8

風が心地良い、公爵邸の敷地に広がる騎士団の訓練場。
総司に差し入れを渡そうと思った私は、包みを抱えながら彼のことを探していた。

朝に訓練を頑張っていた総司を見かけたから、お昼には何か食べてほしいと思ったのに、その姿がどこにも見当たらない。
槍を構える騎士たちの隙間から探してみても、木剣を交える音の中に耳を澄ませても、彼の姿も気配も感じられなかった。


『……総司?』


以前総司は人目を気にせず鍛錬に打ち込みたいと言っていたし、休憩の時間に皆と過ごすような雰囲気でもなかった。
もしかして静かに剣を振れる場所を見つけて、そこにいるのかもしれない。
そう考えた私は、騎士団の敷地の奥へと足を向けた。

訓練場から少し外れた場所には、騎士団員の住居が並び、すぐ側には大きな木が生い茂る静かな一角がある。
そこは訓練場ほど広くはないけど、一人で剣の素振りをするには十分な場所だった。
もし総司が落ち着いて稽古をしたいのなら、あそこにいるかもしれない。
そう思いながら、小さな花が咲く道を進み、大きな木々の間を抜けていくと木漏れ日が揺れるその場所に、剣を振るう総司の姿を見つけた。


『あ、いた……』


総司が見習い騎士になってから、時折顔を合わせるようになったものの、いまだに総司のことはよく知らない。
いつも飄々としていて、少し意地悪で、何を考えているのか分からない。
でもお父様や山南さんの前では礼儀正しく真面目な態度を見せるから、どちらが本当の彼なのか掴めないでいた。

総司って、結局どんな人なんだろう?
そんなことを考えながら、私はその場で総司を見つめる。
まるで舞を踊るかのように美しく、けれど力強く、まるでいつもの彼とは別人のように真剣な表情をしていた。
何度も何度も繰り返される動作は、見る者を惹きつけるほどに美しくて、つい見惚れてしまうほどだった。

でも、少しでも休んでくれたらいいのに……。
そう思いながら、私は手にした包みをぎゅっと握る。
蜂蜜を染み込ませたパンと、温室で育てたハーブを使ったお茶、デザートにはフルーツのコンポート。
きっと甘いものが疲れを癒してくれるし、ハーブの香りが少しでも気分を落ち着かせてくれるかもしれないという思いから準備したものだった。

でとどうやって渡せばいいのかわからなかった。
集中しているところを邪魔してしまうのも気が引けるし、どうしてかまだ見ていたい。
気がつけば私は物陰に身を潜めたまま、総司の鍛錬をこっそりと見つめていた。

剣を振るたびに、額から汗が零れ落ちる。
息遣いは荒いのに、総司の手元は決して乱れない。
でも無理をしているのは明らかだった。
それでも総司は動きを止めず、剣を握る手が震えていても、足がわずかにふらついても、まるで自分を追い詰めるように続けていた。

……こんなに、頑張ってるんだ。
総司は騎士団に入るために相当厳しい訓練を受けていると聞いた。
騎士の中でも特に厳しい課題を与えられているのに、休憩時間すらろくに休まず自主的に鍛錬を続けているらしい。
でも総司に会えばそのことを一切口にせず、むしろ涼しい顔をしている。
普段は私をからかうようなことばかり言うくせに、本当はこんなにひたむきに努力していたなんて胸が少しだけ苦しくなった。

でもそんなことを考えていたら急に総司がこちらを振り向く。
慌てて身を隠しそっと様子をうかがうと、総司は少しだけ首を傾げて、また剣を構えた。

良かった……私が見ていたことには気づいていないみたい。
そうほっと息をついた数秒後。


「セラ?」


ぎくりとして顔を上げると、総司が不思議そうにこちらを見つめている。
息が少し上がっていたものの、先程の辛そうな様子が嘘のように、今の表情はどこか余裕すら感じられた。


「そんなところで何してるの?」


どう言えば自然かな。
まさか総司の鍛錬をずっと見てました、なんて言えるはずもないし、必死に考えを巡らせる。


『えっと……私は……』

「僕のこと、そんなに気になっちゃった?」

『違うよ……!』


間髪入れずに否定すると、総司はくすりと笑った。


「あははっ、冗談だよ。でも、本当に何してたの?」

『総司がすごく頑張ってたから、凄いなって思ってつい見入っちゃったの』


正直に言うべきか迷ったけど、なんとなく誤魔化すのも嫌でぽつりと呟いた。
総司は少し目を見開き、それからふっと微笑んだ。


「……そっか」


普段の飄々とした態度とは違って、どこか優しい表情だった。
それがなぜか胸の奥をぎゅっと締めつけるから、自分でもその理由がよく分からないけど。


「僕のこと、気にしてくれるのは嬉しいけどさ。見てるなら声かけてくれればいいのに。こそこそ覗かれるのはちょっと恥ずかしいな」


からかうような口調に、顔が一気に熱くなる気がした。


『違うよ、覗き見するつもりはなかったけど……』

「ふうん?ていうか、セラってからかわれるとすぐ顔が赤くなるよね」

『そんなことないよ』

「そんなことあるでしょ。すぐ照れるところ、可愛いよね」


さらっと言われた言葉に、鼓動が一気に跳ね上がる。


「なーんてね」


総司は私をからかうためなのか、この前から可愛いという言葉を使ってくる。
どうせそんなこと本心では思っていないだろうから、無駄にドキドキさせられることに悔しさを感じた。


