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王女が三ヶ月ぶりに学院に通うことが決まった。
国王の指示らしく、王女でも流石に逆らうことは出来ないらしい。
少し憂鬱そうにしながらも、僕の同行を条件に彼女は首を縦に振った。

そんな中、学院復学を目前に控え、僕の心は激しく揺れ動いていた。
ようやくセラに会える、直接顔を見て言葉が交わすことができる。
今までの遠ざけられていた苦しい日々を終わらせ、誤解を解くことができる。
そのための唯一の機会が訪れる筈だった。

でも僕が一歩を踏み出すたびに、どこかで待ち受けているものがある。
それが王太子の深慮遠謀だと気付いたのは、復学する前日のことだった。
その日、王太子が僕を呼びつけ、一通の書類を手渡してくる。
最初は他愛のない普通の任務かと思ったけど、手に取ってからその内容に言葉を失った。


「どういう意味ですか……、これは」


その文書には、僕がセラに接触することは王家の名誉を汚すことに繋がり兼ねないと書かれていた。
王女殿下の安全と秩序を守るため、セラとの接触を一切断ち、忠義に徹するようにという誓約書だった。
そして万が一にもこれが破られた場合、王家からセラに正式な婚約の命を下すという内容まで含まれている。
即ち王太子がセラと事実上の縁を結ぶことで、僕の行動を封じ込めるというわけだ。


「そのままの意味さ。お前はたとえ復学してもセラと接触することは許されない。会話は勿論、手紙を出すことや視線を向けることも禁止だ。セラの周りにいる護衛や友人とも、勿論交流してはいけないよ」

「なぜこんな命令を出されるんですか……!」

「セラにはもう俺がいるんだ。婚約の話だってとっくにした。心を固めようとしているところなのに、お前が接触することでセラの感情を掻き乱すのは得策じゃないからね」

「これはあまりに理不尽ですよね、セラの意思はどうなるんですか?」

「だから俺は今待ってあげてるんだ。あいつを急かしたくはないという俺なりの優しさだよ。お前もそう思うなら、余計な行動を起こさなければいいだけさ」


王女の近衛騎士という不本意な立場に縛られているけど、セラと言葉を交わせるならこの重い現実を少しは耐えられる気がしていた。
でも突き付けられた現実はあまりにも無情で、僕は拳をきつく握りしめていた。


「お前がこれを破れば、国王陛下に命を出して頂きセラに婚約を命じる。それがセラにとってどれほどの重圧になるか、お前なら分かるよね」


陛下の命令は絶対だ。
近衛騎士にならざるを得なかった僕は、その冷酷さを身をもって経験しているから嫌でも分かる。
だからこそ……


「殿下、どうかご再考下さい。僕は納得できません」

「沖田、お前の納得は必要としていない」

「殿下がどれだけ圧力をかけようと、僕は諦めませんけどね。僕はセラが望む未来を手に入れるために全力を尽くします」


鋭く王太子を睨みつけた僕に、王太子はしばらく無言のまま深いため息を吐く。
けれど椅子に深く座り直すと、冷たい笑みを浮かべて言った。


「そう、別にいいよ。お前の覚悟は分かったよ。でもその覚悟がどれほど無意味か、そのうち時間が証明してくれるだろうね」


僕はどうしてもセラの誤解を解かなければならない。
でもこの誓約に従わなかったことでセラがこいつと婚約することになれば、僕とセラの関係は永遠に切り離されることになる。
そんな状況に僕は耐えられる筈がない。
でもセラの笑顔を守るために、僕は何を選び、何を失うのか、その答えを見つけなければならないと思った。


その晩、僕はどうしても眠れなかった。
深夜、一人で思案しているとふと昔のことが浮かんできた。
セラと初めて出会った時のこと、セラが僕にくれた信頼と、あの子を自分の手で護りたいという強い想い。
あの日から何度も何度も誓ったんだ、セラを護るためならなんでもするって。

でも今の僕にできることは何だろう。
もしこの契約を無視してセラに会いに行けば、セラに王太子との婚約の命がくだされてしまう。
そうなった時、セラはそれこそ僕の裏切りだと思うかもしれない。
そう考えてしまうと胸が締め付けられたように苦しくなった。


そして迎えた復学当日。
僕は一年半ぶりに学院の制服に袖を通した。
またこれを着る日が来るとは思っていなかったけど、学院で僕がいる場所はもうセラの隣ではない。
あまり話さなくなった王女の向かいに腰掛け、馬車の中で不安な気持ちのまま外の景色を見ていた。

