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星祷祭を前日に控えた午後。
私は本調子ではない身体でぼんやり体育の見学をしていた。
でも今日は身体を動かしていないせいで、とても寒い。
羽織を用意すれば良かったと後悔しながら、自分の息を手に吹きかけて寒さを凌いでいた。

あの日以来、総司には会えていない。
正確に言えば、その姿を見ることが出来ていないと言った方が正しいのかもしれないけど、アンサンブルの練習が終わってしまった今、総司との接点はこれから先、何一つないような気にさせられた。


『くしゅんっ……』


あんなことを聞いてもまだ総司が好きだなんて、私はどうかしている。
それでもペンダントを外してしまおうと思った夜に限って、私の夢には必ず総司が現れた。
まるで僕を忘れないでと言うように絶妙なタイミングで夢に出てくる総司は、いつも悲しそうな顔で僕を信じて欲しいと言う。
たとえ夢でもそれを信じてしまう私は、結局今日も総司を想ってこのペンダントを付け続けていた。


『寒い……』


総司に会いたい。
二人で会って、総司の口から直接聞きたい。
そうでなければきっと私はずっと総司を諦められない。
それだけ私は総司を信用していたし、そんなに簡単に諦められる想いではなかった。
けれど総司は話すことは愚か、目すら合わせてはくれないし、彼の隣にはいつも必ず千鶴様がいる。
この状況が続く限り、私の心は総司に縛られたままどこにも行けない気がしていた。

けれどぼんやり総司を想いながらペンダントのヘッドを触っていると、ふわっと何かが落ちてくる。
温かいそれは私の肩に乗り、どこか懐かしい香りがする気がした。


『……え?』


最初は誰かが間違えて窓から落としてしまったのかと思った。
けれどよく見ればそのカーディガンは見覚えがあったからこそ、私は慌てて周囲を見渡した。
すると少し先には、千鶴様の横、廊下を歩く総司の後ろ姿を視界に捉える。
これは私を気遣ってくれる総司の優しさだと気付いたから、私の瞳には涙がたくさん溢れてしまっていた。


『ありがとう……総司……』 


総司の優しさを感じられたのは、総司が復学してから初めてだった。
だからこそ嬉しい以上に切なくて、私は人目がないのをいいことにただ静かに涙をこぼした。
だって私はもう、総司に嫌われているのかもしれないと思っていた。
けれどまだ総司は少なからず私を気にかけてくれている。
それが分かっただけで本当に嬉しくて、私はまた総司を好きになる。
これはもう……仕方のないことなの。


『会いたいよ……』


叶うのなら、昔に戻りたい。
そうしたら総司と過ごす一日一日を前まで以上に大切にするし、総司を誰にも渡さない。
あの時何も出来なかった自分の選択を、悔やまずにはいられなかった。

でも総司が今幸せなら、私は総司の幸せを喜べる人間でいたい。
きつく総司のカーディガンを抱きしめて、総司の温もりを思い出すことで自分を慰めていた。


そして迎えた星祷祭当日。
私は薫様が贈ってくださった白藍のドレスのシルクドレスを身に纏い、お城まで迎えに来てくださった薫様にエスコートを受けていた。
学院の舞踏会会場は、まるで本物の舞踏会のように煌びやかな装飾とシャンデリアで彩られ、着飾った生徒達の楽しそうな笑い声が絶え間なく響いていた。


「セラ、とても綺麗だ。誰よりも可愛いよ」


薫様の言葉はとても嬉しい。
それでも私の心にいる総司の影が、いつだって私に忘れないでと呟いているようだった。


『ありがとうございます。こんなに素敵なドレス、夢みたいです。まるで本の中の王女様になったみたい』


繊細な生地は照明の光を受けてまるで水面のように柔らかに揺れ、胸元から裾にかけて雪のような刺繍が広がっている。
肩を覆う透明な薄布には小さな星のような銀糸の装飾が散りばめられていて、背中には細やかなリボンが編み上げられていることからドレスの優雅さを引き立てていた。


「セラにそれ以上似合う色はないね」


薫様は今日の日のために、私に似合う色を一生懸命考えてくれていた。
その心が籠ったドレスをこうして着れることは本当に嬉しかった。
けれど少し先に千鶴様のエスコートをしている総司の姿が目に入る。
それだけでまた悲しくなる私は、本当に情けない。


「セラ、踊ろう」


ワルツが流れ、その曲が聞き覚えのあるものだったからこそ目を見開く。
その曲は私が何度も総司と練習をした、思い出深い曲だった。


『宜しくお願いします』


私がそう答えると、薫様の手が優しく私の手を包み込む。
彼は満足気に微笑みながら、私をこの場の中央へと導いた。
きっと薫様が王太子様だからだろう、周りの生徒達は私達を気遣うように距離を取り、私達にだけシャンデリアの光が当たるかのよう。
優雅なワルツの調べに合わせて、私達は舞踏の円を描いた。


