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晴れた日の昼下がり。
小さな温室の扉をそっと開けると、ふんわりとした温かな空気と草花の香りが包み込んできた。
公爵邸にある温室は、季節を問わず様々な植物が育てられている場所。
私は小さい頃から庭園と同じくらい、この場所が大好きだった。

ここ最近、時間が出来れば温室に籠っている。
その目的は、総司のためにカレンデュラオイルを作ることだった。
カレンデュラ、別名マリーゴールドは、肌の炎症を抑えたり傷の治りを早めたりする効果がある。
訓練で傷ついた総司の手や腕を少しでも癒せたらいいという想いから、作ることに決めた。

私は黄色やオレンジのカレンデュラを選びながら、一つ一つ丁寧に摘んでいく。
その途中に頭に浮かんだのは、何度も剣を握りしめ、豆が潰れ、血が滲んでいた総司の手だった。
それでも痛みを気にする素振りも見せず、ただ前を向いて鍛錬を続ける総司。
その姿を思い出せば、総司のために何かしたいと願う気持ちは抑えられなかった。

総司はいつも飄々とした態度を崩さない。
でも訓練場での彼を見ていると、心の奥底にある焦りが伝わってくる。
見習いであることへの苛立ち、信用を得たいという願い。
それを押し隠すように笑う総司の姿が、時折とても危うく見えて私の心を苦しくさせた。


『……今日も無理をしていないといいんだけど』


ぽつりと呟きながら、摘んだ花びらを籠に入れ、温室の奥にある作業台へと運んだ。

作り方は以前、本で読んで覚えている。
オイルを作るにはまず花を乾燥させ、それをオイルに漬け込んでじっくりと成分を抽出する必要がある。
完成までには二週間近くはかかるけど、それでも一日でも早く作り終えて総司に渡したい。
ガラス張りの屋根から降り注ぐ光が、テーブルの上に広げた花弁を惜しむことなく照らしていた。

そして数日前から乾燥させていた花弁の方は、慎重に広げながらガラス瓶に詰めていく。
肌馴染みの良いオリーブオイルを静かに注ぐと、黄金色の液体が花びらを包み込み、甘くやわらかな香りが立ちのぼった。
ゆっくりと染み込んでいくのを見ていると、まるで総司の傷が癒えていくような気がした。


「失礼します」


突然、静寂を破るように優しい声が響いた。
振り向くと、騎士団の制服を着た山崎さんが、入り口の傍で腕を組んでいた。


『山崎さん、こんにちは。温室にいらっしゃるなんて珍しいですね』

「お嬢様が温室にいると侍女から聞いたんです。以前話していたオイル作りですか?」

『はい』


「精が出ますね」と言って微笑む山崎さんの視線が、私の手元や作業台へと向けられた。


「……これはまた凄い量ですね」

『えっと……その……作るのに時間がかかるので、工程を分けて作れば定期的に作ることができるかなと思ったんです』


張り切り過ぎてるみたいで少しばかり恥ずかしい。
小さい声でそう答えると、山崎さんがふっと柔らかく笑った。 


「お嬢様は、本当に沖田さんのことをよく気にかけておられますね」

『あの……、元々興味があったんです。作ってみたいなって以前から思っていたので、総司がいい実験台になってくれるかなって』

「ふ、実験台ですか」

『ちゃんと作れるかはまだ分からないので、総司には言わないで下さいね?』

「分かりました、余計なことは言いません。この花は……カレンデュラですか?」

『はい。乾燥させてオイルに成分を抽出させると、切り傷や炎症を和らげたり肌を守ってれるカレンデュラオイルが作れるみたいなんです。総司の手、豆とか傷で痛そうだったので……』


余計なことは聞けなかったけど、先日見た総司の手は驚いてしまうくらい痛々しく腫れていた。
きっと悩みもある中、総司は一人で戦っている。
人に弱みを見せることが苦手だろう総司が、少しでもその傷を癒してくれればいいと思った。


