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総司が復学してから数日が経った。
あの日以来、総司に会うことが怖かった私は一日の大半をほぼ教室で過ごしている。
移動教室などで廊下を歩く時はやたら緊張するし、顔を上に上げられない。
その理由は大好きな総司の顔や千鶴様に寄り添うその姿を見れば、無理矢理封じ込めている想いが溢れて泣いてしまいそうだったからだ。
けれどそんな私でも、こっそり総司の姿は探していたりする。
気付かれないように壁の陰から総司の後ろ姿や横顔を見つめることは何度かあった。
それだけで涙腺が緩んでしまうから、そういう時はお手洗いに駆け込むしかないけど、陰からでもいいから見つめていたい。
そう思ってしまうくらい、私にとって総司はかけがえのない大切な人だった。
そして私の首元には、情けなくも結局スフェーンのペンダントが揺れている。
これがないとどうしても落ち着かなくて、こうして手放すことができないでいた。
制服を着ている時はさほど見えない筈だし、そもそも総司に近寄ることはないから気付かれない筈。
私の気持ちが総司にあるうちは、まだ身につけていたいと思っていた。
『あ、図書室に忘れ物しちゃった……』
昼休み、千ちゃんの付き添いで同行した図書室。
そこにペンケースを忘れたことを気付いた私は、少し歩いた先で彼女にそう告げた。
今日から薫様は公務で遠方に出向いているらしい。
暫く学院を休むと言っていたから、その間に彼とのことも真剣に考えようと思っていた。
「本当?私次の授業、準備担当班だからいつもより十分早く行かないといけないの。セラちゃん一人で戻れる?」
『うん、大丈夫。ごめんね』
本を五冊も抱えながら私は急ぎ足で図書室へと向かう。
そして次の授業が選択科目の音楽であることに不安を感じながら、ペンケースを取りに行った。
音楽は唯一、総司や千鶴様と同じクラス。
あの二人を見たくないから、伊庭君やはじめと前の方の席に座りたいと思っていた。
『良かった……』
ペンケース、あった……。
小さく息を吐き出して、私は再び急ぎ足で図書室を出ようとした。
でも抱えた本の上にちょこんと乗せたペンケースを、落ちないように見つめていたせいだろう。
出入り口で正面から来た人とぶつかってしまった。
『あっ、ごめんなさい……』
ぶつかってしまった反動で、ペンケースはその人の足の上に落ちてしまう。
だから私は謝罪の言葉と一緒に、目の前のその人を見上げた。
でもそこにいたのは、会いたくてたまらなかった人。
総司が学院の制服を着て、私の目の前に立っていた。
『総司……』
思わず名前を口にしてしまった私は、総司を見上げたまま動けなくなった。
だって私達は風祭のあの日以来会っていない。
手紙のやり取りすらしてない今、総司のことは何も分からなかった。
でも私を見下ろし明らかに眉を顰めた総司は、何も言わないまま直ぐに私の横を通り過ぎて行く。
そのことに動揺して思わず本をきつく抱きしめた私に、ペンケースを拾って差し出してくれたのは千鶴様だった。
「セラさん、お久しぶりですね。ごきげんよう」
私を見つめ微笑む千鶴様は、とても嬉しそうに勝ち誇った笑みを浮かべている。
その顔を見て情けなくも唇は震え、思わず顔を俯かせた私がいた。
『千鶴様、ごきげんよう……。拾って頂きありがとうございます』
「いいえ。お一人ですか?」
『はい……。千鶴様、お加減はいかがですか?』
「とても良好で何の問題もありません。総司さんが毎日献身的に看病してくれたおかげで、こうしてとても元気です。今日は放課後二人で一緒に街に買い物にも出掛ける予定なんですよ。デートみたいで、とっても楽しみなんです」
『それは……良かったです……。楽しまれてくださいね』
「ふふ、ありがとうございます。セラさんこそ、大丈夫ですか?顔色が優れないですけれど」
『大丈夫です、元気ですよ』
「また倒れないように気をつけて下さいね。護衛の方にあまり迷惑かけるのは褒められたことではありませんから」
『そう……ですよね。お気遣いありがとうございます。では……私そろそろ失礼致しますね』
千鶴様はきっと私が無理して微笑んでいることに気付いている。
そう思ってしまうくらい、千鶴様の笑顔は以前までのものとは違い私を小馬鹿にするような冷たさが見て取れた。
私は息を切らしながら中庭の前を走り、教室のある棟へと向かう。
そして急ぎ足でお手洗いに駆け込むと、その一番奥に入り鍵をかけた。
『……ふ……、ぅっ……』
千鶴様のいる前で総司に話しかけてはいけないことは理解している。
思わず名前を口に出してしまった私が悪いということも分かっている。
でも私から興味なさそうに視線を逸らし何も言わずに去って行く総司は、私の知っている総司とは別人のよう。
その冷たい表情や態度を思い出せば、涙は堪えきれずにこぼれていく一方だった。
それに千鶴様は私を見て不安そうな顔を見せるどころか、敢えて私にとって悲しい言葉を口に出していたように感じる。
薫様が仰っていたような精神状態にはとても見えなくて、ただ単に総司が私を遠ざけたいだけなのかもしれないと感じてしまった。
『……っ……う……』
早く泣き止まないと、昼休みが終わってしまう。
そう思っても、しゃくりあげるように泣き出してしまったら中々止まってくれなかった。
だって私は風祭の日から手紙を書いていない。
それは総司の気持ちを優先させたかったし、悲しいけどそれが総司の出した答えなら潔く身を引くべきだと思っていたからだ。
それなのにどうしてあそこまで邪魔に思われたり冷たくされたり……敢えて意地悪を言われなければならないの?
