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あの日、どうして僕はセラに寄り添ってあげなかったんだろう。
あんなにも悲しそうな顔で僕を見つめていたのに、そのままセラを行かせてしまった自分をただひたすら悔いていた。
その結果、あの日以降僕に手紙は届く筈もなく、今となってはセラが日々をどう過ごしているのかも分からない。
王女も城に引きこもってばかりで学院にすら行かないし、セラとの接点はまるでなくなってしまっていた。
「こんなふざけた世界なら、もういらないよね」
何の意味もなかった。
二度回帰して、この世界に来て。
あの王女に目をつけられたことで、近衛騎士になって。
今日まで必死に生きてきたけど、この世界ではセラの傍にいられないどころか、今までにないくらい沢山あの子を傷つけた。
そして多分あの子はもう、僕のことを見限ったのかもしれない。
そう思うと、この世界に何の価値も見出すことは出来なかった。
だからもう終わりにしようと真剣を取り出し、新しい世界に行きたい衝動に駆られる。
でもセラが生きている状態で回帰が出来るかすら分からない今、一か八かで試してしまうことは酷く怖く感じられた。
それに僕が諦めてしまえば、風祭の日のセラを悲しみのまま置き去りにしてしまうことになる。
それだけは絶対にしては駄目だと頭を抱え、身動きの取れない現状にただ悲しみと悔しさを募らせるだけだった。
そんな僕は任務や稽古、王女の身の回りの世話や日課をこなし、忙しい毎日を過ごしている。
その傍らで王女にはどうにか学院に行って貰おうと、日々説得を繰り返していた。
「ですから、私は行きません」
「少しは外に出ないと治る病気も治りませんよ」
「治らなくて構いません。あなたはどうせ私と学院に出向いて、セラさんに会いたいだけでしょう?」
「否定はしませんけど、王女殿下のお身体を心配しているのは本心ですよ」
この人が学院に通わなくなってから、宮廷の空気はどこか重苦しくなった。
特に王太子様との距離が開いているのを、僕も側近として日々感じている。
王女は表面上は気にしていない素振りを見せているけど、そうではないことは明白だった。
「今更行く理由がありません。薫は私がいなくても毎日楽しそうに学院に通っているみたいですし」
「それが問題だと思いますよ。王女殿下だけが学院にいらっしゃらないことで、周囲の者たちが余計な憶測を抱くことになるんですから。王家の絆が薄れたと思われるのは決して良いことではありませんよね」
「知ったことではないです」
「でしたらせめて僕を解放してください、それか手紙を出させてください」
「それは駄目です。薫からあなたが余計なことをしないよう見張るように言われてるの」
「あの契約はどうなったんです?僕はセラを傷付けてまであなたの言われた通り命令に従いましたよね。中途半端に終わらせてなかったことにするのはあまりにも勝手じゃないですか?」
王女側の事情で続行できないのであれば、僕側に落ち度はない。
だからこそ告げた言葉に、王女は眉を吊り上げいつもの如く側にある本や調度品を僕に投げつけてきた。
「あなたの事情なんてどうでもいいわ!もう出て行ってください……!」
あの日以来、変な要求はされていないものの、こうして部屋を出されることは頻繁だった。
何もできないまま月日だけが流れ、あの風祭の日から二ヶ月近くが経とうとしていた。
このままでは本当に手遅れになると、僕は意を決して足を進める。
行きたくはなかったその場所は、王太子の自室だった。
「王太子殿下、今お時間宜しいでしょうか」
「やあ、沖田。今日も妹の面倒をみてくれて感謝するよ」
ここ最近、この男はやたらと機嫌がいい。
皮肉めいた言葉を口にしながらも、その顔には笑みが浮かべられていた。
「あれ?顔色悪いね、凄い疲れた顔してるよ」
当たり前だ。
先の見えない毎日に辟易している上、セラとは連絡すら取り敢えない。
この地獄のような日々があと何ヶ月、何年続くのかと思えば、死ぬことより生きていることの方が怖く感じるくらいだ。
「そんな怖い顔で睨まれてもね。で、要件は?」
「僕の任期はいつ終わるのでしょうか」
「知らないよ、千鶴に聞いてくれない?」
「勿論聞きましたよ。ですが王女殿下は王太子殿下に僕を見張るように言われていると仰ってましたけど」
「ああ、そう言えばそんなこと言ったっけ」
「このまま任期も分からず、手紙すら出せない状況が続くなら僕も国王陛下に直接お話させて頂きます。ゲームを強要されたことなども全て報告させて頂きますので」
「沖田が言いたいなら俺は止めないよ?ただ国王に俺達のことを報告するなら、覚悟しておいた方がいい。あの人は自分や俺達の立場を守るためなら容赦なく相手を排除する人だからね。まあ、お前が愚かな行動を取ればお前自身が犠牲になるだけだから好きにすればいいよ」
余裕ある表情でそう言った王太子は、「話はそれだけ?」と笑顔で言う。