「なるほど。確かにあの剣の振り方では、手に負担がかかって当然ですね」

『そんなに激しいのですか……?』

「はい。見習いだからといって手を抜くこともなく、むしろ自分を追い込むように訓練しているようです。最近は剣の振りすぎで右手の皮がほとんど剥けている状態ですよ」

『そんなに……』

「本人は大したことはないと言っていますが、今のままだと握力も低下して、まともに剣を振れなくなりかねません。相当無理をし過ぎているように見えますね」


その言葉に、私は胸がぎゅっと締めつけられるような気持ちになった。
やっぱり、山崎さんから見ても総司は無理をしているんだ……。
そう思うと、ますます自分に出来ることは何かないかと考えてしまう。


「見習いとはいえ、あれほどの剣技を持っている者はそうそういません。ですが強さの証明だけでは道が開けないとわかっているからこそ、彼は焦っているのでしょう」

『山崎さんからもそう見えるのですね……』

「はい。沖田さんは自分が信用されていないことを理解しています。だから誰よりも努力し、誰よりも成果を出そうとしている。でもそれは時に危うさを伴うものです」


総司の危うさは私も感じていた。
何故なら総司は決して誰にも頼ろうとしない。
自分の弱さを見せないどころか、自分自身ですら自分の弱さを決して許さない人のように思えた。
訓練中も、総司は常に周りの団員ではなく、彼自身と戦っている。
そしてきっと、総司の心はずっとひとりぼっちなのだと気づいた。

大公子だった頃の総司の生活がどのようなものだったのかは分からないけど、決して幸せではなかったことは彼の口ぶりから分かる。
ご両親の愛情が感じられなかったのなら、総司は小さな頃からいつも一人で悲しみや辛さと向き合っていくしかなかったのかもしれない。
だからそれが彼にとっての当たり前であり、甘えを許すことも出来なくなってしまったのだと思った。


『山崎さん、総司の見習い期間はあとどれくらい続くのですか?』


思い切ってそう尋ねると、山崎さんは少し考えるように目を伏せた。


「基本的には、主だった騎士たちから信用を得られた時ですね。それと、実戦や模擬戦での功績も考慮されるでしょう」

『つまり、その時はお父様や山南さんが認めてくだされば……?』

「ええ。ですが、騎士団の中にはまだ彼を疑う者もいます」


辛いけど、それはわかっていたことではある。
総司は一度、敵として公爵家の前に現れた身であるから、それを面白く思わない人がいても当然なのかもしれない。


「お嬢様もご存じの通り、彼はかつてお嬢様の誘拐に加担していました。今こうして騎士団にいるのは、近藤さんのご厚意とお嬢様のお言葉があったからこそです。ですがそれだけで彼の過去が消えるわけではありません」

『……はい』

「彼が本当に信用に足る人間だと周囲が認めた時、ようやく見習いを卒業できるでしょう」


遠回りな道のり。
けれど総司がそれを乗り越えようと必死になっていると思うと、胸を痛ませるだけではなく力になりたいと思う。


「ですが、お嬢様はあまり気を揉まれなくて大丈夫ですよ。沖田さんは確実に信用を得つつあります。あとは、沖田さん自身が無茶をしすぎなければ良いのですが……」


山崎さんの言葉に、私は改めて作業台の上の花びらを見つめる。
私にできることは総司が無理をしすぎないように、少しでも支えることなんだろうけど……。


『私、よく総司の訓練を見に行ってるんです』


邪魔になりたくはないし、あまり心配していると思われたくない。
だから声を掛けてはいないけど、二日に一度、時間を作っては総司の様子を見守っていた。


『総司は周りからも一目置かれる程の剣の腕前だけど、それでも誰よりも努力して結果を出し続けようとしています。それがまるで自分の価値を証明するかのようにも見えてしまって……』

