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セラと会えない日々が続く中、僕が悶々としているのにはもう一つ理由があった。
それは肩に怪我をしたあの日以来、山崎君から夜八時以降は部屋にいるよう強制命令が出されたからだ。
しかも早朝稽古すら禁止され、与えられた制限に歯痒さを感じずにはいられない。
僕には休んでいる時間なんてないっていうのに。
その日、剣の手入れを終えた僕は、静かに布で刃を拭きながら息を吐いた。
周囲ではまだ訓練を続ける騎士たちの声が聞こえる。
周りに人がいない方が集中できるから、ひとまずこの場を離れようと僕が訓練場から出た時だった。
「お疲れ様です、沖田君」
不意にかけられた声に足を止める。
顔を上げると、伊庭君が優雅な微笑を浮かべていた。
「お疲れ様」
素っ気なく返すも、彼は気にした様子もなくゆっくりと僕の正面へ回り込んだ。
「君は本当に努力家なんですね、感心します」
「それはどうも」
「ですが……」
彼は少し声を落とし、僕にだけ聞こえるような調子で言葉を続けた。
「君がどれだけ努力しようと、過去は消えません」
「何が言いたいの?」
「君は元々、セラの誘拐事件に関わっていたわけでしょう?それなのにセラは君を推薦し騎士団に入れるよう願い出た。そのせいで今彼女がどういう状況でいるか、考えたことはありますか?」
僕は無意識に拳を握りしめる。
こんな奴にかまっている暇はないと頭では分かっていても、セラの話が出されたのに無視して去ることは出来なかった。
「セラが困ってるって言いたいの?」
「ええ。セラは最近ずっと悩ましげな顔をされていますよ。沖田君がいなければ、セラはもっと穏やかに過ごせたでしょうに。君を推薦したことを後悔しているのではないかと、そう思われても仕方がありませんよね」
「あの子はそんなことを思う子じゃないよ」
「そう思いたいのは、君の勝手な願望ではないですか?沖田君を庇い続ければ、セラの立場まで危うくなります。公爵家の騎士団にふさわしくない者を入れたという声は、日ごとに強まっているのですから」
僕が責められるのは構わない。
でも僕を受け入れたことでセラにまでその不満が向けられてしまっているのなら、それは見過ごせることではないと奥歯を噛み締めた。
なぜならもしそれが本当であれば、それは他でもない僕のせいだ。
最近庭園にもいないし、僕に会いに来ることもない。
伊庭君の言う通り、あの子が僕のことで悩んでいるのだとしたら、どうしても節操感が湧き上がってきてしまう。
「セラのことを本当に思うなら、自分の存在が彼女の負担になっていると理解すべきではないでしょうか。君がここにいるだけでセラの評判が落ちる可能性があるというのに、それでも君はここに居座るつもりなんですか?」
伊庭君のような考え方をする者がいるのは至極当たり前のこと。
こんなところで挑発に乗ってはだめだと、彼を睨み上げた。
「前から思ってたけど、伊庭君ってセラのことが大好きみたいだよね。もしかして僕に専属騎士の座が奪われそうで怖いの?」
余裕のある笑みを浮かべていた伊庭君も、僕の言葉を聞いてその瞳に僅かな怒りの色を浮かべた。
けれど直ぐに鼻で笑うと、冷たい音色で言った。
「僕は彼女の幼馴染なんです。幼い頃から彼女を護るために、剣を握り続けてきました。そんな僕が君ごときに負けるとでも?」
「ここ最近、何度か君とは試合をしたけど僕の方が勝率いいよね。今日だって僕は君に勝った筈だけど」
「今日は調子が悪かっただけですよ。それに仮に正規騎士になれたとして、沖田君が専属騎士に任命されるわけがないじゃないですか」
「そんなこと、僕は誰からも言われてないけど?」
「言われなくても分かることでしょう。誰が好き好んで犯罪者に自分の命を預けるんです?」
伊庭君は僕を値踏みするように見つめた。
その視線や言葉に、僕は一瞬息が詰まった。
「ああ、もちろん、セラの推薦で見習いにはなれましたけど」
伊庭君はわざとらしく笑みを深める。
