6

朝日がカーテンの隙間から差し込み、部屋の中をふんわりとした光で包んでいた。
ぽかぽかとした温かさに目を覚ますと、胸の奥にふんわり甘い余韻が残っている。

夢を見ていた。
とても甘くて、幸せな夢。

馬車の中で総司とキスをして、そのまま腕の中で眠る夢。
夢の中の総司は、まるで宝物みたいに私を抱きしめたまま、そっと部屋まで運んでくれた。

優しくて、あたたかくて、「好きだよ」って囁かれた声まで覚えてる。
思い出しただけで胸がぎゅっとなって、どうしようもなく顔が熱くなった。

指先でそっと唇に触れて、小さく息を吐く。


『……幸せ』


唇をなぞるみたいな、優しいキスだった。
まるで私の存在を確かめるように、ゆっくりと何度も重ねられた唇は、心が溶けそうなほど甘くて、もっと感じていたいと思ってしまうものだった気がする。  
夢なのに唇にはまだ温もりが残っている気がして、胸がそわそわと落ち着かない。
ただ唇が触れるだけなのに、こんなにも心が震えて幸せな気持ちになれるなんて。
キスって、こんなに気持ちのいいものだったんだね。


『まあ、夢だけど』


でも……
昨日の夜、自分で部屋に戻った記憶が、どうしても思い出せない。
私は、どうやってこのベッドに戻ってきたんだろう。

ぼんやりとした違和感を抱えたまま、昨日入りそびれたお風呂に入り、身支度を終え、朝食の席へ向かう。
するとお父様と山南さん、山崎さんがすでに食事を始めていた。


『おはようございます』

「おはよう、セラ」

「お嬢様、おはようございます」

「おはようございます、昨日はお疲れ様でした」


お父様、山南さんに続き、山崎さんが穏やかに微笑んでくれる。


「昨日は遅くまで頑張ったな。よく眠れたか?」

『はい、ぐっすり。昨日は応援に来てくださりありがとうございました』


自分の言葉に、ふと考える。

ぐっすり……そう、ぐっすりだったはず。
でも、どうやって部屋に戻ったのかが、やっぱり思い出せない。


『あの……私、昨日はどうやって部屋に戻ったんですか?』


不思議に思いながらそう聞くと、お父様が「ん?」と首を傾げた。


「総司が運んでくれたんだぞ?」


え?
思わず、手に持っていたカップを落としそうになった。


『総司が?』

「ああ、そうだ。お前は馬車の中で熟睡していたからな」

「沖田君がお嬢様を運んで行かれるのを、私達も見届けましたよ」

「部屋までは俺も同行致しました」


山南さんは優しく微笑み、山崎さんも静かに頷いた。


『そうなんですね。お手を煩わせてしまってごめんなさい。総司にも後でお礼を言わないと』


それなら、やっぱり私の記憶は間違ってなかった。
確かに、総司が私を運んでくれたんだ。

だけどその前に、一度目を覚ました記憶がある。
あの夢は、どこまでが夢だったの?
頬にじわりと熱が広がるのを感じながら、私は心の中でそっと呟いた。

まさか……あのキスも……?

ううん、それはない。
総司がそんなことをするはずない。
うん、きっと夢だ。
だけど、どこかすっきりしない気持ちを抱えたまま、私はお城の中の廊下を歩いていた。


「おはよう、セラ」


にこやかな声がして、目の前に総司が立っていた。
彼はいつものように穏やかで、どこか楽しそうな笑みを浮かべている。

私は、じっと総司を見上げる。
それは夢の中の総司と、目の前の総司を重ねてしまったからだった。
だけど昨日の出来事が本当だったのか、夢だったのか、確かめる術はない。
勿論夢に決まっているだろうけど……、少しだけ気になってしまう私がいる。