「なるほど……だから無理をしてしまうのでしょうか」

『勿論、今が総司にとって頑張り時だということは分かってるんです。でも総司を見ていると、とても胸が苦しくなるんです。別に総司の価値は剣術の凄さだけではないのにって。私が以前した提案のせいで総司ががそういうふうに考えてしまうのかなって思ったら、どう声を掛けていいのか最近分からなくなってしまって……』


余計なことを言えば、更に総司を追い詰めてしまうかもしれない。
そう考えると、総司と話すことは今は少し怖かった。


「お嬢様がいてくださることが、沖田さんにとって大きな支えになると思いますよ」

『え……?』

「沖田さんはきっとお嬢様のことを大切に思っています。ですからお嬢様が沖田さんを気にかけ、こうして何かをしてくれること自体が彼の力になるのではないですか?」

『でも……煩わしく思われないでしょうか?総司の邪魔にだけはなりたくなくて……』

「沖田さんがお嬢様を邪魔に思うはずがないでしょう」

『でもこの前たまたま聞いてしまったんです……。総司が山崎さんに、私に心配されても困るって言ってるところ……』


あの日、少し時間ができたから、私は山崎さんのことを追いかけた。
山崎さんに託していた差し入れを、自分の手で総司に渡したいと思ったからだった。
でも総司は鋭い視線で真っ直ぐ遠くを見据え、心配して欲しいなんて頼んでないと言っていた。
心配している様子は総司の前ではあまり出していなかったつもりだし、ただ総司に会いたかっただけだけど、あの会話を聞いたら総司に会いに行くことが躊躇われてしまった。


「あの会話を聞いていらしたのですか?」

『ごめんなさい、盗み聞きするつもりはなかったのですが……』

「いえ、それは別に構いませんよ。俺こそ沖田さんに余計なことを言わなければ良かったです。申し訳ありません」

『山崎さんは謝らないで下さい。総司のことが心配で、山崎さんや原田さんによく聞いてしまっていたのは事実なので』


もしかして原田さんも総司に私が心配していることを話しているのかな……。
そうだとしたら総司が重く感じてしまうのも理解できるから、今度からはあまり聞かないようにしようと小さなため息を吐き出した。


「沖田さんがこの前言っていたことはあまり気にされなくていいですよ。元々苛立っていた様子でしたから」

『はい……、ありがとうございます。でも、総司の怪我は大丈夫そうでしたか?』 

「一応手当はしましたが、あまり無理をされない方がいいことは変わりません。ただその日から夜遅くまで剣を握ることは強制的に禁止にしたので、幾分かは良くなっているとは思いますよ」

『それなら良かったです。剣術の心得もない私が口を出せる立場ではないので、山崎さんが総司を気にかけてくださると本当にありがたいです。これからも総司のこと、宜しくお願いします』


私が頭を下げると、山崎さんの微笑みがより柔らかいものに変わった。


「沖田さんは素直ではないので口では稀に反抗的なことを仰いますが、お嬢様のことはいつも気に掛けていますよ。それは見ていれば分かります。なのでお嬢様のことを煩わしく思うことは絶対にあり得ません」

『そうだといいのですが……』

「そうですよ。俺が保証します」

『ふふ、ありがとうございます』

「お嬢様の気持ちは、きっと沖田さんにも伝わると思いますよ」


山崎さんの言葉が私の心に元気と自信をくれるから、私も自然と笑顔になる。
誰かの言葉はこんなにも心を励ましてくれるものなんだと改めて感じて、私も同じように総司の背中を押してあげられるようになりたいと思った。


『山崎さんのお陰で元気出ました。私、総司の力になれるように頑張りますね』


山崎さんは穏やかに微笑み、温室を後にした。

私はもう一度、カレンデュラを見つめる。
陽の光を浴びて輝くその花弁がどこか総司の茶色がかった髪を思わせてくれるから、そっと撫でて微笑みを浮かべた私がいた。

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