5
それから数日、楽しみにしていた総司の誕生日がやってきた。
夜が更けていく中、私は一人、お城の厨房に向かう。
初めて当日にお祝いできるのが嬉しくて、朝からずっとこの時を心待ちにしていた。
料理長にお願いして一緒に作ってもらった小さなケーキは、ふわふわのスポンジにたっぷりの生クリームとフルーツがのせられた華やかなもの。
そしてその上には私が作ったクッキーを飾る予定だった。
総司の顔、自分の顔、そしてハートの形をしたクッキー。
『うまくできたかな?』
そっと籠の中に入れたクッキーを覗き込む。
総司の顔のクッキーは、ほんの少し口元が曲がってしまったけど、にやりと笑う彼の雰囲気が出ていて、これはこれでいいかもしれない。
ハートのクッキーは丁寧にアイシングを施し、私の顔のクッキーは少しだけ控えめな表情にした。
厨房に着くと、料理長が「準備はできていますよ」と笑顔でケーキを差し出してくれた。
私はそれを受け取り、クッキーを慎重に飾っていく。
総司はどんな顔をするだろう。
驚くかな、笑ってくれるかな、喜んでくれるといいな。
そんなことばかりを考えながら、心が温かくなるのを感じていた。
その日の夜、私は山崎さんにお願いをして総司を一階のお部屋に案内してもらうことにした。
テーブルにあるのはお誕生日ケーキの箱と、お祝いのシャンパンとジュース。
座る私の横には総司へのプレゼントが置かれていて、頬が緩む。
扉をノックする音が聞こえると、少し間をおいて総司の声が聞こえた。
「セラ?」
扉が開き、薄明かりのなかに立つ彼と目が合う。
少し驚いたように瞬きをしてから、ふっと微笑んだ。
「こんな時間にどうしたの?」
『お誕生日、おめでとう。総司』
「僕の誕生日、覚えててくれたんだ?」
『もちろんだよ。今日は初めて、当日にお祝いできるから』
「そっか、ありがとう」
総司は微笑みながら私の隣に腰掛けると、そっとケーキの蓋を開けた。
そして中に並べられたクッキーを見るなり、くすっと笑う。
「これって、もしかして僕?」
『うん。総司の顔と、私の顔と、ハートのクッキー』
「へえ。僕の顔、こんなふうに見えてるんだね」
『似てない?』
総司はクッキーを手に取り、じっと眺めたあと、にやりと笑った。
「似てるよ。特にこの口元、意地悪そうなところがよくできてるんじゃない?」
『ふふ、でしょう?』
「可愛いね、食べるのがもったいないくらいかな」
『あとね。これ、誕生日のプレゼント』
小さな包みを両手で持って差し出すと、総司は嬉しそうに微笑んでくれた。
「僕に?」
『うん。総司もこれから学院に通うから、役に立つものがいいと思ったんだ』
総司は包みを受け取ると、丁寧に包装を解いて、中から黒い革のペンケースを取り出した。
「へえ。いいね、これ」
指先で革の手触りを確かめるように触れて、ペンケースの留め具を外す。
感心したように指先でなぞりながら、柔らかく笑った。
「なんだかセラらしいね」
『え?』
「ここ」
総司はペンケースの内側を指で示した。
そこには、目立たないけど開くたびに見えるように私が丁寧に刺繍した英語の文字がある。
“May your days be filled with happiness.”
