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それは学院への通学が始まる少し前。
僕が任務や鍛錬の合間を縫ってセラに会うため庭園に出向くと、セラが愛らしい様子で僕の袖を引き、強請るように僕を見上げてきた。


『あのね、総司にお願いしたいことがあるんだけど……聞いてくれる?』


セラのこういうところは出会った頃から変わらない。
こんな風にこの子に可愛くお願いされて、断れる男がいるなら見てみたいものだ。


「君のお願いならなんでも聞くよ。どのような御用でしょうか、お嬢様?」

『ふふ、まだ話してないのにいいの?』

「セラからの頼みを断るわけないじゃない」


この子のためならなんだってしてあげたいし、その頼みを聞くのは他でもない僕でありたいと思う。
だから二つ返事で了承したものの、セラからのお願いごとは僕が予想もしていないことだった。


『乗馬の仕方、総司に教えて貰いたいんだ』

「乗馬?でもセラは確か乗れたよね」

『私は横座りでしか乗ったことないの。しかも一人じゃなくて付き添いの方がいつも付いていて下さってたから、今度は一人で跨って乗れるようになりたくて』


以前まで、セラがこんな要求をしてきたことは一度だってない。
世界を渡ることで何かが変わっていくのだとしたら、この変化を喜ぶべきなのか危惧するべきなのかも分からなかった。
ただ乗馬と聞いて思い出すのは、苦い思い出しかない風祭の日。
セラが危険な目にあったことや、王女にカトラリーを投げつけられたり、テントでのあの様子を見られて悲しませたり。
そんなことばかりが頭に浮かんでしまったから、僕は思わず首を横に振っていた。


「教えてあげたいけど、乗馬は危ないよ。やめておいた方がいいと思うけど」

『慣れるまでは公爵邸の乗馬スペースで少し乗るだけでいいの。あそこならそこまで馬も早く走れないし、私でも大丈夫かなって思うんだけど』

「スピードもそうだけど、馬は思っている以上に高さがあるんだ。万が一落ちて、運悪く馬に蹴られたりしたら大変でしょ?それに制御を誤ると、どんなに経験豊富な人でも危険な目に遭うことはあるんだよ」

『うん、そうかもしれないけど……』

「僕は賛成できないかな。セラは公爵家の大事なお嬢様なんだから、一人で馬に乗れるようになる必要はないし、近藤さんだって反対すると思うよ。そもそも近藤さんの許可は取ってあるの?」

『ううん、それもこれから……』

「やっぱりね。駄目だよ、危険なことに興味を持ったら。セラは女の子なんだし、乗馬はするとしても必ず付き添いと一緒じゃないとね」


セラはしゅんとしてしまったから少し可哀想にもなるけど、この子に怪我をされるよりかはずっといい。
前回は王女のせいだったとは言え、セラの乗った馬が暴走した時、本当に心臓が凍る思いだった。


『うん、分かった。変なことお願いしてごめんね』

「ううん、いいよ。僕の方こそごめんね、君のお願いを聞いてあげられなくて」

『ううん、総司がいつも私のことを気にかけてくれるのは嬉しいよ』

「当たり前のことだよ、僕はセラが大事なんだから。ただ僕が断ったことで君が落ち込んでないかなって心配なんだけど」

『それは大丈夫、平気だよ。他の人に頼んでみるから』


ん?
可愛く微笑んで何を言うかと思えば、他の人?


『じゃあ……またね?』

「あ、ちょっと……!」


あっさり僕を置いて行こうとするセラの腕を掴んでしまうのは当たり前だ。
首を傾げて僕を見上げているけど、これは何か試されているのかな。


「今、他の人に頼んでみるって聞こえたんだけど?」

『うん。総司が気乗りしないなら無理に頼むのも申し訳ないし、平助君や伊庭君あたりにお願いしようと思って』

「駄目に決まってるでしょ?僕が止めた理由、聞いてなかったの?」

『聞いてたけど、どうしても乗れるようになりたいの……』

「なんでまた急に乗馬になんて興味持ったのさ」

『たとえばまた誘拐されたりした時にね、私が馬に乗れたら馬に跨って逃げられるかもしれないでしょ?でも乗れなかったら私は自分一人だと何もできないままだし』

「そもそも君を誘拐なんてさせないから大丈夫だよ」

『でも今のままだと私はずっと総司に護ってもらうばかりで……それも幸せなんだけど、自分にも出来るかもしれないことは頑張りたいの。全く嗜んでいないよりかは何でも経験しておいた方が、何かあった時に役に立つでしょう?あの時やっておけば良かったって、後悔したくないの』


