2

贈り物の一件から数日後の、穏やかな午後。
今日は、僕と伊庭君、平助の三人でセラの護衛についていて、ちょうど午後のティータイムを共にしていた。
本来、城の中ではそれぞれ別の役割に携わっている僕らも、あの猫の件もあり、山南さんの計らいでこうしてセラと過ごせている。
テーブルには、湯気の立つ紅茶と、セラが嬉しそうに選んだ洋菓子の皿。
休憩時間に僕達とお茶が出来ることを、彼女はとても喜んでくれていた。


「うわー、うまそーな菓子がいっぱいあるじゃん!」

『ね、どれから食べようか迷っちゃうくらいだよね』

「今日は君とご一緒できてよかったです。これからは頻繁にこういう機会を設けられると良いのですが」

『そうだよね。定期的に皆とお茶ができるように、私からお父様や山南さんにお願いしてみるよ』

「許可してもらえたらいいよね」


にこにこ頷くセラは、喜びを素直に表現していて可愛らしい。
あの贈り物の件がなければ、こんな午後は手放しで喜べたって言うのに。


「セラ、どれ食べる?取ってあげるよ」


セラは僕の言葉を聞いて、テーブルの上のお菓子に視線を移す。
セラの誕生日が近づくこの時期になると、毎年決まって彼女のもとに沢山のお菓子が届くらしい。
そのうちの一つを指差し、セラは微笑みを浮かべた。


『これ、毎年送って頂けるんだけどね。私が大好きなお菓子なんだ』


話を聞けば、これは商家から贈られてくる特製のお菓子で、彼女が幼い頃からずっと好きだったものだとか。
ふんわりとしたマシュマロのような生地に包まれた、一口サイズの柔らかそうな洋菓子。
中には生クリームとフルーツのジャムが入っている、彼女好みの可愛らしいお菓子だ。


「へー、セラはこういうのが好きなんだな」


平助が興味深げに箱を覗き込み、伊庭君は静かに微笑んだ。


「きっと、とても美味しいのでしょうね」

『うん、とっても美味しいよ。よかったらみんなも食べてね。私のおすすめは苺味。甘酸っぱくて美味しいんだよ』

「じゃあ、それは君が食べないとね」


僕がそのお菓子の箱を手に取り、セラの前に差し出す。
嬉しそうに指先を伸ばしたセラだけど、ふと手を止め首を傾げた。


『あれ?苺味……今日は一つしかない』


様々な色がついてカラフルなお菓子。
苺味らしい赤色のものは、確かに箱の真ん中に一つ入っているだけだった。


「いつもはもっと入ってるんですか?」

『うん。いつもは三、四個は入ってたと思うんだけど……変わったのかな?』

「まあ、いいじゃん!好きなら苺味はセラが食ってくれよな」

『でも、いいの?』

「もちろん。ほら、食べなよ」

『わあ、ありがとう』


僕達からしたらお菓子よりセラを笑顔にすることの方がずっと価値がある。
嬉しそうにする彼女の笑顔に満足して、一口サイズのお菓子を指先で摘み口に含む様子を微笑ましく見ていた時だった。


『……っ』


ぴたりと、セラの動きが止まる。


「セラ?」


僕が声をかけると、彼女は口元を押さえ、ゆっくりと顔を伏せた。
その手の隙間から、ぽたり、と赤い雫が落ちる。
テーブルクロスに広がる鮮やかな紅色を見て、一瞬にして血の気が引いた。