『おはよう、総司』


そう返しながら、とりあえず気になっていたことを口にすることにした。


『昨日、部屋まで運んでくれたってお父様達から聞いたの。ごめんね、ありがとう』

「いいえ、どういたしまして」


総司は目を細めふっと笑うと、いつものようににやりと意地悪な笑みを浮かべてみせた。


「お返しに何してもらおうかな」


総司のその言葉に、私は思わずくすくすと笑った。


『もう、いつもそんなこと言うよね』

「だって、セラにおねだりするの楽しいしね」

『ふふ。悪趣味だよ、もう』


そんな他愛もない会話を交わしながらも、私はやっぱり気になっていた。

夢のこと、あのキスのこと。
私、本当に一度も目を覚まさなかったの?
ふと、もう一度総司を見上げる。


『ねえ、総司』

「ん?」

『昨日って……私、運んでもらう前に一回目を覚ました?』


その瞬間、総司の表情が一瞬だけ止まった。
ほんの一瞬だった。
だけど、その一瞬が私にははっきりと見えた。

……今、明らかに驚いた顔をした……よね?
気のせい……かな。


「ん?覚ましてないよ。なんで?」


総司はすぐにいつもの表情に戻り、にこりと微笑んだ。
その笑顔は、いつもと変わらないように見えるけど。
どうしてだろう、何か引っ掛かる。


『ほんと?』

「うん、ほんとだよ。どうしたの、夢でも見たんじゃない?」


そう言いながら、彼はいつも通りの調子で笑うけど、夢だったの?本当に?
総司の笑顔が、ほんの少しだけぎこちなく見えるのは、私の気のせい?

胸の奥が、微かにざわめいた。
あれはただの夢?それとも……
私はもう一度、自分の唇にそっと触れてみる。
唇を撫でながら思わず首を傾げてしまうけど……、そうだよね。
あれが夢じゃなければ、大変なことになる。
きっと一度目を覚ましかけて、その後総司の夢を見たのかも。
総司のことが好き過ぎて、きっと都合の良い夢を見てしまったんだ。

そう考えながらもう一度総司を見上げると、目の前の総司はやや緊迫した様子で私を凝視していた。


「…………」

『ん?どうかした?』

「……いや、どうもしないけど」

『ごめんね、夢見たのかな。なんか昨日は凄く眠くて、あのまま朝まで寝ちゃったみたいで……。どうやって部屋に戻って来たかも覚えてなかったんだ』

「そっか」

『うん』


珍しく会話が途切れてしまった。
いつもの総司なら、どんな夢?とか聞いてきたり、寝てる間に君は寝言言ってたよ、なんてからかったりしてきそうなのに、今の総司は大人しい。
私から目を逸らして、何を言うでもなく立ってるだけだ。


『総司?』

「ん?」

『今日は大人しいね?』

「そう?僕はいつも大人しいよ」

『ふふ、どこが?おかしなこと言うね』

「なにその言い方、失礼じゃない?」

『失礼じゃないよ、本当のことだもん』

「それ、ますます失礼だよね」


総司はもういつも通りに笑ってる。
だから昨日のことは多分、というか絶対夢だ。
総司が私に特別な感情を抱いてくれているわけがないし、ましてやキスなんて。
よくよく考えるとあり得ないから、少しでも気になってしまった自分に恥ずかしい気持ちになった。

それに百歩譲って夢でなかったとしても、嬉しいだけだから気にしない。
勿論、総司に夢の内容は言えないけど……夢なのに現実的で、とても気持ち良かったから、それがちょっと不思議。


『……私、重くなかった?』

「全く重くなかったよ。むしろ軽くてちょっとびっくりしたくらいかな。初めて会った時も思ったけど、もっと食べた方がいいんじゃない?」

『ちゃんと沢山食べてるよ』

「こんなに小さいのに?」


ぐりぐり私の頭を撫でる総司の手は大きくて温かい。
少し雑に撫でられも嬉しいのは、総司に触って貰えるのは嬉しいからだ。


『やめて、余計縮んじゃうよ』

「セラは出会った頃から大して身長伸びてないね」

『何言ってるの?私だってちゃんと伸びてるよ』

「えー、本当?絶対変わってないでしょ」

『そう言う総司こそ……』


そう言いかけて総司を見上げてみれば、明らかに前より更に高くなっている。
あれ?
出会った頃って、こんなに身長差、あったかな。


「僕の方こそ、なに?僕はこの一年近くでまた伸びたよ」

『気のせいじゃない?』

「今日のセラは素直じゃなくて悪い子だね。僕は素直な子の方が好きなんだけど?」


意地悪な笑みを浮かべた総司は、エメラルド色の瞳を細めて私を上から見下ろしてくる。
総司が好ましいと思うような女の子でいたいけど、きっと私なんていくら素直になったところで女の子としては見てもらえない。
そう思ったら悲しいのと悔しいのとで、無意識に唇を尖らせていた。


「随分不服そうだね」

『そういうわけじゃないけど……』

「どうしたの?機嫌悪い?」


機嫌なんて悪くないのに、そんなことを聞かれて反応に困る。
総司は当たり前に私の髪をそっと撫でるから、そんなに優しく触らないで欲しいのに。


『私だって、意地悪な総司より優しい総司の方が好きだよ』

「僕、君に優しくしてるっけ」

『優しいよ?』

「そう?たとえば?」

『たとえばって言われても沢山あるよ』


本当に沢山あるよ。
私に気遣わせないようにさりげなく優しくしてくれるし、私の気持ちを汲んで温かい言葉をかけてくれる。
そして何より私を優先して、どんなことからも護ってくれる。
私は今まで、総司の優しさに何度も救われてきた。