『総司って、今まで何人の女の子に可愛いって言ってきたの?』

「え?君にしか言ってないけど」

『絶対嘘』

「うわ、酷いな。嘘じゃないんだけどね」

『だから私、総司に可愛いって言われても嬉しくないよ』


本当は逆だった。
騎士の皆さんはよく私を気遣って、可愛いですね、お綺麗ですねとお声をかけてくれるけど、それは社交辞令だと分かっているし、嬉しいというよりありがたくその気持ちを頂くだけだった。
でも総司に言われると、どうしてか変に落ち着かなくなってしまう。
だからそんなに軽々しく言わないで欲しいのに。


「そんなこと言わないでよ。これから僕の可愛いは全部セラの為にとっておくからさ」

『それ、どういう意味?』

「僕が可愛いって思うのも可愛いって言うのもセラだけにするよってこと。君だけのための言葉だよ」


総司は意地悪な笑みを浮かべてるから、かわれているのは分かってる。
そうだと理解していても、総司の言葉は少なからず私の心を揺さぶってしまうみたいだった。


『そんなの、信じられないからね』

「そっか。じゃあ、これから先もずっと君だけに言い続けるよ。そのうち本当に信じてくれるようになるまで」


にやりと笑ってそんなことを言うから、総司の心情が読めなくて思わず眉を顰めてしまう。
少しだけ睨んでみても、総司は楽しそうにくすくすと笑っていた。
そしてその視線がふと私の手元に落ちると、彼の表情がほんの少し和らいだ。


「それ、何?」

『え?あ……』


すっかり忘れてしまっていたけど、私は総司にこれを渡したくて会いに来た。
私は慌てて包みを抱え直して、彼に向かって微笑んだ。


『差し入れだよ。山崎さんから総司が最近あまり休んでいないって聞いたから』


山崎さんの話によれば、総司は早朝から夜遅くまでほぼ休まず身体を動かしているらしい。
「沖田さんが休息を取られているか心配です」と言った山崎さんの言葉を聞いて、少しでも総司の活力になるものを届けたかった。
余計なことは極力言わないようにしながら、遠慮がちに包みを差し出す。
すると総司は目を瞬かせた後、眉を下げて微笑んでくれた。


「……そっか。僕のこと気にしてくれたんだね」

『総司はいつもすごく頑張ってるから、少しでも休めたらいいなと思って』


本当は聞きたいことは沢山ある。
ご飯は三食きちんと摂れていれているのか、夜はぐっすり眠れているのか、身体の傷は大丈夫なのか。
総司が無理をしていないか、とっても気になるよ。
でも今私が何か言えば、総司はきっと笑って誤魔化すだろう。
いつものように冗談めかして「大丈夫だよ」って言うんだろうな。


『蜂蜜のパンと、ハーブのお茶だよ。疲れたときにいいって聞いたことがあるんだ』


総司は包みを開いて、中のパンをじっと見つめた。


「美味しそうだね。食べてみてもいい?」

『もちろん』

「じゃあここに座ろうよ」


総司に手招きされて、足を運んだところは大きな大木の木陰。
芝生があるとは言え地べたに座るのも気が引けて、取り敢えずハンカチを広げて彼の隣に座ってみる。
するとそんな様子に総司はまたくすりと笑い、パンをちぎって一口食べた。


「うん、美味しいね」

『良かった』


総司は焼きたてのパンを口に運びながら、どこか満足げに微笑んでいた。
差し入れが気に入ったのか、黙々と食べ進めている。
彼の横顔はいつもは大人びているのに、こうして美味しそうに食べる姿はどこか子どもっぽくて少し可愛い。
なんだか新鮮な気持ちになるから、気づけば私はぼんやりと総司を見つめていた。
すると不意に彼の手が止まり、その視線が私の方に向けられた。


