6

夜の市街地は昼間とはまた違った美しさを見せていた。
街の光が並ぶ通りは幻想的な輝きを放ち、人々の笑い声が優しく夜風に溶けていく。
私は時間の経つ早さを少し寂しく感じながら、総司と一緒にゆっくりと歩いていた。


『夜のお祭りって、なんだか素敵だね』

「そうだね。昼間より落ち着いてて、雰囲気があるかな」


ちらほらと咲き始めた春の花が、灯りに照らされてほのかに揺れている。
どこからか、甘い果実の焼ける香りが漂ってきた。


『あ、美味しそうな匂いする』

「林檎飴だね」

『わあ、食べてみたいな』

「じゃあ、買いに行こうか」


そう言うと、総司は屋台へ向かい、お店の主人に小さな銀貨を差し出した。


『ありがとう』


手渡された林檎飴は、まるで宝石みたいに赤く透き通っていた。


『でもこんなに綺麗だと、食べるのがもったいないね』

「うん。でも、食べないと溶けちゃうよ」

『それもそうだね』


一口かじると、シャリッとした甘さが口いっぱいに広がる。


『ん、美味しい……!』

「良かった」


総司は穏やかに微笑んで、私の食べる様子を眺めていた。
少し恥ずかしく思っていると、不意に総司の表情が変わる。


「セラ、ちょっとこっち」

『え?』


軽く手を引かれ、灯りの陰になる場所へと促される。


『どうしたの?』

「さっき、向こうの方で少し視線を感じたから」

『え?』

「気のせいかもしれないけど、一応ね」


総司は今日一日、常に私を気に掛けてくれていた。
いつもはふざけてばかりなのに、護衛の間はとても真面目で頼もしくて。
今日は知らなかった総司の一面を見ることが出来た気がする。


『ありがとう』

「ん?何が?」

『いつも護ってくれて』

「今日は僕がセラの護衛役だからね。お嬢様のことは僕が責任を持ってお護りしますよ」


そうだとしても、護衛をしながらもこうして私のわがまままで聞いてくれる総司の優しさが嬉しいと思う気持ちは変わらない。
総司がいてくれたから今日一日とっても楽しかった。
その感謝の気持ちも込めて、私はそっと林檎飴を差し出した。


『総司も食べる?』

「え?」

『総司に買ってもらったから、お礼にはならないけど……』


総司は少し驚いたように私を見つめ、それから小さく笑う。


「じゃあ、少しだけもらおうかな」


飴の端にそっと唇が触れる。
それだけのことなのに、心臓が跳ねるみたいに鼓動を打った。
春の夜風はまだ少し冷たいのに、私の頬は熱くなっていく。
夜の灯りの下で、私はまたひとつ、総司に惹かれていく気がしていた。


そして、夜の終わり。
建国祭の賑わいも落ち着いて、夜の帳がゆっくりと街を包み込んでいく。
遠くに見える湖のほとりには、祭りの最後を飾る光のイベントを楽しもうと人々が集まっていた。


「さあ、お嬢様。僕が湖までご案内しますよ」


総司はどこか愉しげな口調でそう言って、私の手を取る。


『ふふ、ありがとう』


ふんわりとヴェールの隙間から顔を覗かせる夜風は心地良く、昼間の喧騒が嘘みたいに静かだった。
街の灯りを背に、総司に手を引かれながら湖へと向かう道は、不思議と夢の中を歩いているみたい。
ふと足を止めて私を覗き込んだ総司は、柔らかな笑みを浮かべながら私の頬にそっと触れた。


「ヴェールが少しずれてるから直すよ」


人目を避けるためのヴェール。
総司の指先がそれをそっと持ち上げ、私の顔を優しく覆い直す。


「はい、これで元通り。本当は、隠すの勿体ないんだけどね」


静かに囁かれる声と、すぐそばにある温もり。
胸がくすぐったくて、思わず俯いてしまった。


『……ありがとう』

「どういたしましてって、あれ?もしかして照れた?」

『そんなことないです』

「ははっ、そう?」


またそっと手を引かれると、夜道を歩く二人の影が、淡く揺れながら湖へと続いていった。
湖のほとりには、小さな灯りを手にした人々が集まり、静かに願い事をしている。
夜空には星が瞬き、湖面には灯された光がぽつり、ぽつりと浮かんでいた。


