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ずっと触れたかった。
愛らしいその顔を間近で見たかったし、この想いをセラに真っ直ぐ伝えたかった。
ようやくそれが叶って嬉しい反面、いまだ心は苦しみの中にいる。
あの世界でのセラの死は、僕にとってあまりにも辛い出来事だったからだ。
『総司の手、いつもあったかいね』
庭園の中、柔らかい光の中で微笑むセラは、今回も前の世界でのことは覚えていなかった。
一人きりで泣いていた姿を見た時は、もしかしたら記憶が残っているのかもしれないと思った。
でもセラは今回も、記憶ごとまるで何もなかったみたいに過去へ戻っているようだった。
けれどセラは、前の世界で抱いた想いだけは引き継いでいると考えられる。
理由も分からないまま涙がこぼれるのは、そのせいなのだろうと思った。
「そう?自分だと分からないな」
『あと私よりずっと大きい。総司の手を見ると、いつも護ってくれてありがとうって思うんだ』
そう言って笑うセラは、あまりにも無垢で愛らしい。
でもその言葉は僕の胸を静かに締めつけるものだった。
なぜなら僕は、実際には護ることなんて出来ていない。
それどころか前の世界では、この子の心を深く傷つけた。
取り返しのつかないほどに切り裂いて、セラが命を落とすその瞬間まで、その悲しみの深さにすら気づいてあげることが出来なかった。
あの時、セラはどんな想いで僕を庇い、どんな気持ちでその命を手放したのだろう。
そう考えるだけで、喉の奥が苦しくなった。
謝罪の言葉一つすらまだ伝えられていないのに、僕は何事もなかったかのようにこうしてセラの隣に立っている。
その事実が、他の何よりも強く僕自身を責め続けていた。
「もし僕がセラのことを護ってあげられなかったら、セラは僕のこと嫌いになる?」
最初に回帰した時は、セラが記憶を引き継いでいないことがただ寂しかった。
でも今は、セラに全ての記憶が戻ることを少し怖いと思う僕もいる。
精一杯行動していても、セラは既に三回命を落としている。
そのことは僕がセラを護れていない確固たる証拠となって、僕の心に重くのしかかっていた。
『ならないよ。だってもう十分過ぎるくらい護ってもらってるもん』
「まだまだだよ。ここからが大事でしょ?」
『そうなの?』
「そうだよ。これから君は学院にも通うようになるし、デビュタントを迎えれば公式の場に出る機会も増える。その時にセラをしっかり護れるように、僕もちゃんと強くなるつもりでいるよ」
『ありがとう。なんだか今日の総司は真面目だね?』
「それ失礼じゃない?僕はいつも真面目だよ」
『ふふ、そうかな?でも総司は真面目な時とふざけてる時、どっちもあるから好き』
「僕もセラが好きだよ」
どの世界でもセラは必ず死を迎える。
そのことに違和感を持ってしまうのは当然のことだと思う。
何故なら僕は一度目の世界で死刑を選び死を迎えたものの、あとの二回は自ら命を絶っただけ。
自ら死を選択しない限り、僕はどの世界でも死なずに済んでいるということだ。
そしてそれは周囲の殆どの人間がそうであるにも関わらず、セラだけは必死に護ろうとしても毎回その命を落としてしまう。
まるでそうなることが運命であるかのように、この子の命は儚く散ってしまうんだ。
だからこそ、最悪な可能性が一つ浮かび上がっていて、思わず拳をきつく握る。
どれだけ回帰を繰り返しても、セラは死ぬ運命にあるのではないか。
そんな考えたくもない思考が、冷たい影のように、僕の胸の奥を過ぎっていた。
『そろそろ行く?』
可愛い仕草で首を傾げるセラに再び手を伸ばし、小さな身体をきつく抱き締める。
この世界のセラもいつかいなくなってしまうかもしれないと思ったら、こうしていないと不安で堪らなくなる僕がいた。
「もう少しだけここにいようよ」
『うん……』
