7
学院初日。
凛とした佇まいで代表挨拶をしているセラを眺めていると、この世界でも一人の公爵令嬢の言葉を皮切りに、セラが過去に誘拐されたことがあるという話が広まった。
そしてそれはただの憶測からまるで真実であるかのように広められ、たったの数分でセラは男達に弄ばれた傷物令嬢という事実無根の言われを受けていた。
そして式が終わり教室に足を踏み入れれば、予想していた通り数人の令嬢たちが集まり、セラのことを面白おかしく噂している。
まるで他人の不幸を肴にして楽しむかのように、笑い声を漏らしながら話す顔は本当に醜くて嫌になる。
「ねえ、伊庭君。これから僕のすること、止めないで見ててくれない?」
「何をするつもりですか?あまり大事にはならないようにしてくださいよ」
「大丈夫だよ、セラや近藤さんに迷惑かけることはしないから。どうせなら伊庭君は、僕と一緒に相手を睨みつけてくれると凄みが増して助かるんだけど」
「睨みつける……のですか?確かにセラのことを好き勝手言われて頭にきている気持ちはあります。なのでそのくらいのことでしたら自然に出来てしまうと思いますが」
「宜しくね。あと、はじめ君」
先程から瞳を細めてセラの話をする輩を睨みつけているはじめ君に、僕は歩み寄った。
「話しかけないでくれ。今この場をどう収めようか考えている最中だ」
「僕も同じこと考えてるよ。取り敢えず一番最初に噂を広めたあの令嬢に文句を言おうかと思ってるんだけどね」
「その程度で黙ればいいのだが」
「勿論少しは脅すよ。だからはじめくんのペーパーナイフ、貸してくれない?生憎この学院は剣の持ち込み禁止だから手元に何もなくてさ」
「貸すのは構わないが、何をするつもりだ」
「ちょっと驚かすだけだよ。はじめ君も伊庭君と並んで、セラを貶めようとしている奴らを睨んでくれればいいから」
あの馬鹿な大公子はまたどこかに拉致るとして、まずは悪意の元から片付けようと足を進める。
令嬢四人でセラの話をしている場に向かえば、彼女達は僕に気付かないまま胸糞悪い話をしていた。
「だってありえないでしょう?公爵令嬢なのに、誘拐されるなんて」
「しかも野蛮な男性を複数相手にしてたみたい。考えたくもないけど」
「傷物の令嬢なんて誰も相手にしないでしょうし、学院に来ても恥をかくだけじゃないかしら?」
「よく代表の挨拶なんて出来るわよね」
ふざけたものだ。
人の痛みが分からない人間はどこにでもいるものだけど、外部と関わるとセラの綺麗な心が汚されそうで不安にもなる。
「楽しそうだね」
静かに声をかけると、令嬢たちは弾かれたように振り返る。
僕が微笑みを浮かべながら彼女たちの輪に行くと、皆して途端に取り繕うような笑顔を浮かべていた。
「君達が話していたこと、僕にも聞かせてもらえるかな」
「大したお話ではないですよ?ただ先程、代表挨拶をされていたアストリア公国のご令嬢が以前誘拐されたことがあるという話を聞きまして」
「へえ、それで?」
「なんでもその時、その男の方達に色々されてもう傷物なのだと……なのでお可哀想と話していたんです」
「それより、あなたはどちらの家門の方ですか?」
「背がとても高いですよね。爵位などをお伺いしても?」
「お名前は?」
僕は今、敢えて胸元のハンカチを少し出すことで紋章を隠している。
真っ先に紋章を確認しようとした彼女達の目線は、再び僕の顔に向けられて満面の笑みだ。
「はじめまして。僕は沖田総司と申します。一応、特級騎士ではありますが、爵位はさほど高くありません。男爵ですよ」
「まあ、特級なんて素晴らしいですね。爵位も十分だと思いますよ。こちらのご令嬢はリーア子爵の……」
「それで、先程の話の続きを聞きたいんですけどね」
「あの、もしかして……沖田さんはアストリアのご令嬢がお気に召していらっしゃるんですか?」
「ええ、まあ。とても可愛らしい方じゃないですか」
