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今日は制服採寸の日。
公爵邸の城には、学院への入学を控えた僕達のために公爵家の仕立て屋がやって来ていた。
僕たちの制服は既製品ではなく、それぞれの体型に合わせて仕立てられる。
平助と伊庭君が席を外したことで、僕はセラと二人、部屋の一角に並んで立っていた。
でもただ話しているだけでも、今日は無性に落ち着かない。
それはきっと、学院生活が始まることで今までとは違う日々が待っているだろうと頭の片隅で考えていたからだった。
別にセラが他の誰かと交流することが嫌なわけじゃない。
ただ言いようのないもやっとした感情が心中を曇らせるから、新しい制服に袖を通したところで僕の気持ちは晴れなかった。
制服を身に纏ったセラは相変わらず可愛くて、その姿を人目に晒したくないと思う自分がいる。
学院では余計な虫がつきそうだし、色々な意味で護衛しないと僕の情緒的にも問題が出そうだった。
だからこそ、それとなくセラに注意喚起をしたものの、彼女は逆に僕の今後の素行を指摘される始末。
僕がセラ以外の誰かに、可愛いだ何だって言うはずがないのにね。
「女の子が沢山いたところでわざわざそんなこと言わないよ」
『どうかな』
「どうかなって……。セラは僕が色々な女の子相手に可愛いねって言ってるところ、想像出来るの?」
そんな何の得にもならないことをする理由もなければ、もうとっくの昔にセラに忠誠を誓っている僕が、他の女の子にどうこう思うわけもない。
優しくて素直なところは勿論、感情のまま表情が変わるところも、少し甘えたような喋り方も、仕草一つだって僕の心を捕らえて止まないのに、どうやって他の子に気持ちが移るんだって話だ。
『別に手当たり次第に言うとは思ってないけど……』
「けど、何?」
『わからないよ。総司がどうやって他の女の子と話すのか、私は知らないもん』
「まあ、そうかもしれないけどね。でも僕は専属騎士になるために学びに行くわけだから、正直女の子とかどうでもいいんだけど」
『でも、もし総司が凄く好きだと思える子に出会ったらどうするの?そうしたら総司だって……』
真剣な顔でそう言うと、セラは瞳を揺らしてから話すのをやめてしまう。
凄く好きだと思っている相手にこんなことを聞かれて、正直もう出会ってますって言いたいくらいだけど。
それが言えないかわりに、セラの反応を見たくて逆に聞いてみることにした。
「まあ、確かにその可能性はあるよね」
『うん……』
「もし僕に好きな子ができたら、セラは僕のこと応援してくれるの?」
『え……?私応援しないといけないの?』
「そういうわけじゃないけど、どうなのかなって」
『総司は私に応援して欲しいの?』
うーん、思ったように会話が運ばなかったと苦笑いをこぼす。
結局また僕に質問が投げられてしまったけど、セラは別に駆け引きをしているわけでも僕の反応を見ているわけでもないんだろう。
曇りない純真な瞳からは、本心で聞いていることが窺えた。
「そうだね、その子と上手くいくように応援して貰えたら嬉しいかな」
『……わかった。総司がそう言うなら……その時は私応援するね?』
「ありがとう。じゃあ好きな子ができたら、真っ先にセラに報告するよ」
『今は……いないの?』
「今は……そうだね。微妙なとこかな」
『え……微妙って?気になってる子がいるの?』
「んー?まあ、それなりに?」
『……それなりって……?』
「まだセラには内緒」
セラは可愛い笑顔で応援するって言ってくれちゃうから、まあそうなるよね、と少し残念に思った。
だからセラの質問には、僕も軽い口調で何気ないふうを装って言ってみた。
別にセラの本心が少しでも見えたら、なんて考えたわけじゃない。
ただほんの一瞬でいい。
困った顔でも、拗ねた顔でもなんでもいいから、少しでも嫌そうな顔をしてくれたら嬉しいと思っただけだった。
でも、その時だった。
小さく息を飲むような音がした直後、セラの大きな瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。
そしてそれは止まることなく溢れて、彼女の頬を濡らしていった。
「え?」
無意識に間抜けな声が漏れる。
だってまさか泣かせるつもりなんてなかったのに。
それどころか、こんな反応をされるなんて微塵も思っていなかった。
『あ……ち、がうの……』
セラは涙が零れたことに自分でも驚いたのか、顔を背けて慌てて袖で拭おうとする。
けれどいくら拭っても次から次へと溢れる涙は、僕の心を掻き乱すには十分過ぎるものだった。
「セラ?」
セラの顔を覗き込むと、困惑した表情からは泣きたくて泣いているわけじゃない、ただ止め方がわからなくて困っている、そんなふうに見えた。
