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僕の腕の中にいるセラは、何もかもが儚くて愛らしい大切な存在だ。
でも戸惑いながら僕を見つめる瞳は、薄暗いオレンジ色の光に包まれた部屋の中で、ほんのりと潤んでいる。
セラが不安そうな顔をするのは見たくないし、僕の気持ちが逸り過ぎて困らせていたのだとしたら、それは本望ではないと思った。
「ごめんね、困らせたかな」
『ううん……』
「今日は何もしない約束だったしね」
このままだと、酔っていた時の二の舞になる。
この程度の自制が出来ないようだと先が思いやられるから、僕はただ腕の中にセラを閉じ込めた。
セラの恥じらった顔や、精一杯僕の気持ちに応えようとしてくれる姿が可愛くて、ついもっと色々な表情を見せて欲しいと思ってしまうけど、別に焦らせたり困らせたりしたいわけじゃない。
気持ちが通ってなければ意味がないし、今はまだセラが求めてくれる分だけこの温もりをあげたいと思っていた。
でもそんな想いとは逆に、大きくなり過ぎたこの気持ちや欲求をどう自分の中で対処すればいいかも分からなくなっている。
この小さな身体にそれを全て押し付けるわけにはいかないからこそ、こうして僕を悩ませる結果になった。
多分僕は回帰を繰り返している分、セラが僕を想ってくれている以上にずっと、君のことが大好きだ。
色々な君を見てきたし、君自身が知らない君のことだって僕は知っているつもりだよ。
でもそれを言葉にして伝えることが出来ないからもどかしいわけだけど、そんな僕の心情なんて知らないセラは、愛らしく瞳を揺らしてそっと唇を寄せてきた。
『総司、大好きだよ……』
折角熱を抑えていたのに、こんなことをされたらまた止まらなくなりそうだ。
それをぐっと堪えていると、セラが少し困惑しながらも気遣うように僕の背に腕を回してくれる。
その遠慮がちな仕草があまりにも愛らしくてただ見つめていると、また柔らかい感触が僕の唇に重なり、セラが少し震えながらも真っ直ぐ僕を求めてくれていた。
『大好きなんだよ、総司のこと……。だから大丈夫だよ』
「セラ……」
『この前の続き、する……?』
思えば、回帰する度に僕はこの子を求めるタイミングが次第に早くなってきてしまっている。
そして今回は特に、今のセラにとってはまだ早過ぎたのかもしれない。
前回酔って手を伸ばしてしまった時に、ずっと半泣きでやめてと繰り返していたセラを思い出し、胸が痛くなった。
そして今も、セラは僕の気持ちに応えようとしてきっと少し無理をしている。
肩に触れればぴくりと揺れるその様子からもその不安は見て取れるから、自分の不甲斐なさを情けなく思うのと同時に、身勝手な欲望も少し収まっていくようだった。
「ありがとう。セラがそう言ってくれるの、嬉しいよ」
『ううん……』
「でもやめておこうかな。セラに無理はさせたくないし」
『別に無理はしてないよ……?』
「それ、本当?」
僕が顔を近付けてその瞳の色を窺うと、動揺したように視線が右へ左へ動くから思わず笑ってしまった。
「あっはは、なんなのそれ」
『顔が近過ぎるの……』
「こんなことで慌ててくれるなんて、セラは可愛いよね」
『もう……、なんかちょっと子供扱いしてない?』
「してないよ。それにセラにはそのまま変わらないでいて欲しいかな」
セラとの距離が縮まっても再び過去に戻ることばかりを繰り返している僕は、その度にもどかしく思うこともあった。
でもそのもどかしさと同じくらい、何にも染まっていないセラとの関係を再び作っていけることが嬉しかった。
だから焦る必要なんてないと、柔らかな髪を撫で微笑みを浮かべた。
『さっき言ったこと、本当だよ』
僕の問いへの答えをきちんと返してくれるセラは、先程より意志を固めたような顔をして僕を見つめている。
でも多分セラは、ことの全てを理解しているわけでもないだろうから、そう考えると少しおかしくて、思わずまた笑ってしまった。
