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庭園での午後。
温かな日差しが降り注ぐお城の園の片隅で、私は総司の顔を見上げた。
数日ぶりに会う総司はいつもと変わらずどこか飄々としていて、それでいて優しげな眼差しを向けてくれている。
私はそっと口元に手を添えながら、痛みをこらえて口を開いた。
『……総司、ありがとう……』
小さい声しか出なかったとしても、ちゃんと伝えたい。
まだ少し舌がうまく回らないけど、一生懸命話せば気持ちは届くと思った。
「ん?何のこと?」
総司はそう言って、くすっと笑った。
わざとらしく首をかしげるその仕草に、私まで思わず笑ってしまう。
『あのお菓子のこと、解決してくれたって……聞いたの』
やっぱりまだうまく喋れなくて、言葉がぎこちなくなる。
それでも伝えたい気持ちは変わらないから、まっすぐに総司の目を見つめた。
「そっか、もう聞いたんだ?」
そう言いながら、総司は私の隣に腰掛けて私の顔を見つめる。
何か考えているように細められた瞳が、優しく感じられた。
「そんな顔しなくていいのに。僕は別に大したことしてないしね」
『ううん、とっても……大事なことだよ。だからお礼、言いたかったの』
「ははっ、そんなに無理しなくていいのに。話さなくていいよ、まだ痛いでしょ?」
頬杖をつきながらも私の顔を覗き込んで、少しだけ眉を寄せる。
まるで私よりも私の痛みを気にしてくれてるみたいで、私は思わず微笑んだ。
『でも、言いたいの。だって……ほんとうに、ほんとうに……うれしかったから。あのお菓子のことがあって、少し……心配してたけどね、でも……総司が解決してくれたから、もう安心できたよ』
傷の痛みより、誰かにとても憎まれているのかもしれないと思えばそれが一番怖かった。
結局贈り主は誰かは分からなかったけど、今後はそのような贈り物は届かないよう、総司の捜査のお陰で改善できるようになるらしい。
それだけでも凄く安心できるから、私のために動いてくれる優しさに胸はどうしようもなく温かくなった。
「ははっ、セラはほんとに可愛いね」
不意にそんなことを言われて、思わず目を瞬かせる。
総司は何でもないような顔をしてるけど、私は恥ずかしくなって顔を背けた。
「あれ?何照れてるの?」
『だって……』
「別に恥ずかしがることないじゃない。痛そうなのに一生懸命お礼を言おうとするのがさ、何だかちょっと可愛いなって思っただけなんだけどね」
またからかわれてるんだろうけど、心臓が煩くなってしまう。
私は口を開きかけたけど、口の痛みも相成って言葉がうまく出なかった。
「それに、ちょっと舌足らずなのもいいよね」
総司はくすくすと笑うから、私は照れ隠しで総司を睨む。
でも本当は痛みも忘れるくらい総司の優しさが嬉しくて、穏やかな午後の風まで私たちを包んでくれているみたいに感じられた。
総司の笑顔を見ていると、口の痛みも少しだけ忘れてしまいそうになるくらい。
でも、私は知っている。
山崎さんが、教えてくれた。
総司が言い付けを守らず、単独行動で贈り物に携わった人達全てを捕えたって。
それが、どれほど危ないことだったのか考えると、やっぱり総司のことが心配になる。
『総司?』
「ん?」
『言い付け……守らなかったんでしょ?総司が単独行動をしたって……危ないことだったって、聞いたよ?』
私がそう言うと、総司はわざとらしく首をかしげた。
何でもないみたいな顔をしているけど、そんなの可愛い仕草をされたって誤魔化されない。
『山崎さんが……言ってたの。沖田さんはいつも無茶をしますって』
「そっか、バレちゃってたんだ」
総司は肩をすくめて、苦笑する。
『……どうして、そんなに危ないことするの?』
「別に危ないことなんてしてないよ」
『絶対うそ』
「ほんとだってば。僕、こう見えて結構強いしね」
そう言って、いたずらっぽく笑う総司。
でも私は笑えない。
総司に何かあることが、私にとって一番悲しいことだからだ。
『総司は確かに強いけど……でも無茶はやめてほしいの』
「でも、僕が動いたから捕まえられたんでしょ?」