それは総司がここに来た時から、私が願っていたこと。
総司がどんな未来を選ぶとしても、総司が笑っていられますように。
そんな願いが込められている。
「セラが刺繍してくれたの?」
『うん。少しでも総司の気持ちが温かくなってくれたらいいなって』
初めて総司に刺繍のハンカチを渡したのは、今からちょうど二年前くらい。
あの時はまだ習いたてで覚束なかったけれど、今はだいぶ上手く刺せるようになったと思いたい。
「すごいね。元々上手だったけど、更にうまくなったんじゃない?」
『本当?良かった。総司が、毎日幸せでいられますようにって願ってるからね』
「ははっ、そんなふうに思ってくれるんだね」
『だって、お誕生日だから』
いつもふざけてばかりいるからか、改めてこんな話をすると少し恥ずかしい。
でも今日は総司が生まれた特別な日だから、こんな照れくさい時間もたまには悪くないと思えた。
『お誕生日には、たくさんの幸せを願うでしょ?』
総司は少し黙って、それからゆっくりと微笑んだ。
柔らかくて、少し切なげな笑顔。
その顔から目が離せないでいると、総司も私を見つめ呟くように私の名前を呼んだ。
「ねえ、セラ」
『なに?』
「僕はこれを使うたびに、君のことを思い出すと思い出しちゃうかもね」
『え?』
「だって君が僕のために選んで、刺繍までしてくれたんだからさ。なんだかそれって特別じゃない?」
特別という言葉に心臓が少し早くなる。
何も返事をしない私に総司の顔が近づいてきたと思ったら、彼は耳元でそっと囁いた。
「ありがとう、すごく嬉しいよ」
『……っ』
耳にかかる吐息がくすぐったくて、私は慌てて総司から距離を取った。
『そ、そんなに近づかないでっ……』
「どうして?」
『どうしてって……近づく必要ないと思う』
「君がくれた大事なプレゼントだから、ちゃんとお礼を言いたかっただけなのに、そんなに拒絶されると傷つくな」
からかうような言い方なのに、その響きは優しくて。
胸がいっぱいになって、私はきつく手を握った。
「あっはは、顔赤いよ」
『……もう、なんなの?』
「今日はまだ、セラをいじめてなかったなって気づいたんだよね。セラだって一日一回は僕に意地悪されたいでしょ?」
『されたくないよ』
「でもセラは僕に意地悪されるの好きだよね」
ふわりと微笑む総司の言葉に、私は思わず目を瞬く。
『そんなこと、一度も言ったことないけど』
「言葉にしなくても、態度に出てるよ」
『態度に……?』
「ちょっと頬を膨らませて口を尖らせてるけど、拗ねてるふりをしながら僕のことを嬉しそうに見てるじゃない」
『何言ってるの?嬉しそうになんてしてないし、それは総司の気のせいだよ』
「じゃあ、セラは僕に意地悪されるの嫌?」
言い返そうとして口を開くものの、どう言葉を続ければいいのかわからなくて、私は視線を落とす。
総司は相変わらず余裕の表情で、私の様子を楽しそうに眺めていた。
「セラは僕にからかわれると、すぐ顔に出るんだよね。さっきみたいに、耳まで赤くしてくれるのが可愛くてさ」
総司にからかわれると、恥ずかしくなるから嫌だって思う。
でも総司がかまってくれるのは嬉しいし、総司からの意地悪が全くなくなってしまうのもそれはそれで寂しいと思う。
つまりそれって、総司が言う通り意地悪されたいって思ってること?
そうだとしたら……ちょっと複雑。
『意地悪だね、総司は』
「うん、よく言われる。でも君にしか言われたことないけど」
『絶対嘘だよ、それ』
「本当だよ」
『それなら、総司は他の人には優しいの?』
「うーん、優しくはないかな。でも君は、僕が誰にでもこんなふうに接してると思う?」
そう聞かれると、はっきりと否定することもできなくて、言葉に詰まってしまう。
なぜなら私は総司のことを知っているようで、知らない部分も多いからだった。
でも学院に通うようになれば、私の知らない総司を見る機会も増えるのかもしれない。
他の女の子とも話したり、楽しそうに笑ったり。
そんなことを考えてしまったら、結果として胸が苦しくなるだけだった。
「セラ?」
『えっと、よく……わからないけど、総司は総司のままでいいよ。意地悪にもだいぶ慣れたもん』
少しばかり逃げるように話を終わらせて、私は総司に微笑みを向けた。
総司は柔らかく微笑むと、そのまま私の髪を一束掬うから、また心臓は少し音を立てた。
「セラと学院に通うなんて、なんだか実感が湧かないな」
あと数ヶ月後には、平日は毎日通うことになるアカデミー。
確かに私も、まだ実感が湧いていない。
『楽しみ?不安?』
「両方かな。でも君が一人で通うよりかは、僕も通えることになって良かったけどね」
『ふふ、ありがとう。護ろうとしてくれて』
