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組手を終え、僕は木陰で軽く水を飲みながら一息ついた。
今日はもうかなり鍛錬も頑張ったし、そろそろ上がることにしようかな。


「おい、総司。ちょっとは手加減してくれよ」


僕の隣で座り込んでいるのは、先ほど組手をした騎士団員の一人、平助だ。
平助の言葉に僕は苦笑しながら、肩をすくめてみせた。


「手加減してるつもりだったんだけどね」

「全然そんなふうには見えなかったんだけど」


そう言いながら平助は自分の剣を見つめ、唸るように息をつく。
他の騎士達も同じような反応だった。
僕はまだ見習いの身分だけど、最近の組手ではほとんど負けなしの絶好調だ。


「なあ、総司。お前、本当に見習いなのか?」

「うん、そうだけど?」

「組手するたびに思うんだけど、なんでそんなに強いんだよ」

「うーん、稽古の成果かな」

「それにしたっておかしいだろ。最近お前、以前に増して凄い勢いで強くなってね?」

「気のせいじゃない?」

「気のせいじゃねーって!なんかコツがあるなら教えてくれよ」


無理をしなくなってから、驚くほど身体が動くようになった。
ここ最近は以前よりも明らかに剣の冴えが増していて、適切に身体を休めながら稽古した方が確実に技術が上がることを実感していた。

そしてそれはセラがあの日、僕に優しい言葉を掛けてくれたから。
焦る必要はない、無理をしなくても僕を見つめてくれている人がいる。
僕に向けられたセラからの優しさが、大事なことに気づかせてくれた。
だから今は、僕を苦しめていた以前までの焦燥感は嘘のようになくなった。
むしろ自然に剣を振るう楽しさを感じている僕は、向かうところ敵なしだ。


「んー、強いて言うなら心境の変化ってやつ?」

「なんか総司の中で変わったってこと?」

「そうだね。無理はしないようにしてるし、焦るのもやめたんだ」

「確かに前まではお前見てると危なっかしかったけどさ、最近は余裕出てきた感じするかも」

「でしょ?それに……」


僕は大事な自分の気持ちに気付いた。
元々あの子の役に立ちたかったことは変わりないけど、より明確な感情となって僕の心の大きな柱となった。
だから僕はこれからもっと強くなる。
なぜって、この想いは僕を突き動かす最大の原動力になるからだ。


「それに?」

「あー疲れた。今日は朝からぶっ続けだったし、そろそろ終わりにしてのんびりしようっと」

「はあ?それに何なんだよ!」


平助の言葉ににやりと笑みだけ返して、僕は騎士団の訓練場を後にする。
今日も一日よく頑張ったから、頑張った後は自分にご褒美をあげないとね。
ということで、僕の足は迷うことなく庭園へ向かって行く。
この時間はセラもレッスンを終えていることが多いし、のんびり庭園で本を読んでいてもおかしくはない。
会えるといいんだけど。


「……ん?」


庭園を目指して歩いていると、遠くから賑やかな声が聞こえてきた。
何かと思って視線を向ければ、騎士団の若い団員たちが浮き足立った様子で談笑している。
そしてその中心には、やっぱりセラの姿があった。


「セラお嬢様、今日もお綺麗ですね」

「ええ、本当にいつ見ても可愛らしいですよ」

「僕たちの誇りです。他の家紋の騎士に会うと、いつも羨ましがられるんですよ」

『そんな、褒め過ぎですよ。でも、ありがとうございます』


セラの周りの騎士たちは頬を染めたり少し緊張しながらも、一生懸命セラの気を引こうと話しかけている。
セラは柔らかく微笑みながら、一人一人に丁寧に返事を返していた。


「なにあれ」


彼女を囲む騎士たちは、みんな穏やかで優しい顔をしている。
まあ、それは当然だよね。
セラは公爵家の令嬢であり、この城に仕える者にとっては大切な存在なんから。
セラのことを心から敬い護りたいと思っているのは、残念ながら僕だけではないということだ。


「お疲れではないですか?どうぞこちらにお掛けください」

『ありがとうございます、でも皆さんこそ訓練でお疲れではないのですか?いつもアストリアのために戦って下さって感謝しています』


甘い鈴を転がしたような声音に、騎士たちが揃って微笑む。
髪を耳に掛けて小首を傾げながら愛らしく笑う。
そのありのままの仕草や表情全てが、恐らく多くの男を虜にしてしまうのだろうと思った。


「お嬢様にお気遣いいただけるとは光栄の極みです」

「俺達は平気ですよ。お嬢様にお会い出来ただけで元気になれますから」


相変わらずどこに行っても誰といても、セラは皆に優しい。
まるで春の日差しみたいに、柔らかくて温かい。
そんな姿を見ていると、誰もが心の奥にじんわりと熱を持ってしまう。