「これが最後の儀式だね」

『うん。とっても幻想的だね』


湖のほとりは、多くの光に包まれている。
水面には無数の灯が揺らめき、まるで夜空からこぼれ落ちた星が静かに漂っているように見えた。
建国祭の最後を飾る星灯りの舟の儀式。
それは人々が願いを込めた小さな灯を湖に流し、一年の幸運を祈るものだった。

湖に浮かべる光は、それぞれの願いを込めるためのものらしい。
私もひとつ、小さな灯りを受け取った。
丸みを帯びた滑らかな木の舟の中で、優しい光がほのかに揺れている。


『……綺麗』


小さく呟いた声は、夜の静けさの中に吸い込まれていった。
隣に立つ総司も、静かに水面を見つめながら頷いてくれる。
湖に映る灯の光が、彼の横顔を柔らかく照らしていた。


「願い事、決めた?」

『うん、決めたよ』

「どんな願い?」


そっと問いかけられて、私は灯を見つめたまま、少しだけ迷った。
願い事は、本当は心の中だけに秘めたほうが叶うような気がする。
でも総司にだけなら伝えてもいいと思えた。


『ありきたりかもしれないけど、みんなが幸せでいられますようにってお願いしようかな』

「セラらしいね」

『そうかな?』

「うん。誰かの幸せを願うのはいいことだけどさ」


総司は、持っていた灯を指でくるくると転がしながら、少し意地悪そうに微笑んだ。


「たまには自分のことを願ってもいいんじゃない?」

『私のこと?』

「そうだよ。セラは自分の幸せは願わないの?」


本当は願ったよ。
ずっと、ずっと、総司と一緒にいられますようにって。
だけどそれを口に出すのはなんだか恥ずかしくて、とても言えない。


『個人的なことも、願い事にしていいのかな?』

「もちろん」


総司は、微笑みながら私を見た。


「セラが幸せになれる願い事なら、きっと叶うよ」

『そう思ってくれる?』

「うん。だから、何でも願っていいんじゃない」


総司が穏やかにそう言ってくれるから、ずっと一緒にいられますようにという願いをそっと胸にしまいながら、私は小さく微笑んだ。


『ありがとう。でも総司は何を願うの?』

「僕?」

『総司の願い事も、知りたいな』


彼は少し考えるふりをしてから、くすっと笑った。


「どうしようかな」

『教えてくれないの?』

「うーん、どうしようかなあ……」


じっと見つめると、総司は楽しそうに目を細めた。


「秘密」

『ええ?どうして?』

「そんなに知りたい?」

『……んーん、別に?全然』

「ははっ、拗ねないでよ」

『拗ねてないよ』

「そっか。じゃあセラは知りたくないみたいだし、やっぱり教えなくてもいいね」

『え、駄目。やっぱり知りたいから、聞いてもいい?』


少しだけ視線を上げて、総司を見上げる。
すると総司はわざとらしく考える仕草をしてから、少しだけ声を落として言った。


「セラがずっと笑っていられますように」


その言葉に、心臓が小さく跳ねる。
またからかわれているのかもしれないけど、総司の言葉はとても嬉しかった。


「なんてね。叶うかどうかは、セラ次第だけど」


総司は、そっと灯を水面に置いた。
ふわりと浮かぶ光が、ゆっくりと湖の流れに乗る。
それはまるで未来へと続く道を照らすように、静かに輝いていた。


『ありがとう。私も総司がずっと笑っていられますようにって願ってるからね』


そう言いながら、私も自分の灯をそっと湖に浮かべた。

どうかこれからもずっと総司と一緒にいられますように。
総司がずっと笑っていられますように。
皆が幸せでいられますように。

心の中でそう願いながら、二人で並んで流れる光を見つめた。
夜風がそっと頬を撫でて、湖面に映る灯が揺れる。
どこまでも広がる静かな夜空の下で、私は優しい気持ちに包まれていた。