『どうして笑うの?』
「あはは、ごめん」
『私は真剣に話してたのに……。もう知らない……』
珍しく膨れて僕に背を向けたセラを、当たり前のように後ろから抱きしめる。
柔らかい髪や肌の感覚に心地良さを感じながら、甘えるようにその首筋に顔を埋めた。
「ごめんね、怒らないでよ」
『怒ってないけど……』
「この前はだいぶ無理させちゃったと思うから、これからはセラに無理はさせたくないって思ってるんだ。でも僕は多分、君といるとまた触りたくなると思う。だから嫌な時は無理しないでちゃんと教えて」
大切にしたい想いと、触れたい想いは表裏一体だ。
だから本音を伝えてあとはセラの心の向くままにしてもらえたらいいと思ったけど、僕の方を振り返ったセラは眉を下げて僕を見つめた。
『私……本当はよくわからなくて……』
「わからないって何が?」
『総司に触って貰えるのは嬉しいよ。でもドキドキし過ぎて不安になる時もあって……。でも最初に抱きしめてもらった時もキスした時もすごく緊張してたの。でも少しずつ慣れてきたら、前まで以上に幸せだなって思えるようになった。だから……これからも少しずつ慣れていけば、もっと総司と色々なことできるようになるし、もっと幸せを感じられるようになるのかなって……思って……』
セラが顔を伏せながら、か細い声でそう呟いた。
その様子が可愛い過ぎるわけだけど、セラなりに色々考えてくれたことが分かるから、胸の奥が温かくなった。
「最初から全部わかる人なんていないよ。僕だって緊張するしね」
『総司は全然平気そうだよ?』
「そんなことないってば。セラといると僕は常にドキドキしてるよ」
『ふふ、本当なのかな』
「本当だよ。だから僕と一緒に少しずつ慣れていってもらえたら嬉しいかな」
『総司と一緒に……?』
「うん。だから無理したり、焦らなくていいよ」
少し照れ臭そうに微笑んだセラは、僕の胸元の服をきゅっと掴んで僕を見上げた。
『ありがとう……。総司と一緒に少しずつ……色々経験していきたいな。気を遣ってもらってごめんね』
「こちらこそ。それにセラが謝る必要はないんだよ。人それぞれタイミングもあるしね」
『……うん。あとね、本当のこと言うとね……私、総司が何をしたいのかよくわかってなくて……』
「え?」
『この前のことも……あんなことをするって知らなくて。あ、勿論夫婦になったら子供を作るためや、夫婦の営みとして触れごとをするっていうことは知ってたよ?でも、その……詳しいことまではわからなくて。だから余計に少し心配って言うのもあるんだけど……』
「…………」
思えば今回、セラには大事なことを伝えていなかったと今になって気付いた。
顔を赤らめて気まずそうに話すセラの様子に笑ってしまえば、その頬は少し不服そうに膨れていた。
「そんなことだろうとは思ってたよ。それなのにごめんね、あんなことして」
『それはもう言わなくていいよ……』
「でも驚かせちゃったよね」
『……少しびっくりはしたけど……』
「けど?」
『え?』
「気持ち良かった?」
冗談めかしてそう尋ねると、セラの瞳がぱちくりと瞬いて、あっという間に頬が染まっていく。
『……そ、そういうことは聞かないで……』
小さく俯き再び僕に背を向けようとするから、それを阻止してセラを組み敷く。
するとセラの双眼は見開かれ、余裕がなさそうに潤んだ瞳が僕を見上げて大きく揺れた。
「ははっ、顔真っ赤だ。可愛い」
『からかわないで、離して』
「別にからかってないよ。でも反応があんまり可愛いからさ」
くすくすと笑いながら彼女の髪をゆっくりと指先ですくい、頬にかかる柔らかな毛先を耳にかける。
それだけでセラはますます恥ずかしそうに視線を逸らした。
「そうやって照れるのもちょっと困った顔するのもすごく好きだよ。どんなセラでも全部、僕にとっては大事なんだ」
耳元でそっと囁くと、セラは照れ隠しのように僕の胸に顔を埋めてくる。
