8

ホームルームが始まる時間になっても、セラと平助は教室に戻ってこなかった。
前回の世界では、この時間にはとっくに教室にいた筈。
僕と伊庭君が時計を見つめながら落ち着かない気分でいると、平助がひょっこり顔を覗かせた。


「あ、いたいた。先生は?」

「平助君、随分遅かったですね」

「まあ色々あってさ。先生はいねーの?」

「先生はまだいらしてないですよ」

「平助、セラは?」

「セラは今保健室。さっき怪我しちまったからさ」

「え?怪我……?」


思わず立ち上がった僕が保健室に走り出そうとしたところ、平助が慌てて僕の腕を掴んだ。


「おい、ちょっと待ってくれよ……!」

「怪我したんでしょ?ていうかなんでセラを一人にするのさ……!」

「いや、だから話を聞いてくれって」

「そもそもセラを一人にしたら平助君が護衛をしている意味がないと思いますよ」

「でも保健室に先生がいなかったからさ、呼びに行こうと思ったんだけど見つからなくてここに来たんだ。もうすぐホームルーム始まっちまうだろ?俺とセラは遅れるって先生に言っといてくんね?」

「もういいよ、僕が行くから」

「なんでだよ、今日は俺がセラの付き添いだろ?」

「平助。君、護衛の意味を分かってるのかな?セラを一人にした時点で護衛失格なんだよ?それでもまだ俺が行くとか言うわけ?」


圧をかけて詰め寄れば、気まずそうに眉根を寄せて「ごめん」と謝る平助。


「そういうことだから、僕とセラは少し遅れるって先生に伝えておいて」

「分かりました、廊下を走っては駄目ですよ」


呆れたような笑みを浮かべた伊庭君の言葉すら無視して、僕は当然のように廊下を走る。
この学院ではセラが一人になった瞬間、あの子に災いが降りかかる。
だからこそ一分一秒でも早く、セラのところに辿り着きたかった。
でも猛スピードで階段を駆け降りたせいか、曲がり角で思い切り人とぶつかってしまった。
互いに倒れはしなかったものの、ぶつかった相手を見て思わず目を見開いた僕がいる。


「……痛いんだけど。なんなの、お前?」


ぎろりと僕を睨み上げたのは、この世界では絶対に関わりたくなかったうちの一人。
前の世界でセラが死を迎える原因を作った、あの王太子だった。


「……申し訳ありません」


前の世界の時に沁み込んだ癖なのか、僕はただ丁重に頭を下げる。
ここで目をつけられれば、それこそまた厄介なことになる。
そう踏んでいたからこそ、このままやり過ごそうと思っていたのに、王太子は苛立たし気に僕の胸元の紋章を見た。


「お前は……アストリア公国の騎士?」


……まずい。
わざわざ確認をするあたり、この後何かしてくるつもりかもしれないと拳をきつく握った。
けれど王太子は何故か先程までの苛立ちをなくし、少し柔らかくなった表情で僕を見つめた。


「今後は校内では走るな。いいね?」

「はい、申し訳ありませんでした」

「それと、主は大切にするんだよ」


謎の言葉を言い残し、少しご機嫌な様子で去って行くその姿に疑問しか残らない。
とは言えとりあえずは怒ってなさそうだし、騎士一人のことなんて眼中にない筈だ。
安堵しながら再び走り、僕は保健室を目指して行った。



保健室の扉を開けると、膝に包帯を巻いたセラが窓辺のベッドに腰掛けていた。
柔らかな日差しが差し込んで、淡いミルクティー色の髪が光を帯びて揺れている。
僕が近づくとセラはぱっと顔を上げ、ふわりと嬉しそうに微笑んだ。 


『総司、来てくれたんだね』


その何気ない言葉に、胸の奥が熱くなる気がする。
こんなにもまっすぐに僕を見て、そんな風に笑ってくれるのは君くらいだ。


「迎えに来たよ。膝は大丈夫?歩けるの?」

『うん、全然大丈夫。歩けるよ』


そう言いながら立ち上がろうとしたセラの足元がふらついて見えて、僕は反射的に手を伸ばし細い身体を引き寄せた。


「無理しなくていいのに」

『平気だよ。心配しすぎだよ、総司』


セラの体温がすぐ近くにある。
息をするたびにふわりと甘い香りが鼻をかすめたから、僕は考えるまでもなく保健室の鍵をがちゃりと閉めた。


『え、総司……?』

「セラ、会いたかったよ」


戸惑ったような表情を目の前に、そのままゆっくりと顔を近づける。
大きなの瞳が揺れて、それでも逃げようとはしないからより愛おしさが込み上げた。


「少しだけ、ね」


セラをベッドの上に座らせるなり、小さなの唇を自分の唇で塞いだ。
セラは一瞬驚いたように身を強張らせたけれど、すぐに僕の服の袖をきゅっと掴む。
その仕草がいじらしくて、唇の角度を変えながら少しだけ深く口づけた。