「綺麗だね」

『うん……ずっと見ていたくなるね』


儚い光達を目で追いながら、思わず目を細める。
揺らめく灯りは水面に映り、風に吹かれてほんの少しだけ揺れた。
そんな幻想的な景色に見惚れながら、私はそっと総司を横目で盗み見る。
総司はいつものように穏やかで、どこか掴みどころのない微笑みを浮かべながら、遠くを見つめていた。


儀式が終わると、夜の湖畔を歩く私たちの周りには、静かな風が吹いていた。
祭りの喧騒は少し遠くなり、周りには私達のように儀式を終えて帰る人達がまばらにいた。


『楽しかったな』


ぽつりと呟くと、隣を歩く総司がふっと笑う。


「うん。セラが楽しそうだったから、僕も楽しかったよ」

『ふふ、総司も楽しめたなら良かった』


私は小さく笑いながら、夜空を見上げた。
けれど、胸の奥に淋しい気持ちがどうしても滲む。
こんなに楽しくて幸せだったのに、今日という日が終わってしまうことが悲しくて仕方なかった。


『終わっちゃうのが少し淋しいな』


思わずこぼれた言葉に、総司は少しだけ目を細める。
彼は軽やかに「そうだね」と言いながら、ちらりと私の方を見た。
けれど彼はふと視線を逸らし、歩く速度を少し緩めた。


『総司』

「うん?」

『今日は本当に楽しかったよ』

「うん、僕もだよ」


最初は少し心配していた。
総司の建国祭の時間を私が奪ってしまっていいのか、不安だった。
でも総司が楽しいって言ってくれて。
私と一緒にお祭りを回れることが嬉しいって言ってくれたから、私も心から楽しめた。
総司の微笑む顔を見て、きっと総司も楽しんでくれてるって信じることが出来たんだよ。


『私、こんなに安心して建国祭を楽しめたのは今日が初めて。今までは参加しても公女としての立場があるから、気軽に歩き回ることなんてできなかったし』

「そっか」

『でも今日は総司がいてくれたから、気兼ねなく色々なお店を見て、おいしいものを食べて、総司とたくさんお話しもして……とても幸せな時間だったよ』

「セラにそう思ってもらえたなら良かったよ」

『総司のおかげだよ。本当にありがとう』


心からそう伝えると、総司は満足そうに微笑んだ後、柔らかく目を細めた。


「どういたしまして」

『また、来年も一緒に行けたらいいな』

「来年?」

『うん。また来年も、総司と一緒に建国祭を楽しめたらいいなって……総司が迷惑じゃなければだけど』


総司はほんの少しだけ考える素振りをして、それから優しく笑ってくれた。


「じゃあ、また来年もセラを連れて歩くことになるね」

『え?』

「今日のセラはあっちこっち興味津々で歩いてたよね。露店を見つけるたびに目を輝かせてたし、食べ物の屋台に並ぶときは見るからにそわそわしてたし」

『……それは……』


思い返すと、確かに私は夢中になってお店を巡っていた気がする。
人混みでも勝手に足を止めたことなんて何度もあったし、今更ながらはしゃぎ過ぎていた自分を思い出すと恥ずかしいくらい。