「このまま君のこと、安全な場所に閉じ込めておきたくなっちゃうな」
『ふふ、総司になら幽閉されてもいいよ』
「ははっ、本当かな」
『うん。総司が毎日会いに来てくれるなら』
冗談だと思っているだろうセラは、何の躊躇いもなくそんなことを言ってくれる。
もしこのまま何度も回帰することになったら、いつか僕は本当にセラを誰の目にもつかないところに閉じ込めてしまいそうだ。
「じゃあこの世界がどうしようもなくなったら、二人でどこか逃げようか」
『うん。それも楽しそう』
「よく言うよね。みんなと会えなくなるんだよ」
『私は総司が傍にいてくれたら幸せだよ』
セラは優しい。
僕が甘えでしょうもないことを口にしても、いつも僕の欲しい言葉を惜しみなく伝えてくれる子だ。
だから僕はまた君のことがどうしようもないくらい好きになる。
回帰すればするだけこの想いは強くなり、だからこそ僕は君のことを絶対に諦められなくなる。
『あ、本当にもう行かないと。学院の人達より先にお部屋に行かないと失礼になっちゃう』
「嫌だよ」
『やだじゃないの、ほら立って?』
嫌だよ、行きたくない。
専属騎士でない今、この場所から出たらもう二人でいられなくなる。
最後のわがままだとばかりに立ち上がったセラの腕を強く引けば、バランスを崩したセラが僕の胸の中に戻ってきてくれた。
『……あっ……、びっくりした……』
「セラ、好きだよ」
『うん、私も大好き』
「ずっと一緒にいようね」
『うん』
肩に擦り寄ってきてくれるセラの温もりを肌で感じながら、抱き締める腕に力を入れた。
いくら危険を避けて通ったつもりでも、どの世界でもまた別の危険が待ち受けている。
回帰を繰り返しその危険の全て知ることが出来たら、セラの隣で過ごす未来が手に入るだろうかと考えていた。
それから僕達は学院の教員から様々な説明を受け、制服の採寸や提出書類の記入を済ませる。
最後に履修する選択科目を選ぶことになり、僕は急に目の色を変えた。
「セラは選択科目は何にするの?」
『えっと、私は西洋刺繍と音楽にしようかなって』
「音楽は絶対駄目だ」
『え?』
音楽を選択すれば、あの悪魔のような王女と関わることになる。
声楽の代表としてセラが選ばれる未来がある以上、それは避けて通れないからこそ告げた言葉だった。
「何故沖田君がセラの選択科目に口出しをするんですか?自由に決めさせてあげてくださいよ」
「そうだって。セラが困ってるじゃん」
「でも音楽だけは駄目だよ、危険なんだ」
「何が危険なんだよ。まさかピアノやヴァイオリンが襲ってくるってーの?」
「煩いな。平助は黙ってなよ」
「セラは幼い頃からピアノやヴァイオリンを嗜んでいて、賞もたくさん頂いてるんですよ。音楽を履修しないなんてあり得ません」
「セラ、分かってくれるよね。音楽だけはやめてくれる?」
隣に座るセラに勢いのまま詰め寄れば、僕の顔をじっと見つめたセラは意外にもすんなり首を縦に振ってくれた。
『総司がそこまで言うならやめておく』
「そんな……沖田君の言うことに無理に従わなくてもいいんですよ?」
『でも音楽は屋敷の中でも出来るから、折角だし知らないことを勉強するのも楽しいかなって思って』
優しいセラは、僕の気持ちを汲んだ上、僕を気遣う言葉でその場を収めてくれる。
そして選択科目の一覧表を見ながら、どれにしようか笑顔で選んでいた。
「ありがとう、僕のわがまま聞いてくれて」
『ううん。どうしても音楽がとりたかったわけでもないから』
「もう一つ、どれにするの?僕もそれを取るよ」
『総司は好きなの選んでいいよ?』
「セラと同じのにするよ」
嬉しそうに笑ったセラは、一つの科目に人差し指をあてて見せた。
『この星界学、気になるんだけど総司はどうかな?』
「いいんじゃない?僕も星は好きだし、天体観測とか楽しそうだよね」
『良かった。じゃあこれにしよう?』
はあ……、可愛いな。
