4.

きっかけは、本当に些細なことだった。
総司から贈られた、あの可愛いチョコレート。
すべての始まりは、そこからだった。

あの日、箱を開けて目に飛び込んできた「好きだよ」の文字。
それを見た瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられて、どうしようもなく嬉しくなってしまった。
錯覚なんかじゃない。
あんなにも胸が高鳴って、心が熱くなったのは、生まれて初めてのことだった。

泣きたくなるような、それでいて総司に抱きつきたくなるような……どう表せばいいのかわからないくらい、心に溢れてしまったあの気持ちは忘れられない。
総司の顔を見つめずにはいられなくて、私は総司が特別に好きなんだと、身を以て知ることになった。

でも自分の気持ちに気付いたそのすぐあと、総司はいつもの飄々とした様子であっさりと言った。
君の騎士だから大事に思うのは当然、妹みたいな存在として大切に思ってるって。
その瞳が私を優しく見下ろしているのに、私はただ胸が苦しくなるばかりで。
きっと総司はこれから先、私のことを女の子としては見てくれないのだろうと悟ってしまった。

本当は泣きたくなるくらい悲しかったけど、それでも私は、総司がアストリアで幸せに過ごしてくれるならそれでいい。
私の傍で、あのままの笑顔でいてくれるならそれでいい。
そう自分に言い聞かせていたけど……


『はあ……』

「ん?どうしたんだ?」


やっぱり悲しい気持ちや総司を好きな気持ちは、どうやっても私の中からなくなってはくれないみたい。
思わずため息を吐いてしまえば、朝食の途中でお父様が心配そうに私を見つめていた。


『あ……なんでもないです。ただ、ちょっと……思い通りにいかないことがあって』

「無理をしたらいかんぞ。何かあればいつでも相談しなさい」

『はい。ありがとうございます、お父様』


お父様に素直に相談したら、それこそ物凄く驚かれてしまいそうだ。
それとも私の年齢だと、子供の恋愛だと言って笑うのかな。
でも貴族の令嬢の中には、私よりずっと年若い頃から縁談が決まっている子もいるという。
我が公爵家ではお父様が私の意思を尊重させてくれているものの、好きな人と結婚できること自体、可能性的には低い気がしていた。


『お父様?』

「ああ、なんだね?」

『私はいつ頃縁談が決まるのでしょうか?』


今日はお父様だけではなく、山南さんと山崎さんも同じテーブルで朝食を摂っている。
私がつい漏らした言葉を聞くと、三人の少し驚いたような視線が一気に私へと向けられた。


「お嬢様……、いきなりどうなされたんですか?」

「縁談……ですか。確かに、あと数年もすればそのような話が出てもおかしくはないと思いますが」

「なぜ縁談のことが気になるのだ?」

『いえ、特に深い意味はありません。ただ……なんとなく?私は将来どんな方と添い遂げるのかなと思いまして』


またしても三人の視線が一気に注がれるから、こんなことを言わなければ良かったと少し後悔する。


「どうでしょうね。ですが、お嬢様でしたらきっと素敵な男性と添い遂げられると思いますよ」

「俺も同意見です。時期がくれば、自ずと良いご縁があるのではないですか?」

『ではもし……もし、ですよ?私に好きな人ができたら、お父様は許して下さいますか?』

「んん……!?まさか……っ!好きな男が……できた……のか?」

『い、いいえ……!違います……!いずれ……、いずれの話ですよ』


勿論、いくら私が想いを寄せても、総司は私のことなんて特別な意味で好きではない。
だから私の気持ちが成就することは、もうなさそう。
でも、総司は私にとても優しくしてくれる。
いつも笑って私を大切にしてくれるから、思い返すだけでこの心はドキドキがおさまらなくなってしまう。


「お嬢様……お顔が赤いですよ?」

『え?そんな……ことは……ないですけど……』


山南さんの言葉に誘われて慌てて頬を触ると、確かに顔は少し熱を帯びている。
慌てて首を横に振ってみたけど、三人は唖然とした様子で私を見つめていた。


「今は先のことはあまり考えなくてもいいのではないですか?ですよね、近藤さん」

「あ、ああ……。いや、しかしだな……必ずしも好きな相手と添い遂げられるわけではないぞ?そこは理解してくれるな?」

『は、はい。それは勿論……』

「お嬢様、それはナイフではなくバターナイフですよ……」


チキンのソテーを一生懸命バターナイフで切っていた私に、山崎さんの声が優しく降ってくる。
自分でも思っていた以上に動揺していたことに気づき、慌ててバターナイフをテーブルに戻した。