「あの方はやめておいた方がいいと思いますよ?傷物令嬢というだけではなく、色々と他にも良くない噂がありますもの」
「良くない噂?たとえば?」
「相当な好きものだとか……。あとこの学院にも数人護衛の方を引き連れているらしいのですが、その方達とも身体の関係があると、言われていますから」
「それってどこから出た噂なんですかね。僕は初めて聞きましたけど」
「出処は存じ上げませんが、火のないところに煙は立ちません。噂が立つというのとは、結局そういう方だということですよ」
先程まで色々なところで聞き耳を立てていたけど、セラが好きものだという話や護衛達とも関係を持っているなんていう噂はどこでもされていなかった。
つまり睨んだ通りこの令嬢が同じ公爵令嬢という立場のセラを陥れるために流した嘘だろうということが分かり、僕は口元に笑みを作った。
「それが本当なら確かに凄い話ですよね」
「ですよね。なので沖田さんもあの方には近づかない方が宜しいですよ」
「何故です?」
「え……?何故って……良くない噂が立っている方と親しくされると沖田さんの品位まで疑われてしまうからですよ。ねえ?」
「そうですよ。沖田さんはとても素敵でいらっしゃるのに勿体ないです。あ、良かったら今度お茶会にいらして下さいませんか?」
「まあ、でしたら是非私のお屋敷にも」
「僕が参加させて頂いても宜しいんですか?」
「はい、是非。沖田さんのような素敵な騎士の方と、お話出来ることが楽しみです」
「そう思って頂けるのなら光栄です。ちなみに僕、アストリア公国の騎士ですけどね」
僕の発言にそこにいた誰もが言葉を失い、その目を大きく見開いている。
そしてハンカチを押し込んで敢えて隠していた紋章を見せると、途端に顔を引き攣らせていた。
「で?どうして根も葉もない噂を立てて我が公国のお嬢様を傷付けようとするのか、その理由を教えて頂けます?くだらない噂を広めるのは自由だけど、その内容によっては君たち自身の品位を疑われることになると思うんだけど、そんなことすらわからないみたいだし?軽々しく口にした言葉が人をどれほど傷つけるのか、君達は考えたことがあるのかな」
ゆっくりと圧をかけるように一人ひとりの顔を見つめながら、じわりと追い詰めていく。
誰もが息を殺し目を逸らそうとする中で、先ほど悪意をもって噂を広めていた令嬢だけは、かすかに震えながらも必死に気丈に振る舞おうとしていた。
「何か言いたいことがあるなら、今のうちにどうぞ?」
「……っ」
「あれ?さっきまで楽しそうだったのにね。うちのお嬢様のことを傷物だ好きものだなんて嘲笑う余裕があったなら、僕の前でも同じことを言えるんじゃない?」
「そ、それは……」
「言えない?なら、どうしてそんなことを広めたの?」
「べ、別に……噂話をしていただけです……」
「君、噂話の意味は分かっているの?」
「……え?」
「人から人へ伝わる話のことをそう呼ぶけど、君の言葉は違ったね。確証もないのに面白おかしく語って、相手を貶めようとする。そんなものは、中傷って言うんだよ」
「中傷なんて、そんなつもりではないです……!」
「違う?君がセラの名誉を傷つけ、彼女の評価を貶めようとしているのは事実だよ」
静かな声でそう告げると、彼女はびくりと肩を震わせた。
「うちのお嬢様がどんな人か、僕は君達の誰よりも知っているつもりだ。セラは君達みたいに悪意で人を貶めることはしない。噂話に興じて、人を見下して笑うこともない。君達ははセラを傷物だなんて言ったけど、僕からすればそんな噂話に群がって笑っている君たちの方がよっぽど安っぽいけど」
僕は教室中をぐるりと見渡した。
「それなのにどうしてうちのお嬢様を貶めるようなことを言えるんだろうね?セラの方が君達よりずっと貴族令嬢らしい振る舞いをしているのに、おかしな話だと思わない?」
教室中の視線が僕に注がれていたけど、誰も何も答えない。