「なんだ、上手く踊れてるよ。足を踏むとか言ってたから、どんなものかと楽しみにしていたんだけどね」

『ふふ、殿下の足を踏むわけにはいきませんからね。でもワルツは本当に自信ないんです』

「俺がリードしてあげるよ。それにセラと踊るのはとても楽しい」


私は総司としか踊ったことはないけど、薫様のリードも踊りやすかった。
総司よりも控えめで、でも私を気遣ってくれるところは変わらない。
彼の瞳も、ぶれることなく私だけを見つめてくれていた。


「正直ワルツは嫌いなんだ。夜会の度にこうして踊ってうんざりしていたからね」

『そうなんですね。私はまだデビュタント前なので夜会は行ったことないのですが』

「行かなくていいよ、あんなところ。何よりお前が他の男とこうして踊るのは嫌で堪らない」

『薫様は踊るのに?』

「俺は立場柄仕方なくね。でもセラと踊ってみて初めて知ったよ。お前とならワルツも案外悪くない」


互いの顔を見つめてただ音楽と相手の動きに身を委ねるこの時間は、たとえ周りに多くの人がいても二人だけの空間にいるように思わせてくれる不思議なもの。
それなのに私の頭の片隅には常に総司がいて、総司と踊ったワルツを思い出してしまっていた。


「今日は全部セラと踊りたい。最後まで俺と踊ろう」

『ふふ、マナー違反になってしまうのではないですか?』

「構わないよ。王子の特権を使わないとね」

『ですが、薫様と踊りたい方々に怒られてしまいます』

「そんなことはどうだっていい。俺がセラを他の男と踊らせたくないだけだ」


薫様は今夜も真っ直ぐ気持ちを伝えてくれる。
少し恥ずかしくなって、口元は自然に緩んだ。
でも私は今夜、薫様にお願いしたいことがある。
聞いて頂けることを願いながら、ワルツのマナー通りただ真っ直ぐ薫様を見上げていた。


『薫様って、最初の頃の印象と今では全然違います』

「そう?」

『優しいです、とっても』

「別に優しくしてるつもりはないけど」

『そうなのですか?』

「俺はただ、お前に素直に気持ちを伝えてるだけだよ」


真剣な瞳が私を見つめていて、私は恥ずかしさから少し視線を逸らした。
けれど逸らした先に総司と千鶴様の姿を見つけて、二人でワルツを踊る姿に胸を酷く痛めた。

薫様を見つめて、その視線の先で総司を追う。
そんな自分が嫌で堪らないのに、私はやっぱり総司が好きだ。
優しいからとか、護ってくれたからとか……そんな単純な理由だけではない。
私はもう、総司しか好きになれないのかもしれないと唇を一人噛み締めていた。
でも不意に視線を上げた先、総司と私の視線がぶつかる。
それは最初無意識だったこともあり、私は勿論、総司も少し目を見開いた。


『……っ』


きっとまた直ぐに逸らされるだろうと思っていた。
でも瞳を揺らし私を見つめる総司は、以前と何も変わらない私を労わるような視線を送ってくれる。
私まで目を逸らせなくなってしまって、唇をきつく結んでいた。
そして数秒後、少し微笑みながら目を逸らすその仕草が、千鶴様にあてたものなのか私へのものだったのか分からないまま、私は再び薫様へと視線を戻す。
たったそれだけのことなのに、私の心臓はとてつもなく早鐘のように鳴ってしまっていた。


ワルツが終わり、私は薫様に連れられるままバルコニーへ出る。
元々いた生徒達は私達に気を遣って下さり、瞬く間に人が居なくなったその場所は、気付けば二人きりになっていた。


『このドレス本当に綺麗……。薫様、本当にありがとうございます』

「お前が気に入ってくれて良かったよ」

『私には勿体ないほど素晴らしいドレスです』

「セラが着るから綺麗なんだよ。本当によく似合ってる」


私の髪を撫でてそう言う薫様は、今夜はどこか大人びて見える。
制服ではなくスーツだからかもしれないけれど、いつもと違う雰囲気に落ち着かない心情になった。


「ワルツ、上手に踊れてたんじゃない?」

『本当ですか?でも今日は緊張しました。薫様がお相手だと思うと、絶対に失敗出来ない気がして』

「セラなら大丈夫だ。誰より綺麗だし、周りもみんなお前を羨んで見つめてる」

『それはないですよ。薫様は優し過ぎます』

「俺は優しくなんかないよ。でもお前には優しくしてあげたくなる。なんでだろうね」


まるでその答えが自分でも分からないと言いたげな瞳で、私を真剣に見つめる薫様。
視線を逸らせず見つめ返す私の手を、彼は柔らかく握った。


「セラ、好きだよ」

『薫様……』

「俺にそう言われたらお前が困るって分かってる。でも気持ちを言うことで少しでも俺を見てくれるなら、それでいいんだ。だからセラが俺を見てくれるようになるまで、何度でも言うよ。お前が好きだって」