恐らく僕が学院に行けば、平助や伊庭君は僕に走り寄ってくるだろう。
はじめ君や千ちゃんも話しかけてくれるかもしれない。
セラは僕を見て微笑んでくれるのだろうか。
そんな皆の温かい姿を想像してしまえば、それら全てに反応することすら許されないこれからの現状が重くのし掛かる。
王女や王太子だけにとどまらず、王太子の護衛達までもが僕の同行を細かく監視するだろう環境で、どう行動していくべきか答えは出ないままだった。


「お前達にとっては久しぶりの学院だね。どう?楽しみになってきたんじゃない?」

「私には今更何の楽しみもないわ」

「千鶴も友人を作った方がいい。そうすれば学院生活も楽しくなるからね」


このところやたら上機嫌の王太子の笑みに、僕は不快な心情から目を逸らす。
次第に学院の大きな門が見えて、この心臓はらしくもなくとても緊張しているようだった。


「さてと、着いた。俺は先に行くね、お前達とは行動する気ないから、そのつもりでいるんだね」


王女は目を伏せているだけで、もう何も言わなかった。
でも僕と二人になると、途端に冷たい笑みを浮かべ刺々しい口調で言葉を吐いた。


「薫から昨晩、契約書の話は聞きました。総司さんも大変ですね、今日皆様にお会いするのが苦痛なのではないですか?」

「いいえ、むしろ僕の態度できっと皆は何かを感じ取ってくれると思いますよ」

「目も合わせられないのにですか?凄い自信がおありなのですね。信頼関係が築けているみたいでとても羨ましいです」


嫌味な言い方に眉を顰めるも、この手の精神的痛ぶりにはもう何も感じない。
ただ僕はこれ以上セラに悲しい思いをさせたり、傷つけたりしたくないだけだ。
そのためどう行動するべきか思案を巡らせながら歩いていると、不意に懐かしい声が聞こえて顔を上げる。
日直なのだろうか、そこには何かを担いで笑っている平助と伊庭君がいた。


「………っ」


酷く懐かしい。
あの二人の横は、セラの次に僕の居場所だった。
揉めたことはあれど、沢山一緒に鍛錬を重ね、同じ夢を持って切磋琢磨してきた仲間だ。
きっと僕を見れば平助は煩く騒ぐだろうし、伊庭君は「お帰りなさい」と微笑んでくれるかもしれない。
けれど今の見張られた状態で僕はどう行動すればいいのかとその場に立ち尽くしていたけど、王女が命令口調で僕に告げた。


「総司さん、行きますよ」


行くしかない。
僕の様子がおかしいことに気付いてもらえるいいきっかけになるだろうと考えた。
そして向こうから歩いてくる二人の顔が上げられ、彼らの瞳が僕の姿を捉えたように見えた。
平助の頬が緩み、ああやっぱりと思った。


「でさ、まじでその時俺めっちゃ焦っちゃって」

「ふふ、平助君らしいですね。新八さんもはしゃぎ過ぎなんですよ」

「本当にそれ。あの歳であのはしゃぎっぷりは俺もどうかと思う」


二人が僕に話しかけもせず横を通り抜けていくその時間が、とてつもなく長く感じられた。
鞄を持つ指先が僅かに震え、それが余計に僕を動揺させていたのかもしれない。
王女に声をかけられるまで、僕は我を忘れていたかのような感覚だった。


「今のお二人……、確かセラさんの護衛の方々ですよね?なぜ総司さんに話しかけもしなかったのでしょう」

「………知りませんよ」

「残念です。折角あの人達の言葉を無視するあなたの姿を楽しみにしていたのに」


その口ぶりからは、あの二人の行動は王女にとっても予想外だったように思える。
何が起きているのか考えながら歩いて行くと、再び懐かしい声が僕の耳に届いた。


「ちょっと斎藤くん、これでは駄目よ。厳し過ぎて皆が嫌になっちゃうわ」

「仕方ないだろう。これも風紀委員の役目だ」

「なにが役目よ。風紀委員なんてそもそもいらないのよね」

「なんだと?あんたはこの役職がいかに学院の風紀に携わっているのか分かっていないようだな」


階段を上がった先に、また懐かしい姿が顔を出す。
けれど二人は僕の姿を捉えるなりまた視線を互いに戻して、会話の続きをし始めた。


「ふふ、総司さんはご友人がいらっしゃらなかったのですね。久しぶりの登校ですのに、誰もあなたに声をかけないんですから」

「それは王女殿下も同じですよね」

「私はお友達なんていらないもの。自分の意思で作っていなかっただけです」


僕は違うと思っていた。
学院で過ごした時間は短かったけど、回帰した分を含め僕は皆のことを大事な仲間だと認識していた。
でもそう思っていたのは僕だけだったのかもしれないと思うほど、皆の態度は冷たい。
セラから離れ、王女側についた僕を、皆が非難しているのだと思える態度だった。