『でも、言うのはちょっと恥ずかしいかも』

「ははっ、そうなんだ」

『あ、でもね。昨日は総司の夢を見たんだけど』

「え?」

『夢の中の総司も、とっても優しかったよ』


勿論あの夢は私だけのものだから、その内容は誰にも話せないし話したくない。
それでも優しく触れてくれたり、優しく抱き上げてくれたあの温もりはやたら鮮明だから、私は思わず頬を緩めた。


『私、昨日の夢の中の総司が一番好きかもしれない』


だって夢の中の総司は私が一番聞きたかった言葉をくれた。
私に好きだよって言ってくれた。
現実には起こり得ないことだけど幸せだった。
だからたとえ夢だったとしても、私、絶対に忘れないんだ。


「…………」

『総司?』


冗談で言ってみた言葉だったのに、気付けば総司は無言のまま言葉を失っている。
どこか驚いたような心がここにないような……いつもの総司らしくない表情をしていた。


『あの……ごめんね。冗談だよ。夢の中の総司より、現実の総司の方が好きだからね……?』


もしかしたら、とても失礼なことを言ってしまったのかもしれないと、少し焦った心情で総司に話しかける。
すると我に返った様子で、総司はようやく視線を私に落とした。


「ああ、うん。それなら良かったよ。いや……良かったのかはわからないけど」

『ふふ、何言ってるの?やっぱり今日の総司、ちょっと変だね?』

「変だとしたらそれは全部君のせいだと思うけど?」

『どうして私のせいになるの?』

「セラが変なことばかり言うからいけないんでしょ」


瞳を細めた総司に睨まれて正直意味がよくわからないけど、私が首を傾げれば彼は大きなため息を吐き出していた。


「あーあ、なんか疲れた」

『え……?私の……せい?』

「いや、そうじゃなくて。最近ちょっと未熟な自分の感情が嫌になるんだよね」


そう言って窓に目を向け遠くを見つめる総司が何を言いたいのかはよくわからないけど、総司も日々悩んで色々なことに懸命に取り組んでいるのだろう。
総司にしては珍しく素直な想いを口にしている気がしたから、彼の素の部分が見れて嬉しいと思う私がいる。
それに未熟な自分の感情が嫌になるのは私も同じだ。


『私も同じだよ。自分の未熟なところを知って、落ち込んだり、情けなく思ったりすることもあるよ』

「君が?別に未熟なところなんてないじゃない」

『沢山あるよ。それに私から見たら、総司こそ未熟なところなんて見当たらないのに』

「それは買い被り過ぎだってば。むしろ自分のことがよくわかる分、余計に嫌になるかな」

『……そっか』


その気持ちは、すごくよくわかる。
自分がどんなに努力しても、まだ足りないと思う瞬間。
できる人を目の当たりにしたときの無力感。


『私は、そんなふうに悩んで、それでも前に進もうとする総司のこと、すごく素敵だと思うよ。それに未熟なままでいる人はいないよ。失敗しても、悩んでも、そのたびに成長していくものだと思うから、私はそうやって変わっていく総司を、ずっとそばで見ていたいな』


実際総司はここに来たばかりの頃よりずっと落ち着いて、今はとても騎士らしくなった。
立ち姿ですら精錬されて、今は誰もが認める立派な騎士だと思う。


『だから、大丈夫だよ。たとえ総司がどんなに悩んでも、どんなに自分が嫌になることがあったとしても、私は絶対に総司を嫌いにならないし、変わらず応援してるから』


総司の瞳が、僅かに揺れる。
いつもの飄々とした雰囲気とは違って、ほんの少しだけ戸惑いを滲ませるように。
そして静かに微笑むと、優しく私の髪を耳にかけてくれた。


「じゃあセラは、僕がどんなに未熟でも、ずっと見ていてくれるんだ?」

『もちろん。その代わり、総司も私が失敗しても見捨てないでいてくれる?』

「そんなこと、言うまでもないよ」


ふっと、微かに息を吐いて、総司は言った。


「君がどんなに失敗しても、どんなに未熟でも、僕は君を嫌いになんてならない。それに君が変わっていく姿を見られるなら、それも悪くないよね」


優しく微笑む総司の言葉が、胸の奥を温かくしていく。
私達は周りの大人達から見ればまだまだ子供なのかもしれないけど、これからも総司と一緒に成長していきたいと心から思った。