「そんなに見つめてどうしたの?」

『え?』


思わず目を瞬くと、総司は面白そうに口元を綻ばせる。
そしてパンを一口サイズにちぎり、私の方へ差し出してきた。


「君も食べる?」

『私はいいよ』

「でも、せっかく作ったのに味見してないんでしょ?ほら、どうぞ」

『でもこんなところで誰かに食べさせてもらうなんてできないよ』

「なんでさ。僕は君に食べさせてあげたいんだけど?」


そう言って、総司はパンを私の唇の前に差し出し続ける。
私は観念して恥ずかしい気持ちを必死に押し殺しながら、そっと口を開いた。

でもその瞬間だった。
私が食べようとしたパンが、ひょいと上に持ち上げられた。


『あっ……』

「あれ?食べるつもりだったの?」


にやりと笑う彼の顔に、私がむっとしてしまうのは仕方がないことだと思う。


『総司……意地悪』

「そんなに怒らなくてもいいのに。もう一回、ちゃんとあげるよ」


わざとらしく再びパンを差し出されたけど、このままやられっぱなしはなんか嫌だ。
そう思った私は総司の手首を掴み、ぐいと自分の方に引き寄せる。
そして彼の手にあったパンをぱくりと食べると、総司が少し驚いたように目を瞬かせた。


「へえ」

『うん、おいしい』

「それなら良かった」


私は蜂蜜の優しい甘さを噛み締めながら微笑むと、急に総司の顔がすっと近づいた。
驚いて咄嗟に後ずさろうとしたけど、彼の親指がそっと私の唇に触れた。


「無理矢理食べるから、ほら。蜂蜜ついてるよ」


温かい指先が、優しく唇を拭う。
熱が広がるような感覚に、私の心臓は少し早くなった。


『……ありがとう』

「困ったお嬢様だね」


総司の声はさっきまでのからかうような調子とは違って、どこか優しくて穏やかだった。
総司の笑顔も、今は少しだけあたたかい。
何も言えずにいると、総司は指先を軽く舐め取り悪戯っぽく笑った。


「あれ?また顔が赤いよ」

『だから……そんなことないってば』

「ううん、赤いよ。もしかして風邪かな?風邪なら今すぐ部屋に戻って寝ないといけないね」


わざとらしくそんなことを言うから少しばかり睨みつけてみたけど、総司は満足そうにしながら言葉を発した。


「そんな可愛い顔で睨まれても怖くないよ」


何度言われたとしても、私の心はなかなか慣れてくれないみたい。
甘い味がまだ舌の上に残っているのに、それ以上に総司の言葉が甘くて、思わず総司の顔を見つめてしまった。


「……セラ?こんなところで何をしているのですか?」


総司のことしか見えていなかったからか、突然かけられた声に私はびくりと肩を揺らした。
驚いて振り返ると、そこには伊庭君が立っていた。

彼は少し困ったような、それでいて戸惑ったような顔で私を見ている。
私がこんな場所で、地べたに座ってパンを食べているなんて、きっと想像もしていなかったのかもしれない。
私は慌てて口の中のパンを飲み込み、ぱっと立ち上がった。


『伊庭君、こんにちは。これから稽古?』

「はい、丁度訓練場に向かうところですよ」


伊庭君は特に何も言わなかったけど、私と総司を交互に見つめるその視線は少し鋭い。
あまり良くは思っていない様子が見て取れたから、その理由を考えながら少し複雑な心境になった。


「そう言えば、先程山南さんがお嬢様を探していましたよ。今日は午後のレッスンが早まり、一時から始まるそうです。もう戻られたほうがいいのではないですか?」


そう言われて、私ははっと時計を見る。
時計の針はもうすぐ一時を指すところだった。


『ありがとう、伊庭君』


お礼を言いながら、私は思わず総司の方を振り返る。
もっと話していたかったし、総司のことをもっと知りたかった。
そう思う自分の気持ちに気付けば、少しだけ淋しい気持ちになった。

でも私にはやるべきことがたくさんある。
総司が努力してるから、私も頑張らないといけない。
名残惜しさを隠しきれないまま総司を見つめると、総司も静かに立ち上がった。


「差し入れ、ありがとう。おいしかったよ」


優しい声が私の耳に届くと、今日ここに来て少しでも会えて良かったと思える。
ただ淋しかっただけの心が色付いて、自然と笑顔になるから不思議だ。


「午後もレッスン、頑張って」


その一言が、まるでお守りのように胸に響いた。


『うん、頑張る。総司も頑張ってね』


そんな私の横で、伊庭君が穏やかに微笑んだ。


「では行きましょうか。途中までご一緒します」

『ありがとう』


私はもう一度だけ総司を見てから、踵を返した。
背後で風が吹き抜け、木の葉がささやく音が聞こえる。
歩きながら、私は先程までのことを思い出していた。

剣を握る指は傷だらけで、ところどころ皮が剥けていた総司の手。
そんな手で剣を振り続けていたら、きっと酷く痛むだろうから何かしてあげたい。
そう考えていると、以前本で見た傷の治りを早くするオイルのことを思い出した。
手間がかかりそうでまだ試したことはなかったけど、総司のためなら作ってみるのもいいかもしれない。
総司のためにできることを見つけられたと思えば、少しだけ足取りが軽くなった。

次に会ったとき、そのオイルを渡せたらいい。
そう思いながら、城へと戻る私がいた。

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