だからこそセラが愛されるのは、当たり前のことなのかもしれない。
彼女は男の理想を詰め合わせたような子で、優しくて可愛くて儚くて自分の手で護ってあげたくなる。
それでいて、自分の力で立ち向かおうとする愛らしさや健気さもある。
誰もがそんなセラを好きになる。
それも至極当然のことだ。

だからこんな感情を抱くのは間違ってる。
僕はセラに手の届く立場ではないんだから。

そう思いながらも、モヤモヤとした気持ちは晴れてはくれない。
心のどこかで、セラが振り向いてくれることを期待している自分がいるのが腹立たしい。
こんな気持ちを抱く資格なんて、僕にはないのにね。


「はあ……」


仕方ないと分かっていても、他の男達にチヤホヤされているところをみると面白くない。
セラは誰にでも公平に接するから好意を持つ騎士は後をたたないし、自分もそのうちの一人だと思うと余計にモヤモヤして僕は剣の柄を指先で軽く叩いた。
見たくないものを見てしまったと思いながら、僕はそっとその場を離れる。
そして僕の足が向かう先は、やっぱり庭園の奥だった。

季節折々の花や草木が咲く公爵邸の庭園。
ここは、セラが好きな場所のひとつだった。
静かで人目もなく、落ち着く場所。
いつの間にか僕にとっても、居心地のいい場所になっていた。

……来るかな。

そう期待してしまう自分が情けない。
騎士達に囲まれて微笑むセラを見た後だから、余計に。

僕なんかいなくても、彼女の周りには優しい人がたくさんいる。
それが分かっていてもこうして待ってしまうのは、ほんの少しでも僕だけの時間をもらいたいと思ってしまうからだった。


『総司?』


不意に聞こえた声に、はっとして振り返る。


『よかった、やっぱりいた』


風に髪を揺らしながら、セラが僕を見て微笑んでいた。


「やっぱりって?」

『なんとなく、ここに来たら総司と会える気がしたんだ』


さらりとそんなことを言う。
それがどれだけ僕を嬉しくさせるか、セラは分かっていないんだろうけど。


「……ふうん」

『今話してもいい?』

「どうぞ、ご自由に」


少し冷たい言い方になってしまったことは、自分でも分かった。
でもどうしたってさっきの光景を思い出してしまう。
誰にでも優しくて誰にでも笑って誰のことも大切にする、そんなセラの優しさが今は少しだけ疎ましかった。


『……総司?』

「なに?」

『もしかして、怒ってる?』

「怒ってなんかないよ」

『でも、なんか冷たい。私、何かしちゃった……?』


悲しそうにじっと見つめられて、少し息を詰まらせる。
その瞳が僕の気持ちを探るように揺れていた。


「……あのさ」


気づけば、口を開いていた。


「君って、誰にでも優しいよね」

『え?』

「皆に同じように接して、いつも笑って疲れないの?」

『疲れないし、同じじゃないと思うけど……』

「僕には、同じに見えるけど」


意地の悪い言い方をした自覚はある。
セラは少し困ったように目を伏せた。

しまったと思ってももう遅い。
僕は何がしたかったんだろうと心の中でため息を吐き出した。
本当は悲しそうな顔をさせたいわけじゃない。
だけど僕にだけは違う顔を見せてほしいと思ってしまう気持ちは、なくなってはくれないみたいだ。


「それにさっきまで他の騎士たちと楽しそうに話してたのに、僕のところにもちゃんと来てくれるんだ?君って随分とまめだね」


思わず投げつけた言葉は、我ながらかっこ悪い。
でも僕の言葉を聞いて、セラがきょとんとした顔をするのが可愛いかった。


「みんなにお綺麗ですねとか可愛いですねって言われてたけど、ああいうこと言われると嬉しいの?」

『別に……そういうのじゃないけど……』

「ふうん?」


少し意地悪く睨むと、彼女は困ったように再び俯く。
その仕草すら愛らしくて、思わず手を伸ばしたくなる衝動を抑えた。
でもこれ以上いじめて泣かせでもしたら大変だし、悲しそうな顔をされると今度は優しくしたくなってくる。
僕はそっとため息吐き出してから微笑んで、彼女の髪にそっと触れていた。