「お嬢様もだいぶ年頃になられましたからね。やはり不特定多数の騎士に護衛されるより、早く身近な護衛役を決めた方が良いかもしれませんね」

「それについては俺も賛成です。俺の見解では、護衛に向かない騎士もはっきりしています。今のうちに絞ることで、より安全にお嬢様のお護りすることができるかと思います」

「うむ、確かにな。では年明けに、護衛を絞ることにしよう」

『あの、護衛役はどのように決めるのですか?』

「表向きには騎士団の中で模擬戦などの訓練をして頂き、見定めることになるでしょう。けれど剣の腕だけではなく、護衛に向いているか、機転や冷静さ、忠誠心や判断力なども見なくてはなりません。お嬢様が信頼し、心を許せる相手であることも大切ですね」


私が心を許せる相手なんて、たったの一人しか思い浮かばない。
勿論今ここで総司の名前を出すわけにはいかないけど、少しでも私の意見を反映してもらえたらいいと願わずにはいられなかった。


「普段の様子から、騎士団員の実力は把握しているつもりです。ある程度は絞れてきていると思いますが」

「そうか。確かに山崎君の意見は参考になるな」

「ちなみに山崎君から見て、有力な護衛候補は誰があげられますか?」

「そうですね……」


山崎さんは食事する手を止めて、真剣に考え始める。
私の手もすっかり止まってしまって、ただ山崎さんの言葉を落ち着かない心情で待っていた。


「間違いないのは、伊庭さんでしょうか」

「おお、確かに彼は真面目な上、剣術の腕も申し分のない良い青年だな!俺も彼が幼い頃から知っているが、彼にならセラを任せられると思っているぞ」

「はい。伊庭さんは常に誠実かつ真面目で、周りをよく見ておられます。騎士階級も今はニ級ですが、剣術の腕もこの一年でかなり上達していますので、この数年で上がる見込みは十分にあるかと」

「なるほど。確かに伊庭君は適任ですね。騎士団員歴も長いので、信用に足る人物でしょう。それに彼はお嬢様のことをとても大切にされていますから」

「確かに団員歴は大切かもしれせんね。その点や伸びしろの面で言えば藤堂さんも有力候補ですね」

「ええ。藤堂君は騎士団の中で最年少ですが、そうとは思えない剣の実力者ですね」

「はい。あの若さであそこまで剣を振るえるのは素晴らしいと思います。何より彼の剣には迷いがありません。思い切りの良さが長所となるか短所となるかは見極めなければなりませんが、彼も優秀な護衛候補になると思います」

「なるほどな、山崎君の意見は覚えておこう。騎士年数も踏まえた上で護衛役を決めていくべきだろうな」


え、待って……。
総司は?
誰か総司のことは話してくれないの?と、山崎さんと山南さんを交互に見つめてみる。
けれど二人は近藤さんと話すことに夢中で、私の方を見てもくれない。
騎士年数が浅いからこそ、総司が候補から外れてしまうことが怖くて堪らなかった。
それならばと私は拳を握る。
私の専属騎士の話だ、私の意見も聞いて貰いたいと思い切って口を開いていた。


『あのっ……』


三人の話が一気に途絶え、再び視線が注がれる。
若干の気まずさはあったけど、後で後悔することだけは絶対に嫌。
だから自分の想いをきちんと伝えたいと、私は口を開いた。


『私は、総司が適任だと思います』


私がそう言った後も、その場はなぜか静まり返っている。
その不安を打ち消すように、私は言葉を続けていた。


『総司は剣の腕は勿論ですが、機転や判断力にも優れていると思います。実際、私は総司に二回も命を救ってもらいました』


一回目の誘拐事件は勿論のこと、二回目の馬車が大暴走した件でも、私は総司に護ってもらった。
だから総司のことは胸を張って推薦できると、彼らを真っ直ぐ見つめた。


「ああ、勿論だとも!総司は元より最有力候補として考えているぞ」

『え?そうなのですか?』

「ええ。沖田君は私達三人満場一致で適任だと見なしています。彼は先日の護衛でもお嬢様を危険から救ってくださいましたし、半年前の模擬戦でも素晴らしい戦い方見せてくれましたからね」

「それに沖田さんはああ見えて、物凄く努力される方です。恐らく騎士団の誰よりも、熱心に稽古に励んでおられるのではないでしょうか。体調不良などで任務に同行出来ない騎士がいれば、沖田さんが必ずと言っていいほど代役を引き受けてくれていますよ」

