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今日は僕達三人がセラの護衛役に選抜されてから、初の任務日。
王国主催の高貴なる音楽の祭典、ルヴァン宮廷弦楽祭に出場するセラを護衛するため、僕達三人は彼女に同行することになった。

これは数年に一度、ルヴァン王国の宮廷楽団が主催する一大イベントで、音楽の才能ある貴族達がその腕前を競うために開かれるらしい。
選ばれた演奏者のみが出場を許され、さらに優れた者には王室から賞が授与されるということだった。
今年の栄えある賞はヴィルトゥオーゾ賞。
これは単なる技巧の高さだけでなく、聴く者の心を深く揺さぶる演奏を成し遂げた者に贈られるという。

僕達三人に加え、近藤さんや山南さん、山崎君も同行し、今しがたその会場に到着したところだった。


「お嬢様、今日は極力一人にはならないでくださいね」


祭典が行われる大広間。
格式高い会場には、すでに華やかな衣装を纏った貴族達が集まり、ざわめきが広がっていた。
貴族の子女達が談笑し、紳士達が優雅にグラスを傾ける。
豪奢なシャンデリアの光がきらめき、床に敷かれた赤絨毯に反射して美しい模様を描いていた。

会場に着くや否やセラにそう声をかける山崎君は、以前僕に過保護過ぎると言っていたにも関わらず、彼女に対して十分過保護なようだ。


『はい、そう致しますね。でも私は控えの間に行かなくてはならないのでないですか?』

「いいえ。直前までここにいましょう。俺達といた方が安全です」

『そう……ですか?でもヴァイオリンを持った方達は皆あちらに……』

「いいえ、ここにいましょう」


山崎君が断固として譲らないから、セラも最後は黙ってこくんと頷く。
でも目の前の愛らしい姿を見れば、確かに山崎君が警戒するのも頷ける。
この会場に入った時からセラに注がれる視線は、正直尋常ではなかったからだ。

僕達全員が祭典に違和感なく馴染むよう、それなりの正装をしているけど、セラの正装姿はとにかく目を引く。
白を基調にしたドレスは、まるで純粋そのもののように輝いて見えるし、胸元には細かな刺繍はその一つ一つがまるでセラのために作られたかのようだった。
レースの袖も白い羽根のように軽やかで、腕を動かすたびにふわりと揺れる姿の優美さに、僕もしばらくは目を離すことができなかった。

だからこそセラを一人にするのは危険だと、皆同じことを思ったのだろう。
佇むセラをまるで周りの視線から護るように、僕達六人で囲っていた。


『あの……』

「どうしたの?」


セラも少し違和感を感じたのか、僕達を見上げて眉を下げている。
何食わぬ顔で聞いてみれば、少し微笑んで口を開いた。


『折角だから、少し他の場所も見て周りたいと思ったのですけど……』

「お嬢様、落ち着きがないのはいけませんよ。ここにいましょう」

「ああ、山南君の言う通りだとも。ここにいなさい」

『はい……』


元々、セラを護る為に社交の場に行かせていない近藤さんからしたら、この祭典に出場することすら渋っていたらしい。
けれどセラが懸命に努力を重ねて得ることができた出場権を辞退することは、親としてはあまりにも心苦しいという理由から、こうして僕達はここにいるわけだけど。
まさかセラがこの祭典に出るほどの腕前だったとは思わなかった。


『緊張するな。皆が見てくれると思うと余計に』


セラは僕達三人を見上げながら、愛らしい様子でそんなことを言う。
正直僕からしたらこの子が舞台に上がるだけで賞をあげたい心情だから、そんなに緊張しなくていいのに。


「大丈夫だよ。普段通りに演奏すれば」

「そうですよ。君の演奏、楽しみにしています」

「俺ヴァイオリンのことは詳しく分からないけどさ、めっちゃ応援してるから!」

『ありがとう、頑張るね。でも、なんか変な感じ。みんなに護衛してもらうの、まだ慣れないみたい』


嬉しそうにそう呟きながらも、少し照れた様子でセラは微笑む。


「ははっ、それは早く慣れてもらわねーと!」

「次期に慣れますよ。ですが役得ですね、護衛に選ばれたからこそ君の演奏が聴けるのですから」

『ふふ、そんな大層なものじゃないよ』

「でも選ばれるだけで凄いと思うけどね。うちのお嬢様は何の賞をもらえるのかなー。楽しみだなー。期待してよっと」

『もう、総司。プレッシャーかけないで』

「そうですよ。沖田君は余計なことは言わないでください」


セラの緊張を少しでも解そうと他愛のない話をしていると、ついにセラが舞台裏に待機しなければならない時間がやってくる。
出場者には王族の衛兵が手配されるらしく、彼女は衛兵と並んで行ってしまった。
僕達は用意された座席を移動して、開幕までしばらく待つことになった。
でも皆と談笑していると、周囲の貴族たちが口々に何かを囁いているのが聞こえてくる。


