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あの日以来、学院の中では私と薫様が婚約しているという噂で持ちきりになった。
お昼の時に求婚された話は勿論、私が顔を赤くして喜んでいたとか、既に私が宮廷で生活を始めているなど、色々と好き勝手言われているようだった。
『どうしよう……』
まさかこんなことになってしまうなんて考えてもみなかった。
顔見知りの人達には勿論否定したけど、そんなことをしたところでこれだけ多くの生徒を抱える学院ではあまり意味がないように思える。
「何がどうしようなの?」
私の呟きを拾った薫様は、皆で食事を摂るお昼の時間、大きな瞳で私を見つめた。
『私達の噂のことです。もう学院内全てに広まってしまってしまってるんですよ?この前なんて、先生方にまで祝福されてしまって……』
「はははっ、良かったじゃないか。これで先生からの評価もより上がるだろうし、セラを虐める奴もいなくなるよ」
『そういうことではなくて……。まだ婚約していないのに問題だと思います』
「今、まだ……って言ってくれたね」
『え?』
「まだしてないって言うってことは、そのうちするつもりでいてくれてるってこと?」
つい口から出た言葉に深い意味はなかったのに、そんなことを言われたら自分の発言が恥ずかしくなり、思わず首を横に振った。
『違います、そういう意味ではなくて』
「あーあ、残念。いつになったらお前に振り向いて貰えるんだろうね」
『薫様、一度噂をおさめて頂けませんか?』
「どうやって?俺がセラに求婚したけど、受け入れて貰えなかったって言い回れってこと?」
『いえ……そうではなくて。私が薫様のお相手として役不足だったということで構わないですから。私がふられた設定なら、問題ないですよね?』
「嫌だよ。俺はセラをふったりなんて絶対しないのに、なんでそんな嘘を言わないとならないの?」
『でも私、クラスでも未来の王妃様扱いになってしまってるんです。恐れ多過ぎて耐えられません』
知らない生徒は愚か、今では以前私に敵意を向けてきた女子生徒達までにこやかに手を振ってくださる始末。
やたら注目されてしまうし、皆を騙しているみたいで心苦しかった。
「心配には及ばない、そのうち慣れるさ」
『慣れる慣れないではなく、皆に嘘をついているわけではないですか。それは良くないと思うんです』
「それなら今すぐ本当にすればいい」
『…………』
薫様の言葉に私は無言になり、その様子を見ていた皆はくすくす笑っている。
ここ最近、薫様はいつも私達と一緒にお昼を摂っているから、すっかり皆と仲良くなっていた。
楽しそうにしている薫様を見られることは嬉しいけど、元々総司のいた場所に他の人がいる今が辛く感じられた。
でも、総司は今千鶴様といられて幸せな筈。
自分の選んだ道を、自信を持って進んでいる筈。
だから総司、大丈夫なんだよね?
私、このままこうして総司を忘れた方がいいんだよね……?
「ふふ、薫様って本当面白い」
「セラが反論出来なくなってるじゃん」
「セラがなかなか心を開いてくれないからさ、最近落ち込み気味なんだ」
「どこかです?毎日へこたれずに口説いているので、その精神力の強さには脱帽させられますよ」
「確かにな。だがあんたの想いの強さは伝わってくる」
「俺もそう思うんだけどね」
皆の視線が向けられて、私は取り敢えずにこりと笑う。
それでも複雑な心情はなくなってくれないから、結局ずっと総司のことばかり考えていた。
「もうすぐ星祷祭があるけれど、セラちゃんは薫様にエスコートして貰うのよね?」
千ちゃんの言葉を聞いて思い出す風祭の帰り道。
思わず薫様の方を見ると、にやりと意地悪な笑みを浮かべている。
「そうだよ。俺がエスコートしてあげる予定だ」
「ふふ、何故そんなに偉そうなんでしょうか」
「だって俺は次期国王だからね、偉いのは当たり前だろ?」
「ははっ、自分で言うなって」
「俺もセラをエスコートしたいと思っていたのだが」
「駄目だよ、セラとはもうだいぶ前から約束してるからね」
心に蘇る学院祭で総司と踊ったあの日のこと。
あの時は楽しくて幸せで、ずっとこれからも総司と一緒にいられると思っていた。
でも離れ離れになってとっくに一年。
今では一緒にいられない毎日が当たり前になってしまったけど、声も聞けない、笑顔も見られない、そんな毎日がこれからもずっと続いていくんだ。
「セラちゃん?」
『あ、うん。薫様にエスコートして頂く予定だよ』
「セラに似合うドレスを選び始めてるんだ。何色が似合うか決め兼ねているけどね」
『ありがとうございます……』
「楽しみにしてるよ、その日」
「私も」という言葉が出てこなかった。
誤魔化すように微笑んでやり過ごす私は最低だと思った。