『……ん、総司……もし誰かに見られたら……』

「鍵をかけたのに誰に見られるの?」

『でもここ、学院……』

「たまには違う場所も新鮮でいいんじゃない?」

『……んん……』


甘えたような声が可愛くて、胸が疼く。
でも長くなりすぎると、またセラを困らせるかもしれない。
名残惜しく唇を離すと、セラは頬を赤らめながら僕を見つめていた。


『……こういうこと、突然するのはずるいと思う』

「じゃあ、前もって言っておけばいいってこと?」

『それは……ちょっと違う気がするけど……』


むくれるセラも可愛くて、もう一度軽く唇を重ねた。
離れ難く感じながらも、薄く朱が差した頬や潤んだ瞳、戸惑いながらも僕を見つめる表情、そのどれもが無性に愛しくてたまらなかった。


「代表挨拶、凄い良かったよ。ずっと見てたからね」

『ありがとう……』

「よく頑張ったね」

『……総司、あの……近いよ』


僕の上着をぎゅっと握りしめたまま、セラが小さな声を漏らす。
甘く掠れた声音に、思わずもう一度口づけてしまいそうになる衝動を抑えながら彼女の頬に触れた。


「こんなふうに君に触れるのは、本当は学院の中じゃ控えるべきなんだろうけどね」

『それなら、どうして』

「どうしても我慢できなかったんだよね。セラがあんまり可愛かったからさ」


そう言うとセラの頬がさらに赤く染まり俯いててしまう。
その仕草さえもまた愛おしくて、僕は思わず微笑んだ。


「どうしてそんなに可愛いんだろうね」

『可愛いくないし、そんなこと言わなくていいよ』

「セラが悪いんだよ。そんな顔をするからもっと君を独り占めしたくなるんだけど」


そう囁くと、セラは更に頬を染め、僕から逃れようと小さくもがいた。
けれど僕の腕の中から抜け出すことはできないから、結局不服そうに僕を睨み上げている。


『……もう、なんかずるい』

「何が?」

『総司は、そんなふうに意地悪なことを言って……いつも、私ばかり恥ずかしい気持ちになってる気がする』

「じゃあ、セラも言ってみたら?」

『え?』

「僕が恥ずかしくなるようなこと言ってみたらいいんじゃない?」

『そんなこと言われても……』


セラはいつもの如く視線を逸らそうとするから、そっと顎を指先で持ち上げ、目を合わせた。


「言えないの?僕だけが恥ずかしくさせるのはずるいって言ってたのにね」


意地悪く微笑んでみると、少し不服そうに僕を睨んでくる。
その様子に満足していると、セラは一度考える素振りをしてから口を開いたを


『総司はすごくかっこいいよ』


恥ずかしそうにそう呟いたセラの唇をまた奪っていた。
セラの驚いた声も、腕の中で小さくもがく動きも、すぐに甘く蕩けるように変わる。
僕の手が彼女の頬を撫でると、ふるりと震えて目を閉じた。


「あともう少しだけ、許して」


唇を味わうように深くキスをする。
その後は頬に口付け、そのまま首筋を辿ると小さな身体はぴくりと動いた。


『ふふ、擽ったい……』

「セラの肌っていい香りがするよね。甘くて柔らかくて……ずっと触ってたい」

『や……総司……』

「君は世界一可愛いよ。ほんと……このまま襲いたくなる」


どさりという音と一緒にセラの身体がベッドに沈めば、セラは驚いた様子で目を見開いて僕を見つめている。
勿論こんな場所で何かするつもりはないけど、なんだか変な気分になっちゃったし、困ったな。
ホームルームとか、もうどうでもいいや。


『そう……んんっ……』


キスをしてセラの口内に舌を滑らせると、柔らかいセラの舌が戸惑いながらも僕を受け入れてくれる。
目を開けると、この行為にされるがまま酔いしれてくれているような愛らしい顔が目に入り、僕の興奮を煽っていった。
もう戻らないといけない、そんな気持ちが互いにあるからか、僕もセラもこの時間を惜しむように深く相手を求め合う。
漏れる吐息や互いの舌の動きに夢中になりながら、ただ触れ合えるこの時間が幸せで堪らなかった。