「単純にそれだけじゃないんだけど」
『他に何かあるの?』
「まあ、セラにはわからないよ」
それ以上は言う気はないというように、総司は横で大きく伸びをしてみせる。
そんな彼を眺めていると、総司が再び私に視線を向けた。
「学院に通うようになったら、何か変わると思う?」
『んー、幅広く知識がつけられるかな?』
「他には?」
『交友関係が広がるとか』
「なんかやだな」
『え?嫌なの?行きたく……ない?』
「いや、行きたいよ。行きたいんだけどね」
総司の言いたいことがよくわからなくて眉を顰めていると、総司はそんな私の表情に気づいてくすりと笑う。
「セラはさ、知り合いが増えても変わらず僕のことかまってくれるの?」
私の毛先を指先で遊びながらそう聞いてくる総司の心は読むことができない。
でもドキドキしてしまったのは確かで、思わず一度唇をきつく結んだ。
『それは総司もだよ。総司こそかまってくれるの?』
「僕は何も変わらないよ」
『私だって何も変わらないよ』
「そう?それならこれからも沢山可愛がってあげるよ、こうやって」
そう言って私の髪の一束をふんわり持ち上げ、その毛先で私の耳を擽ってきたから私の身体はびくんと跳ねた。
『っ……やめ……』
「はは、いい反応。セラって耳が弱いの?」
『ちが……もうやめてっ……』
ぞわぞわした耳が気持ち悪くて自分の手でごしごし擦れば、総司がそんな私の手首をやんわり掴んだ。
「そんなに強く擦ったらだめだよ、傷付いちゃうでしょ?」
『だって耳が気持ち悪くなっちゃったんだもん、総司のせいだからね』
「だからって、そんな乱暴にするのは良くないよ。赤くなっちゃったじゃない」
気遣うように伸びてきた総司の指が私の耳を優しく撫でるから、また身体がぴくりと揺れる。
その様子をみた総司がにやりと口角を上げたから、その手を掴んで乱雑にどかした。
『……本当にやめて。私に触らないで……』
「あーあ、やりすぎて君を怒らせちゃったかな」
『本当に私、怒ってるんだからね』
「そうなんだ」
そうなんだ、なんて言いながらも総司は楽しそうに笑っている。
私は無駄にドキドキさせられて少し疲れてしまったけど、総司は不意に私の顔のクッキーを手に取った。
「僕の顔と君の顔、どっちが美味しいと思う?」
『え?』
「試してみようか」
そう言って、総司は私の顔のクッキーをひょいと口に運ぼうとする。
『……あっ』
「ん?」
『それ、もう食べちゃうの?』
「クッキーだからね」
『でも、それ私の顔なんだよ?』
「ははっ。じゃあさ、君が僕の顔のクッキーを食べてよ」
そう言って、自分の顔のクッキーを私に差し出した。
「おあいこ、ね?」
なんだか変なやりとりになってしまった気がする。
でも私はそっと総司の顔のクッキーを手に取り、一口かじった。
『ん……、おいしい』
「おいしいに決まってるじゃない、セラが作ったんだから」
総司はにやりと微笑んで、私の顔のクッキーを口に入れた。
「うん、セラもおいしいよ」
『ふふ、おかしな言い方。まるで私を食べちゃったみたいだね』
私の言葉を聞いた総司は、なぜかその言葉を聞いて目を瞬いた。
「へえ、そういうこと言っちゃうんだ」
『え?だめ?』
「じゃあ、クッキーと君、食べたらどっちの方がおいしいと思う?」
総司の変な質問にくすくす笑いながら、こうして過ごせる時間に幸せを感じる。
会えない日もあるし、会えても一日のうちのわずかな時間だけだけど、その少しを積み重ねて総司と仲良くなれたことが嬉しい。
『それはもちろん、私だよ』
「そうなんだ。じゃあ本当かどうか確かめてもいい?」
総司の言葉の意味がすぐには分からなくて、私は思わず首を傾げる。
『え?』
「確かめるって、どういうことかわかる?」
にやりと微笑む総司が、ゆっくりと身を寄せてくる。
甘いジュースの香りがふわりと鼻先をかすめて、視界いっぱいに総司の顔が広がって。
思わず後ずさろうとしたけど、ソファーに座っているせいであまり逃げ場がなかった。
『あの、近すぎるよ』
「そう?僕はちょうどいいと思うけど」
『全然ちょうどよくないよ』
「じゃあ、どうすればいい?」
私の反応を面白がるような声音に、鼓動が妙に速くなる。
私は咄嗟に両手を伸ばし、総司の頬にぐいっと手のひらを押し当てた。
「いたた……」
思ったよりも強く押してしまったみたいで、総司の顔がぐいっと横を向く。
『あ、ごめんなさい……』
慌てて手を引っ込めると、総司は頬をさすりながら私を見つめた。
「ひどいな、そんなに嫌がられると傷つくよ」
『ち、違うの。そういうわけじゃなくて……』
焦って弁解しようとすると、総司はふっと笑って、私の頭にぽんと手をのせる。