『総司ってそういうことばっかり言う……』
「仕方ないじゃない、本当のことなんだから」
『でも恥ずかしくなるの、困るの……』
セラは初めて会った時から、よく僕の前で頬を染めてくれていた。
困った様子で僕から逃げようとするから、その仕草なんかが本当に可愛くて。
でも眉を下げながらも僕を好きでいてくれるセラが、僕はどうしようもないくらい好きで堪らない。
だから想いが通ってからも、僕はこうしてまた君を困らせてしまうんだけどね。
「僕はね、きっとこれからも君を凄く困らせると思う」
優しく唇を撫でると、セラはその場所をきつく結ぶ。
その様子にも少し笑ってしまうけど、そんな君を眺めているこの時間が本当に好きだ。
「でも多分どんなに困らせたとしても、もう君を手放してはあげられないから……僕は君を求めるよ。こうして触れることだってやめない。そうすることで君に嫌われたとしても、絶対止められないんだ」
目を瞬いたセラは、僕を見上げながらも今度はくすくす笑い出す。
そしてセラに触れていた僕の手に自分の手を重ねると、愛らしい笑顔でつぶやいた。
『私が総司を嫌いになっても、総司は私を必要としてくれるの?』
「そうだよ」
嫌われて背を向けられたとしても、君がそこにいてくれるなら、きっと僕は君を目で追って、声を聞いて、その笑顔を一目でも見たいと思うのだろう。
どうにかして、また君の瞳に映ろうともがいてしまうのだろう。
『ふふ、嬉しいな』
「そう?嫌いな奴に追いかけられたら苦痛でしかないと思うんだけど」
『私が総司を嫌いになるなんてありえないよ。それに、総司が私を嫌いなったらどうするの?』
「嫌いなんてならないよ」
『わからないよ?でも私は総司に嫌われたくないから……もし私がいけないことをしたら、私のことちゃんと怒ってね?』
「怒れないよ、きっと」
そっと抱きしめた温もりは、確かにそこにあるのに酷く儚い。
セラの体温を肌で感じると、幾度も触れてきた以前までのセラのことも僕の心に浮かびあがった。
「君がどんなことをしても、僕はきっと君を許すし、好きでいると思う。どんなに困らされたり悩まされたとしても、それごと抱きしめたくなるんだよ」
セラがゆっくりと顔を上げて、そっと僕を見つめる。
その瞳の奥に僕が映っていることが、今この瞬間の全てだった。
「好きだよ。本当にどうしようもないくらい。たとえ世界中が君を手放せって言っても、僕だけは絶対に手を放さない。君が何を選んでも、どこに行っても、僕は君のそばにいるよ」
アイスブルーの瞳が大きく揺れて、涙を堪えるようにセラは下を向く。
「嬉しい」と呟く声ごと抱きしめて、愛おしい香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「言うのが遅くなったけど、僕は元々君と最後までするつもりはないよ。つい触りたくなっちゃうのは、セラの色々な顔を見たかったからなんだよね」
『……そう……なの?』
「君は公爵家の大事なお嬢様なんだし、結婚するまで最後の一線は越えたら駄目な筈だよ。まあ勿論最近はそういうのを気にしない人も増えてきてるけど、僕は君にいい加減なことをするつもりはないから、そこは心配しないで」
セラは目を瞬いて僕を見つめていた。
でも直ぐに唇を結び、嬉しそうに微笑んでくれた。
『私のこと、色々考えてくれてありがとう』
「当たり前のことだよ。それに僕はいずれ君をお嫁さんに貰いたい。その時まで大切にとっておきたいっていうのもあるかな」
『総司がそう思ってくれて、凄く嬉しいよ。私、一日も早く総司のお嫁さんになりたいよ』
嬉しいことを言ってくれるから、思わず頬が緩んでしまう。
伸ばした腕がセラの身体を引き寄せると、目の前の頬は少し赤く染まった。
「僕はいつでも大歓迎だよ」
『私がデビュタントを迎えたら、もう結婚もできるようになるんだよね。その時までにお父様にお話したいな』