胸の奥がぎゅっと締め付けられるのを感じた。
薫様の言葉は優しくて温かくで、決して適当な言葉は返せない。
だからこそ私は意を決して、彼に告げることにした。


『薫様。私、前に進むために薫様にお願いしたいことがございます』

「なに?」

『一度、総司と二人で話をさせて頂けませんか?今までのことやこれからのこと、きちん話してそれで終わりにしたいんです。総司の口から直接聞きたいんです』


ずっと迷っていたことではあった。
けれど総司や千鶴様の態度、それに私に好意を寄せてくれる薫様のことを考えたら、この言葉を言うことに躊躇いを感じていた。

でも私は詳しいことが何一つ分からないまま、総司と終わりになんてきっと出来ない。
総司を忘れるべきなのだとしたら、まず総司との関係をきちんと見直して二人で終わりにしたいと思っていた。


「それはどうして?あいつとやり直したいってこと?」

『そうではありません。総司の気持ちが私にないのは分かっています』

「それならわざわざあいつと話して、傷付く必要なんてないんじゃない?」

『そう思ってずっと逃げてきました。でも私、まだ総司との関係を終わらせてないままなんです。だからずっと引き摺ってしまうのだとわかりました。だから総司の今の気持ちやこれからのことを総司の口から聞いて、私の気持ちもきちんと伝えて……私たちの関係を二人で終わらせることができたら、その時ようやく前に進めると思うんです』


勿論、それはとても悲しいことだ。
自分勝手でわがままな期待すら、もう持てなくなることだから。
でも総司のことが大切だからこそ、このまま流れに任せて終わりにするのではなく、二人できちんと終わらせたい。
二人で始めた関係だから、最後も二人で幕を閉じたかった。

そしてそんな私をもし薫様が見届けてくれたなら、私はこの人の想いに応えたい。
そう思うからこそ告げた言葉だった。


「……そう。セラがそこまで言うなら、それは叶えてあげないといけないね」

『薫様……、ありがとうございます』

「ただ直ぐには無理かもしれない。千鶴の説得も必要だし、沖田にも話さないといけないしね」

『はい。いつになるのかはお任せ致します』

「準備が整ったらセラを宮廷に招待するよ。その時、沖田とゆっくり話したらいい」

『はい。ありがとうございます』


良かった、総司と話すことができる。
これで聞きたかったことも、わからなかったことも全て知ることができると思わず少し涙を浮かべた。
薫様や千鶴様、総司には迷惑をかけてしまうと思うけど、一度だけ許して欲しい。
私の大切な気持ちに終止符を打つためには、どうしても必要なことだった。


「沖田と話してさ」

『はい?』

「沖田とのことをお前の中で終わりにできたら、その時は俺を見てくれる?」


真剣な表情を浮かべた薫様は、いつになく不安そうに瞳を揺らして私を見ている。
その顔を見てしまえば胸は痛むけど、私のことを真剣に考えてくれる人だからこそ、今は適当な返事は出来ないと思った。


『総司と話して自分の気持ちの整理ができたら、その時にまた薫様にお返事をさせて頂きたいと思っています』


自分の気持ちなのに、自分でもこの先どうなるか分からないなんてどうかしている。
それでも私は自分の気持ちに正直に生きたいと思うから、これだけは曲げられなかった。


「わかった。なるべく早く、沖田と話す時間を設けられるよう調整するよ」

『はい。ありがとうございます』

「あ、曲が聞こえるよ。最後に踊ろう」


薫様は笑顔でそう言うと、私の手を引きバルコニーを出て再び会場の真ん中へと足を進めた。


「セラ、俺と踊って頂けますか?」


もうニ曲も踊っているのに、今になって丁寧に頭を下げてみせる薫様の意地悪な笑みに笑ってしまう。


『はい、喜んで』


ワルツの旋律に乗せて、私のドレスがふんわり舞う。
手のひらに伝わる温もりは確かに存在していて、今はただ目の前の薫様を見つめようと思った。

そして総司と言葉を交わした時、私は全てを知った上で総司の幸せを願いたい。
どうか総司が幸せな未来を歩いていけますようにと、心から祈りたいと思っていた。


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