『……うん』
それは、わかってる。
総司がいなかったら、きっとこの件はここまで解決しなかったという話も聞いていた。
だから……
『本当にすごく感謝してるよ。総司のおかげで、このことが解決したから。ありがとう……』
もう一度素直に伝えると、総司は少し目を見開いて、それからゆるく微笑んだ。
「そっか。それなら、よかった」
『でも……それでも、心配なの。総司が無茶をして……何かあったら……私は一番嫌だから……』
「うん、わかってるからそんな顔しないで。僕はどこにもいかないし」
『……ほんとう?』
「ほんと。だからセラは、僕がいなくなる心配なんてしなくていいよ」
優しい声。
そして、いつもみたいなどこか意地悪な微笑み。
うまくかわされた気もするけど、総司にこの笑顔を見せられるとこれ以上何も言えなくなってしまう私がいる。
『それ、本当なの?ぜったい?』
「んー、たぶん?」
『だめ、絶対じゃないと』
「じゃあ絶対」
『うん』
少しだけ安心して、私は小さく頷いた。
総司はまた笑って、私の頭をぽんぽんと優しく叩く。
「ほんとに可愛い妹みたいだね、セラは」
『……だから、可愛いとか言わないで。妹扱いもしないで』
「どうして?君は年下なんだからいいじゃない」
『でも妹じゃないもん。それに可愛いって言われ過ぎたら、総司に可愛いって言ってもらってもそのうち嬉しくなくなっちゃうかもしれないでしょ?』
「へえ?じゃあ今は嬉しいの?」
『え?ううん、全然?』
「えー酷いな」
総司が危ないことをするのは嫌だけど、それでも私は総司が私のために行動してくれたことが嬉しかった。
だから今はこの穏やかな時間を大切にしたいと思う。
庭園に吹く風が、やわらかく頬をなでる。
総司とこうして話すのは、数日ぶり。
会いたかった、なんて恥ずかしくて言えないけど、それでも彼の顔を見るだけで胸の奥がふわりとあたたかくなる。
「一つ、君に報告があるんだけど」
『報告?』
総司は、どこかいたずらっぽく口元をゆるめながら、私の方へと顔を向けた。
「僕、セラの誕生日パーティーに行けることになったよ」
『え?でもこの前総司は来られないって……』
「本当はね。でも近藤さんが特別に許可を出してくれたんだ」
『お父様が?』
「そう。今回の件の手柄で、何か要望がないか聞いてもらえたんだよね。だからセラの誕生日パーティーに参加させてくださいってお願いしてみたんだ」
『え?総司が、お願いしてくれたの?』
「うん」
『どうして?』
「どうしてって、セラの誕生日でしょ?」
さらりと言うその声に、心臓の鼓動が早くなる。
もっと給金の底上げとか、部屋の内装のこととか……頼むことはいくらでもある筈なのに総司は私のためにそんなお願いをしてくれたんだ。
「それに僕が行かないとセラが寂しがると思ったんだけど、違うの?」
にやりと笑う総司を見て、思わず頬が熱くなる。
『……別にそんなこと……』
「ふうん?じゃあ、僕が行かなくてもよかった?」
『ううん、総司に来て貰えるのは凄く嬉しいよ。一番嬉しいけど……』
最近は何故か、ちょっとしたことでも素直な気持ちを口にするのは恥ずかしいと思ってしまう。
それでも伝えたくて素直に言うと、総司は笑って少し目を細めた。
「素直でいい子だね」
満足そうに微笑んでいる総司は、完全に私を妹扱いしているらしい。
生暖かい目で見つめてくるから、結局また複雑な気分になる。
「あ、それでさ。誕生日プレゼント、何がいい?」
『え?』
「何か欲しいものある?」
『プレゼントなんてなくて大丈夫だよ。来てもらえるだけで嬉しいから』
「僕があげたいんだから、気を遣う必要ないよ」
『でも……』
「じゃあ、僕が勝手に決めちゃっていいの?」
『それは……』
「うん?」
じっとこちらを見つめる総司に、私は少し迷いながらも、小さく首を傾げた。
『私は、総司がいてくれるならそれで嬉しいから本当にプレゼントはいらないよ』
だって総司が隣にいてくれることが何よりのプレゼントになる。
総司におめでとうって言って貰えたらそれが一番幸せ。
「……そっか。じゃあちゃんとセラに似合うもの、考えておくよ」
