10
セラの言葉は、心にくるものがあった。
権力に逆らえないままもがき苦しんでいる僕の心を、掬い上げて光を浴びせてくれるようなものに感じられた。
先週まではただ我慢して涙を堪えるだけだったセラが、この数日の間にがらりと変わった。
王女に向けられたあの子の瞳は、誰よりも綺麗で強かった。
「なんなのですか、あの方……。私にあのようなことを言うなんて許せない……」
王女を連れて行った先は、王族専用の談話室と呼ばれるところ。
僕に紅茶を淹れる支持を出した王女は、悔しそうに瞳に涙を浮かべていた。
「はははっ……」
「……何がおかしいのですか?」
「いいえ、別に?」
「総司さんまで私を馬鹿にしているの?」
「してませんよ。どうしてそう思うんです?」
「凄く嬉しそうだからです。あなたの笑った顔、久しぶりに見ました」
当たり前だ。
あんな窮屈な生活を強いられた挙句、忠誠心の欠片すら持てない相手の近衛騎士をもう一年以上続けているんだから。
セラがこれ以上傷付く前に、王女やあの王太子が僕達に飽きることを願うことしかできないけど。
セラが強くなって虐め甲斐がないと思えば、王女は別のターゲットを見つけるかもしれないと期待する気持ちがあった。
「僕も知りたいんですけど、王女殿下にとって強さとは何ですか?」
勿論腕力や武力、そういったものも強さの一つになるのかもしれない。
でも人そのものの強さというのは、セラの言う通り心の強さなのだと僕も改めて考えさせられる。
ただセラを護るために剣の腕を磨いてきたけど、僕ももっと心を強くする必要があるのかもしれないと考えていた。
「人を従えられる力があるかどうかですね」
「さすが王女殿下、僕も同感ですよ。つまり、人に愛されて必要とされる人間かどうかということですね」
「私が言いたいのは、従わせられる権力があるかどうかということですけど」
「権力だけで人を従えられるんですかね。本当の意味で従えられる人っていうのは、僕は違うと思いますけど」
「何が言いたいのですか?」
「例えばこの世界が自然災害などで滅びそうな時、僕達にとって権力やお金なんて何の価値もなくなりますよね。その時王女殿下は、誰かに護って貰えると自信を持って言えますか?」
眉を顰めた王女は、僕の言葉を待つようにただ黙り込んだ。
「人間って不思議なもので、自分の命が危うくなった時にどうしても防衛本能が働いてしまうんですよ。だから自分の身を犠牲にしても護りたいと思える相手にしか、真の忠誠は誓えないんです。なので王女殿下や王太子殿下はよく忠誠を誓えと仰いますが、実際はそんな単純なものではないんですよね。だから皆が平等に苦しい状況になった時でも、人を従わせられる人が本当に強い人だと僕は思います」
伊庭君やはじめ君が先程セラに寄り添っていたのは、ただセラがあの二人を従わせていたからではない。
あの二人があの子を護りたいと、護るのに値する相手だと認めているからだ。
そして僕がこの王女に一年以上も仕えている身でありながら忠誠心を全く持てないのも、この人が僕にとって護るのに値する相手ではないと思っているからだった。
「あなたもセラさんも、本当に失礼ですね。あなたたちのような無礼な方々は初めてです」
「それは光栄ですね。ですがその無礼者を無理矢理近衛騎士にしたのは王女殿下ですよ」
「そうですね。でも最近つまらないわ。セラさんは泣いてもくださらないし」
「それならそろそろ解放してくださいよ」
「ふふ、総司さん、本当に分からないのですか?一度宮廷に入ったらそう簡単には出られませんよ?」
「……は?それは何故です?」
「王家の内情を知る方を簡単に外に出すわけにはいかないということです。宮廷という場所がどれほど多くの秘密と危険を抱えているか、あなたも理解している筈です。総司さんがもし外に出て誰かに話したら、それがたとえ小さなことでもどれほど多くの人に影響を与えるか想像できますか?」
王女の冷静で鋭い声が、部屋の空気を一瞬にして張り詰めさせる。
その言葉にはいつものようなただの脅しではない現実味があった。
「あなたは騎士としては優秀です、それは私も認めてさしあげます。けれど優秀だからこそ厄介なのですよ。あなたが宮廷を出たら敵対する派閥や他国が放っておくとでも思いますか?宮廷で何を見て何を聞いたか。それを知りたがる者がどれほどいると思っているのです?」
「僕はただの近衛騎士の一人に過ぎません。僕にそこまてまの価値があるとは思えませんけど」
「けれど総司さんは私や薫のそばにいることで、王家の重要な情報に触れていることと変わらないのです。たとえそれが些細なことに見えたとしても、外の世界では十分価値がある場合があります。あなた自身が気付いていなくてもです」
確かに僕はこの人の近くにいることで、多少なりとも王家の情報に触れてきた。
それがどれほどの価値を持つことは考えたことはなかったけど、それが本当であれば近衛騎士に就任した時点で僕の自由を完全に奪う気だったのだと今になって知る。
「……それでは最初から僕を解放する気なんてなかったということですか?」
「する気があるないではなく、それが一番王家にとって安全な選択ということです」
「でしたらなんであんな意味のないゲームなんてさせたんですか……!?」
