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星祷祭を週末に控え、今週は学院内の様々なところで男女二人の仲睦まじくしている様子が目に入る。
嬉しそうにお互いを見つめながら談笑する人達を羨ましく思いながら、私は一人ため息を吐き出した。
総司とは相変わらず目が合うことすらないまま、今日はアンサンブルのテストの日。
ようやくあの二人を間近で見なくて済むという安堵感と、総司と何の接点もなくなってしまうことへの悲しみが折混じる中、私は皆と練習室で最後の音合わせを行っていた。
「綺麗にまとまってますね。これならこの後のテストも大丈夫そうです」
「ああ、そうだな」
『皆さん一ヶ月、お疲れ様でした。本番頑張りましょう』
そう言ったところで総司と千鶴様は知らん顔かと思ったけれど、千鶴様はにっこり微笑むと「頑張りましょうね」と返してくださった。
そのことに違和感はあったものの、千鶴様も今は気持ちが落ち着いているのかもしれない。
私も微笑み返して、あとは本番を乗り切ろうと考えていた。
「セラさん」
各自、譜面や楽器などを確認していると千鶴様が練習室の奥の棚にメトロノームを取りに行った私に声をかけてきた。
「この前は本当にごめんなさい。私、今までセラさんにとても酷いことをしてきてしまいました」
瞳を潤ませ申し訳なさそうに肩をすくめた千鶴様は、小さい声で叱られた子供のように謝罪の言葉を言う。
「許して頂けないことは分かっています。けれどどうしてもセラさんに謝りたかったんです」
嬉しかった。
私なりにあの日のことは強く印象に残っていたし、想いが届かないまま関係が終わることは複雑な心情でもあったからだ。
千鶴様とは色々とあったけど、一年間一緒にお昼を食べた仲。
ただ歪み合って終わるよりかは、普通に会話が出来るような、そんな当たり障りのない関係に戻りたかった。
『千鶴様、そう言ってくださりありがとうございます。私こそ身分も弁えず偉そうなことを言ってしまい本当に申し訳ありませんでした』
「いいえ、あれから色々考えてセラさんの仰ることは最もだと思いました。それに私も心の強い人間になりたいと思いましたよ。セラさんみたいに心の広い人になりたいです」
言葉を交わせば分かり合えることもあるのだと感じられたから、少し胸が熱くなる。
総司が大切にしている人を私も嫌いにはなりたくなかったから、こうして千鶴様と少し心が通わせられたことをただ嬉しく思っていた。
『私なんて全然駄目なんです。それに私も心を強く持ちたいと常に思っています。千鶴様にも同じように思って頂けたのなら嬉しいです』
「セラさんのおかげですよ。今日は強い心を持って、笑顔で発表を成功させましょうね」
『はい。一緒に頑張りましょう』
「セラさん……仲直りできたと思ってしまうのは図々しいですか?」
上目でそう聞いてくる千鶴様が可愛くて、私は笑顔で首を横に振る。
すると花が咲いたように微笑んでくれるから、私まで再び笑顔になった。
「良かった。ではこれからもまたよろしくお願いしますね」
『こちらこそ宜しくお願いします』
私と薫様との関係を知っているだろう千鶴様は、もしかしたら不本意な気持ちはあれど謝ってきてくれたのかもしれない。
それか薫様が私達の間を取り持ってくださった可能性もある。
けれどたとえそうだとしても、改まって謝罪をすることは勇気のある行為だと思うから、こうして声をかけて貰えてありがたいと思っていた時だった。
千鶴様が口元を手で抑えて辛そうに顔を歪める。
彼女の容態が心配で尋ねてみれば、伏せられた瞳がゆっくり私に向けられた。
「ごめんなさい。最近体調が優れなくて……」
『無理はなさらないでくださいね。お身体が一番大切ですから』
「はい。ですが、これはいつもの病気ではないんです」
『そうなのですか?お風邪などでしょうか?』
「実はね」
そう言って微笑んだ千鶴様の顔は何故か少し含みを感じた。
目が笑っていないような表情が気にかかったけど、私の耳元で囁かれた言葉は私の心を酷く傷付けるものだった。
「お腹の中に、子供がいるんです」
心が凍る思いだった。
信じられない気持ちのまま千鶴様を凝視してしまった私に、彼女は尚も言葉を続けた。
「子供のことはつい最近分かったんです。総司さんもとても喜んでくれて、陛下も跡を継ぐのは薫だから問題ないって言ってくださったの。とは言っても、婚礼の儀も交わす前に授かってしまうなんて褒められたことではないですよね」
手が震えて呼吸がうまく出来なくなって、今の自分が正常な判断を出来ていないことだけが分かった。
やめて、これ以上聞きたくない……
そんな気持ちで千鶴様をただ見つめることしか出来ないでいると、彼女はくすりと笑っていった。
「ですが……いけないことだとわかっていても、私達どうしても止められなかったんです。運命に引き寄せられるみたいに、お互い夢中で求めてしまって。あの時の総司さん、本当にとても情熱的で……。ふふ、好きな人と結ばれるってとても幸せなことだと思いませんか?」
嬉しそうに頬を染めて千鶴様はそう言った。