『ありがとう』
そう言ってくれることが、何よりも嬉しかった。
総司が私のために選んでくれたなら、なんでも嬉しい。
でも心がほっとしたせいか、ずっと考えていたことがまた頭をよぎった。
それはこの前のお菓子の件で、私だけが知っているはずのこと。
でも、もしかしたら……誰か他の人がそのことを知っていたのかもしれない。
気のせいかもしれないし、余計な心配をかけたくないから、総司に伝えるべきか悩んだけど。
でも……総司なら、私の話を笑わないで聞いてくれるかもしれないと思った。
『あのね、総司。気のせいかもしれないんだけど……』
躊躇いながらも、勇気を出して話し始めると、総司は微笑んだままそっと私を見つめた。
「ん?なに?」
『私ね、この前のお菓子……苺味が一番好きでね。いつも真っ先に食べるの』
「うん、それは知ってるよ。だってセラ、食べる時すごく嬉しそうだから」
ふっと微笑む総司。
でも、私が不安そうな顔をしているのを見て、総司の表情と真剣なものに変わり始めた。
「それが、どうかしたの?」
『今回、贈られてきたお菓子、苺味がたった一つだけだったでしょう?いつもならいくつか入ってるのに、真ん中に一つだけ……』
話しているうちに、だんだん怖くなってくる。
偶然かもしれないけれど、わざとそうされたような気がして……。
『あの後山崎さんや山南さんが確認したら、仕掛けをされてたお菓子はあの一つだけだったみたいなんだ。それを聞いてね……まるで私が苺味を好きなことを知ってて、確実にそれを食べさせるために、一つだけ入れたみたいだなって……』
「その味が好きなことは、誰かに話したりしたことはある?」
『ううん。一度もなくて、この前食べる前に言ったのが初めて……だから気のせいだとは思うんだけど』
「いつも食べる時に傍にいる人とかいる?」
『いないよ。あのお菓子はよくお部屋でひとりで食べてることが多かったから。だから……どうして誰も知ってるはずのないこと知ってるのかなって、逆に怖くて……』
「…………」
『あの……勿論、偶然かもしれないよ?でもね、あのお菓子……本当は苺味が一つだけしか入ってないなんてことはないはずなの。どの味もいつも三個ずつ必ず入ってたから……。ごめんね、もう解決したことなのに……』
心配し過ぎだと思われちゃうかな。
総司を重苦しい気持ちにさせてしまうのではないかと心配したりもしたけど、総司は真剣な音色で言葉を返してくれた。
「……そっか。それは、怖かったよね」
あの日から色々考えてしまった。
まるで私のことをよく知っている人があのお菓子を贈ったのではないかとすら思ってしまうくらい、気味が悪く感じられた。
でも、あのお菓子は頻繁に食べるわけではないし、誰もそのことは知らない筈。
だから私の考え過ぎかもしれないけど、誰かにこの不安を聞いて欲しかったのかもしれない。
「気になることや不安に思うことがあればなんでも話してよ。他の人に言いにくいことでも、僕には話して。君の話はちゃんと聞くよ」
気のせいだよって、軽く流されるのが怖かった。
自分の中では簡単に目を瞑れないことだったからこそ、この話をすることに躊躇いを感じられた。
でも総司は私のただの憶測すら、こうして真剣に聞いて受け止めてくれる。
それが嬉しくて瞳が潤んでしまったから、私はそれを隠すように俯いて唇を噛み締めた。
「大丈夫だよ。僕がちゃんと調べるから」
『……え?』
「セラを狙うようなことがまた起きるかもしれないなら、見過ごすわけにはいかないよね。だから心配しないで。直ぐには無理でも、僕が必ず何か手がかりを探すから」
総司の言葉はまっすぐで、どこまでも優しくて、すごく安心できるものだった。
『……うん。ありがとう、総司』
私の話を聞いて、そばで寄り添ってくれる人がいる。
それだけで、もう十分だった。
貴族社会でそれなりの立場を持って生まれてくれば、今回のようなことは珍しいことではないこともわかっている。
だからこそ私は、後ろ向きにならずに前を向いていたいと思えた。
『総司がいてくれるなら大丈夫って思えるよ。だからもう気にしないことにするね』