「騎士達の間では、君がいることに対して不満が出ていますよ。よりにもよってセラが君のような者を推薦したことでね。そんなことをすれば彼女の評判を落とす結果になるとは思わなかったんですか?」
「それは……」
「いえ、沖田君には関係のない話でしたね」
伊庭君は皮肉げに微笑み、言葉を続けた。
「君はただ、自分の居場所が欲しかっただけでしょうから。セラのことなんて、本当はどうでもいいのでしょう?」
「さっきから勝手なこと言わないでくれるかな」
「では違うと?」
伊庭君は小さく笑ったけど、その笑みにも嫌悪感は嫌というほど現れている。
品行方正な彼からしたら僕のような存在は相容れないのだろう。
だからこそ懸命に僕は苛立ちを抑え、なるべく冷静に話そうと自分を押さえつけていた。
「勿論僕も心苦しく思ってるよ。あの子に負担を掛けていることに対して、申し訳ないって思ってるに決まってるじゃない。でもセラはそれを分かってて推薦してくれたんだ。だから今の僕に出来ることはその信頼に応えることだ」
「では聞きますが、君がいることでセラにとって何か良いことがあるとでも思ってるんですか?君がいなくなれば、すべて解決するんですよ」
伊庭君は僕を睨みつけると、苦しそうに顔を歪める。
それはまるで彼もこの怒りのやり場をどこにぶつければいいのか分からないといった表情で。
「先日は驚きましたよ。まさかセラがあんな場所に座り込みながら食事をするなんて思ってもみませんでしたから。君の存在が彼女に悪影響を及ぼすことが良く分かりました」
「公爵邸の中でくらい気を抜いたって良いと思うけどね。ずっと気を張ってたらあの子が疲れちゃうじゃない」
「セラは自らあのようなことをする子ではありません。どうせ君が彼女を唆したのでしょう?」
「随分と噛みついてくるけど、結局伊庭君はただ面白くないだけでしょ?僕とセラが仲良くしてることが羨ましいんだよね」
伊庭君は綺麗な顔を歪ませて僕を睨む。
そして奥歯を噛み締めるように一呼吸置くと、吐き捨てるように僕に言った。
「こんな人を推薦するなんて……セラも何を考えているのでしょうね。誘拐されたことでどうかしてしまったのでしょうか。頭がおかしくなったとしか考えられません」
その言葉にカッと視界が赤く染まる。
気づけば僕は、伊庭君の胸ぐらを思い切り掴んで今にも殴りかかるところだった。
『総司っ……』
久しぶりに聞く声が、ひどく心に刺さる。
走る足音が聞こえて振り向いた瞬間、後ろから来ただろうセラに思い切りぶつかった。
僕が勢いよく振り返ったせいで、彼女はよろめき、後ろへ倒れそうになる。
咄嗟に彼女の腕をぐいっと引き寄せたけど、セラは顔をしかめると同時に、手に持っていた小さな瓶を落としてしまった。
『……っ……』
床に叩きつけられた瓶が割れ、中身の液体が広がる。
彼女は目を瞬かせ、驚いたように足元を見つめていた。
その様子を見た伊庭君が、静かに息を吐き皮肉めいた声で言った。
「君って、本当に乱暴ですね。今の引き寄せ方……あれでは痛かったのではないですか?」
セラを傷つけるつもりなんてなかった。
でも咄嗟のことに力の入れ方を間違えたのかもしれない。
確かに僕は、腕を掴む瞬間セラが顔を歪めたのを見てしまった。
「セラの腕を握るなら、もっと優しくしたらどうです?まるで、自分の持ち物みたいに荒っぽく引っ張るなんて」
「セラ、ごめん。痛かった?」
『ううん、全然大丈夫だよ。転ばずに済んだから、ありがとう』
「でもこれ、割れちゃったね。何か大切なものだったの?」
『平気だよ、私がうっかり落としちゃっただけだから総司は謝らないで』
セラはいつだって優しい。
僕を責めることはせず、今日もこうして優しい微笑みを向けてくれていた。
でもそれが余計に気に食わなったのだろう、伊庭君はゆっくりと瞳を細め、呟くように言葉を吐いた。
「やっぱり、君みたいな人が騎士になるなんておかしな話ですよ」
『伊庭君……、総司にそんな言い方しないで』
セラの瞳は僅かに潤み、悲しそうな声が伊庭君に届けられる。
すると先程から張り詰めていた彼の顔から毒気が抜けて、途端にしゅんとしたように眉は下げられた。
「……すみません。沖田君とは先程の試合のことで少し揉めてしまいまして」
『え?そうなの?』
