3
ここ最近、セラは以前にも増して恥ずかしがることが増えた気がする。
この子にはずっと変わらないでいて欲しいと思いながら、ふといまだパイを食べられていないことに気付いた。
「お嬢様。そちらのパイ、そろそろ食べないと冷めてしまいますよ」
僕が促すと、セラははっとして手元を見た。
持ったままでいるパイを改めて見つめ、少し困ったようにヴェールを押さえる。
『でも……これ、どうやって食べればいいの?』
ヴェールのせいで食べにくいのは確かにそうだ。
かといって人前で外すわけにもいかないし、セラは壁と向き合って食べるのも気が進まないみたいだよね。
それなら、ちょっとした工夫をすればいい。
「じっとしてて」
戸惑う彼女の頭上に、僕は自分の上着をふわりとかけた。
柔らかい布が彼女を包み、ヴェールの代わりになってくれる。
「これなら、君は周りの目を気にせずヴェールを上げて食べられるし、僕はセラの顔を見ながらパイを食べられるね」
セラは目を瞬かせ、それから僕を見上げる。
上着に包まれたせいか、少し頬が赤くなっていた。
『ふふ、総司って色々なこと思いつくね』
「でしょ。ほら、さっきから食べたそうにしてたんだから、早く食べたら?」
『うん、いただきます』
彼女はヴェールをそっと外すと、パイをぱくりと食べた。
その直後、またさっきのようにぱっと表情が明るくなる。
『うん、やっぱり美味しい』
嬉しそうに目を細めるセラを見ながら、僕も自分のパイを口に運んだ。
思った通り、この距離なら彼女の表情がよく見える。
セラを隠すように立っているせいで、僕らの距離はいつもより近い。
だからこそ、セラは食べながらもどこか恥ずかしそうにしていて、落ち着かない様子だった。
『……少し近くない?』
「仕方ないよね。君を隠してるんだから」
『それはそうだけど……』
そっぽを向く彼女の耳が、ほんのり赤い。
でもそんな風に照れていたセラも、一口食べればまた嬉しそうな顔をするから見ていて飽きなかった。
「僕のも食べてみる?」
『交換するの?』
「うん。お互い味が違うし、気になるでしょ?」
『確かに気になる』
セラの持っているパイは、甘酸っぱいベリーの香りがする。
一方で僕のは香ばしいナッツと蜂蜜の風味が広がるものだった。
セラは少し考えたあと、自分のパイを小さくちぎり、僕に差し出した。
『はい、これどうぞ。総司のも食べてみたいな』
セラの手元を見れば、小さな指が大事そうに持ったパイ。
僕は身を屈めて、セラが差し出したパイをそのままかぷりと食べた。
『あっ……』
セラの手の上から直接パイを食べたから、唇が細い指先に触れた。
セラは驚いたように目を瞬かせた後、すぐに不服そうな顔をしてみせた。
『もう……やめてよね』
「何が?」
『普通、手から取って食べるでしょ?』
「でも君の手から食べる方が美味しそうだったから仕方なくない?」
彼女は僕を睨むでもなく、困ったように目を伏せる。
その反応が可愛くて、僕の口元は性懲りもなく緩んだ。
「じゃあ、君にも食べさせてあげる」
僕は自分のパイをちぎり、彼女の目の前へ差し出した。
勿論セラはそのパイを受け取ろうと手を伸ばすから、それをひょいと上に上げる。
「駄目だよ。言ったでしょ、僕が食べさせてあげるって」
『でも、恥ずかしいよ』
「何も恥ずかしくないから。変に意識してる方が恥ずかしいよ」
セラは戸惑ったように僕とパイを交互に見つめる。
それから、ゆっくりと顔を近づけ、おずおずとかじった。
でも無意識に僕を見上げながら、少しだけ唇を開きパイを口に含む彼女のその表情が想像を超えて可愛くて息を呑む。
小動物みたいにもぐもぐと口を動かしながら、僕を見つめる瞳。
そんな顔でじっと見られれば、色々と込み上げてきそうなんですけど。
「美味しい?」
『うん。総司のも美味しいね』
にっこりと微笑むその顔を見てしまえば、胸の奥が静かに疼いて、気付けば彼女の頬に指を伸ばしていた。
『ん?なに?』
「…………」
無意識に触れてしまったことに僕自身が驚いていた。
その柔らかい感触が指に残れば無性に名残惜しくて、指を引くのが惜しいとさえ思った。
困惑したように瞬きをするセラを見て、僕は軽く息を吐く。
「今のは君のせいだよ」
『え?私のせいって?』
「セラって無自覚に僕を試すようなことするよね」
セラは頬をもぐもぐ動かしながらも、首を傾げながら目をぱちくりとさせている。
そんな反応も愛らしくて、また意地悪をしたくなるから困ったものだけど。
「少しは自覚したら?」
『よく分からないよ、なんの話をしてるの?』
「あんまり僕を振り回さないで貰いたいな」
『だから、なんの話?』
全然伝わらないセラを目の前にため息を吐き出して、腹いせにパイを持つ方の彼女の手首を掴む。
そして自分の方にぐいっと引き寄せ、彼女のパイを勝手に一口食べた。
『あっ、また勝手に食べた』
「またって?」
『前も私が大切にしてたチョコ、こうやって勝手に食べちゃったでしょ?』
「あはは、まだ覚えてたんだ」
『ずーっと覚えてるんだからね。絶対にずーっと忘れてあげないから』
「嬉しいな。セラが僕との思い出をずーっと覚えててくれるなんてさ」
セラはむっとした様子で僕を睨んでいたけど、僕の右手を掴むなり引き寄せて、僕のパイをぱくりと食べる。
そのセラらしくない行動に目を見開いてしまったけど、彼女はいつになく悪戯に微笑んで僕を見上げていた。
『仕返しだよ。今度からやられたらやり返すからそのつもりでね』
こういう顔もするんだ。
そう思えば少し強気な態度に思わず笑ってしまう僕がいる。
「へえ、いいね。じゃあ僕はまた倍返ししてあげるよ」
『それは駄目、私のパイがなくなっちゃう』
「そしたらまた買ってあげるよ」
『本当?あのチョコも?』
「あれ?いらないって言ってなかった?」
『やっぱりまた欲しいかなって思って……』
「いいよ。じゃあ今度また君に買ってくるよ、だから待ってて」
何度だって買ってあげるし、君が欲しいものはできる限り与えたいと思ってるよ。
それがたとえお金で買えるものでなかったとしても、君が望むならなんだって手に入れたいと思う。
僕に力があるなら、もっと君の望むものを揃えてあげられるかもしれないのにね。
『なんか……総司ってさ?』
「うん?」
『……ううん、なんでもない。ありがとう』
何を言いかけたのか、気にならなくはなかったけど、セラがあまりにも嬉しそうに微笑むから、僕まで嬉しくなってしまう。
こうして過ごせる時間が貴重だからこそ、この少しの時間がとても幸せなものに感じられた。
ページ:
トップページへ