「総司は実に真面目ないい青年だ。一年前、セラが見初めただけのことはあると、つい先日も話していたのだよ」


私の知らない総司の話や、皆の総司に対する想いを聞けて、私の胸はどうしようもないくらい温かくなる。
そして今、無性に総司に会いたくなってしまった。


『全然知りませんでした……。総司はあまり任務のことや騎士団でのこと……私に話してくれないので』


気になって聞いてみても、「順調だよ」とか「まあまあかな」とか、そんな返事ばかり。
たまに覗いてみてもそれだけでは分からないこともあるから、正規騎士団員になってからの総司の様子は、とても気になっていた。
けれど総司はこの三人にも認められるくらい、努力していたことを知る。
それを顔にも出さない彼を想えば、また胸が熱くなるような感覚が走った。


「それが沖田君の良さかもしれませんね。あまり騎士団内部のことをべらべら話してしまうようでは困りますから」

「強いて問題点をあげるとすれば、沖田さんはまだ無理をしてしまうところがありますから、そこを自制できれば良いのですが。この前、過去の任務について調べていたのですが、沖田さんの任務の請け負い数がえげつないことになっていましたよ」

『総司はまた無理をしているのですか……?』

「はい。とは言っても、以前よりかは落ち着いておられますよ。ただ沖田さんは常に上を目指して相当努力はされているのかと。先日は騎士階級も四級に上がりましたが、そのことを報告しても全く嬉しそうではありませんでしたからね」

「総司は過去に色々あるからな。ここで自分の力を試したいのかもしれんな」


皆の話を聞いて、総司の凄さを知ると共に、私はまだ総司のことを全然知らないことに気が付いた。
沢山言葉を交わしているつもりでも、騎士階級が上がったことも任務に人一倍参加していることも、総司からは何一つ聞いていない。
そのことが少し寂しく感じられた。

でも総司がここで懸命に頑張ってくれていることは本当に嬉しい。
総司が話したくないのなら私は無理には聞かないけど……。
せめて総司が辛い時だけは、支えてあげられるように私も頑張らないと。


『私も護ってもらうばかりではなく、努力しないといけませんね』

「お嬢様は大変努力されていると思いますよ。先日のコンクールでも、入賞されて大変見事でしたからね」

「ああ。日毎成長しているお前を見ていると俺も嬉しく思うよ」

『いいえ、私なんてまだまだです。ですが、ありがとうございます』


今は悩むより先に、努力を続けたい。
総司がそうであるように、私も毎日を精一杯頑張ろうと意気込んだ。


その日、午前中の学業の勉強が終わり、昼食後はピアノとヴァイオリンのレッスン。
夕方こそ総司に会いに行こうと思い、小さな籠に詰めたお菓子を抱えていた。
総司からクリスマスにチョコレートをもらったから、そのお返しに何か作りたくて、一生懸命何が良いか考えた。
選んだのは、ほんのり甘いショコラとイチコ、ピスタチオのマカロン。
ふんわりと軽い食感で、可愛らしい見た目のものにしたかった。

だけど、肝心の総司はどこにもいない。
彼がよく素振りをしていた騎士団エリアの裏庭の隅へ行ってみたけど見つからなくて、私はとぼとぼと庭園へと戻ってきた。
するとそこにいたのは総司ではなく、一匹の小さな猫。
まるで城の中に迷い込んだかのように、細い身体を震わせながら、頼りなさげに佇んでいる。


『猫ちゃん?どうしたの?』


そっと近づくと、猫は小さく鳴いた。
その声がどこか心細そうで、可哀想になってしまう。


『……あれ?』


ふと見上げると、城の三階の窓の縁に、もう一匹の猫がいた。
ちょこんと座ってはいるものの、今にも足を踏み外してしまいそうなほど不安定な場所だ。
見るからに降りられなくなっている様子で、悲しそうに鳴き続けていた。

どうしよう……。
近くに誰もいないし、このままだとあの子は落ちてしまうかもしれない。

そう思ったら考えるより先に、体が動いていた。
スカートの裾を軽く持ち上げ、すぐそばにある階段を駆け上がる。

心臓をドキドキさせながら三階の廊下に着くと、猫がいる窓の部屋を探した。
その場所は、お母様が好んでいた美術品などが置かれている無人のお部屋。
私は急いで中へ入り、窓のそばに駆け寄った。


『大丈夫だからね』


そっと手を伸ばそうとした時、猫が足を滑らせ、細い体が落ちかけた。


『……あっ……』


時間をかければ間に合わない、そう思った時には、私の足も窓枠を乗り越え、必死に猫の身体を抱きとめていた。

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