その言葉を聞いて、総司が最後までしなかったのは、私に対する想いが理性で抑えられる程度だったからだと知る。
本当に好きな相手だと、止められないものなのだと分かってしまった瞬間だった。
だって私はまだ総司と最後まで肌を重ねたことはない。
千鶴様の言うとても幸せな気持ちだって、私はまだ知らない。
その私が知らない愛情を、千鶴様は毎日総司から貰っているんだと実感した。
それに子供ができた千鶴様は、これからきっと総司と結婚するのだろう。
私が夢に見た未来を、千鶴様はこれから歩んでいくのだろう。
私にとっては総司が運命の人で、今もこんなに彼のことが大好きで堪らないのに、総司にとっては違った。
それをこんな形で突きつけられたら、もう……どうこの気持ちをこれ以上強く持てばいいのかも分からなかった。
「セラ、どうかしましたか?」
伊庭君の声が聞こえても何も話すことが出来ないでいると、千鶴様がご機嫌な声で「仲直りをしていたのです」と話をしている。
そして伊庭君やはじめとも仲直りと称して握手をしたかと思えば、総司を連れてくるなり私の前に彼を立たせた。
「セラさんと総司さんも仲直りの握手、しましょう?」
これも私への意地悪だったんだと今頃気付く。
きっと千鶴様に私への謝罪の気持ちはなくて、仲直りと見せかけて私が一番傷付く方法で子供のことを報告したかったのだと気付いた。
きっと彼女は、心が強いならこのくらいのことは笑顔で乗り越えてみせて欲しいと私を面白がって見ている筈。
だから絶対負けたくないという思いから、千鶴さんに言われるがまま総司に向かって手を出した。
でも私の手は情けなくも震え、戸惑いがちに出された総司の手を見た時、私を護り続けてくれたあの日までの総司を思い出す。
信じていた全ての思い出が今の千鶴様の言葉で変わってしまったことに気付いた瞬間、今まで蓋をしてきたものが一気に溢れて涙となってこぼれ落ちていた。
『……うっ……』
どうして……、どうしてここまで嫌がらせをされなくてはいけないのか分からなかった。
私はもう身を引くつもりなのだから、そっとしておいて欲しいだけなのに。
それなのに千鶴様は敢えて私が一番聞きたくないことを言う。
そのせいで私の中の大切な思い出まで、もう全て汚れてしまった。
それがとても悲しくて辛くて堪らなかった。
「セラに何をしたんですか……?」
私の腕は引かれて、気付けば伊庭君とはじめが私の前に立ってくれていた。
総司は言葉を失ったかのような表情で私を見ていて、その瞳から直ぐに私は視線を逸らした。
「私は何もしてないですよ?ただ仲直りしたかっただけです」
「それだけでセラがこれ程までに泣くわけがないだろう」
「本当に不思議です。お心が強い筈のセラさんがこんな大衆の前で泣いてしまうなんて……そんなに私達と仲直りをすることが嫌だったなんて悲しいですね」
『……ぅっ……ひ……』
「セラ……、もういいです。行きましょう」
伊庭君に連れられるまま、隣の無人の練習室へと入る。
はじめも直ぐに来てくれて、そんな彼らの前で私は暫く泣き続けることしか出来なかった。
『……ごめん……』
「謝らなくていいですよ。何があったんですか?まさかまた手を挙げられたんですか?」
『ううん、ただ悲しいことを言われただけだから……』
「何を言われたのだ?セラがこれだけ泣くのだから余程のことを言われたのだろうな」
『言いたくない……、ごめんね……』
「言いたくないのなら無理に話さなくていいですよ。今日でもうアンサンブルの練習も終わりです。これからはあの人達に関わらなければいいですよ」
「それがいい。あの王女とは関わると碌なことがないことが今回のことでよく分かった」
『そうだね。もう二度と話したくない……』
ようやくこの悲しみを抱えながらも強く生きていこうと思えたばかりだった。
この想いを大切にしながら生きていくことは私の誇りでもあったし、そう思えたのは総司との揺るがない思い出があったからだ。
だって私の中の総司は本物で、いくら千鶴様でもその頃の私達は汚せない。
私のためだけの、かけがえのない思い出の筈だった。
それなのにあんなことを言われたら、以前総司に愛されていた自信すらなくなってしまう。
私が今まで見てきた総司の姿すら歪んでしまうようで、こんな悲しい想いをしなければならないなら出会わなければ良かったと、この時初めて思ってしまった。
「次のグループ、お願いします」
練習室の外、次のテストの順番を呼ぶ生徒の声がする。
こんな時に音楽のテストだなんて辛いけど、今はただ頑張るしかない。
「無理しなくていいですよ。保健室で休みますか?」
『大丈夫。ここまてま頑張って練習してきたからテストは頑張るね』
「辛くなったら途中でやめても構わない。気楽に挑もう」
『ありがとう……。本当にごめんね。迷惑ばかりかけて……』
心の強さを語った後にこんな風になってしまうなんて本当に惨めだ。
千鶴様の思惑通りになってしまった自分が、また嫌いになりそうだった。
でもテストはしっかり成功させよう。
練習を頑張った筈だと自分を信じて、先生の待つ教室へと歩いて行った私だった。
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