5

その日の帰り道、馬車から外の景色をぼんやり眺めていると不意に平助君が少し怒り口調で話し始めた。


「ていうか、俺……今ちょっと腹立ってんだけど」

『平助君が珍しいね。何かあったの?』

「総司のことだって」


そう言った平助君の言葉に胸がズキンと痛み出す。
平助君は眉を少し上げて怒っている様子で、それに頷く伊庭君もいつになく顔を顰めていた。


「そうですね、平助君の言いたいことは分かります」

「話しかけるなっていうのはあんまりだと思うんだ。俺達はずっと総司のこと心配してたし、やっぱり久しぶりに会えたら話したいって思うじゃん。でも総司は違うんだなって思ったらなんか……今までの俺達の関係ってなんだったんだろうって思っちまって」

「まあ……元々沖田君は一つのことに夢中になると、そのことに気持ちを注いでしまうところがありますからね。きっと今は王女殿下のことが最優先なのでしょう」

「でも俺らといた時はセラが最優先だっただろ?そんな簡単に変わっちまうもんなのか?」

「仕方ありませんよ。何か理由があるのかもしれませんしね。ただ僕だって正直面白くはないです。沖田君にがっかりする気持ちはありますよ」


たった一年と少し。
その間にこんなにも人との関係は変わるものなんだと知る。
二人の会話を聞きながら何も言わずに寂しい気持ちになっていると、二人が私を見て眉を下げていた。


「セラ、ごめん……。こんな話、聞きたくないよな」

「セラだって沖田君のことは気にかかりますよね……」

『大丈夫だよ。複雑な気持ちはあるけど、総司が今千鶴様第一優先なのは分かってたから、そんなに驚きはしなかったかな』

「そうなのか?」

『うん。だって、ほら……見て?』


そう言って大きく瞳を開いて、そこを指差して見せる。
すると私と同じように、二人は可愛らしく目をぱちくり見開いていたから少し笑ってしまった。


『涙、出てないでしょ?』

「確かにそうですね」

「少し前までは、総司の話が出るたびに目がうるうるしてたじゃん」

『ね。だから私もだいぶ立ち直ってきたみたい』

「それなら良かったです。一時期は君が消えてしまいそうでとても心配していましたから」

『ふふ、消えるっていうのは大袈裟だよ』

「いや、でもマジで心配してたんだって。倒れたこともあったしさ」

『そうだね。色々あったし伊庭君と平助君には沢山心配かけちゃったけど、もう大丈夫だから心配しないで。私は二人が騎士として側にいてくれるだけで十分嬉しいんだ』


私が微笑めば二人も笑ってくれるから、これでいいんだと思える。
宙ぶらりんのままどちらに進めばいいか分からなかった頃より、こうして離れることが決まった今の方が良いと信じたかった。


「でもセラが元気になれたのって、王太子殿下のおかげでもあるよな」

「そうですね。セラは少し困ってるみたいですけど」

「ははっ、確かに。でも良い人で良かったよな。良くない噂があったから心配してたけど、全然普通って言うか、あの立場でも偉ぶってなくてむしろ気さくで話し易いし。もう一人の王女殿下の方はなんか癖ありそうだけどさ」

「殿下も苦労されているみたいですね。でもこの前、セラと婚約が出来たら王女殿下は離宮に移すと仰られてましたよ」

『薫様がそんなことを?』

「王女殿下は今色々不安定みたいですし、君を守りたいのでしょう。大切にされていますね」


千鶴様を離宮に移すという話が本当なのだとしたら、私があの二人と顔を合わさなくて済むように気遣ってくれているからかもしれない。
思っていたよりもずっと優しい薫様は、いつも私のことを考え、大切にしてくれているように思えた。
だから私も早く返事をしなければならない。
それでも心が固まらない理由が確かにあって、それが確実に私の心を縛っている。
いつまでもこのペンダントを外せないことが何よりの証拠だった。


夜になり、食事を終えた私がぼんやりと廊下を歩いていると、お父様が公務を終えて戻られたらしい。
山南さんに声をかけられるままお父様の書斎を訪れた私に、何故かお父様はにこにこと満面の笑顔を向けてきた。