いつもの教室の前を通り過ぎ、今日から僕は違う教室へと行かなければならない。
思わずセラがいるか以前までの教室の中を注意深く見てみたけど、あの子の姿は見つけられなかった。
新しい教室に入れば僕達を見て、周りから少し訝しげな視線が向けられる。
恐らくセラの護衛していた僕が王女の近衛騎士になったことは皆も周知のことなのだろう。
向けられる視線は、あまり温かいものではなかった。


その日一日、移動教室の時と昼食の時以外はほぼ教室の中にいた。
基本、王女の側から離れることのできない僕は、王女が教室を出ない限り教室にいることを余儀なくされる。
教室の出入り口には他の護衛達が僕の監視を続けていることもあり、雁字搦めの状態だった。
だから結局セラと話すどころかその姿を一目見ることすら出来なかったことに、僕は悔しさから唇を噛む。
焦る気持ちだけが増殖して、また僕の心を蝕んでいくようだった。


「総司さん、図書室に行きますよ」


帰り支度を終え、王女と並んで図書室を目指す。
静かなその場所で、皆と騒がしく勉強して司書の先生に怒られたことを昨日のことのように思い出していた。
でもぼんやり周りを見渡す僕の視界は、ずっと探していたセラの姿を捉える。
棚を見上げて一生懸命本を選ぶ愛らしい姿に、僕の鼓動は跳ね再び呼吸を思い出したかのように心が温かくなっていく感覚だった。


「セラ……」


二列目の棚。
きっとその場所は死角にもなっていて、王女や護衛からは見えないのかもしれない。
今なら目を合わせることができるかもしれないと思った。
気付かれないよう本を片手にその場所に立ったまま、ただセラを見つめる。
でもセラは迷いながら本ばかりを見て、僕の存在に気付いてもくれない様子だ。


「………っ」


もどかしくて、苛立ちが込み上げる。
それはセラに対してではなく、こんなにも不自由な自分自身の境遇に対してだった。
滅茶苦茶な契約に従わなければならないこの理不尽さが、こうして今日も僕達を引き裂く。
それに耐えられなくなった僕は、感情のままセラに向かってその足を一歩踏み出していた。
でも一歩近寄ったことで、セラの隣に人がいたことに初めて気付く。
その姿が明るみになり、それが王太子だと認識した時、僕の足も止まってしまっていた。


「まだ選んでるの?」

『これとこれも気になるし……あの本も面白そうですね』

「なんでもいいのに。順番に読んでいけばいずれ全部読めるだろ」

『今の気分に合うお話はどれかなって考えながら選ぶことも大切なんですよ?』

「なるほどね。じゃあ俺の気分で選んであげるよ」

『ふふ、私が読むのに?』


セラは僕に気付きもせず、僕の世界一嫌いな奴に向かって微笑んでいた。
以前の僕と話している時と同じ少し甘えたような音色が耳に届けば、胸に芽生えたものは言葉に言い表せないくらいの嫉妬心や憎しみだった。
そしてその光景を見て動けない僕の存在に、王太子が気付いたらしい。
いつも以上に狡猾な笑みを浮かべると、敢えてなのだろう、セラに手を伸ばし髪を耳にかけてあげていた。


「そういえば星祷祭で着るお前のドレス、決めたよ」

『ありがとうございます。最終的に何色になったのですか?』

「それは届くまでのお楽しみだよ。先に言ったらつまらないからね」

『薫様が選んでくださったドレスなら、きっとどんなドレスも素敵だと思います。楽しみにしていますね』


僕がセラだけを想い、こんな状況ですらどうにか踏ん張って君のために動こうとしているのに、セラはそんな僕に気付いてさえくれない。
そして嬉しそうにあいつを見上げる顔を見て、満更でもなさそうだと感じ取れた。
それに僕が今日から復学していることは、他の皆から聞いているだろうに、セラは僕の姿を一目見に教室に来てくれさえしなかった。
僕は廊下に君が通らないかと、今日一日ずっと君の姿を探していたっていうのに、ようやく見ることの出来た姿が王太子に微笑んでいるところだなんて最悪にも程がある。


「総司さん、終わりましたから行きましょう」

「……はい」


たった一年と少し。
けれどその年月は僕にとって酷く長く苦しいものだった。
その間にこんなにも君は変わり、周りも変わり、僕の居場所なんてどこにもない。
それを突きつけられただけの一日だった。

いつもはただ愛おしかった世界も、今はセラが生きているのにこんなにも醜く歪んでいる。
結局僕はセラが僕の隣にいてくれない世界なんて愛せないから、ただ憎しみから奥歯を噛み、その瞳を鋭く細めていた。

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