『じゃあ……約束だね』

「うん」


総司はふわりと微笑んで、小指を軽く絡めるように触れてくれた。


『私達はまだ若いから、これからたくさん失敗することもあるかもしれないけど、失敗から学べることって、きっとすごく大きいよね』

「うん、そうだね」

『私、そうやって総司と一緒に大人になっていきたいな』


一年後、二年後。
いずれデビュタントを迎える頃には、私はどんな女の子になっているだろう。
総司はどんな男性になっているだろう。
それが楽しみでもあり、少しの不安や心配もあるけど、これから先も総司が成長していく姿を隣で見ていたい。
きっと数年後の総司は、今にも増してかっこいいんだろうな。


「セラは、本当に変な子だよね」


静かに流れる時間の中で、総司がそっと目を細める。
それはいつもの意地悪な笑みではなく、どこか柔らかくて、優しい光を宿したものだった。


「セラと話して少し気が楽になったかな」

『それならよかった』

「ねえ、セラはもし僕が何かやらかしたとしても、怒らない?」

『え?それは内容にもよるけど』

「じゃあ、例えば君に内緒で何かをしちゃった場合は?」

『それはちょっとだけ困るかな』

「そっか。やっぱり困るよね」


そう言いながら、総司はどこか妙に満足そうな顔をする。


『なんでそんなこと聞くの?』

「んー、なんとなく?」

『ふふ、なんとなくって変だね』

「はは、ごめんね」


総司は軽く謝りながら、さっきまでとは打って変わって、どこか機嫌が良さそうだった。


『総司、なんだか楽しそう』

「そう?まあ、さっきまで色々考えてたけど……君と話してたら、どうでもよくなっちゃったかな」

『そんな簡単でいいの?』

「いいんだよ。多分、今の僕には君とこうして話してることのほうが大事だからさ」

『そう?』


なんだか照れてしまって視線をそらすと、総司がふっと笑うのがわかった。


「ほら、またそうやって顔を背ける」

『だって……』

「でも、セラのそういうところ、すごく安心するよ」

『え?』

「君は何を言っても、どんな僕でも、いつも変わらず傍にいてくれるからさ」


彼は私の髪をもう一度撫でながら、私の顔を覗き込む。
その瞳はさっきよりもずっと穏やかで、昨日の夢の余韻がふわりと蘇ってくる。
触れられる感覚に夢の記憶が重なって、胸がドキドキと音を立て始めた。

昨日、夢で……総司に……

そう思い出した途端、顔が熱くなる。
だから思い出したら駄目だと自分に言い聞かせていた。

だけど、指先が髪を滑るたびに、夢の中の総司のぬくもりと重なってしまう。
あれは夢のはずなのに、その割には鮮明で心臓が鳴り止まなかった。

目の前の総司は、夢の総司じゃないのに。
それなのに、どこか期待してしまいそうになる自分がいる。
見上げた先にいる総司も私を好きになってくれたらいいのに。
夢のように私に触れてくれたらいいのに。
そう思ってしまった。


『……総司……』


総司がぴたりと動きを止めた。
私を見つめるその瞳は、いつもより少し色が濃くて、何かを堪えているような気がする。
不思議な気持ちから瞬きをすると、総司はゆっくりと小さく息を吐いて、ぽつりと呟いた。


「セラってほんと……危なっかしくて心配になるよ」

『え?危なっかしいって、どういうこと?』

「自覚ないの?」


総司の手が、髪からそっと離れていく。
それだけで、ほんの少し寂しい気持ちになる自分が少し恨めしかった。


『私、何かした?』

「別に何もしてないけどね。ただ君はもっと、自分がどれだけ危なっかしいのか自覚したほうがいいと思うんだけど?」

『でもここは城内だし……危ないことなんて何もないと思うけど』

「そういうことじゃないんだけどな」


総司は困ったように私を優しく見下ろしていた。


「はあ、もういいや。君はそのままでいて。考えても無駄みたいだから」

『もう、それどういう意味?』

「秘密」


くすくすと笑う総司は、いつもの総司だった。
よくわからなくて私が唇を尖らせると、総司は私の頭に優しく手を置くと言ってくれた。


「大丈夫だよ。そういうところを含めて、僕がちゃんと護ってあげるから」


こうしてさらっと優しいことを言うところは、やっぱりずるいと思う。


「ほら、そろそろ行こうか」

『うん』


私は頷きながらも、夢の余韻をまだ引きずったまま、そっと胸元を押さえた。
胸の奥にまだ夢の甘さを残して、そっと彼に微笑みを向けた私がいた。


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