「近藤さんに許して貰えるといいんだけどね」
『お父様は総司のことを凄く評価してるの。だから大丈夫だよ』
「でも公爵家の今後のことを考えると、爵位の高くない僕は役不足だと思うよ」
セラは純粋に僕を想ってくれているみたいだけど、僕はこの公爵家に繁栄をもたらせる程の爵位があるわけではない。
セラもそのうち公爵家の跡取りとしての使命を求められる日が来るだろうし、そのことについての不安は拭えないままだった。
そしてそんな僕の心情をそれとなく察したのか、セラは僕の手をぎゅっと握りしめる。
そして一生懸命な瞳を僕に向けると、迷いない様子で話し始めた。
『私は公爵家の跡取りとしての務めを果たすことが大切だって分かってるつもりだよ。だから政治も領地も商会のことも学んで、出来ることを増やしてるの』
セラが様々な分野の本を読み漁っていることは知っている。
そして学業と並行して公務などについても自ら学ぶ姿勢も持っているのは、僕が渡ってきたどの世界のセラにも共通して言えることだった。
『でも私にとって一番大切なのは、私自身が心から信じられる人と一緒に歩んでいくことだと思ってるんだ。一人で全部を背負うんじゃなくて、私は総司に支えてほしい。総司は私が迷った時に道を示してくれるし、どんな時も信じられる人だから、私が公爵家を支えるならその隣には総司がいてほしい。私は、総司と一緒に未来を築いていきたいの。私達の力を合わせれば、この公爵家がもっと繁栄していくって信じてるから』
セラは僕と一緒に成長し、僕達の絆を大切にし続けることを真剣に望んでくれている。
それが分かったからこそ、胸の奥が強く揺さぶられる感覚だった。
セラがそんなふうに考えてくれていたことが、ただ嬉しいと思う。
僕の中で一番大切なセラと共に未来を歩むという想いが、もっと確かな形になった気がした。
「君の隣に立つことは、ずっと前から僕の望みだよ」
握られた手を強く握り返すと、セラの瞳は僅かに揺れる。
この顔を見る度、何度可愛いなって思ってきたかもうわからないけど、今のセラはその中でもとびきり愛らしく見えた。
「君を護ることも、支えることも、君と一緒に生きていくことも僕にとっては一番大切なことなんだ。でもそれを君が望んでくれているのが、今すごく嬉しいよ」
セラは、決して強いわけじゃない。
どちらかと言えば愛らしい顔を見ると、どうしても護ってあげたくなってしまう。
でも実際はただ護られるだけの存在ではなく。その心の内にある意志の強さを僕は知っている。
僕は実際、セラの存在や彼女がかけてくれたことばに何度も救われてきたからだ。
だからこそ僕はセラの隣で、この子と同じ景色を眺めていきたいと切望してしまうのだろう。
僕と対等に肩を並べて歩いていきたいと思ってくれるセラを、僕も護り続けたいと強く思った。
「君が公女として一生懸命未来を考えているなら、僕もそれにふさわしい人でありたいと思う。君をただ護るだけじゃなくて、君と一緒に未来を築いていけるようにね」
握っていた小さな手を、指を絡めるように握り直す。
そしてずっと心で思っていた言葉をセラに告げた。
「だから僕にも努力させて。君の隣に立つのにふさわしい僕でいるために」
セラは驚いたように瞬きをして、それから嬉しそうに微笑んだ。
『うん。総司と一緒なら、どんなことでも頑張れる気がする』
「僕もだよ」
セラの手を引き寄せて、そっと抱きしめる。
その温もりが、僕の中の迷いや不安を全部吹き飛ばしてくれるようだった。
僕の未来には、セラが必要だ。
そしてこの子もまた、僕と並んで歩む未来を望んでくれている。
だからこそ、僕はセラの隣にふさわしい自分であり続けたい。
セラの歩む道を、共に支えていくために。
そう心に誓いながら、愛らしく微笑むセラにそっと口づけた僕がいた。
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