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それからというもの、薫様は私に頻繁に会いに来るようになった。
朝礼までの少しの時間も、授業の合間も、放課後だって、気づくといつも私の教室にいる。
最近は周りから噂されるくらい薫様の行動は有名になっていて、私としてはどうするべきか頭を悩ませていた。
「今日は珍しく来ないな」
お昼休み、皆で昼食を広げた時、はじめがクラスの中を見回してそんなことを言う。
誰が来ないかというのは名前を言わなくても分かるから、私は取り敢えず微笑んでみた。
「本当に大丈夫なんですよね?」
「本当に優しいの?」
「本当に困ってないんだよな?」
伊庭君と、千ちゃん、平助君に同じような質問をされて苦笑い。
皆は薫様の最近の行動に驚愕しながらも、いつも私の様子を気にかけてくれていた。
『うん、とても親切にして貰ってるよ。だから困ってるわけではないんだけど……』
正直、この先どうしたらいいのかについては頭を悩ませている。
薫様はあれ以来、特に何も言ってくることもないまま、ただ私を気遣い優しくしてくれるだけだけど、私の気持ちは多分ずっと総司から動かない。
それなのにご厚意に甘えるだけ甘えるのは良くないと思っていた。
けれどそのことを言葉を選んで伝えてみても、薫様は構わないという。
総司を好きなままでもいいから一緒にいたいとも言ってくれる。
そんな優しい人を拒絶できるわけもなく、一緒に過ごす毎日が続いていた。
「でも、あんなに会いに来るっていうことはセラちゃんのことが好きってことよね?」
千ちゃんの質問に固まってしまうと、私の後ろからは「そうだよ」と言う声。
驚いて振り向くと、今日初めての薫様が笑顔で立っていた。
『薫様……』
私が慌てて立ち上がると、薫様は眉尻を下げて微笑むと軽く手を上げて私を制した。
「今日は公務があって学院に来るのが遅くなったんだ。セラに会いたくなって来ただけだよ」
その穏やかな声に、教室の生徒達がざわめき始める。
皆は視線を薫様と私の間に行き来させながら、小声で何かを話していた。
「王太子殿下」
平助君が薫様に頭を下げ、伊庭君も軽く膝を折りながら敬礼した。
「殿下がこちらにいらっしゃると存じず、失礼をお許しください。セラの護衛を務めております、伊庭八郎と申します」
「同じく藤堂平助です」
二人の声は落ち着いていたけれど、内心では警戒していることが伝わってくる。
二人は私を護るためにどんな状況でも気を抜かないでいてくれるけど、そんな彼らに薫様は穏やかな口調で答えた。
「構わないよ。事前に知らせるべきだったのは、むしろ俺の方だしね。君達がしっかりとセラを護ってくれるから、俺も安心してセラを任せられるよ」
その言葉に二人は微妙に表情を和らげたけど、まだ完全には警戒を解いていないようだった。
「これからもセラを頼むよ。セラの生活が安全で平穏なものになるよう、君達がいてくれることはとても大切だからね」
「殿下の信頼に応えられるよう、務めを果たしてまいります」
「必ずセラの安全を最優先にお守り致します」
「頼もしい限りじゃないか。でもそんなにかしこまらなくていいよ。俺は君達と仲良くなりたいんだ」
薫様はにこやかにそんなことを言うと、空いている椅子を自ら運び、私の横に座った。
「今日は俺もここで食べていいかな?」
その言葉に驚いたのは私だけではない筈だ。
場は静まり返ってしまったけど、伊庭君が機転をきかせて薫様の場所を開ける。
千ちゃんやはじめまでが挨拶をして、結局六人でお昼を摂ることになった。
「そんなに緊張しないでよ。気さくに話してくれた方が俺としては嬉しいんだけどね」
すっかり無言になってしまったから、薫様はそう言って微笑んでいる。
『今日も薫様お一人ですか?』
「うん、そうだよ。千鶴は元気なんだけどね、学院には行きたくないらしい」
「王女殿下はいつもお城で何をされているんですか?」
「勉強やレッスンはしてるみたいだけど、あとは本を読んだりとか……最近はよく沖田と過ごしてるみたいだね」
千ちゃんの質問に薫様がそう答えると、また皆で無言になる。
けれどその沈黙を破ったのは平助君だった。
「一つお聞きしたいんですが、総司はいつ頃任期を終えられるんでしょうか?」
私は皆に、総司のことを詳しく話していなかった。
手紙のことも、帰るつもりがないことも、王女殿下との関係のことだって、何一つ伝えていなかった。
だから唇をきつく結んでいると、薫様が目を瞬いて言葉を続けた。
「あれ?知らないの?」
「はい、何も」
「沖田はもう、公爵家に戻る気はないと思うよ」
分かっていたことなのに、改めて他の人の口から言われて傷付いているなんて馬鹿みたいだ。
皆の驚愕した眼差しが薫様から私に向けられて、私は懸命に口角を上げることしかできなかった。
「あ……ごめん。これ、言わない方が良かった?」
『いえ、皆にも話そうとは思っていましたから』
「……それでは、セラは知っていたのですか?」
『うん……。前に総司と二人で会う時間を作ってもらったんだけどね、その時に言われたの。直ぐにみんなに言わなくてごめんね』