「ちょっと、なんで泣くのさ」
『……なんでも……ない……』
「なんでもないって……そんな風に泣かれたら気になるよ」
『……ごめ………』
小さく呟いて、ぎゅっと目を瞑る。
震える声で必死に謝ろうとする姿が愛らしい分、胸が痛くなった。
「……セラ、ごめん」
ようやく、絞り出すように謝る。
けれどセラは首を横に振り、ただ涙を零し続けるだけだった。
『違うの、総司は……なにも、悪くないのに……』
セラは唇を震わせてそう言うけど、悪くないわけがない。
泣かせたのは、間違いなく僕の言葉だった。
「セラを泣かせるつもりはなかったんだけどさ……」
『ごめんね……私……ドレスルームに……』
「待ってよ」
僕に背を向けて行こうとするセラの腕を掴み、引き止める。
僕の方に向かせれば、僕を見た瞳は直ぐに悲しそうに細められて、その愛らしい泣き顔に僕はまた心を掻き乱されていくようだった。
「言っておくけど、さっきのはただの冗談だよ。好きな子なんていないし、これからもできないから」
『それは……総司の自由だから……』
「本当にそんなのできないよ。言ってるでしょ、僕の目標は君の専属騎士になることだって。それ以外考えてないよ」
『うん……』
「余計なことに気を取られたりしないし、護衛の仕事だって投げだしたりしないからね」
『うん……』
素直に頷きながらも、セラは止まらない涙を一生懸命拭ってばかりで、僕の言葉がどの程度届いているかもわからない。
そもそもこんな風に泣かれたら、嫌でも期待してしまう。
この子も自分と同じ気持ちでいてくれてるんじゃないかって。
だから今すぐ自分の想いを伝えたい衝動に駆られたけど、安易な行動はそれこそセラを困らせるだけかもしれない。
そんな迷いがあるからこそ、僕は自分の一番言いたい言葉すら飲み込むことしかできなかった。
勿論、僕には浮ついたことを考えて欲しくない、専属騎士のことだけ考えて欲しいとセラは考えているのかもしれないけど。
あまりに可愛いその泣き顔を目の前に、先程から煩い自分の心音はなかなか収まってはくれない。
思わずこの腕の中に引き寄せたくなるのを、理性ぎりぎりのところで耐えていた。
「セラ……」
名を呼ぶと、震える唇がかすかに開く。
『……ごめんなさい……わたし……』
その先の言葉は、震えと涙にかき消された。
僕の拘束から逃れようと頼りない力で僕の手を退かそうとするから、気づけば僕は彼女の頬に触れていた。
でも涙を拭ってあげるつもりだったのに、指先が触れた瞬間、僕のほうが動けなくなってしまう。
セラの肌は、温かくて愛しくてたまらなかった。
「もう泣かないでよ」
『……うん……』
「ほら、涙拭いて」
ハンカチを差し出すと、セラは素直に受け取り、涙を拭う。
僕を見上げてくるくせに、目が合うとバツが悪そうに目を背けるその仕草がまたなんとも可愛いくて、僕は苦笑いをこぼした。
「ねえ、セラ」
『……うん?』
「僕が誰かを好きになる可能性なんて考えなくていいよ」
『ううん、総司は……気にしないで……』
「本当に考えなくていいんだよ。僕は君のことを一番に考えてるんだからさ」
『でも……』
「セラが泣くのはもう見たくないんだよね。だから君は何も心配しなくていいよ」
それだけは、どうしても伝えたかった。
でもセラは、泣き止んだ瞳で僕を見つめたものの、首を小さく横に振りそして僅かに微笑んだ。
『ありがとう。泣いてごめんね……私、ちょっとおかしかった……』
「別にいいよ。落ち着いた?」
『うん……』
「セラ、あのさ……」
『私、ドレスルームに行ってくるね。二人が戻ってくる前に、顔洗ってくる』
ぎこちなく微笑んだセラは、僕の手の中からするりと抜けて部屋から出て行ってしまう。
もどかしくて堪らないのに言葉を選んでばかりいる僕は、この時ばかりは自分の置かれた境遇を窮屈に感じずにはいられなかった。
でも……
思い返せば、セラはずっと僕に真っ直ぐ愛情を伝えてくれていた。
庭園で話した時も、彼女の部屋に忍び込んだ時も、バルコニーで話した時や誕生日を祝ってくれた夜だって、あの子なりの方法で一生懸命好意を表してくれていた。
僕に向けられる彼女の好意の理由を気にしてばかりいたけど、それを知りたいが故に試すようなことをした自分に辟易する。
セラからしたら自分の好意を無下にされたと思ったかもしれないし、淋しい想いをさせてしまったかもしれない。
僕は一番にセラの笑顔を護りたくて、専属騎士を目指してたっていうのに。
「はあ……」
変な勘違いをさせていたら最悪だと、思わずしゃがみ込んで漏らしたため息は、誰もいない部屋の中で静かに消えていくだけで。
なかなか戻ってこないセラを気にして、悶々としたまま一人の時間を過ごしていた。
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