「今日、アストリアの白百合は本当にいらしているのかしら?」

「ええ、間違いないわ。だって、公爵様ご一家が招かれているもの」

「一目でもいいから、そのお姿を拝見したいわね」

「演奏だけでなく、お顔も拝めるなんて、今日は特別な夜になりそうだ」


アストリアの白百合?
僕は、聞き慣れない言葉に思わず首を傾げた。
周囲のあちこちで囁かれているその名に、心当たりがまるでない。


「ねえ、平助」

「どうした?」

「アストリアの白百合って何のこと?」


平助は一瞬呆気に取られたように目を丸くし、それからあからさまに驚いた顔をした。


「は?お前、知らねーの?」

「うん、知らないけど」

「マジかよ。アストリアの白百合ってのは、セラのことだぜ」

「は?え、そうなの?」


あまりの意外さに思わず目を瞬かせる。
平助は信じられないと言わんばかりの顔をしながら、瞳を細めた。


「お前、セラの護衛役なのに、なんでそんなことも知らないんだよ」

「いや、なんでって言われても普通に聞いたことなかったんだけど」


伊庭君が小さく微笑みながら、優雅な仕草で足を組み直した。


「セラがそう呼ばれるようになったのは、幼少の頃からです。アストリア公国で彼女の存在を知らない方はおそらくいませんよ」

「でもセラって、まだ社交の場にほとんど出てないんだよね?」


セラが公の場に姿を現したことなんて、僕の知る限りほとんどないはずだ。
それなのに、これだけ貴族たちの間で噂になっているのは、どう考えても不思議だった。


「建国祭などで目にした者達が噂を広めているのでしょう。僕達が気付いた頃には、その呼び名は様々なところで囁かれるようになっていましたから」

「でも、なんで白百合なの?」

「それはセラの姿と重なるからですよ。白百合は清らかで気高く、尚且つ儚げな花だと昔から言われています。彼女の佇まいやその美しさ、優雅さ、そして少し触れれば壊れてしまいそうな愛らしさ。まさにそれを象徴しているのでしょうね」


伊庭君が満足気にそう言うと、山崎君が引き継ぐように言葉を続けた。


「沖田さんもご存知かとは思いますが、白百合はアストリア公爵家の紋章に使われている花です。家の象徴として、代々アストリア家系に受け継がれてきました。ですから、人々はお嬢様のことを敬意を込めて白百合と呼ぶのです」

「ふうん……」


山崎君の返答になんとなく納得したようなしないような。
セラのあの外見とあの愛らしさなら、確かに噂にもなるのかもしれないけど、正直あまり面白くない。
そんな噂が立てば、変な輩に目をつけられる可能性が格段に増える気がしたからだ。


「折角近藤さんがお嬢様を護るため、社交の場にほとんど出さずにいるのに、これではお嬢様の存在が各国に広まるのも時間の問題ですね」


山南さんがやれやれとため息をつくと、近藤さんは腕を組みながら難しい顔をした。


「全くだな。喜ぶべきなのか悲しむべきなのか」

「確かに俺も複雑ではいます。注目を浴びることは良いことばかりではありませんから」


山崎君の声には、騎士らしい冷静さがあった。
警護する身としては、セラの名が広まることは決して歓迎すべきことではないのだろう。
山南さんがふっと目を細め、静かに言葉を紡いだ。


「お嬢様は日毎に亡くなられた奥様に似てきていますね。あの美貌を持って生まれてきてしまえば、仕方ないことなのかもしれませんが、近藤さんが心配されるお気持ちはわかります」

「……ああ、本当にな」


少し視線を落とした近藤さんは柔らかく微笑みながらも、どこか寂しげな表情を浮かべていた。
僕はそんなやり取りを聞きながら、改めて周囲の貴族達の視線を観察する。
祭典はまだ始まっていないのに、すでに会場の熱気は高まっているのがわかった。
セラが舞台に立った瞬間、一体どんな反応が返ってくるのかと思うと、無性に落ち着かない気分にさせられた。