セラは真意を探るような、それでいて戸惑ったような瞳で僕を見上げる。
余計なことは言わない方がいいだろうと笑顔で肯定の返事をしたものの、僕を見つめるセラの表情は複雑そうなものだった。
「セラ、本当に大丈夫ですか?」
『うん、私は大丈夫だよ』
「そうですか。それならいいのですが……」
『それより、喧嘩はしないでね?』
彼女のか細い声が耳に届く。
僕達はぎこちなく頷くことしか出来なかったけど、セラの瞳は直ぐに僕だけに向けられた。
『あと、総司』
セラが小さく僕の名前を呼んだ。
その声は叱るでもなく責めるでもなく、ただ戸惑いと困惑が混じっていた。
ゆっくりと僕を見上げる彼女の瞳は、不安げに揺れている。
「うん、なに?」
僕はずっとセラに会いたかった。
その表情から、彼女が何を思っているのかを知りたかった。
でもセラは何も言わない。
何かを言おうとしてくれていたのに、眉を寄せるとすぐに言葉を飲み込んでしまった。
「もしかして、僕の心配してくれてるの?」
折角久しぶりに会えたんだ。
少しでもセラと話していたかった。
だから敢えてそんなことを聞いて微笑んでみれば、セラは涙がこぼれそうになるのを必死で堪えるような表情で僕を見上げた。
『……当たり前だよ……』
小さく、震える声だった。
その余裕なく紡がれた言葉は、僕の心を解くような酷く温かいものに感じられた。
『だって総司が……今問題を起こしたら……』
「分かってるから大丈夫だよ。でも……ごめん」
セラを悲しませたくなかったし、困らせるつもりもなかった。
伊庭君が何を言おうと僕が耐えてさえいれば、こんなことにはならなかったのに。
でもセラはきっと本気で僕のことを心配してくれている。
セラの様子からは僕をまだ必要としてくれていることは十分伝わってきたから、ここ最近渦巻いていた言いようのない不安は少しずつ溶かされていくようだった。
『うん。私、信じてるよ。総司は理由もなく手をあげる人じゃないって。だからもうしないで?』
言葉に詰まる。
何か言いたいのに、どうしてうまく言葉が出てこないんだろう。
でもその表情だけで、僕のことを信じてくれていることが伝わってくる。
だからこそ、さっきの僕の行動が信じられなかったんだろう。
「うん、もうしないよ」
それだけ言うと、彼女は僕に優しく微笑んでくれる。
その笑顔が元気付けてくれるから、僕はまた前を向いて歩いて行ける気がした。
「セラ、もうここは離れた方がいいですよ。床が濡れていますし、転んでしまったら大変です」
優しげな声で、伊庭君はセラに微笑みかける。
セラは少しだけ僕を気にするように視線を向けてから小さく頷いた。
『うん。私お城に戻るね。これ、片付けて貰えるようお願いしてくる』
そう言って、まだ少し液体の入った小さな瓶の底部分だけ手に取ると、セラは静かにその場を後にする。
僕はただ何も言えないまま、その後ろ姿を見つめることしかできなかった。
「伊庭君」
「なんです?」
「さっきの言葉、撤回する気はない?」
「どの言葉のことですか?たくさん言いましたからね。ですが、セラの前で問題を起こさなかったのは賢明な判断でしたよ。僕としては少し残念ですけどね」
伊庭君の本音がどこにあるのか分からない。
でも伊庭君が僕を排除しようとしていることだけは、はっきりと理解できた。
怒りに任せて問題を起こせば、僕は騎士団にいられなくなる。
伊庭君はそれを狙っていたのかもしれないと、小さく息を吐き出した。
「面白いね」
「何がです?」
「君が僕のことをここまで排除したい理由、なんなのかなって思ってさ」
「理由なんて単純ですよ」
伊庭君は、僕を真っ直ぐに見据えた。
その瞳には、確かな敵意が宿っているようだった。
「セラの傍に、君のような人がいることが気に入らないんです」
それだけ言うと、伊庭君はくるりと踵を返しセラの後を追っていった。
僕は拳を握りしめたまま、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
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