でもこうして複雑な気持ちになるのは、総司に対する罪悪感だと気付いた今、何に対して罪の意識を感じているのか自分でもよく分からなかった。
それに薫様が一生懸命愛情を伝えてくれているのに、前に一歩も進めていない自分が嫌い。
いい加減今の状況を受け入れないとならないと唇を結んだ時、不意に薫様が少し思い詰めた表情で話し始めた。
「そう言えば、皆に話しておきたいことがあってさ」
『はい?』
「千鶴のことなんだけどね、来週からまた学院に通うことになったんだ」
もう三ヶ月近く休んでいた千鶴様が来る。
それはとても良いことだと思うけど、私にとっては気が重いことでもあった。
だって千鶴様を見れば、どうしても風祭の時のことを思い出してしまう。
テントでの二人はいまだ鮮明に頭の中に残っているから、もう思い出したくはないのに。
『良かったですね、薫様も安心できるのではないですか?』
「そうだね。でも精神的にまだ少し不安定で、ちょっとしたことに泣いたり物を投げたりしてしまうんだ」
薫様の暗い音色の声を聞いて、私達もただ静かに話を聞く。
大変な状況の中、私のために尽くしてくれている薫様を私も支えてあげなくてはならないと思ってしまうような表情だった。
「それで今、千鶴を支えてあげられるのが沖田だけなんだよね。だから沖田も復学して千鶴と一緒に通うことになると思うんだけど」
『総司が……?』
総司が学院に来る……。
それは私の鼓動を早めるには十分過ぎる言葉だった。
皆も一度目を見開いて、互いに顔を見合わせていた。
「勿論クラスは俺達のクラスに移ることになると思う。でもいくらクラスが離れていても会うことはあるだろ?」
「そうだな、選択科目とかでも他クラスとの交流はあるしさ」
「千鶴が少し疑心暗鬼になっていて、沖田がセラや、セラと関わりのある皆と話したりすることが凄い不安みたいなんだ」
『え……?それはどうして……』
「自分を捨てて沖田がセラのところに戻るんじゃないかってやたら心配してるんだよ。昨日もさ、千鶴が泣いたから、沖田は絶対に戻らないしずっと傍にいるから大丈夫だって言い聞かせてたんだけど、それでもなかなか落ち着かなくてね」
総司、そんなことを言ったんだ……。
そう思っても、もう驚きもしない。
涙も出なくて、こんな私でも少しずつ総司がいない生活を受け入れいるのかもしれないと思わずにはいられなかった。
「大変ですね……。でもその状態で学院にいらして大丈夫なんでしょうか?」
「確かに些か心配だな。俺達やセラに会うことでまた不安な心情になってしまうのではないだろうか」
「そうだね。でも俺は正直、それだって千鶴のわがままだと思うんだ。確かに気持ちは落ち込んでいるのかもしれないけど、なんでも許されるわけじゃない。そもそも沖田は元々セラの専属騎士だったわけだから、学院に顔見知りがいるのは当たり前だ。でも沖田がどうしても千鶴のことを守りたいらしくてね。セラや君達には極力話しかけて欲しくないみたいなんだよ」
「な……、なんだよそれ。俺達と話したくないってことなのか?」
「そういうわけではないよ。ただ沖田は本当に千鶴を大切にしてくれているんだ。だから昨日、君達にそれを伝えておいて欲しいと言われた」
総司とようやく話せると思っていた期待が打ち砕かれて、思わず膝の上で握った拳が震える。
思わず口から出た言葉は、とても頼りなさげな小さいものだった。
『それは……お二人のことを知らないふりをするということですか?』
「言い方は悪いけど、そういうことになるね。そうすることで千鶴が安心してくれるようになったら、また前まで通り話してもらって構わないと思うから、最初はみんなにも協力して欲しいんだ。こんなことをお願いして、本当にすまない」
「そんな、薫様……頭を上げて?」
薫様が頭を下げてしまうから、私達は慌ててそれを止める。
千鶴様の現状を聞いたら従わないわけにはいかないから、私達は皆で薫様の言葉に頷いた。
『分かりました。千鶴様のお身体のことが最優先です。私達はそのように致しますね』
「ありがとう、恩にきるよ」
出来ることなら総司と話がしたい。
これまでの総司の話を聞いて、総司の口から終わりを告げて欲しいと思った。
とても怖いことだけど、中途半端なままだから私はずっと引き摺ってしまう。
それならもういっそ、悲しくても辛くても総司からさよならを言って貰った方がいいと思えた。
そうでもしないと私はきっと、薫様のことも自分のこれからのことも全て中途半端になってしまいそう。
そうならない為にも総司との時間を作りたいと思わないではいられなかった。
でも総司がそれを望んでいないと分かった今、総司と会うことが怖くて堪らない。
私の知っている総司はもうどこにもいない気がして、ただ不安な気持ちだけが心に広がっていった。
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