「また何か気付いたことがあればその都度なんでも教えて」
『ありがとう。頼りにしてるね』
総司がこうして私を気遣ってくれるのは、私が総司の護衛対象だからなのかな。
もし総司が他の人の護衛を引き受けることになったら、その人が総司の一番になるのかな、なんて……そんなことを考えてしまった。
総司の気持ちは分からないし、聞くこともできないけど。
立場を全て取っ払って、ただ一人の女の子として総司に見つめてほしい。
でもそれは贅沢な願いだということも、痛い程わかっていた。
『私の誕生日には、今度こそ総司の誕生日を教えて貰うからね。前の時、そう約束したの覚えてる?』
私は忘れずに覚えてる。
だからそう聞いてみると、総司の方が忘れていたらしい。
一度目を瞬くと、何かを思い出したように「そういえば」なんて言ってくる。
「よく覚えてたね」
『私、物覚えがいいんだ。だから誕生日が来たら、絶対総司の誕生日教えて貰うから覚悟しててね』
「ははっ、わかったよ」
『そもそも、誕生日も素直に教えてくれない人なんている?そんな人、今まで出会ったことないよ』
「だからいいんじゃない。その分、セラに知りたいって思ってもらえるんだからさ」
総司はいつもの如く少し意味深な言葉を言うけど、余計に意識してしまうからやめてほしい。
『私がもうすぐ十四歳になって、総司はもう今十六歳?』
「そうだね」
『あーあ、今年の誕生日もお祝いさせて貰えなかった』
「いいんだよ。誕生日なんて祝ったことないし」
『え?一度も?』
「うん、ないよ」
その言葉を聞いて、驚きを通り越して胸が痛くなった。
総司はここに来る前……ヴェルメルにいた頃、どんな生活を送っていたんだろう。
誕生日も祝ってもらったことがないのだとしたら、きっとそれは悲しくて寂しいことのような気がして、私は一人唇を噛み締めていた。
『総司の誕生日は、これからは私が祝うから。十人分……、ううん、百人分くらい盛り上げるから……!』
「ははっ、なにそれ。別にそんなことしてくれなくていいよ」
『でもその方が楽しい気持ちになれるかもしれないよ』
「僕はセラ一人に祝って貰えたら十分だよ」
総司がそう言ってくれるのは、私が妹みたいな存在だから?
もし総司が家族愛に飢えていて、私を妹のように可愛がってくれているのだとしたら……私はきちんとその役目を演じなければと唇を引き締めた。
『もっと早く誕生日を教えて貰えてたら今年もお祝いできたんだけど』
「まあね。でも本当に自分の誕生日はどうでもいいかな」
『全然良くないよ。だって私はお祝いしたいもん、総司の生まれた日なんだよ?その日があるから今一緒にいられてるのに、お祝いしない理由なんてないと思わない?』
思ったまま総司にそう告げると、総司はなぜかくすくす笑い始めた。
「そうだね。じゃあ来年からは祝ってもらおうかな」
『うん。期待しててね、おいしいかはわからないケーキとか作ってあげる』
「おいしくないと食べてあげないよ」
『私が総司のために一生懸命作っても?気持ちがたくさんこもってても?』
「そういう言い方をするのは狡くない?」
『総司なら絶対食べてくれるよね』
何故かそう思える。
自信を持ってそう言ってみれば、総司は笑って言った。
「そうだね。セラが作ってくれたものなら、たとえまずくても、なんだかんだ文句を言いながらも食べるかな」
『文句は言わないで、おいしいって言って食べてね』
「はいはい、わかったよ」
『誕生日、待ってるね?』
もう直ぐ総司と出会ってから二度目の誕生日がやってくる。
こうして今も変わらず総司が隣にいてくれる幸せを、大切にしたいと思った。
「うん、必ず行くよ」
来年も再来年も、総司は私の誕生日を祝ってくれるのかな。
変わらず私に微笑んでくれるのかな。
そんな漠然とした不安に蓋をして、総司に向かって微笑みを向けた。
この気持ちをあと何年、この心に大事に抱きしめ続けていくのだろうと考えながら、束の間の幸せに身を委ねていた。
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