を細めて見せる。
落馬していた時のことを考えれば怒りは収まるどころか、僕は再び王女に向かって言葉を続けていた。
「セラに危害を加えられるのが一番困るので、今までは僕も大人しくしていましたよ。でも今、王女殿下にとって予想外のことが起こってるみたいですよね」
「予想外のこと?」
「王太子殿下ですよ。王女殿下がセラに何かしたら、あの人が黙っていないんじゃないですか?そうなったら、王女殿下の脅し文句は僕には一切通用しなくなる筈だ」
王太子のあの様子は、かなり王女に腹を立てていた。
あの妹贔屓は絶対に覆らないと思っていたけど、ここ最近は二人の仲も険悪だし、恐らくそこにセラが絡んでいる。
王太子の僕を睨む目つきも以前とはまた異なり、それはセラに対する想いが変化したからだと感じた。
「薫は私の味方でいてくれます。どんな時もそうでしたから」
「そうですか。それならそんなに苛々する必要はないんじゃないですか?」
「先程から随分と生意気ですけど、私が言えばあなたの立場は一気に危うくなるのですよ?仮にセラさんのことを薫が護ったとしても、あなたを護ってくれる人は誰もいません。そのことに気付いてらっしゃいますか?」
「勿論そうかもしれませんね。でも僕としてはセラを人質に取られるより、よっぽど自由に動けるんですよ。それに僕があの子の傍からいなくなれば、王太子殿下が余計にセラとの距離を詰めることになり兼ねないと思いますけど」
「おかしいことを言うんですね。薫はそこまでセラさんを大切には思っていないわ。きっと気まぐれに優しくして楽しんでいるだけです」
どちらに転んだとしても、僕からしてみれば最悪だ。
この人に関わったばかりにセラと離れてもう一年以上。
こんな時間を過ごす為に回帰したわけじゃないと心中で歯噛みした。
それに今回の世界では、今まで以上にセラに悲しい想いばかりさせている。
あんな風に泣かせる為に、僕は近衛騎士の道を選んだわけではないからこそ、今日の泣き顔を思い出せば、無性にやるせない気持ちになった。
それから数刻して、王太子も戻ってきたらしい。
僕が公務の件で王女の部屋を訪れていると、不機嫌さながらな態度で彼は中へと入ってきた。
「これは何?」
王女の目の前に置かれた器具は、セラの乗っていた馬に仕掛けられていたものだった。
「さあ?私には分かりません」
「しらばっくれてないで答えなよ。どうせ千鶴が指示を出して護衛の奴らか何かにこれを仕込ませたんだろ」
「そうだとしたら何だというの?いつもの暇潰しのゲームなのに、ムキになっているのは薫の方だわ」
「まあいいよ、言いたくないなら別に。でも俺はもう、そのゲームとやらを降りさせてもらうよ」
「……どうして?」
「面白くないんだよ、こんなことしてたって。今まではお前のくだらない遊びに付き合ってあげてたけど、それももう終わりだ。続けたいなら一人でやればいい」
はっきり言い切った王太子は、僕の予想通り完全セラ側につくことにしたのだろうか。
いつになく冷たい視線で王女を見据えていた。
「薫だって今までは楽しんでいたのに、どうして急に……?」
「確かに以前までは暇潰しにはなっていたよ。虐める相手も失礼な態度を取ったり生意気な奴だったり、俺も気に食わない相手ばかりだったからね。でも、セラは違う。あいつはお前に何もしてないだろ。お前が沖田を引っ張ってきて、無理にあいつまで巻き込んでるだけだ」
「……そう。つまりセラさんを気に入ったからゲームを降りるということなのね」
「ああ、そうだよ。だから今後はくだらないことにセラを巻き込まないで貰いたいね。遊びたいなら沖田と遊んでいればいいさ」
ここ最近は専らそうであるように、王太子に向かってティーカップが投げつけられた。
その行為に怒りを感じただろう王太子は、目を見開くなり王女の腕を掴み上げていた。
「やっ、痛い……っ」
「お前、今日あいつの顔に傷をつけたよね?どういうつもり?」
「あれは……わざとやったわけではないわっ……」
「今後、セラに何かしたら俺が黙ってない。また離宮に戻されたいの?」
「や……、薫っ……!離宮は嫌……!」
「だったらこれからは大人しくしてるんだね。いい子にしてるんだったら、これからも妹として可愛いがってあげるよ」
僕はずっと、どちらかと言えば王女が王太子を従えているのかと思っていた。
この人のわがままにいつだって王太子は従っていたし、うんざりした顔をしながらもあまり逆らうことはしていなかったからだ。
でも実際は逆で、王女は瞳に涙を浮かべながら大人しく頷き王太子の言うことには従うつもりらしい。
腕の拘束が離されても、ただ悲しそうに王太子を見上げていた。
「そう言えば、セラからの伝言だ。今日のことを深くお詫び致しますって。悪いのは千鶴なのにね」
「……セラさんは他に何かおっしゃっていた?」
「明日からは一緒に昼食を摂らないって。まあ無理もないよね。俺もお前がセラに近付くのは嫌だし、こうなって丁度いいよ」
「薫はセラさんと昼食を摂れなくなってもいいの?」
「俺は食べるよ?たまに誘うつもりだ。セラも是非って言ってくれたしね」
「……え?その間、私は……?」
「知らないよ。千鶴も友人でも作ればいいんじゃない?まあ、もう誰もお前となんか親しくしたいとは思わないだろうけどね」
捨て台詞を吐いて王太子が出て行くと、王女はその場で涙を流した。