「そろそろ始まるね」


僕は軽く背伸びをしながら、舞台の方に視線を向けた。
この雰囲気だと、きっとセラが姿を現しただけで会場全体がざわめくことになりそうだ。

それにしても、アストリアの白百合か。
そんな彼女の別名を耳にして、僕はついくすりと笑ってしまった。


「なにがおかしいんですか?」


隣に座る伊庭君が、不思議そうに僕の顔を覗き込んでくる。


「いや、アストリアの白百合って可愛らしい名前だなって思っただけだよ。セラらしいっていうか」

「確かに、公の場にほとんど姿を見せたことがないのに、その美しさと愛らしさが噂になっているのですから、そう呼ばれるのも納得です」

「この前の建国祭で姿を見せたときも、会場中がどよめいてたもんな」


平助の言葉によって思い出すあの日。
あの時のセラは、陽の光を受けてふわりと髪を揺らし、大きな瞳を輝かせていた。
その姿を見た瞬間、思わず息を呑んでしまったのを覚えている。
綺麗とか可愛いとか、そんな言葉だけでは言い表せないほどの存在感。
浮世離れした美しさと、誰もが手を伸ばしたくなるような儚さ。
そしてその中に宿る無垢な愛らしさが、人を惹きつけるのかもしれない。

気がつけば、僕はぼんやりとセラの姿を思い出していたらしい。
我に帰った時には弦楽祭の開幕時間がやってきていた。


弦楽祭ではセラと同じか、それより少し上の若い出場者達が次々に演奏を繰り広げていく。
ルヴァン王国の王太子や王女も含め、十数人が既に演奏を終えていた。
そして少し飽きてきた僕が欠伸をかみ殺していると、ようやく舞台の中央にセラが姿を現した。
その瞬間、僕の瞳は覚醒し、不思議なまでに眠気はなくなっていた。

シャンデリアの煌めく光の下、セラは優雅に歩みを進める。
柔らかなミルクティー色の髪が波打ち、ゆっくりと舞台の中央へ向かうたびに、会場の空気が一層澄んでいくようだった。
ドレスの裾が揺れ、彼女の細い指先がそっとヴァイオリンを持ち上げる。


「……本当に、人形みたいだな」


平助が思わずそう言葉を発すると、誰もそれを否定する者はいなかった。
セラが、静かに弓を構えるその動作一つすら、どこか幻想的だった。

そして、ヴァイオリンの音色が響いた瞬間、会場の空気が一変した。
それまで華やかに交わされていた貴族たちの囁きがふっと消え、まるで時が止まったかのような静寂が広がる。
美しい旋律が流れ出すと、誰もがその音色に飲み込まれた。

舞台の中央に立つセラは、まるで夢の中の幻のように儚くきれいだ。
小さな指が弓を操るたび、音が繊細に鮮やかに紡がれていくその様子に、僕はただ目を奪われていた。
奏でられる旋律はどこまでも透き通っていて、けれど胸の奥に強く響く。
優しく、甘く、それでいて力強く、まるで彼女の心そのものが音になったようだった。


「……すごいな」


隣で平助がぽつりと呟いた。
普段は賑やかな平助が、言葉を失ったようにセラの姿を見つめている。
伊庭君も無言のまま、その視線には驚きと敬意が滲んでいた。

ふと視線を巡らせると、会場のあちこちで聴衆達が息を呑んでいるのがわかる。
音楽に身を委ね心から楽しんでいるようなセラの表情は、まるで花の精霊が微笑んでいるかのようだった。


「これは……本当にアストリアの白百合ですね」


静かにそう言ったのは山南さんだった。
その声はどこか感嘆の色を帯びている。


「ええ、まったくです」


伊庭君が小さく息を吐きながら、そう返した。


「こんな演奏……今まで聴いたことがありません」


山崎君も珍しく目を丸くしながら、彼女の奏でる音に心を奪われているようだった。

舞台の上で、セラは最後の一音を奏で、そっと瞳を開いた。
その瞬間、会場全体が息を吹き返したように、歓声が湧き上がる。
貴族達が席を立ち、惜しみない拍手を送っていた。


「やっぱり、すげぇな……!」


平助が感動したように言い、僕と伊庭君はそっと笑みを浮かべる。


「本当にね。ちょっと感動しちゃったかな」

「セラが僕達の主だなんて鼻が高いですね」


舞台の上、ヴァイオリンを抱えたセラは、祝福の拍手を浴びながら、柔らかく綻ぶような笑みを浮かべていた。
それはどこか満ち足りたような幸福を湛えていて、演奏中の気高い姿とはまた違う、少女らしい愛らしさがそこにあった。


