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はじめ君とのことがあって以来、僕は品行方正な生活を送ってきたと思う。
絶対に問題を起こさないように。
そしてセラを悲しませたり不安にさせないように。
常に自分に言い聞かせながら、毎日を送っていた。
そして目の前の仕事や剣術に精力を注いだ結果、周りからも賞賛されるスピードで騎士階級一級を取得。
これは僕自身も驚いた快挙であり、専属騎士という役職がようやく見えてきた瞬間だった。
その甲斐もあり、セラは今日も僕の目の前で愛らしく微笑んでくれている。
階段の上から落ちてきた時は焦ったけど、まるで僕の腕の中に飛び込んできたかのようだったから、多少背中が痛かろうが満更でもない僕がいた。
『庭園、行かない?』
出会った頃から年月が経ち、あの頃より大人びた顔は愛らしいのは勿論のこと、今ではとても綺麗だ。
騎士団内や街の中でもこの子の噂は耳にすることが多いけど、皆口を揃えて好評価だった。
そんなセラは今、僕を見上げて可愛い声で僕を誘う。
庭園は僕達がよく二人で話す、秘密の花園のような場所だった。
「仰せのままに、お嬢様」
僕達の今の関係は、勿論以前までと何も変わらない。
アストリア公爵家のお嬢様と彼女を護る騎士として、僕達はただ時間の許す時に話して仲を深めることしかしてこなかった。
でも絆が深まればその分想いも深くなるから、最近は自分の気持ちを持て余し気味でもある。
唯一救いなのは、この子に仲睦まじくしている他の男がいないことだった。
『いい天気で気持ち良いね』
庭園に付くと、嬉しそうに笑って僕の横に座るセラは時計を見るなり今度は急に悲しそうな顔をしてみせる。
成長しても素直に表情が変わるところは健在で、そんな彼女を眺めるのが好きな僕の心も健在だった。
『あ……あと十分しか時間なかった』
「相変わらず忙しそうだよね。次は何?」
『次は社交界のスローワルツとウィンナーワルツの練習』
「え?そんなのやってたの?」
『昨日から始まったんだけど、あまり慣れなくて……苦手なんだ』
セラは年齢的にまだ社交界デビューはしていない。
社交界に出向くようになれば嫌でも色々な男と出会うだろうし、今話しているワルツとやらも多くの男と手を取り合って踊るのだろう。
「慣れなくていいんじゃない。セラは適当に自作のダンスでも踊ってれば」
『ふふ、なあに?自作のダンスって。面白過ぎる』
僕としては笑う気分にも面白い気分にもなれないけど、僕の心情なんて知らないセラはいまだに一人で笑っている。
『想像したらおかしくなっちゃった』
「いいね、気楽そうで」
『なんか酷い言い方』
「でもなんで苦手なの?踊るの嫌いとか?」
『ううん、そういうわけじゃないんだけど、先生と手繋いで踊るのが慣れなくて……しかも顔を見つめながら踊らないといけないのもちょっと苦手なんだよね』
記憶している限り、この子の家庭教師はどの教科も女性しかいなかった。
セラを溺愛している近藤さんが敢えてそうなるよう人選しているという話を小耳に挟んだことがある。
だから今回もそうだと思いたいけど、ワルツは基本男女で踊るもので男性が女性をリードしなければならない。
その役割を女性の先生が担っているとは考え難く、気付いた時にはセラに尋ねていた。
「まさか男の先生と踊ってるの?」
『うん、そうだよ。だから緊張しちゃって』
ため息を吐き出す顔には、ときめいている様子はなくただ負担に感じているだけのように見えたから取り敢えずは安堵する。
ともあれ、セラが他の男と身体を寄せてワルツを踊るなんて、想像しただけで吐きそうなんですけど。
「なんか大変そうだね。僕は無理だな、気持ち悪いし」
『ふふ、気持ち悪いって言い方は失礼だよ』
「でもよく知りもしない相手と踊るなんて苦痛でしかないよ」
『確かにそうなんだよね。でも練習するしかないから仕方ないんだけどね』
セラはもう一度ため息を吐き出すけど、本当に気乗りがしないのか、こんなに憂鬱そうなセラを見るのは珍しい。
でもそんな彼女を隣で眺めていると、それに気付いたセラはまた僕に明るい笑顔を向けてくれた。
『この話はやめる。やっぱり明るい話がいいよね?』
「はは、そうする?」
『総司に報告があったんだけどね。私、秋から正式に王立のアカデミー通うことが決まったんだ』
「アカデミー?」
『王都にある貴族の学校だよ。これから昼間は学院で授業を受けるようになるの。楽しみだな』
セラから聞いた明るい話とやらも、僕の心中に影を落とすだけだった。
昼間に学院へと行くとなれば、こうして彼女と過ごせる僅かな時間さえなくなるかもしれない。
今ですら多いとは言えない接点が更に減るのに、セラにはこれからどんどん新たな出会いが待っているんだから、不安に思うのは当たり前のことだ。
でもこうなることは当の昔から分かり切っていた。
いずれ手が届かなくなるかもしれないこの子を想うということは、そういうことだ。
『総司?』
「ああ、うん。良かったね、楽しんできなよ」
『ありがとう。でね、この前お父様に頼んでみたんだけどね』
「何を?」
『アカデミーに総司も一緒に通えないのって』
「は?僕?」
セラの言葉が予想外過ぎて一度思考が停止する。
それをどう捉えたのか、セラは少し申し訳なさそうに肩を竦めた。
『あ……ごめんなさい、勝手に……』
「いや……、別に謝らなくていいけどさ」
『ごめんね、つい思い付いたまま言っちゃったんだ。それにその時は了承をいただけたわけじゃないの。だからもし今日その話をされて、総司が興味なかったら断ってもらって大丈夫だからね』
「気遣ってくれてありがとう。でも、流石に僕は無理だと思うよ」
『でも騎士の人達も行く学校だよ?平助君や伊庭君も行く予定みたいだし』
「それは貴族出身だからでしょ。僕の場合はその費用を出す親もいないし、普通に考えて難しいと思うけど」
『そうなのかな……』
僕がその学院とやらに通う想像は出来ないけど、通えたら確かに楽しそうではある。
なんでってセラの傍にいられるし、この子が危険な目に遭った時だって僕の手で護ることができる。
何より寄ってくる男を片っ端から蹴散らすことも出来るからね。
『あ、もうこんな時間だから私そろそろお城に戻るね』
「うん。僕も午後の任務頑張るよ、だからセラもワルツ踊るの頑張って」
『ありがとう。総司のことも応援してるね』
いつからだろう。
自分の中でいつか諦めるつもりだったこの想いが、予想以上に大きくなってしまったと気付いたのは。
他のことならどんな我慢もするつもりだけど、セラに関することだけは、どうにも上手く制御出来ない自分がいる。
それがプラスに働き、こうして騎士の階級を上げることは出来たけど、感情面で言えばいつバランスが取れなくなくなるかも分からない橋の上を綱渡りしている気分だ。
でも僕はどんな茨の道でもこの道を選ぶと思うから。
ただ前に進もうと、春の日差しの下でそっと深い息を吐き出した。
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