「セラ……!」


僕は即座に彼女の肩を支えた。
伊庭君と平助も立ち上がり、二人も蒼白になりながら叫ぶ。


「な……おいっ……、まさか毒か!?」

「セラっ……、早く出してください!」


セラは涙目のまま、ナプキンを手に取り、苦痛に顔を歪めながら口の中からそっと何かを取り出した。
けれど、ナプキンに包まれたものを見て、僕たちは一瞬、言葉を失った。


「……なんだ、これ……」


小さな鋭い刃を目の前に、平助が低い声で呟く。
それが、お菓子の中に巧妙に仕込まれていた。


「……なんてことを……っ」


伊庭君が低く声を震わせる。
セラも驚いて言葉を失ったかのように呆然としながらも、その華奢な肩はかすかに震えていた。


「セラ……、平気?全部出せた?」

『……うん……』


痛みのせいか、ショックのせいか、小さな唇も震えてしまっている。
彼女の青い瞳は涙で潤み、ナプキンを押さえる指先はわずかに力が入っていた。


「……お医者様を……すぐに……!」


伊庭君が立ち上がり、扉へと駆けて行く。
僕は震えるセラの肩をそっと支えながら、血の滲む唇を見つめ、胸が締めつけられるような感覚を覚えていた。


「……なあ、口切っちまったのか?」

『少しだけだから大丈夫だよ』

「大丈夫じゃねーって!こんなもん食べさせやがって……っ!」


珍しく怒りを露わにした平助が拳を握り締めるけど、怒るのは当たり前だ。
セラの無理しているだろう頼りない微笑みを見てしまえば、これを送りつけてきた奴を今すぐにでも殺してやりたい衝動に駆られた。


「セラ、ごめんね。先に気付いてあげられなくて」

『そんな、総司のせいじゃないよ。見ただけじゃ分からないから……』

「痛いよね……。でも心配しなくて大丈夫だよ、僕達がいるから」


そっと彼女の手を握り、優しく囁いた。
セラは「ありがとう」と言って微笑むけど、その目には不安が滲んでいることが見て取れた。

でも怖くないわけがない。
長年信じていた商家から届いたはずのお菓子に、刃が仕込まれていたのだから。
これが、彼女の命を狙ったものか、ただ苦しめようとしただけなのかは分からない。
けれど、この子が唯一安心して過ごせるこの公爵邸でこんなことが起こってしまったことが辛い。
セラの安らぎの場がなくなってしまうのではないかと考えたら、尚のこと許せなかった。


医師が駆けつけるまでの時間は、異様に長く感じられた。
平助は苛立ちを滲ませながら拳を握り、伊庭君も珍しく表情を険しくしていた。
僕もまた冷静を装いながらも、内心では怒りを抑えることに精一杯で。
セラの唇から流れた血が、まだ目に焼き付いて離れなかった。

やがて医師が到着し、山南さんの姿も見えた。
山崎君と近藤さんは公務で外出中とのことだけど、事態を知ったら恐らくショックを受けてしまうだろう。


「お嬢様、すぐに診せてください」


医師が優しく促すと、セラは少し戸惑いながらも、大人しく椅子に座った。
口の中の傷を見るために少し開いてもらうと、医師は慎重に診察を進める。
その間、僕たちは息を詰めて見守るしかなかった。


「……内頬と舌を、かなり深く切っていますね。それに唇にも傷があります」


やはりただのかすり傷ではなかったらしい。
医師の顔も険しく、セラはその瞳を大きく揺らしていた。


「しばらくは強い痛みもあるでしょうし、食事にも注意が必要でしょう」


医者の言葉に、僕たちは息を呑む。
そんな中、セラは静かに笑った。


『……わたしは、だいじょうぶだよ……』


少し舌足らずな声音。
いつも以上に甘えるような、儚げな響きになってしまっているのは、きっと傷のせいでうまく話せないからだろう。
それがどうしようもなく愛らしくて、同時に酷く痛ましく思えてしまう。


「本当に、大丈夫?」

『うん。ちょっといたいけど……すぐなおる……から……』


無理をしているのは明らかだったけど、セラはへらりと笑ってみせる。
その笑顔がまた頼りなく見えて、僕達は苦い顔をすることしかできなかった。


「消毒と薬を塗ります。少し沁みると思いますが、我慢してください」

『はい……』


不安そうにしながらも、口を開いて治療を受けるセラは膝の上できつく拳を握っていた。
恐らく痛いのだろう、じっとしながらも瞳だけは素直に潤むから、できることならその痛み全て代わってあげたいくらいだ。