目が合うと気まずそうに逸らし、ただ巻き込まれたくはないという表情を浮かべる生徒が大半だった。
けれど教室中の空気が張り詰めた時、勇気を振り絞ったのか、一人の令嬢が震える声で言った。
「……そ、そんな、騎士のくせに……!」
「騎士だから何?誰かを護るために剣を振るうのが僕たちの誇りだよ。主人が貶されてると知ったら、公国の騎士はどう動くと思う?ああ、それとも君達はアストリア公国を敵に回す覚悟があるのかな?王国の貴族である君達なら分かるはずだよ。公国の騎士団がどれほどの力を持っているか」
「……っ……」
「セラは我が公国の誇りだ。君達みたいな安っぽい連中に好き勝手言われる筋合いはない。僕はセラが理不尽に傷つけられるのを見過ごす気はないよ」
令嬢たちの表情が凍りつく。
僕は静かに微笑みながら、最後に言葉を落とした。
「君達は今、とても軽い気持ちでセラを貶めたつもりかもしれない。でももしそのくだらない噂話のせいで、うちのお嬢様が傷つくことになれば……」
そこで一歩、音を立てずに踏み出す。
僕は一人、もっとも悪意を持って噂を広めようとしていた令嬢へと目を向け、机に置かれた彼女の手の直ぐ近くにペーパーナイフをつきさした。
「……ひっ……」
「僕はそれが誰であっても容赦はしない。わかったなら、もう二度とありもしない噂話は口にしないことだね。ああ、それと……」
そう言って僕を黙って見守ってくれていた伊庭君とはじめ君に視線を向ければ、彼らは僕のところに歩いてくるなり、約束通りその瞳を冷たく細めてくれた。
「この二人と、今はいないけどあと一人もうちのお嬢様贔屓だから、僕達を敵に回したいなら好きにすればいいよ。もしうちのお嬢様が君達のせいで泣くことになれば、僕達は相手が誰であっても絶対に許さない。泣かせるどころじゃなくなるよ」
その場にいる全員の顔から、完全に血の気が引いていた。
誰もがセラや僕達を敵に回すのは厄介だと悟っただろう。
静寂が教室を支配していた。
「はっ、怖い怖い。公国の騎士様が何を言うかと思えば、大したことないな」
そんな時、鼻で笑ったのはあの馬鹿な大公子だった。
「所詮は騎士風情、貴族の世界では何もできないってことだろ?あのお嬢様と毎晩やることやって?可愛い顔で喘いでもらって?騎士って楽しいそうで羨ましいなー」
結局馬鹿はやっぱりどの世界でも残念な脳みそを持っているらしい。
僕は無言で彼の襟元を掴み、軽々と持ち上げた。
「うぐっ……、な、何をっ!」
「君、ちょっと外で話そうか」
「は、離せ!俺は大公家のっ……」
「関係ないね」
結局こうなるのかとため息を吐きながら、彼を引きずるようにして教室を出た。
人気のない廊下の奥で、大公子の襟元を壁に押しつけると、僕は静かに微笑んだ。
「で、大したことないって?さっきはずいぶん余裕そうだったけど、今はどうかな」
「な、なんのつもりだよ。俺を脅す気か?」
「脅す?まあ……そうだね、脅しのつもりだったけど、君は脅しの意味がよく分かってないみたいだから仕方ないな。実行した方が早そうだね」
「……は?実行?」
「怖いね、騎士風情が貴族の世界で何をするかわからないのは。でもね、君がこれ以上うちのお嬢様を悪く言うなら本当に何をするかわからないよ。まずは僕が君をどう料理するか、それを考えるところから始めようか。料理って言っても色々あるからさ」
「な、何の話だよ……」
大公子の喉がひくりと動く。
「例えば、まず君の舌をどうにかしようか。セラを貶めるために、随分と軽々しく動く口みたいだからね。だったら少しは慎重になれるように手を加えるのも悪くないと思わない?」
「ふ、ふざけるな……!」
「ふざけてると思う?それと手を落とすのも楽しそうかな」
「な……」
「君は貴族だから、剣を嗜んでいるでしょ?でも指がなくなれば剣どころかペンを持つこともままならない。それか足もいいね。君は今、騎士風情なんて言っていたけど、戦場で戦う兵士がいなければ君たち貴族はどうなると思う?立つことも歩くこともできなければ、君はもう貴族ではなくただの無力な男だよ」