「綺麗すぎて、なんかもう同じ人間とは思えねーよ」

「だから、アストリアの白百合なんだろうね」

「名ばかりではなく、あの演奏を聞けば誰もがそう思わずにはいられないでしょう」


伊庭君が静かに言葉を添えると、感動で涙ぐんでいた近藤さんが、ため息を吐き出しながら複雑そうに唸った。


「まったく、娘を持つ父親としては頭が痛いな。ただでさえ城に縁談の話が山ほど届いているというのに、今日の演奏でさらに増えそうだ」

「ええ……確かに。それは容易に想像できますね」


山南さんが苦笑するものの、僕の肩が思わずぴくりと揺れるのは無理もない。
セラに縁談の話が来ているなんて初耳だったからだ。


「演奏だけでなく、あの愛らしさと美しさがあれば、惹かれぬ者のほうが少ないでしょう。きっとどこかの貴公子が、ぜひ花を手向けさせてほしいとでも申し出るのでは?」

「はあ?そんなのぜってーダメだって!セラの隣に立てる奴なんて早々いないんだからさ、簡単に手向けられてたまるかっての」

「平助君がが言っても説得力がないですよ。そういうのは、相応しい人間が言うべきですから」

「ちょ、伊庭君。何だよそれ」


皆のやりとりを聞きながら、僕は舞台の上のセラを見つめ続ける。
確かにあれを見せつけられたら、誰だって心を奪われる。
愛らしく微笑むその様子や、綺麗な所作で一礼をする小さく華奢な姿。
よく知っている筈なのに、今はあの子が酷く遠くに感じられた。


「近藤さん、山南さん」

「ん?どうしたんだね、総司」

「先程、縁談がどうのって仰っていたじゃないですか。それって今はお断りしてるんですか?」


セラは毎日学業や様々な教育を受けて忙しそうにしているものの、見ている限りお茶会などの社交の場には一切出向いていない。
おそらく他の家門の者達と交流を持たせていないという話は、本当なのだろう。
それでも城に届く数多の縁談を近藤さんや山南さんがどう対処しているのか気になって、思わず尋ねていた。


「ああ、今は時期を見合わせていると返事をしているよ。デビュタントを迎えるまではセラのことを縛りたくはないからな」

「ですが、中には中々ご理解頂けない方もいらっしゃるのですよ。何度お断りしても、同じ方から何通も届くことは珍しくありません」

「なんだか大変そうですね。そのことは、セラも知っているんですか?」

「いえ、お嬢様にはお話ししていませんよ。もしかしたら、なぜ自分には縁談の話が一つもこないのかと不思議に思っているかもしれませんね」

「今から男にうつつをぬかすなど、いかん!まったくもっていかん!時期が来ればいい縁談などいくらでもあるから焦る必要はないぞ!」

「そんなことを言って、いずれお嬢様がデビュタントを迎えた後も、お嬢様を手放せないのではないのではないですか?」

「……ん?いやあ、そんなことは……ないぞ?」

「まあ、こんな調子なわけですよ。なので今、お嬢様に手を出す輩がいたら……近藤さんが黙ってはいないでしょうね」


山南さんの意味深な笑みが、遠回しに僕にその言葉を意識させているようで若干の怖さを感じる。
それに近藤さんがいかにセラを大事にしているかを目の当たりにして、なんだか苦い気分だ。


「セラは将来どんな人と添い遂げるんでしょうね」


ついそんな言葉を呟き、思っていた以上に心が重くなるのを感じていた。
最初から期待なんてしていない筈なのに、僕に向けられたあの笑顔を思い出せば、僕の心の本当の部分では諦めたくないと叫んでいる。
あの子に僕だけを見つめて欲しいと、どうしたって願ってしまう僕がいた。

けれど今日のように一歩外の世界に出れば、あの子との距離を嫌でも突きつけられるから。
その現実に、僕は自嘲気味た笑みをこぼした。


「どうでしょうね。沖田君は気になりますか?」

「そうですね。お嬢様には幸せになってもらいたいんで」


そうでなければ僕のこの想いは報われない。
僕の手で幸せにできなかったとしても、セラには幸せでいて欲しかった。


「とても良い言葉ですね。私もそう思いますよ」


山南さんに薄く笑みをこぼしつつ、セラの心がいずれ離れていく先の未来を思い知る。
舞台での彼女の輝きが綺麗だった分、僕の心にはもやがかかっていくような感覚にとらわれていた。

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