「聞いだぞ!王太子殿下に見初められたそうではないか!」

『……お父様が何故それを?』

「いやあ、国王陛下から手紙を頂いたのだ。正式な婚約を結ぶ前に一度皆で食事でも交えないかと」

『それは本当ですか……?』

「勿論だとも!殿下がお前を強くご所望だと書かれてあった!」

「ふふ、近藤さんは本当にお喜びになっていらっしゃるのですよ。お嬢様が王太子殿下の心を射止められたので、我が公爵家も安泰ですね」

『ですがまだ私は返事をしておりません。将来のことなので私も真剣に考えたいのです』

「勿論焦る必要はないが、このような素晴らしい話はなかなかないぞ」

「これも沖田君が運んでくれたご縁です。大切にされて下さいね」

『そう……ですね。真剣に考えようと思います』



私の気持ちを置き去りに、どんどん話が大きく広がってしまう。
そのことに焦りと不安を感じながら、私は部屋へと戻った。
考えることを放棄して、ただ明日に必要な教科書類をまとめていく。
音楽の課題の確認をするため教科書をパラパラめくっていたけど、その手はあるページで止まってしまった。


『これ……』


懐かしい。
音楽の授業中、総司と書いた落書きだ。
私が書いた総司の絵の隣に、総司は私の絵を書き周りに沢山ハートを浮かべてくれた。
確か声楽の代表を引き受けた矢先、千鶴様が担当することになったから、私を気遣って総司が書いてくれた絵だよね。


『可愛い……』


もう大丈夫な筈だった。
それなのに流れ落ちる涙は、止まることなく溢れて、ずっと見ないふりをしてきた自分の気持ちまで剥き出しになっていくようだった。

だって、この日はきっと分岐点だった。
こんなことになると分かっていたら、総司に泣きついて声楽の代表なんて引き受けないでって言ったのに。
あの時の総司だったら、きっと私のわがままを聞いてくれたかもしれないのに。


『ど……して、どうして総司だったの……』


どうして千鶴様は総司を連れて行ったの?
あの日階段で助けたから、それで総司が気に入ったの?
でもたとえどんな理由があっても、あの人は私の大切な人だった。
総司が専属騎士になってくれることを、私は出会った頃からずっと待ち焦がれていたのに。
総司と一緒にしたいことや話したいこと、まだ沢山あったのに。
それなのに千鶴様は、私の一番大切な人をいとも簡単に連れ去ってしまった。
ようやく一緒にいられるようになったばかりだったのに、総司が専属騎士でいてくれた時間は千鶴様の近衛騎士でいるよりずっとずっと短い期間だった。


『……ずっと変わらないって言ってたのに……』


総司の言葉をずっと信じていたけど、結局総司は千鶴様を選んだ。
私が手紙を書かなくなっても、総司からは心配する手紙も届かなかった。
私はまだこんなにも大好きでこの想いを胸に生きてるのに、総司はもう千鶴様のことしか考えていない。
この夜始めて、綺麗だった思い出全てが灰色に滲んでいく気がした。


『……うっ……』


初めて込み上げくるこの気持ちは、苦しみや嫉妬、悲しみや憎しみ。
凄く汚いもので心の中がぐちゃぐちゃになって、自分が凄く醜い人間になってしまった気がした。
ただ純粋に総司を想えていた気持ちさえ今は歪んで、何もかもが嫌になる。
こんな感情、私は知りたくなかった。


『もうこれもしない……』


総司にもらったスフェーンのペンダント。
ずっとつけ続けていたけど、この夜初めて外した。
これをつけている限り、私はずっと総司に縛られてしまう。
それならもう外した方がいいと、大切にとってあった箱にしまった。
短剣もその箱も手紙も全てしまって、これでもう総司とはおしまい。
そう思えれば楽なのに……


『………ぅ………』


私は総司を想って、あと何回涙を流すのだろう。
何回この苦しい夜を越えたら、また元気に笑えるようになるのだろう。
こんな世界、もう意味がないと思えてしまうくらい今は悲しみしか見えない。
誰が隣にいてもこの気持ちは癒えることがなくて、ただ悲しみを抱いて一人涙をこぼすことしか出来なかった。


- 286 -

*前次#


ページ:

トップページへ