「元々全てクリア出来たかは分からないですよね?それにあれはただ私が楽しむために考えたものです。最初から総司さんのことを考えて作られたものではないですよ」
王女はにっこり微笑み、僕の神経を逆撫でする言葉を吐く。
僅かな希望すらより薄れて、セラの隣で生きる未来が完全に奪われそうで怖くて堪らなくなった。
「一つ教えて差し上げるとすれば、総司さんは選択を間違えたのです。近衛騎士になったばかりの頃、私は聞きましたよね?セラさんの手紙を返事を出せないまま受け取るか、それとももう二度と受け取らないか。そこで受け取らない選択をしていたら総司さん一人が犠牲になるだけで済んだのに、あなたはセラさんを諦めなかった。その選択がセラさんを巻き込み苦しめたという自覚はありますか?」
思い出すのは宮廷に来たばかりの頃。
あの時はただセラとの繋がりを保つことに必死で、任期を終えるまで耐え凌ぐことしか頭になかった。
でもそれはいつかこの王女が僕に飽きた時に解放されるだろうと期待していたし、セラだって僕を待っていてくれると信じていたからだ。
「はあ……、あなたがそこで選択を間違えなければ、薫がセラさんを気に入ることもなかったのに」
「何故全て僕のせいなんです?そもそもあなたが僕を近衛騎士にするなんていう王命を出さなければ良かった話ですよね」
「それは総司さんが声楽の練習の時、私に歯向かったからですよ?私は立場を弁えずに噛みついてくる人が嫌いなんです。その人が本当に苦しむ顔を見てみたくなってしまうの。だからあの時、総司さんが私に忠実であればあるほど、私はあなたに興味を持たなかった。全て総司さんが引き金ですよ」
戸惑いなく吐かれた醜い言葉に絶句するも、僕自身の選択で今とは違う未来があったかもしれないと思うと愕然とせずにはいられない。
この世界でセラを無駄に巻き込み辛い思いをさせたのは、この王女や王太子だけではない、僕も含まれているのだと拳をきつく握りしめた。
「私の見立て通り、総司さんは私の手の中で面白い程よく踊ってくれました。ゲームも快く受け入れてくださるから、本当に楽しかった。一つ誤算だったのは、薫がセラさんを気に入ってしまったことだけ。総司さんにとっても辛い展開ですね、今自由に動けないのは私ではなく薫のせいだもの」
言葉すら出なくなった僕を、王女はさも嬉しそうに見つめている。
高揚したような表情を目の前に、心の底から悪魔のような女だと思わないではいられなかった。
「……僕と手を組みませんか?」
「総司さんと?何故?」
「僕が自由に動けたら、セラを王太子殿下から引き離せるからですよ。王女殿下もあの二人が婚約することは良く思われてないですよね?」
「それはそうですね。でもあなたに協力なんてしないわ」
「どうしてです?」
「私はあなたもセラさんも大嫌いなの。だからあなた達が元に戻って幸せに過ごすなんて許せない。それなら薫とセラさんに結ばれて貰って、あなたの絶望した顔を見られる方がずっと嬉しいです」
ああ、この王女は……本当に関わってはいけない人間だった。
あの時僕が階段から落ちてきたこの人を無視していれば、こんなことにはならなかった。
あんな些細なことでこんなにもこの世界は醜く歪んでしまうのかと、思わず剣に手が伸びる。
それでも僕がこの女を殺したところでセラを不幸にするだけだと考えてしまえば、この想いすら抱いてはならない感情として扱われるだけだった。
「総司さんはセラさんが私達の手の中にあると本当に何も出来ないのですね。薫と婚約したら、私はあなたを益々自由にできる。それも楽しみになってきました」
「あなたは本当に悪魔のような人ですね」
「人間なんてみんな心の中に悪魔がいます。私はそれをあなたには隠していないだけ。あなたにだってあるでしょう?」
セラと過ごしていた時は、こんなにも醜い想いはきっと抱いていなかった筈だ。
あの頃の僕はただ純粋にセラを想い、あの可愛い笑顔を護るために強くなることを望んでいた。
想いが通じてからはあの子との未来を強く望んでしまったけど、その想いすらセラを苦しめるのだとしたら僕はどうすればいい?
この王女や王太子と長く過ごすうち、今の僕は自分らしさすら失ってしまっているように感じられた。
「セラさんも冷たいですよね。総司さんが一人で苦しんでいるのに、何も知らずに薫と楽しそうにしてるなんて」
「セラは何も悪くないですよ。言っておきますけど、僕にセラを憎むよう仕組んでも無駄ですから」
「ふふ、それは残念です。でもセラさんは総司さんのこと、もう憎んでるかもしれませんね」
僕の唯一の支えはセラだ。
セラはいまだに、僕が贈ったペンダントをし続けてくれていた。
アンサンブルの練習で近くを通る時にかろうじて見えたそれは、些細なことでも僕の心を温めてくれる唯一のこと。
例え目が合わせられなくても、言葉を交わせなくても、セラの気持ちはまだ僕にあるというあの子の意思表示だと思えた。
「セラは変わってませんよ。それに僕も変わりません。いくら王女殿下でも人の気持ちまでは動かせませんよ」
鼻で笑ってそう言った僕に、王女は冷たい視線を向けた。
この世界との向き合い方が分からないままに、ただこの想いを胸にしまい、日々を生きるしかない僕がいた。
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