『やっぱりそんなに落ち着きなかった?』

「別にいいんじゃない?なんか可愛かったし」

『可愛くなんてないけど……』

「可愛かったよ、小さな子供みたいで」


そう意味の可愛いだったんだと、総司をじっとり睨みつける。
そんな私の視線に気付いてくすりと笑った総司だけど、あたたかい音色で言ってくれた。


「それに、来年も一緒に行きたいって思ってくれたのは嬉しいな」


総司は穏やかな笑顔を浮かべながら、夜風に揺れる私の髪を指先でそっと払った。


「来年も、セラが楽しそうにしてる姿を見られるなら、それも悪くないかもね」

『本当にそう思ってくれてる?』

「もちろん。だからまた来年も、僕を誘ってよ」


優しく微笑む総司を見つめながら、私は胸が温かくなるのを感じた。


『……うん』


もうすぐこの夜が終わる。
でも来年も一緒に行けるなら、明日からもまた自分のやるべきことを頑張ろう。
そう心に刻んで、私は総司を見上げて微笑みを浮かべた。


「じゃあ、楽しかったみたいだし、もうちょっとだけ延長しようか」

『延長?どういうこと?』

「セラは目を閉じて」

『え?どうして?』

「いいから」


総司が穏やかに言う。
少し戸惑いながらも、私は言われたとおりにそっと瞼を閉じた。
夜風の冷たさが頬を撫で、遠くで微かに湖面の水音が響く。
総司が、ほんの少しだけ近づいた気配がした。


「はい、開けていいよ」


そっと瞼を開けると、目の前には一輪の花。
月明かりに照らされたそれは、白く、小さく、可憐な花だった。


『……これ』

「実は今日、ずっと持ってたんだよね」


総司は、ふわりと微笑む。


「花贈りの儀、セラはきっとたくさん花をもらうだろうなって思ってたから」


総司はそっと私の手を取り、柔らかくその花を持たせてくれた。


「だから、僕からは今日一日の最後に渡したかったんだ」


私はその花をじっと見つめた。
繊細な花びらが夜風に揺れ、淡い香りがふわりと広がる。


「この花の名前はスノードロップっていって、花言葉はね」


そう言いかけた総司の声が、一瞬だけ夜風に溶けた。
けれど私達の視線が重なった時、それは柔らかく続けられた。


「君のことを大切に思っています……っていう意味があるんだって」


私の胸の奥で、何かがそっと震えた。
今にも総司が好きだと言ってしまいそうになるくらい、私の心が総司一色に染まった瞬間だった。


「今日、セラが幸せそうにしてるのを見て、僕も嬉しかったよ」


昼間、花をもらえなくて淋しさを感じていた心が、総司の言葉と差し出された花によって、柔らかくほどけていく。
そして私に今日一日の最後に渡すため、この花を大切に持ってくれていた総司の気持ちや、この花に込められた意味が嬉しくて。
どうしても私の視界は潤んでしまった。


『総司、ありがとう』

「うん」

『すごく、嬉しい……』

「そっか」

『このお花、お部屋に大切に飾るね』


総司はまた、優しく笑った。
夜風に揺れる花をそっと抱きしめながら、私は心の奥から幸せを感じていた。


『私、総司からお花をもらえるのが一番嬉しい』


風がそっと吹き抜け、総司の髪を揺らす。
彼は僅かに驚いた様子で、目を瞬かせた。


『本当はね……総司からはもらえないって思ってたから少しだけ落ち込んでたんだ』


今は夜。
外は暗いから、潤んだ瞳や情けない今の顔はきっと少し隠してもらえる。
その安心感からなのか、私の口からはぽつりぽつりと本音がこぼれ落ちていた。


『でも、こうして一日の最後に渡してくれて……お花、とっても可愛いし、花言葉も凄く嬉しくて……』


思わず込み上げた涙がこぼれそうになって、慌てて言葉を止めて気を引き締める。
嬉しくて泣くことなんてあまりないのに、総司のことになると私の涙腺は脆くなってしまうみたいだった。


『ありがとう。今日のこと、ずっと忘れないね』


忘れられない。
こんなに嬉しくて、それと同時に切なくもあって、こんなにも心が震えたことは今までに一度もない。
幸せなのに泣きたくて、目の前のこの人が本当に愛おしい。
家族や知人に向ける愛情とはまた違う特別な感情を、私に初めて教えてくれたのは総司だ。


「そんなに喜んで貰えるなら、花贈りの儀はこれから先も君に贈るよ」

『ふふ、そうなら嬉しいな』

「約束するよ。花贈りの儀がある限り、僕は君だけに花を贈る。だからちゃんと受け取ってよ」


また、来年も。
総司と一緒に、このお祭りを楽しめますように。

この小さな白い花が、私の心にそっと灯った温かな気持ちを、どうかずっと覚えていてくれますように。

そう願いながら、総司から贈られた花の香りを愛おしく思う私がいた。

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