しばらくして医者が治療を終えると、セラの口元からそっと手を離す。


「傷は深いですが、今処置をしたので問題ありません。ただ、しばらくは話すのも食べるのも辛いでしょうね」


セラはふるふると頷きながら、小さく「ありがとうございます……」と呟いた。
けれどやっぱり舌が思うように回らないのか、いつもとは違っていた。


「セラ、あんまり喋んないほうがいいってさ。だから、無理すんなよ?」


平助が心配そうに眉を寄せると、セラは「うん……」と、控えめに返事をした。


「しばらくは柔らかいものしか食べられないでしょうから、気をつけてください。ですが……災難でしたね。一体誰の仕業なのでしょうか」


山南さんの言葉を聞いて、セラはしばらく黙っていた。
何を考えているのかと思ったら、彼女はふと悲しそうに視線を落とし、そっと呟いた。


『わたし、だれかを傷つけるようなことをしてしまったのでしょうか……』


セラは近藤さんの希望で、この城の中で愛情を沢山受けて大切に育てられてきた。
優しい人達に囲まれて真っ直ぐに育ったこの子には、世の中には悍ましい程の醜い感情を持ち合わせた人間がいるなんて、きっと想像もできないのだろう。
そう考えると、セラの純粋さにこの時初めて危うさを感じた。

この子は人を傷つけてしまうような子ではないし、仮に何かこの子に非があったとしたってこんな卑劣な行為は許されることではない。
だからこそ僕は、間髪入れずに彼女に言った。


「君は悪くないよ。だから、気にしないで」

『でも……これはわたし宛に届いたおかし……だから……』

「お嬢様、違いますよ。何かの手違いかもしれませんし、このことは私たちがきちんと調べて対処致します。お嬢様は余計なことは考えず安静になさってください」

『ありがとうございます。ご心配をおかけしてごめんなさい。みんなも折角一緒にお茶してたのに、ごめんね……』


口々に「セラが謝ることではない」と僕達が言えば、セラは柔らかく微笑んでくれる。
それでもその笑顔がどこか寂しそうに見えてしまうから、また胸が軋んだ。


『じゃあ私、そろそろ次のレッスンの時間なのでお先に失礼します』


ふわりと微笑んで立ち上がるセラの言葉を聞いて、僕達は一度目を見開く。


「セラ、何を言ってるんですか?こんな日にレッスンなんて駄目ですよ」

「そうだって!ちゃんと休んでた方がいいって!」

『でも次は刺繍だから口は使わないし……』

「頑張るのもいいですが、今無理をされると身体に障りますよ?今日一日は休まれては?」

『今日で完成予定なんです。それにそろそろ先生もいらっしゃる頃ですし』


本当なら今日は無理せず、ゆっくり過ごして欲しい。
でもセラは僕達といても気を遣って無理して喋ってしまうだろうし、かと言って一人でいれな余計なことばかりを考えて更に不安を感じてしまうかもしれない。
それに僕達があまりに過敏になると、それこそこの件がセラの中で大事になり、この子の心により大きな傷となって残る可能性がある。
それならばと、僕は敢えてセラの気持ちを汲んであげる選択肢を選びたいと思った。


「いいんじゃない?刺繍なら話さなくてもできるし」


僕が肯定すれば、セラの瞳は少し嬉しそうに輝く。


「おや、いつも過保護な沖田君が珍しいですね」

「だってじっとしてても治るわけじゃないじゃないですか。勿論傷を悪化させることや無理をしたりはしないで欲しいですけど、セラの負担にならない程度なら、この子の自由にさせてあげていいと思うんですよね」