「それは……王女殿下のご命令で、ということだろうか?」
『ううん。任期が終わっても、千鶴様の体調が不安定なうちは戻らないで宮廷で生活しようと思うって総司から言われたの』
「は……?それ本当か?」
「沖田君がセラちゃんにそう言ったの……?」
涙が込み上げてきてしまったから、それに耐えることに精一杯で頷くことしか出来なくなる。
するとそんな私は見て、平助君が慌てたように明るい声で話しかけてくれた。
「いや、でもさ!王女殿下の体調が良くなったら戻ってくるってことだろ?」
「そうですよね。でしたら戻ってくるつもりはないという意味ではないですよ」
「いや、千鶴は幼い頃から病弱でね。体調が安定することはもうほぼないと言ってもいいんだ。沖田もそれは分かっている筈だよ」
「つまり総司はセラの元に戻るつもりはないということだろうか……?」
「そうだろうね。ただ千鶴と仲良くしてくれるのは兄としてはありがたいと思ってるよ。沖田はいつも千鶴の側にいて、誰よりも千鶴のことを気にかけてくれてるんだ。ただ……セラには申し訳なくてさ」
皆の私を気遣うような視線が痛くて、どんな顔をしていいのかも分からなくなる。
こうなることが分かっていたから言い出すことが出来なかったけど、皆にとっても総司は仲間であり大切な友人だ。
きちんと伝えなければ駄目だから、私の口からも話そうと顔を上げた。
『悲しくないって言えば嘘になるけど、私は総司が選んだ道なら応援したいと思うんだ。それにほら、会おうと思えばいつでも会えるし、総司が王家で認められることは私にとっても嬉しいことだから……。だから私は全然大丈夫。でも……言うのが遅くなってごめんね。皆に気を遣わせちゃうかなって思ったら、なかなか言い出せなくて……』
「セラちゃん……」
瞳を潤ませて千ちゃんは私に勢いよく抱きついてくるから、抱きしめ返してその頭を撫でる。
ずっと躊躇っていたけれど、こうして皆に正直に話して少しホッとした気がした。
「そうだったんですね……。僕はてっきりそろそろ戻ってくるのかと思っていました」
「ああ、もう一年以上が経過したからな」
「でも……なんでだよ。それってセラより王女殿下を選んだってことなのか?」
「平助君、そういうことを言うものじゃないわ」
「いや、だってさ……納得いかないじゃん」
「沖田はただ騎士として忠実なんだよ。今まではセラの専属騎士だったからセラに忠実だった。でも今は千鶴の近衛騎士として、千鶴を支えたいと思ってくれてるんだろうね。いつも献身的に看病してくれて、本当に俺も感謝してるよ。だから沖田のことはあまり悪く思わないでやって欲しい。千鶴も沖田が側にいるから、今心が凄く安定してるんだ」
薫様が総司を庇ってくださるから、嬉しいのと同時に切なくなる。
総司の今の様子が分かり、本当に千鶴様を選んだことを受け止めざるを得ない言葉だった。
『千鶴様が総司がいることによって救われているのでしたら本当に良かったです』
「ああ、本当にね。でもセラは複雑だよね」
『いえ、私は大丈夫ですよ』
「何度も言うけど、俺が力になるから。沖田の分を埋められるとは思ってないけどさ、今まで千鶴のわがままにも沢山付き合って貰ったしセラには悲しい思いをこれ以上して欲しくないんだ」
『そんな、私は本当に』
「俺は真剣だよ。真剣にお前とのことを考えてるし、承諾して貰えたらいつでもセラを迎え入れる準備だって出来てるから」
真剣にぶれない瞳で薫様が言うから、私は目を見開く。
それと同時にガタガタっと音がなり、驚いた様子ではじめが席を立った。
「それは……どういう?」
「ああ、実はこの前セラに求婚したんだ」
『薫様っ……』
「ごめん、つい言いたくなった」
凄く愛らしく微笑んで、薫様が無邪気にそう言った。
クラス中がどよめいて、私は皆の視線を一斉に浴びながら顔を火照らしていった。
「え、まじ!?凄いじゃん、セラ!」
「つまり君が、未来の王妃様ということですか?」
「セラちゃん、凄いわ!王太子殿下のお心を射止めるなんて!」
『ううん、違うの。そういうわけじゃなくて』
「何が違うの?俺はセラが好きだよ。俺の婚約者になって欲しい。俺と結婚しよう」
嘘でしょう……?
こんな公衆の面前で、手を握られて二度目の求婚をされるなんて思ってもみなかった。
「ちなみに、今度改めてきちんと求婚させてもらう予定だ。だから学院で適当に済ましたとは思わないで」
『はい……。あ、いえ……そうではなくて』
「分かってるよ。セラの気持ちが固まるまでは待ちたいと思っている。でも最近は俺も陛下から早く相手を決めろって、口煩く言われていてさ」
『そうなのですか……?でしたらやっぱり私は……』
「だからこの前、セラのことを話したんだ。そうしたらとても喜んでいてね、君を是非王家に迎え入れたいと仰っていたよ」
『え……?』
「勿論セラの気持ちがまだ固まっていないことも話したし、俺はセラ以外とは結婚する気はないということもはっきり告げた。そうしたら多少は待ってくださるそうだ」
待って……、もう国王陛下にまで私のお話がいってしまっているということ?