寂しそうに見上げられたら、僕もどう返事をしようか迷い始める。
するともう一度セラは僕の袖を愛らしい仕草で引っ張って、一生懸命話し始めた。


『私、いつか総司と並んで馬に乗れるようになりたいなって思ってるんだ。だから本当は他の人じゃなくて総司に教えてもらいたかったんだけど……』

「いや、でもさ……馬なんて並んで乗れなくても、僕が一緒に乗せてあげるよ」

『でも総司と一緒にいる時、私も少しでも出来ること増やしたいの。その方が総司の負担も減るでしょう?あと総司がついててくれたら乗馬も怖くないよ。総司が一番信頼できるし、もしもの時に助けてくれる人は総司がいいなって。それでも、どうしても……だめ?』

「…………」


そんな風に可愛いことを言われたら、何がなんでも望みを叶えてあげないといけない気にさせられる。
僕が断ったところで他の連中に頼むかもしれないし、それこそ一番納得いかない。
僕がセラを徹底的に護ればいい話だと、僕はため息を吐いた。


「……はあ。もう、分かったよ。でも絶対僕の傍を離れないこと。少しでも危ないと思ったらやめること。それが条件だけど守れる?」

『守れる……!』

「じゃあいいよ。近藤さんの許可が降りたら、僕が教えてあげる」

『わあ、ありがとう……!嬉しい……』


パッと花が咲いたような笑顔がどうしようもなく可愛くて、胸の奥で降参する。
僕を見上げる瞳が期待に満ち溢れているから、本当にこの子には敵わないな。


「どういたしまして。乗れるようになるといいね」

『うん。総司の言うことちゃんと聞いて頑張るね』

「うん、頑張って。セラならできるよ」

『忙しいのに練習付き合ってくれてありがとう。だから総司、大好き』


可愛すぎる。
大好きって言って貰えるなら、引き受けて良かったと思えてしまう僕も案外単純みたいだ。


「そう言えば、最近さ」

『うん?』

「セラの部屋に全然行けてないよね」


多分もう一ヶ月以上は行けていない。
前回は風邪だと言って断られたし、その前はヴァイオリンのテストが近いと言って断られた。
今も黙り込むセラの様子から、多分物凄く警戒されていて断られる気がしなくもないから、敢えて乗馬の練習に付き合うことにしたこのタイミングで聞いてみることにした。


「今日久しぶりに行ってもいい?」

『あ……でも……今は専属騎士就任前の大事な時期だし、何かあって知られちゃったら大変じゃない?』

「勿論気をつけるから大丈夫だよ。今までだって見つかってないしね」

『あと……総司も最近忙しそうだし、ちゃんと寝た方がいいんじゃないかなって』

「セラと一緒にゆっくり寝るから平気だよ」

『あの……あとは……』

「そろそろ断る理由が尽きてきた?」


確信に触れる質問をにっこり投げかけてみれば、セラは若干怯えた顔で僕を見上げてくる。


「なんか傷付くな。そんなに僕とはいたくない?」

『違うよ、総司とはいたいよ……』

「だったらどうしてそんなに困った顔してるの?」

『だってそれは……』

「セラ、どうして?」


庭園の端っこで、身体を屈めてセラに顔を近付ける。
目を見開いて僕を見つめたセラは、瞳を彷徨わせた後、再び僕を見てへらりと笑った。


「ははっ、なんなのさ。今の」

『総司が何もしないなら、部屋に来てもらっても大丈夫だよ』

「へえ、何もしないなら?」

『うん……』

「僕に何もされたくないの?キスも?」

『キスは……したい……』


頬を赤らめて見上げられたら、部屋に行く前の今の段階でしたくなる。
引き寄せられるように唇が重なって、甘噛みするキスから始まり、次第に柔らかく舌が絡められた。


「セラ、今日も大好きだよ」

『私も。今日も好きだし明日も好きだし、昨日も大好きだったよ』

「ははっ、僕は明日も明後日も未来永劫ずっと君が好きだよ」


ちょっとしたふざけ合いも、ちゃんと気持ちは込められている。
だからセラはこんなにも嬉しそうに微笑んでくれるし、僕も心から幸せだと思える。


「それで、今日は行っていいの?」

『うん、待ってる……』


良かった、久しぶりに許可が降りた。
部屋に行かない限りなかなか会えないから、これを機にしっかりエネルギーを補給しておきたい。
愛らしいセラを抱きしめて、夜が来るのを心待ちにする僕がいた。


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