私の存在は……そんなに二人にとって邪魔なの……?
『……ぅ……』
強くならなければいけないと思った。
こんなことでいちいち泣いていたら駄目だと思った。
でもそう思う気持ちとは裏腹に、頼りない自分にどんどん自信が持てなくなっている気がする。
あの二人から向けられる視線が、怖くて堪らなくなった。
あれから数分泣き続け、そろそろ音楽室に移動しなければならない時間がやってくる。
半ば無理矢理涙を抑え込み、目元を冷やして教室へと戻って行った。
すると私を待っていてくれていただろう伊庭君とはじめが、揃って私を見るなり絶句している。
ハンカチを冷やして当ててみたけど、目の充血はどうやっても元通りにならなかった。
「……どうかされたんですか?」
『ううん、なにも』
「とてもそうは見えないのだが……」
『本当に何もないよ。ちょっと、お腹が痛くて……』
「大丈夫ですか?無理せず次の授業は休んでもいいと思いますよ」
『平気だよ。今日はヴァイオリンのテストもあるし頑張りたいの』
昨日は沢山練習もしたし、自信がある曲目だから頑張りたい。
これが成功出来れば私はまた自信を取り戻せるはずだと、意気込みのまま微笑んだ。
「ふふ、分かりました。昨日皆で一緒に練習しましたしね」
「ああ。セラのヴァイオリンは聴き心地が良いからな、楽しみにしている」
『私も二人の演奏楽しみにしてるね』
きっと大丈夫。
今までだって全てA評価を貰えてるし、先生にも褒めて頂けている。
何より幼い頃から練習を重ねてきた甲斐があり、私自身ピアノとヴァイオリンに関してはそれなりに自信があった。
だから例え嫌なことがあった日も、自分の演奏で心を落ち着かせることが出来るくらい。
今日のテストも無事乗り越えられる筈だと、口元に笑みを作った。
それから三人で音楽室に向かうと、来るのがだいぶ遅かったらしい。
席が殆ど空いていなかった。
三席続いて空いているところは一箇所しかなくて、私を真ん中にしてその場所に腰掛ける。
それは後ろから二列目の席だった。
音楽室の席は、前の小さな舞台がどの席からも見易いように、階段上の席になっている。
上から下の席はよく見渡せるから、私は無意識にあの二人がどこに座っているのか確認してしまっていた。
でもどこにもいないことに安堵の息を吐いた時だった。
「総司さん、ここにしましょう」
直ぐ後ろから千鶴様の声が聞こえてくる。
そして私達の座る席の直ぐ斜め後ろが二席空いていたことを思い出した。
「セラ、今日は帰りにクレープでも食べましょう」
思わず身を硬くしていたら、伊庭君が私に小声でそう言ってくれる。
その優しさが嬉しくて、私は微笑み頷いた。
『うん、食べたいな』
「俺も行こう」
「では皆も誘って行きましょうか」
『あそこのクレープ美味しいよね。今月は新しい味、出てるのかな』
「確か出ていた。抹茶ブラウニーだった筈だが」
「随分詳しいですね」
『ふふ、はじめが甘いもの好きなのは意外だよね』
出来るだけ笑っていたい。
私はもう総司がいなくても全然大丈夫だと示したい。
だってまだ私に気持ちが残っていると知られたら、余計に総司に疎まれてしまうかもしれない。
それだけは嫌だから、私は私のまま堂々と過ごしていきたいと思っていた。
けれどいくらそう考えていても授業が始まり、私の演奏の順番が近付いてくるといつになく緊張する。
頑張れ私と言い聞かせて、私の番、意識を集中させてヴァイオリンを持つ私がいた。
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