私の気持ちが固まるまで、国王陛下までお待ちになってくださるということなの……?
『こ、困ります……!私はまだ』
「セラちゃん!おめでとう!凄いわ、とっても素敵なお話じゃない!」
「近藤さんも絶対喜ぶって!」
「驚きましたが、セラが王太子殿下に見初められるというのはとても喜ばしいことです」
三人は何故か凄い祝福してくれるし、はじめは呆然としたまま何も話さなくなってしまうし、薫様は慌てる私を嬉しそうに眺めていた。
でも私は内心でとても焦っていて、この状況にとてつもない不安な感情を抱いてしまう。
総司のことがまだこんなにも好きなのに、他の人との婚約や結婚なんてとても考えられない。
「良かったね、皆が俺達を祝福してくれてるよ」
「私王太子殿下はもっと怖い方かと思っていたわ。でも私達にも分け隔てなく接してくださるし、セラちゃんのことをとても大切に考えてくださるしとても素敵な方じゃない」
「そう言ってもらえて嬉しいよ。俺はずっと君達ともお昼を食べたかったんだけどね、千鶴が嫌がるからそれも出来なかったんだ。だからこうして話せて今日は良かったよ」
「王太子殿下、これからもセラを宜しくお願いいたします。殿下が優しい方で僕も心から今安堵しております」
「総司のことは残念だけどさ、セラの気持ちを分かって支えてくれる王太子殿下が側にいてくださることは本当に良かったと思ってるんだ。だから二人仲良く、愛情を深めていってくれよな!」
この流れで余計なことは言えなくて、私はその場で無理矢理笑顔を作る。
そして暫くして教室を出て行った薫様を追いかけて、彼に声をかけた。
『薫様っ……』
「慌ててどうしたの?」
『あの……先程のこと、困ります……。私はまだ……』
「分かってるよ。だから待つって言ってるだろ?」
『ですが……』
薫様は護衛の顔をちらりと見て、私の手を引き歩いていく。
その様子を廊下にいる他の生徒達もちらちら見ながら何かを話しているから、落ち着かない心情でついていくことしか出来なかった。
「さあ、ここなら二人きりだね」
いつもの王家専用の部屋の中、薫様は私を壁との間に挟んで笑顔で見下ろしている。
その近さに圧倒されて思わず彼の胸を押せば、薫様はくすくすと笑っていた。
「で、どうしたの?」
『皆の前で結婚のお話は困ります……。それに国王陛下にお話をしたというのは本当ですか?』
「ごめんね。そうでもしないと無理矢理縁談を結ばされそうだったんだ。それだけは嫌だったから、気付いた時にはついセラの名前をね」
『ですが私……、お応えできないです』
「どうして?」
『私はまだ……少し待って頂いたとしてもそう簡単には気持ちは変わらないんです』
「それでも構わないって言ってるだろ?」
『それは薫様や薫様のご家族の方に対しても失礼だと思います』
「俺以外には言わなければいいし、俺が構わないと言っているんだから気にする必要はない。それにずっと沖田を想い続けていたって、意味がないだろ?」
『それは分かっています。でも自分でも好きなことをやめたいと思っても……気持ちだけはどうにもできないんです』
総司を求めてしまうことは、もう仕方のないことなの。
それはもう多分ずっと前、出会った頃からそうだったように私の中で至極当たり前のことで、一番大切なことだった。
この気持ちを蔑ろにしたくはないし、この気持ちのまま誰かに嫁ぐこともしたくない。
今は悲しくても、まだこの気持ちを温めてただ普通に生きていきたいのに。
「……そうか。じゃあやっぱり沖田を嫌いにならないといけないね」
『え?』
「いや、セラは沖田がそんなに好きだったんだねって。でもいつまでそれを引きずるつもり?そんなこと、沖田だって望まないんじゃないかな」
『そうかもしれないですけど……』
「まあ、今すぐどうこうじゃない。今日は好きでも明日になれば好きじゃなくなることもある。だからあまりセラも考え過ぎず、今は俺との時間をゆっくりとした気持ちで過ごして欲しい。これからは誰にも余計なことは言わないから、それならいいよね?」
『はい……』
「良かった。そう言えば、リュネットの怪我はすっかり治ったよ」
『え、本当ですか?良かった……』
「今度また会ってあげてよ」
『はい』
薫様は優しい。
教室に戻って皆とも話したけど、皆薫様のことを優しい方だと口を揃えて話していた。
だからこそ断り難くもあって頭を悩ませていたけど、薫様が言った沖田だって望まないという言葉が何度も頭の中で繰り返される。
お父様にもデビュタントを迎えた暁には縁談を進めるよう言われていたこともあり、少しずつ総司のいない未来を歩かなければいけない状況に胸を痛ませることしか出来ないでいた。
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