「でも、ちゃんと拒めてえらいね」
頭を優しくなでられて、思わずきょとんとしてしまう。
意味が分からず眉を寄せると、総司はどこか満足そうな顔で言った。
「これから他の男にいたずらされそうになっても拒めそうで安心したよ」
『こんな変なこと、総司しかしないと思うよ』
「えー、そう?」
『そうだよ』
「じゃあ、僕のときは拒まなくてもいいんじゃない?」
言葉に詰まると、総司はますます楽しそうに微笑んだ。
「ははっ。かわいいね、セラ」
こうやってからかわれても何も言い返せなくて、私はただ胸の鼓動を持て余していた。
だってそんなことばかり言われたら、少し期待してしまう。
まるで私のことを特別に思ってくれているみたいに聞こえてしまうからだ。
でも、そんなはずはない。
軽く言える言葉に惑わされたらいけない。
そう思いながら、私はぎゅっと唇を結んで総司を見つめた。
でも、どうしてだろう。
そんなふうに真っ直ぐ見つめたら、言いたかったはずの言葉まで喉の奥に引っ込んでしまう。
黙る私を見て、総司は少し目を細めると、口角をゆるく上げた。
「どうしたの? そんな顔して」
『……ううん、何でもない』
「ふうん?」
何でもないはずなのに、総司の視線が妙に優しく感じてしまう。
これもきっと、私が都合良くそう見えてしまってるだけなんだろうな。
「セラってさ」
『うん?』
「そうやって僕をじっと見つめるの、ちょっとずるいよね」
『ずるい……?』
「うん。そんなふうに見つめられたら、また意地悪したくなっちゃうんだけど」
からかうように言いながらも、どこか優しくて。
私はまた、総司の言葉にどこか落ち着かない気持ちになってしまう。
総司の意地悪は嫌なわけではないけど、たまに心臓に悪い。
じっとり総司を睨んでみれば、彼は肩をすくめてみせた後、「ケーキ、食べようか」と微笑んだ。
『じゃあ、ケーキ切るね』
小さなケーキを四分割に切り分けて、そっとそれぞれのお皿に乗せる。
フォークで一口分をすくって口に運ぼうとすると、不意に総司が私の手をとった。
「はい」
『え?』
「食べさせてあげる」
『でも、自分で食べられるよ?』
「誕生日なんだから、僕のわがまま聞いてよ」
そう言われたら断れなくて、私は少し恥ずかしく思いながらもそっと口を開いた。
ケーキの甘さが口の中に広がって、思わず頬が緩んでしまう。
「どう? 美味しい?」
『うん、とっても』
「セラが食べてるところって、なんだか可愛いね」
『総司も可愛いよ。だから次は総司の番』
「セラが食べさせてくれるんでしょ?」
『仕方ないな』
期待するように、総司はじっと私を見つめる。
私はフォークを持ち上げて、ケーキをすくった。
総司は当たり前のように口を開いて、私が差し出したケーキを食べるから、やっぱり可愛い。
「うん、美味しい」
『良かった』
「セラが食べさせてくれたから、余計においしく感じるのかもね」
可愛い物言いに笑ってしまったけど、そんな私の口元にはまたフォークに乗ったケーキが差し出される。
ぱくりと食べて微笑むと、そんな私を見つめる総司も穏やかに微笑んでいた。
「ねえ、セラ」
『ん?』
「今日、ありがとう。すごく嬉しいよ」
『……本当?』
「うん。本当だよ。君が僕の誕生日を、こんなふうに祝ってくれるなんて思ってなかったからさ」
こうしてたまに素直になる総司にはいまだに少し慣れない。
いつもちょっと意地悪な分、真剣な瞳で見つめられたり、素直にお礼を言われると、無性に恥ずかしくなってしまう。
『だって、総司の誕生日は私にとっても大切な日だから』
総司に喜んで貰いたい気持ちは勿論、私が総司と一緒に総司の生まれた日をお祝いしたかった。
以前総司は誕生日のお祝いなんてしたことがないって言っていたけど、今までの分までこれからは私がお祝いしたい。
総司が傍にいてくれるうちは、できる限り総司の笑顔を見ていたかった。
「そっか……じゃあさ、来年も再来年も、その先も、ずっとこうしてお祝いしてくれる?」
『うん、もちろん』
「約束ね」
総司は私の手をとって、そっと握った。
あたたかい彼の手の感触に、胸がくすぐったくなる。
『うん、約束』
優しくて、少し意地悪で、でもどこか甘い空気が漂う誕生日の夜。
きっと私は、これからもずっとこの日を大切に思い続けるのだろうと思った。
これから時間が流れて、いつかは私達を取り巻く環境が変わってしまうこともあるのかもしれない。
それでも総司の誕生日はこうして二人でお祝いしたいと思うから、温かい総司の手をそっと握り返した私がいた。
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