『はあ……総司……』


唇を離し、セラの濡れた赤い唇を親指で撫でると、少し困った様子で僕を見上げる。
でもぞくりとする感覚が指先に走ったと思えば、セラの小さな舌が僕の指をぺろりと舐め、悪戯に微笑む顔が視界に入った。


「悪い子だね。そんなことして僕を誘ってるの?」

『ううん、だってもう教室に戻らないと』

「へえ、こんなことしておいて戻るんだ」

『私は戻るよ?総司は一人でここに残る?』


セラは僕に仕返しをしているつもりらしい。
僕を見上げながらも、また悪戯に微笑んでいる。
でもそんな可愛い挑発をして済むと思っているだとしたらそれこそ甘い。
僕も仕返しをしようと、セラを腕の中に引き寄せるなり、口元に指を差し出した。


「はい」

『え?』

「僕の指、舐めたいんでしょ?さっきみたいに舐めていいよ?」

『……もう舐めないよ?』


セラは僕の言葉に戸惑ったように瞳を揺らす。
さっきまでは余裕の笑みを浮かべていたのに、今はすっかり困り顔だから、そんな姿が可愛いらしい。


「そんなこと言って、さっきはあんなに無防備に舐めたのに?」

『それは……』

「どうしてできないの?」


わざと意地悪に問いかけながら、セラの指をそっと掴む。
そのまま自分の唇へと引き寄せ、指先に軽く噛みつくように甘く歯を立てた。


『やっ……』


驚きに目を見開くセラの指を、今度は舌先で優しくなぞる。
わずかに震えるセラの指先を僅かに吸い上げると困ったように身を捩った。


「……こんなことされたら、君ならどう思う?」


吐息を震わせるセラを見つめながら、そっと舌を絡ませる。
セラがたじろぐのを楽しむかのように、指先を口内で転がした。


『や、やだ……』

「嫌なの?」

『……分からない……けど……』

「じゃあ、もっとわかりやすくしてあげる」


頬に手を添えると、セラはまるで僕に吸い寄せられるように自然と唇をわずかに開いた。
その瞬間を逃さず、僕は深く唇を重ねる。
セラの甘い吐息が漏れるたび、もっと欲しくなってしまう僕がいる。
 

『ん……っ』


舌先で柔らかな唇をなぞれば、わずかに戸惑いながらもセラは応じるようにそっと舌を絡めてきた。


「……いい子だね、好きだよ」


セラの腰を引き寄せ、さらに深く貪るように口づける。
逃がさないように後頭部へ手を回し、何度も何度も柔らかく舌を絡めた。


『ふ、……ぅ……っ、ぁ……』


呼吸すら忘れそうなほどだった。
絡まった吐息が熱を帯び、セラの指先がそっと僕の胸元を掴むのがわかる。
どれだけ時間が経っただろう、唇を離した時には、セラはぐったりと僕の肩に顔を埋めた。


「可愛いね、セラ」


か細くそう呟く彼女の唇を名残惜しげにもう一度啄むと、セラはますます顔を赤くし、僕を睨むように見上げた。


『……もう、私教室に戻るね?』

「そんな顔しておいて、本当に戻れるの?」


意地悪く微笑みながら、桃色に染まった頬にそっと唇を落とす。
恥ずかしそうにしているセラの様子を眺めながら、僕はまだ離したくない気持ちで今度は耳元に唇を寄せた。


「ねえ、本当にまだ戻る気ある?」

『だってホームルームが……』

「大丈夫だよ。僕達が遅れることは伝えてもらってるし先、今日は授業もないしね」

『だけど……』

「それにもうとっくに始まってるよ。今から戻ったら変に注目浴びそうじゃない?」


セラは困ったように唇を噛み、僕をじっと見上げている。
僕はただ微笑んで、綺麗な髪をそっと撫でた。


「僕はもう少しここでセラを可愛がりたい気分なんだけど」

『だ、だめ……』

「だめ?じゃあ最後に、口を開けて?」

『もう……』


抗議する声も、またすぐに甘く溶かしてしまう。
たっぷりと味わい尽くして、セラが恥ずかしさに耐えきれなくなるまで愛でようと、再び深く唇を重ねた僕がいた。


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