恐らくそれははったりではなく本当のことなのだろう、僕は拳を握りしめ相手を見据えた。
「せめてセラに手紙を出す許可を頂けませんか」
「駄目に決まってるだろ。今、セラはお前を忘れようとしてるんだ。なんでわざわざ思い出させるようなことをしないとならないんだよ」
「……セラが、僕を忘れると言ったんですか?」
「手紙を出さなくなったということはそういうことだ。それに最近はよく笑ってくれるようになったよ。沖田がいなくてもセラは毎日楽しそうにしているから、心配しないでくれ」
何よりも痛い言葉だった。
セラには笑顔で過ごしていて欲しいと思う反面で、まだ僕を想ってその胸を痛めて欲しいとも思ってしまう。
そうでなければ今こんなにも苦しい自分の心が壊れてしまいそうで、耐えられなかった。
「そんなことを仰られても僕は納得出来ません」
「お前の納得なんて必要としていない。セラが幸せでいられるかどうかを考えるべきなんじゃないの?」
「お言葉ですが、殿下はセラの幸せが何か分かってらっしゃるんですか?」
「当然だ。なにせ俺はこの国の王になる。あいつの幸せを保障出来る立場にいるのは俺だけだ。お前みたいな一介の騎士にはその責任を追う力なんてないだろ?」
「それは殿下がただ地位や力だけで幸せが保障されると思っているだけですよね。セラが本当に望んでいるものを考えたことがないからそんなことが言えるんですよ」
あの子は決して地位や権力で幸せをはかる子ではない。
だからこそ迷いなく僕を選んでくれたし、今も変わらないと信じられるからこそ告げた言葉だった。
「そんなものはセラだって分かってないよ。だからこそ俺が正しい道に導いてあげる必要があるんだ」
「導く?そんなものはただの押し付けですよね。セラが望むのは誰かの都合に振り回されることではなく、自分の選択で生きることだと思いますけど」
「そうだね。だから俺はセラに一切無理強いはしていない。それにその話で言ったら、セラは沖田と離れることを自分で選択したんだ。それをお前が認めないなら、それこそただの押し付けじゃないか」
「それはセラが何か誤解をしているからです。その誤解を解きたいと思って何がいけないんです?」
「お前がセラの傍にいることは、あいつにとって何の利点にもならないからだよ。だからお前はここで千鶴のためだけに生きればいい」
思わず怒りから懐に手を伸ばしそうになったけど、それを無理矢理押さえ込む。
僕の心情を見透かしているだろう王太子は、何がおかしいのか笑い出し再び僕を見下すように見つめていた。
「最近わかってきたんだけどさ、セラって強引に迫るより優しくしてあげた方が心を開いてくれるよね」
「……何の話です?」
「お前も専属騎士っていう立場を利用して、あいつに毎日優しくしてあげてたのかなって思ったんだよ。だからセラはそんなお前をたまたま好きになったけど、別にそれってお前じゃなくても良かったんじゃない?」
「話が見えないんですけど。何が言いたいんですか?」
「お前はもうセラにとって必要ないってことだ。セラは俺といて嬉しそうに笑ってくれるし、今日なんてセラの護衛やクラスの友人とも昼食を摂ったんだけどさ、とても楽しかったよ。皆はもうとっくにお前のことなんて忘れてるのに、いつまでも引き摺ってるのはお前だけだってどうして気づかないんだろうね」
それは胸を抉るには十分過ぎる言葉だった。
僕のいた場所に今はこの王太子がいると思えば、こいつを受け入れて欲しくなかったという悔しさも溢れてくる。
僕がここに来てからもう一年以上が経ってしまったけど、誰も僕の帰りを待っていてくれないのかと唇を噛み締めた。
「ああ、それと……千鶴があまりにも学院に行かないから、そろそろ通わせないと俺が国王からご指摘を受けそうなんだ。お前もやたら頑張って千鶴を説得しているみたいだけど、多分千鶴はそのうちまた通うことになると思うよ」
「……そうですか」
「俺はもう千鶴といるのは嫌だから、多分千鶴は沖田を復学させて連れて行くんじゃないかな。あいつは昔から一人が苦手だからね」
「それは僕もまた学院に通うことが出来るということですか?」
「恐らくね。クラスは変更するようになるとは思うけど」
絶望の中にいたけど、学院に通えるとなればまだ光が見えてくる。
セラにも会えるし、伊庭君や平助にも現状を伝えることができる。
そんな期待で痛み切った心が少し膨らむ気がしていた。
「嬉しそうだね」
「僕が学院に通うことはお止めにならないんですね」
「止めたところで千鶴は聞かなさそうだ。俺にまとわりつかれるよりかはいいってだけだよ」
終始余裕の笑みを浮かべているこの男が何を考えているのかこの時の僕には分からなかった。
ただ一刻も早くセラと会って話がしたい。
その気持ちだけが僕を動かすからその日を待ち遠しく思いながら、憎らしく見えるその顔をただまっすぐ見据えていた。
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