大公子の顔から、完全に血の気が引いた。
「あ、それとも顔にしようか。君みたいな人間にとって一番大事なのはくだらない体裁とやらでしょ?だったらそれを失うのが一番効くんじゃないかな」
持っていたペーパーナイフを握り大公子の頬を片手でがっつり掴むと、目を突き刺す寸前まで持ってくる。
するとこいつは素っ頓狂な声をあげて、やたら僕に怯えていた。
「た、頼む……!俺が悪かった!もう二度とあの令嬢の名前を口にしない!何も言わない!何もしない!」
「……へえ?約束できるの」
「本当だ!誓う!何もしない……だから……!」
「本当かな。君相当馬鹿そうだし、また同じこと繰り返しそうじゃない?」
「断じてしません……!そちらのお嬢様に危害や誹謗中傷を加えることはっ……」
「じゃあセラの噂話を聞いたら、君も全力で否定してくれる?僕達を敵に回すとまずいってこともそれとなく広めてくれるなら今回は見逃してあげてもいいけど」
「わかりましたっ……そうしますから……!」
前の世界でも、こいつはこの程度の脅しで簡単に大人しくなった。
今回も相当怯えている様子だし、恐らくもう相手にする必要はないだろうと僕は手を離した。
「わかった、いいよ」
大公子は息を荒げながら、必死に後ずさる。
本当に何度見ても情けない男だ。
「でももし君が約束を破るなら今の話はただの冗談じゃ済まなくなるよ、いいね?」
その言葉に、大公子は震えながら何度も頷いた。
「わかったなら、消えなよ」
彼は転がるようにして逃げていくから、やれやれという気分だ。
でもこれでセラが傷つくことはなくなるだろう。
教室に戻ると、先ほどまで楽しげに噂をしていた令嬢たちは、恐怖に凍りついたように静まり返っていたから、僕は思わず口角を上げた。
「はじめ君、これどうもありがとう。役に立ったよ」
にこやかに持っていたペーパーナイフを返せば、伊庭君は苦笑いをしているしはじめ君も何か言いたげな顔をしている。
「なに?」
「いえ、沖田君の行動力が凄いと思っただけです」
「あんたは何をするか分からないな。このペーパーナイフもあの大公子に対しての牽制に使ったのか?」
「まあ、ちょっとだけね。僕はあの馬鹿な大公子に分かりやすく説明してあげただけだよ。セラに手を出せばどれだけ後悔することになるかってね」
「それであそこまで顔色を失ったのか……」
一人静かに座る大公子は、僕と目が合うなり慌てて目を逸らしている。
青ざめた顔はいまだ僕を恐れている様子だから、苦笑いをこぼした。
「君はセラのことになるとやることが容赦ないですから、たまに怖いですよ」
「ああ。セラのことは護れたが、同時にあんたは恐れられる存在になってしまったと思うのだが」
「僕はセラが傷付けられそうならどんな手を使ってでも護るし、それが僕のやり方なだけだよ。それに怖がられて困ることなんて一つもないしね」
そのことでセラを護れるのであればむしろ好都合だ。
僕はセラを護るためにここにいるんだから。
「まあ、それでこそ沖田君ですけどね」
「あんたはセラのことしか考えてないのだな」
「当然」
開き直ってそう言えば、苦い顔をして見せた二人も直ぐに呆れたように笑った。
「結局セラのために動いてしまうんですね、沖田君は」
「それは伊庭君とはじめ君だって同じじゃない?」
「当たり前だ」
「僕達が護るべきものは、ただ一つですから」
「そういうことだよ」
今回はもう、城でセラが泣くこともないだろう。
そう思えば、周りにどんな目で見られようが僕自身全く気にすらならなかった。
いまだに戻ってこないあの子を想いながら、今どんな表情を浮かべているのか考える。
どうかこの世界こそ君にとって幸せな未来が訪れる場所になりますようにと、願ってしまう僕がいた。
ページ:
トップページへ