仮にセラが僕の立場だったら、部屋で一人、じっとしていなければなない方が辛い。
だからこそ告げた言葉を聞いて、セラは微笑んでくれた。


『ありがとう、総司』

「その代わり辛くなったらすぐ休むんだよ」

『うん』


セラは懇願するような瞳で山南さんをじっと見つめるから、彼も小さく息を吐いて「わかりました」と一言。


「無理だけはされないでくださいね」

『はい、ありがとうございます』


セラは皆に向かって柔らかく微笑むと、足取り軽く部屋から出て行く。
その後ろ姿を見ていると、胸が余計に辛くなるから困ったものだけど。


「無理してしまうところは、少し沖田君と似ているかもしれませんね」


山南さんがため息交じりに言った。
でも、今はそんなことを言っている場合じゃない。


「……それで、今後の対応についてですが」


山南さんの一言で、僕たちは真剣な表情に戻る。
僕はただ黙って、手のひらの拳を握りしめていた。

こんなことをしたやつを突き止めてやる。
僕の大切なセラを、これ以上傷つけさせるわけにはいかないからだ。


「相手の目星がついていない以上、君たちは勝手に動かないでください。騎士団で動くので、それは前回までの指示と変わりません」


僕たち護衛三人に向けられた、有無を言わせない言葉。
伊庭君も平助も、その言葉に渋々ながら頷いた。
でも僕は違う、じっとしていられるわけがない。
セラの口から流れた血の色が、まだ脳裏に焼き付いていた。
あの柔らかな唇が傷ついたことも、痛みに耐えるような瞳の揺らぎも、全て。
大切な人が傷つけられたのに、何もしないでいられるほど、物分かりがいい性分ではなかった。


「贈り物に毒ではなく刃を仕込んだあたり、暗殺が目的とは思えませんね」

「そうだよな。仮にセラを殺すつもりなら、毒を使ったほうが確実だしな」

「それに、これがただの嫌がらせだとしたら……犯人の目的は、セラに痛みと恐怖を与えること?」


僕がそう呟きながら目を細めると、山南さんも考え込むように眉を寄せた。


「はい。おそらく、何かしらの意図があってのことでしょう。ただの個人的な悪意か、それとも組織的なものかはわかりませんが、猫の死骸の件もあります。同じだと考えると相当粘着質な方がお相手なのかもしれませんね」

「だけど、やり口が雑すぎねぇか?刃なんて入れたらすぐバレるだろ」

「ですが、お嬢様を傷つけることが目的である可能性もありますよ」


山南さんの静かな言葉に、僕たちは息を呑む。
ただの嫌がらせなんかじゃない。
セラを傷つけること、それ自体が目的だったとしたら……?


「お嬢様は徹底的に護られていますから、恐らく並大抵のやり方では彼女に危害を加えられないと相手方も分かっているのでしょう。公爵邸に直接仕掛けることはできないからこそ、贈り物に細工をするようになったのでは?」

「……つまり、今回の犯人は、セラに恨みを持つ人物である可能性が高いってことですか?」

「その可能性も捨てきれないということですよ」

「でもセラは誰かに恨みを買うような奴じゃねーだろ」

「それに他の家との関わりもまだないんですよね?」

「ええ。ですが実際二年ほど前にも、お嬢様が嫌がらせを受けたことがあったんですよ」


僕の問いかけを聞いた山南さんが、思い出したように話し出す。


「え?そんなことあったのか?」


平助が驚いたように聞くと、山南さんは苦笑して頷いた。


「ええ。何通も手紙が届いていましたよ。お前なんかいなくなればいいとか、彼を誘惑するなとか……」

「……ああ、なるほど。それは犯人の好きな男性がセラに想いを寄せたということでしょうか?」

「ええ。完全な逆恨みでしたが、女性の嫉妬は恐ろしいですからね。とはいえ、今回の件はもっとタチが悪いですが」


僕は状況を整理しながら、いくつかの可能性を頭の中で巡らせる。

単なる嫉妬?
それとも、何者かが彼女を傷つけることで、別の目的を果たそうとしている?
例えば、彼女を怯えさせ、公爵家の内側に引きこもらせるよう仕向けるとか。
それとも、これが何かの警告だとしたら?
考えれば考えるほど、嫌な予感がした。


「とにかく、今回の件に限らず、今後は外からの贈り物は一切口にしないようにしましょう。そして君達は余計なことはせず、変わらずお嬢様を気にかけてあげてください」


僕も表向きは従ったふりをして、静かに頷いた。
でも、本心では従うつもりなんてさらさらない。
セラがこれ以上傷つけられる前に、絶対に犯人を突き止めてやると心に決めていた。

騎士団がどう動こうと、関係ない。
僕は僕のやり方で、セラを護るために動く。
犯人が誰であれ、絶対に許さないと瞳を鋭く細めた僕がいた。

- 70 -

*前次#


ページ:

トップページへ