久しぶりにこうして過ごすせいか、あの王女の悪魔っぷりを見てきたせいか、傍にいるだけで癒されている僕がいる。
『ねえ、総司。聞いてる?』
「聞いてるよ。じゃあ星界学と西洋刺繍ね」
『総司も刺繍取るの?』
「うん」
『出来るの?』
「全然?」
さも当たり前に言ってのけると、再び伊庭君と平助の訝しげな視線が向けられた。
「セラに付き纏うのはやめて下さいよ」
「選択科目くらい自分で決めろって」
「仕方ないじゃない。僕はセラの専属騎士なんだから普通に考えて同じにするでしょ」
「は?まだ総司が専属騎士になるって決まったわけじゃねーじゃん。何言ってんだよ」
「僕がなるって決まってるんだよ」
「凄い自信ですけど、大会では僕が勝たせてもらいますよ」
「俺だって負けねーからな」
予想通り、前回の回帰ポイントより後の時間軸に戻ってきたらしい。
これから犯罪組織の潜伏場所に攻め入る任務も入るだろうし、またあの入学初日をやり直さなければならないことは変わらないけど、回帰を繰り返せば繰り返すだけ、やり直せる出来事も減ってきているのは確かだった。
つまり今日より前の時間軸には、恐らく二度と戻れない。
そして次に回帰した時は今日という日も二度とやり直せないと思えば、慎重に行動しなければならないことは明確だった。
回帰した一日目が終わり、夜の帳が落ちた頃。
騎士団員専用の個室の中で、僕は前の世界のことを思い出していた。
つい数時間前までは王女の近衛騎士だった僕も、今は嘘のように解放されて、ようやく公爵邸に戻ってこれたことを実感している。
けれどこうして自由になった今も、心は決して軽くならなかった。
あの世界のセラを護れなかったこと。
そしてあの子の想いを踏みにじった自分の罪が、今も僕に重くのしかかっている。
記憶のないセラが僕にに変わらず微笑んでくれる度、苦しくならずにはいられなかった。
贖罪のような気持ちがずっと居座っている中で、僕はセラとのこれまでの日々を思い出す。
あの子の泣き顔や不安そうに僕を見上げる顔が頭に浮かべば、僕は勢いよく立ち上がっていた。
「……だめだ、耐えられない」
ずっと会いたくて堪らなかったセラが、会いに行ける距離にいる。
前の世界で言えなかった言葉をどんな形でもいいから届けたくて、僕は迷わず部屋を飛び出していた。
夜の風を切って足を止めたのは城の端、いつかと同じ大きな樹の根元だった。
葉を揺らす風の音だけが響く中、迷いも躊躇もなく枝を掴んで登っていく。
あの頃と同じ、薄明かりのついたセラの部屋のバルコニーに僕はそっと降り立った。
窓ガラスを軽くノックしても全く反応がない。
鍵が開いていることに気付いた僕は、少しだけ迷いながらも、静かに息を吸って音を立てないようにその隙間を開けた。
「セラ?」
そっとカーテンを避けて部屋を見れば、目に飛び込んできたのはシフトドレスに似た素材の下着を身に纏ったセラの姿だった。
白く透けるような布がセラの身体に沿い、夜の静寂の中、まるで光の精のように浮かび上がって見える。
その姿はあまりにも幻想的で無防備で、それでもセラは僕に気づく様子もなくただそこに静かに佇んでいた。
どこか遠くを見つめるようにして、感情の読めない表情のまま、月に照らされている。
その横顔は今にも泣き出しそうにも見えたから、また胸を痛めるのと同時に思わず目を奪われていた。
「……っ……」
ただセラがそこにいるだけで、胸が苦しくなるほど愛おしくなる。
自分でも時折恐くなるほど、セラが好きで堪らない。
優しい声も微笑む顔も、時々拗ねたように眉を寄せる仕草さえも、全部愛おしくて堪らなかった。
触れたい、名前を呼びたい。
そしてもう二度と離れたくないと願ってしまうから、僕はどうしても君の傍にいたい。
この腕に抱きしめたくて、セラのいる場所に一歩足を踏み入れた僕がいた。
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