「僕の方が、君のこと可愛いって思ってるのにね」


途端にセラの白い頬がほんのり染まるから堪らなくなる。
セラが僕を見上げる瞳がふるりと揺れて、その様子が何よりも愛おしく感じられた。


『じゃあこれからは、総司とたくさん話すね?』

「え?」

『だから、もう怒らないで欲しいな』


ふわりと微笑んで、上目遣いで僕を見上げる。
そんな顔をされたら、機嫌なんてすぐに直ってしまうから、僕も大概この子には弱いみたいだ。


「ずるいよね、セラは」


そっぽを向きながら言うと、セラがくすっと笑った。


『ふふ、なんか今日の総司は可愛いね』

「はい?可愛くないよ」

『可愛いよ』


微笑みながら片頬を膨らませる姿が愛らしくて、思わず笑ってしまう。


「あーあ、もういいや」

『え?』

「君がそう言うなら、許してあげる」


首を傾げる仕草も、やっぱり可愛い。
僕の葛藤やこの心情は全く理解してなさそうだけど。


「ねえ、セラに報告してもいい?」

『報告?』


セラが興味深そうに尋ねるから、僕は少し考えてから口を開いた。


「セラのおかげで、すごく順調だよ。君が無理をしなくていいって言ってくれたから、焦らずに訓練できるようになったんだ。適度に休憩を入れるようにしたら、身体が思い通りに動くようになってさ。おかげで最近連勝続きなんだよね」

『え、本当?すごいよ、総司!』


ぱっと目を輝かせて喜ぶセラの様子に、僕もつられて笑みを浮かべる。
僕の努力をこんなに純粋に喜んでくれる人なんて、きっと他にはいない。


「あとね、セラのくれたオイル、あれがすごくいいんだ。おかげで筋肉のこわばりも取れて、動きがしなやかになった気がすよ」

『良かった。総司がもっともっと強くなるの、私も楽しみにしてる』


にこっと微笑むセラの髪が、そよ風に揺れた。
僕は思わずその柔らかそうな髪にそっと手を伸ばし、耳にかけてあげていた。


「僕のために、色々してくれてありがとう」


そう言うと、セラは少し頬を染めて小さく笑った。


『ううん、私は総司に元気でいてほしいだけだよ。総司が元気なのが一番嬉しい』


そんなことを言ってくれるから、余計にまた好きになる。
でも結局他の奴らにも言っているかもしれないから、そうだとしたら最悪だ。


「だったら、僕だけに優しくしてほしいんだけど」

『ふふ、考えておく』


どうしようもなく惹かれてしまうこの気持ちを、知られてはいけない。
でも、セラの特別になりたいという願いは、きっとこれからも消えないままだ。
そんなことを考えながら、僕は彼女の笑顔を焼き付けるように見つめ続けていた。


『あ、そうだ』


セラは何かを思い出したようにそう言うと、小さな袋を二つ取り出しぱっと僕の前に差し出した。


『じゃん』

「それは何?」

『前に言ってたラベンダーとハーブのポプリだよ。安眠効果があるから枕元に置いてね?』

「セラが作ってくれたの?」

『うん、ちゃんと乾燥させて、一つずつ詰めたんだよ』

「へえ、すごいね」


綺麗に作られたポプリは袋の口がリボンで結ばれていて可愛らしい。
グリーンのリボンのポプリが僕の手のひらに乗ると、ラベンダーの香りが心を安らげてくれるようだった。
こんなふうに僕のためにセラが何かをしてくれるのが、たまらなく嬉しいと思う。
でもふと、もう一つのパープルのリボンが結ばれたポプリに目がいった。


「もう一つは誰に渡すの?」


思わず僕が尋ねると、セラは少し不思議そうに目を瞬かせ、それからにっこり微笑んだ。


『これは私のだよ?』

「君の?」

『うん。総司と同じ香りを感じながら眠りにつけると思うと、幸せかなって思って』


セラは柔らかく微笑んでいるけど、それがいかに無自覚で残酷な言葉なのか、彼女自身はきっと気づいていない。
僕がどれだけセラを特別に思っているかなんて知らずに、こんなふうに優しく言うんだから、本当に困るよね。


「ありがとう、今夜から早速使うよ」

『うん』


セラは安心したように微笑む。
その笑顔を見ていると、胸の奥が妙に熱くなるのを感じた。


「僕、寝相悪いけど、大丈夫かな」

『え?』

「せっかくのポプリ、朝起きたらどっか行ってるかもね」

『そんなのだめ。ちゃんと枕元に置いて、落とさないようにしてね』

「うーん、どうかな」

『ちゃんと使ってくれなきゃ、嫌だからね』

「ははっ。わかったよ、大事にする」


僕はこれまで、誰か一人を特別視したことなんてなかった。
他人に関心を持ったこともないし、持つ必要もなかった。
それなのにこの子の言葉ひとつでこんなにも心が揺れるなんて、どうかしてる。
こんなにも誰かを想う日が来るなんて、予想すらしていなかった。

でも、この感情が永遠に続くとは限らない。
こんな日々にも慣れたら、セラへの想いだっていずれ落ち着くはずだ。
だってこんなの本来の僕らしくもない。
今だけの僅かな気の迷いだと思えば、この悶々とした想いも少しだけ軽くなる気がした。

でも心の中に自分以外の誰かがいることは、案外心地が良いものなのかもしれない。
微笑むセラを見つめながら、この時間がいつまで続いていくのかを考えてしまう僕がいた。

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