くやしそうに唇を噛み締める姿を横目に王太子を追った僕は、迷うことなくその後ろ姿に声をかけた。
「王太子殿下、今お時間宜しいですか?」
「ああ、沖田か。今日はよくセラを助けられたね。偉かったんじゃない?」
「……ありがとうございます」
こうなってしまった以上、あの王女にはもうセラとの橋渡しは期待出来そうにない。
それが分かっていたからこそ毅然にかつ丁重に言葉を選んでいると、王太子は愉快そうに笑い始めた。
「この前まで生意気に睨んできてたのに、今日は大人しいね。もしかして、千鶴はもう使えないから俺に手紙の橋渡しをして欲しいとか思ってる?」
確信をつくような質問に、短く肯定の返事をして眉を寄せる。
すると王太子は意地の悪い笑みを浮かべて、そんな僕を見つめていた。
「へえ、そうなんだ」
「毎日でなくても構いません。セラと会った時は王女殿下の代わりにお願いできますでしょうか」
「それは厳しいかな」
「それは……どうしてです?」
「セラが今日言ったんだ。もう手紙は書かないって」
「………え?」
「俺は書きたいなら渡してあげるよって言った。でも、セラは断った。なんでだろうね?」
最初はただの意地悪で僕を煽るために王太子が出鱈目を言っているのだろうと思った。
でもこれだけ状況が変わった上、いつもとは明らかに違ったセラの様子を思い出せば嫌な汗が額を伝うのを感じる。
「まさか、殿下がまた何かセラに吹き込んだんですか?」
「心外だな。俺は何一つ余計なことは話してない。言っておくけど、これは本当だ」
「だったらなんでセラは急に手紙を書かないなんて言ったんです……!?」
「俺に聞かれても分からないよ。俺は何も言ってないし、だからと言ってお前を援護することもしていない。これはセラが一人で考えて決めたことだからね」
「でしたら……僕の手紙をセラに渡して貰えませんか?」
「なんで俺がそんなことしないとならないの?お断りだね」
「何か誤解をしているに決まってますから、その誤解を解きたいんですよ」
「誤解ね。解いたところでどうなるの?」
「どうなるって……」
「こうなった以上、きっと千鶴はお前のことを意地でも離さないよ。会えもしないなのにセラを悲しませて縛って、お前は何がしたいの?」
この一年、解放されることだけを信じて必死に指示通り過ごしてきたつもりだ。
そうすることでしかセラを護れる道も自由になれる道もなかったし、僕はセラのところに戻りたい。
それは絶対に譲れない想いだったからだ。
でも実際今の僕達はこんなにも拗れて、この想いすら伝わっている気がしない。
あの涙はきっとそういうことだと歯をきつく食い縛り、今日一日の自分の行動を悔いることしか出来なかった。
「お前が千鶴の相手をしてくれるから助かるよ。これで俺は、心置きなくセラにいける」
「……は?何言ってるんですか?あの子を渡す気なんてないですよ」
「ただの騎士風情が何を勘違いしてるんだろうね。お前と関わってると、セラが幸せになれない。現に泣かせてばかりいるじゃないか」
「それは僕が近衛騎士にならざるを得なかったからですよね。全ては王女殿下が発端です」
「それに逆らう権力のないお前が悪い。弱者は結局言いなりになるしかないんだよ。でも俺がセラの相手なら、誰もあいつに手出し出来ないし、千鶴からも護ってやれる。どっちの方がセラの相手に相応しいか、その足りない頭で考えてみたら?」
そんなこと、嫌という程分かってる。
ここに来る前から、それこそセラに出会ったばかりのころからずっと感じていたことだった。
だから少しでもセラに相応しくなりたくて、剣術を極め専属騎士になり、ようやく手にした爵位。
でも、どんなに努力してもどんなに欲しても、騎士に与えられる最高位はセラと肩を並べるまでには至らなかった。
それを権力がないから悪い、駄目だと言われてしまえば、僕にはもうセラとの未来を望むことすら許されないことになる。
そんな世の中に生きていることが、酷く辛く感じられた。
「相応しい相応しくないで言ったら、僕はセラの相手に相応しくないんでしょうね」
「ようやく分かったんだ、遅いね」
「でもそれを決めるのは王太子殿下でも僕でもない、セラが決めることですよ。セラが望んでくれるなら、僕は騎士として堂々とあの子の隣にいることが出来ます」
以前まで、セラは僕に懸命に伝えてくれていた。
僕といることが一番幸せだと言ってくれた君は、心からそう思ってくれていた筈だ。
だから諦めるわけにはいかないと王太子を真っ直ぐ見据えていたけど、大きな瞳を苛立たしげに細めた彼は冷たい口調で僕に言った。
「あっそう。まあ、勝手にすれば?とにかく俺はお前に協力するつもりはないし、セラから手を引くつもりもない。俺がどう動くかは俺の自由なんだから、好きにさせて貰うよ」
こうなった以上、このまま素直にここにいても何の解決にもならないだろう。
僕が考えるべきことは、どうにかしてセラに会うことだと結論づけた。
ここから自由に出られない身や、王女がセラとの橋渡しを出来ない今の状況を考えると、学院に同行することが一番可能性が高い方法だと考えられる。
セラの顔を浮かべながら過去の記憶を思い返し、何か方法を考えろと必死に頭を巡らせる僕がいた。
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